週刊READING LIFE vol.178

自らが信ずる道を示した偉人《週刊READING LIFE Vol.178 偉人に学ぶ人生論》


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/07/25/公開
記事:山田THX将治(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
私の様な昭和中期人間にとって、誇りと共に強いこだわりを感じるブランドがある。
それは、自動車の『HONDA』とAV機器、特にテレビとステレオの『SONY』だ。
どちらの企業も戦後生まれで、自社製品を輸出することで“モノ作りニッポン”を象徴する様な存在だった。特に当時は、輸出によって外貨を稼ぐことが、絶対的な善とされていた時代であり、『SONY』も『HONDA』も時代の寵児(ちょうじ)ともてはやされたものだ。

しかし、『SONY』も『HONDA』も、ただ安価な製品を輸出し業績を伸ばしていたのではない。そこには後発企業で在ったが為の、確固たる技術力に裏打ちされた自社製品に対する自信が在った。
『HONDA』の場合、対応は絶対に無理といわれた米国の“大気浄化法(通称・マスキー法)”を、独自開発の技術で世界に先駆け突破してみせた。世界最後発の自動車メーカーで、しかも、二輪車(バイク)のメーカーとしての認知が強かったのにだ。
『SONY』は米国進出の当初、トランジスタ・ラジオ100万台の受注を断っている。何故なら、OEM(相手先ブランドによる生産)による提案だったからだ。結果としてその後『SONY』は、自社ブランドによる販売に注力した。そして、遂には日本企業として初の偉業を成し遂げる。それは、NYの五番街に自社製品のみを販売するビルを持ったことだ。
 
私達、高度成長期に育った者にとって両企業は、上記の偉業にも増して、或る逸話で印象に残ったものだ。その逸話とは、
『アメリカの田舎では、“SONY”や“HONDA”が特に好まれている。故障しないからだ。何しろ当地は、修理に来て貰うだけで一昼夜掛る程の地の果てだ。
そこの住民は、真剣に“SONY”や“HONDA”は、戦勝国アメリカの企業だと信じている。敗戦国・日本には、こんな技術力等有ろう筈が無いとも』
と、いうものだ。
当時の男の子にとって、日本を誇らしく感じるには、充分過ぎる逸話だ。
 
 
似た風土を持つ『SONY』と『HONDA』だが、それは創業者の際立ったキャラクターに依るものでもある。

先に述べておくが、『SONY』の経営者として有名なのは盛田昭夫氏だ。しかし、盛田氏は創業者では無い。
『SONY』の創業者は、井深大(いぶかまさる)氏だ。『HONDA』の創業者は、言わずと知れた本田宗一郎氏だ。
井深氏と本田氏は、とてもウマが合い、プライベートでも親交が深かった。
二人が知り合ったのは、1950年代中盤のことだ。これから時代では、内燃機(エンジン)も電気制御に為ると感じたのが本田氏だ。当時、電気を制御する半導体は、真空管からトランジスタに移行し始めた頃だ。
そのトランジスタを用いて、ラジオを小型化し大成功を収めていた『SONY』に、教えを乞う形で訪れたのが本田氏だった。
本来なら、面識も無い者との訪問等、歓迎されないものだ。しかし、『HONDA』と本田氏の噂を聞いていた井深氏は、まともなアポイントも取らず(もっとも、連絡手段が限られていた時代だったが)若手の技術者を引き連れて訪れた声の大きなバイク屋の社長を、何故か歓待し後々の親交の切っ掛けとしたのだった。

多分、井深氏が本田氏を歓待した背景には、井深氏の先祖が関連していると思われる。井深氏の祖先は、旧・会津藩の家老で、親戚の中には飯森山で白虎隊員として命を落とした方も居たそうだ。
自らが信ずる道は、いかなる困難が有っても貫くというのが会津藩の教えだ。大河ドラマ『八重の桜』でかたられた、
『為らぬものは為らぬのです』
を、地で行く精神ともいえよう。
井深氏は、高度な教育を受けていない環境から、自らの腕前一つで自動車を造り走らせようとする本田宗一郎氏を、困難に立ち向かう同士という感覚も持ったのであろう。
理由を知る由も無いが、本田氏は二歳年下の井深氏を何故か、
『井深の兄貴』
と、親しみを込めて呼んでいた。
本田氏の最終学歴は、尋常小学校卒だ。それに比べ井深氏は、大学の理工学部を卒業している。その卒論は、『変調器としてのケルセル 附光線電話』という、一般人には全く理解すら出来ないものだ。技術者として本田氏とは、比べるべくも無い学歴差だ。
なので本田氏は、謙(ヘリくだ)る意味で『兄貴』と親しみを込めて呼んだと思われる。
呼ばれた方の井深氏は、それが本田氏流の‘テレ’の表れと理解し、全く意に介さなかったそうだ。
 
