何歳からでも遅くない《週刊READING LIFE Vol.178 偉人に学ぶ人生論》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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2022/07/25/公開
記事:飯塚 真由美(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
誕生日の朝だというのに、空港のチェックイン機の前で私は泣き出しそうな気分だった。
予約が取れていなかったとか、欠航になったとか、そういう原因では無い。今日もばっちり窓側席だ。
私はこの日、50歳になった。いわゆる大台というヤツに乗ってしまった。
30歳になる時も、ある種の怖さというか覚悟というか、何か諦めのような気持に襲われた。女性として若くて価値ある時間はハイ終了、というような得体の知れない不安を感じた。29歳と30歳の間には結界があると信じていた。
不思議なもので、歳を重ねるにつれ自分の年齢を書く機会は減っていった。自分の年齢を文字で見るということを無意識のうちに避けていたのかもしれない。自己防衛だ。年齢を書くたびに、自分が歳を重ねていることに気づいてしまうから。
ごくまれに年齢を記入する機会があると、記入する紙やスマホの画面に「私に歳を聞くなんて、いい度胸ね」と憎まれ口を叩いてからしぶしぶ記入した。その割に、うっかり実年齢よりも1つ多く書いてしまって大慌てすることもあった。逆にサバを読んでどうする、と自分にツッコミを入れた。それくらい、次第に増えていく年齢のことは考えないようにしていたかった。
そんな中、50歳の誕生日は頼んでもいないのに予定通りやってきた。
誕生日は単身赴任をしていた夫の所に行く予定だった。
空港のチェックイン機にいつものように予約番号を入力する。夫の住む街に行くため月イチで空港を使っていたので、いつものルーティーンとして何も考えず次の画面が表示されるのを待った。
画面が変わり、私は息を飲んだ。
私の名前と、その横に年齢が表示された。年齢だけが、太字に見えた。
イイヅカ マユミ 50歳
突きつけられる50歳という現実に、泣き出したい気分だった。
知りたくなかったのに。見たくなかったのに。30歳になる時にも増して、50になることには抵抗があった。なぜだろう。ひたひたと忍び寄る老いを感じるからだろうか。
これは誰かに話さないと気が済まないと思い、この画面を写真に撮った。実際には年齢の部分は太字でもなんでも無かったけれど。
大学や高校で仲良しだった友達と作っているLINEのグループにこの写真を投下した。みんな私と同じ学年だ。誰かの誕生日の時は、このグループ内でおめでとうのメッセージを送るのがならわしだった。この日も皆、朝から私の誕生日を祝うメッセージを送ってくれた。
機械って忖度無し。空港のチェックイン機。
そう書いて、私の名前の横に50歳が表示された例の写真を送った。
忖度無し、の横には泣き顔の絵文字を足した。もちろん大泣きしているほうを選んだ。
ほんと、機械が忖度してくれるものなら年齢の部分にモザイクでもかけておいてほしかった。それか、「昨日までは49歳でしたね」なんてお茶を濁してほしかった。
なりたかった訳ではなかった50歳、初日の朝からドカンと見せつけられて現実を直視せざるを得なかった。
友人たちから送られてくる慰めのメッセージに、友の存在ってありがたいと思った。
100まで生きる、と私はかねてからあちこちに宣言していた。
理由は単純だった。
昔見た占いで、私は歳を取るほどラッキーなことがあるらしいと知った。折れ線グラフにすると若いうちは低い、歳を取ると高い、という感じだ。書いてあった大器晩成型という言葉が頭に残った。
ということは、だ。長生きすればするほど幸運を手にできるのでは? 右肩上がりの人生を勝手に想像し、グフフとなった。それで人生100年プランを描くようになった。私は欲張りなのだ。
元気で100歳まで生きて、世の中がどこまで便利になるのかを自分の目で確かめたい、という思いもある。
ドラえもんのタケコプターのように、気軽に空を飛べる時代は必ずやってくると信じている。私もタケコプターを頭につけて、玄関ではなくベランダから「行ってきます」と空中に出かけてみたい。
いつもは面倒で嫌いなアイロンかけも、念じるだけで代わりに何かがやってくれるような時代も体験してみたい。
40代の頃は、目標は100歳だからまだ折り返し地点にもたどり着いていないと余裕しゃくしゃくに笑って言っていた。
50歳になった。これでついに人生も後半戦に突入した、いや、突入してしまった。
焦りが芽生えた。
たとえ100まで生きられたとしても、あと半分しか残っていない。それにこの先何歳まで生きられるかなんて、未来のことは誰も分からない。
人生の後半。自分も結構な年齢になってきたぞ。そう考えると人間、どうしたって終結の方向で考えがちにならないだろうか?
ピアノを習っていた頃、楽譜の見方を教わった。だんだん音量を大きくするのがクレッシェンド。その反対に、だんだん弱く小さくしていくのがデクレッシェンド。言ってみればこのデクレッシェンド、つまり人生の終わりに向かって縮まって行く思考になりはしないだろうか?
そんな中、いやいやそんなことじゃもったいない! と思わせられる歴史上の2人の偉人を知ることになった。
江戸時代を生きた2人の人生は、こんな強烈なメッセージを私に投げかけていた。
何歳から始めたって良いのだ!
遅すぎることは無い!
いくつになっても夢を諦めちゃいけない!
偉人の1人は、伊能忠敬(いのうただたか)。以前の私は、歴史の教科書に出てきた「あー、あの日本地図作った人でしょ」という程度のおぼろげな記憶しか持っていなかった。それが今では「伊能センパイ」と呼ぶほどに変わった。知れば知るほど、彼のパワフルな後半の人生の過ごし方にあやかりたいと、尊敬と親しみを感じたからだ。
伊能忠敬は日本列島を歩いて測量し、江戸を起点に9回もの測量の旅に実際に足を運んだ。9回の測量の旅で歩いた距離は、なんと地球1周分に相当したとも言われている。ここまでで大いにびっくりなのだが、最初の測量の旅に出たのは56歳の時だった、というのを知って仰天した。
それまでの本業を隠居した後、50歳の時に31歳の師匠に弟子入りして暦学を学んだというのも伊能センパイ、すごい。先生は19歳も下、言ってみれば息子のような年齢の人に教えを請うたのだ。自分の興味や夢に突き動かされた行動なのだと思う。
最初の頃の測量の旅では、もらえる手当に対して自己負担金が超過する、いわゆる持ち出しの状態だった。今の貨幣価値で1200万円相当を自腹でまかなったと読んで不屈の精神に感心した。
今よりも平均寿命が短かった江戸時代、長生きできるという保証もない中の過酷な測量の旅。体力的にもきつかったことは容易に想像できる。特に期間が長く、913日間にも及んだ九州の測量の旅では、江戸から福岡県の小倉まで、測量をしないで移動するだけでも2か月かかっている。出発する前には遺言書とも言える文書を息子に託したそうだ。この時67歳。使命感にかられ、命がけで取り組んだことが分かる。
56歳から挑んだ測量の旅。
周りの56歳の人を思い浮かべてみる。何年か経って自分が56歳になった頃を想像してみる。自分の事として考えれば考えるほど、それは驚異だった。
本当にやりたいことがあれば、何歳からでも挑戦できる。
いくつになっても夢を諦めちゃいけない。
伊能センパイのおかげで、私もこの先まだまだ何かできるんじゃないか、と思えるようになった。
もう1人のすごい人にも、私はまだできる、と希望をもらった。
夫の単身赴任先だった金沢で知った、銭屋五兵衛(ぜにやごへえ)、通称「銭五(ぜにご)」と呼ばれる人だ。かつて北前船で巨万の富を稼ぎ出した人だ。北前船とは、大阪から瀬戸内海と日本海を通り北海道まで、途中いくつかの港に立ち寄りながら運んできた物資を売りさばく、いわば海の総合商社だった。依頼された物資をAからBの港にただ運ぶのではなく、Aの港で儲かりそうだと思ったものを積み込み、Bの港で高値で売り抜けてボロ儲けする、ということができた。北前船が活躍した江戸時代から明治の始めにかけて、情報網がまだ発達していなかっため、今の価格.comみたいなシビアな価格の比較もできるはずもない。大阪から北海道の1往復の航海で、船1つ当たり今のお金にして5千万から1億という莫大な利益を叩き出していたそうだ。
先ほどの伊能センパイのごとく、親しみを込めて銭五さんと呼ばせてもらっている。
銭五さんが初めて北前船の船主となったのは、39歳の時だったそうだ。当時の人にしては晩年という感じだったことだろう。質流れの中古の船を買って北前船の事業を始めた銭五さんは、今からそんなこと無理無理と周りの人からあざ笑われた、と銭屋五兵衛記念館を訪れた時に知った。