 
一般的に、大企業のトップ同士は一緒にゴルフをするのが定番と為っている。共通の趣味を確認する手間が掛からないからだ。
 
ところが井深氏と本田氏は、文化事業等で協力することが多かった。
そこには、互いのプライベートでの頼み事は断らない、という不文律が有ったからだ。その代表的例が、ボーイスカイト活動だ。将来有る子供達に、大いなる活動の場を与えようと、井深大氏はボーイスカウト日本連盟の理事長職に就いた。そのさい、二つ返事で副理事長を引き受けたのが、他でもない本田宗一郎氏だ。
これ等、モノ作りの技術者として互いにシンパシーを感じていた者同士にしか出来ないことだろう。
それは、互いをリスペクトしている証拠でもあると感じる。


井深氏と本田氏は、自らの技術に対して揺ぎ無い自信を持っていた者同士でもある。時にそれは、共感に近いものだったのかもしれない。
何故なら両者共、他の真似をしないオリジナリティにこだわり続けていたからだ。例えそのこだわりが、失敗することが有ったとしても。
 
 
1988年のこと『HONDA』は、自動車レースの最高峰F-1にエンジンサプライヤーとして参戦していた。独自の技術に裏打ちされた出力と低燃費で、他のチームを圧倒していた。
このままでは、レースとして成立しないと考えた主催者は、後付けで新たなルールをエンジンに課した。当然、『HONDA』エンジン対策にだ。後出しの規制に対し、『HONDA』のエンジニアは、口々に不満を漏らしていた。
たまたまその不満を耳にした本田氏は、エンジニアにこう問い質した。
「その、新しい規則は、ウチに対してだけのものなのか?」
エンジニアは、
「いいえ、全チームに対して課せられます」
と、答えた。
それを聞いた本田氏は、大笑いをしながら、
「西洋人は、もっと頭が良いかと思ったら、意外とそうでも無いなぁ」
続けて、
「第一さぁ、同じスタートラインからなら、ウチが一番早く対処するのを知らない様だ」
と、言い放った。
その場に居合わせた技術者は、自分達の不満が小さなものだったと再認識したそうだ。
本田氏には、独自の技術で不可能といわれたマスキー法を、世界に先立って突破した技術の誇りと、確固たる自信が在ったのだろう。

私もいつかは本田氏の様に、若手の悩みをポジティブに一笑に付せる人間に為りたいと思っている。


一方の井深大氏も、また別の意味で本田氏に劣らぬ豪快な方だ。
先ず何しろ井深氏は、『SONY』の経営者として現役時代から、一貫して会社近くのマンションで暮らしていた。名誉や優雅な生活には、興味が無かったからだ。
叙勲され授与された勲章も、常にリビングルームの目に付き易い所に於いていたそうだ。
自宅を訪れた社員に向かって、
「この勲章を頂けたのは、君達の御蔭だ。折角だから、勲章を掛けて写真を撮っておくといい」
と、何人もの社員をカメラに収めていたそうだ。
 
そうした技術者に対する井深氏の想いは、『SONY』の前身にあたる“東京通信研究所”という、日本橋のデパートの一角を間借りして創立された会社の設立趣意書にも表れている。その趣意書には、
『真面目ナル技術者ノ技能ヲ最高度ニ発揮セシムベキ、自由豁達(かったつ)ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設』
と、書かれていた。

こうした環境で育った技術者は、これまた一種独特だった。
 
或る時、大手家電メーカーの創業者が、自社の技術を問われた際、オフレコで、
「ウチには技術研究所は必要無い。何故なら、『SONY』というモルモット企業が有るからだ」
と、漏らしたそうだ。
現代なら炎上問題に為りそうなこの発言は、程なく井深氏の耳に入ることと為った。
激怒してもおかしくないこの発言を、井深氏は特段の問題視をしなかった。実際、後年のビデオデッキ競争でも、先行して技術力も高かった『SONY』の“βマックス”を、他社のシステムが販売力で追い抜いたという例が有名だ。

加えて、会社を馬鹿にされた社員も井深氏同様に怒ることも無かったという。
その代わりに、トロフィーに見立て金色に塗られたモルモットを、井深氏に贈った。そこには、社長と社員という関係を超えた、技術を共有する素晴らしい関係が在ったと言えよう。
その証拠に井深大氏は、この金色モルモットを終生執務室の机上に置いていたそうだ。
社員と技術に関する想いが共有出来たことが嬉しかったのだろう。
自らが書した会社の設立趣意書が、ここに成就したと井深氏は思っていたのかも知れない。
 
 
私は、自らも還暦を過ぎた今、こんなことを思っている。
 
井深大氏と本田宗一郎氏という、ほんの少しだけ時代を共にした(実際私は、御二人に生で御逢いしたことが有る)技術の偉人の人生から、多くのことを学んできた。

技術的に御二人には遠く及ぶことは無いが、せめて自分が信じた道に於いては、井深氏と本田氏の足元の、100m近辺迄は近付きたいと考えている。


そして、毎日『HONDA』の車を運転し、『SONY』のテレビを観続ける限り、
井深大氏と本田宗一郎氏が示した人生を、想い返すことにする。
 
御二人は私に、初めて日本人としての誇りを授けて下さった方だから。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山田THX将治(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeasonChampion

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2022-07-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.178

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