ところが、だ。
54歳から次第に船を購入し、58歳で自他ともに認める海運業者となった。
銭五さんの船の数は記録に残るだけでも40以上にのぼるそうだ。
ちょっと思い出していただきたい。1つの船で1航海の儲けが5千万から1億だ。ということは船が40もあったら? ワクワクしてきた。
金沢では加賀百万石というフレーズを頻繁に目にする。江戸時代の諸藩の中で、加賀藩が百万石というぶっちぎりの1位だった豊かさの誇りだ。銭五さんは「海の百万石」とうたわれる。どれだけ豊かな豪商だったかが想像できる。
銭五さんの快進撃が50代からなのが、私にとっては何とも心強かった。
歳だからって自分の可能性に蓋をしてはもったいない。
何歳になったって、チャンスの波はやってくる。その波に乗らずにやり過ごすのは、残念なことではないだろうか。
偶然だが、銭五さんのお墓は夫の住んでいた場所のすぐ近くにあった。
金沢に行くたびに、私はまず銭五さんのお墓参りをするのが習慣になった。そして、墓前でこの歳からでも頑張ることを誓い、良いチャンスの波に乗れるよう銭五さんにお願いした。
現代の大人は「もう歳だから」と夢や挑戦を諦めるケースが多いようでもったいなく思う。自分の可能性に、芽を出さないように蓋をしてしまうのだ。もしくは、叶わないなら最初から願わない、と夢を見ること自体を停止してしまう。芽どころか、種もまかない状態はとても残念だ。
おばあちゃんなのに留学したいなんて、といった具合に、こんな歳でこんなことしたら変なんじゃないかと自分にブレーキをかけて年齢相応の自分を演じようとしているのではないか。
例えば何かの勉強をして資格試験に挑みたいとする。
もう歳だから物覚えが悪くて、と最初の1歩を踏み出すことなく諦めるのはもったいない。覚えられる方法を研究して勉強すれば、身につく学習はきっとできる。
挑戦しないで諦めるより、挑戦してから諦めるほうが悔いの無い人生になるのではないか?
私の母は、毎年講座の始まる4月になるとラジオの基礎英語のテキストを買ってきて、今年こそ頑張ると宣言していた。残念ながら5月号以降のテキストは見たことが無いのだが、毎年の4月号だけはあった。こんな風に、何もやらないよりは、やってみて判断するほうが自分でも納得がいくのではないか。
スペイン語のことわざで「遅れてもやらないよりはまし(マス・ヴァレ・タルデ・ケ・ヌンカ / Más vale tarde que nunca.)」というものがある。
伊能センパイと銭五さんという2人の偉人の人生を紐解くと「たとえ歳を取ってからスタートしても、やりたいことは始めたほうがいいよ!」という応援メッセージに思えるようになってきた。
あなたには何か将来の夢はあるだろうか?
こんなことを聞くと、いや特に、と視線を落とされるかもしれない。私だって急に聞かれたらちょっと待って、となる。
仕方ない。現実社会では大人は夢を持たなくなってきている。そんな心の余裕が無いのが本当のところだろう。
夢について考える、そこから始めるのも良いじゃないか。
あなたが時間を忘れてできることって、何だろう? ワクワクする瞬間って、何だろう? それは自分の好きなことに違いない。それを膨らませていったら何にたどり着くだろう? 何か思い浮かぶことが出てくるんじゃないだろうか。
小さいことでも良いから、やりたいことがあってそれを実現する。実現できたという達成感の積み重ねは、人生の満足感につながると信じている。
スタートするのは何歳になっても大丈夫、と偉人の人生は教えてくれた。
遅すぎることは無い。いくつになっても夢を諦めちゃいけない。
力強く背中を押された気がした。
これから先の人生、終結に向かっていくより、夢に向かって走っていくほうがきっと楽しい。
年齢が気になる歳になっても、やりたいことが見つかったらまだまだ行ける!
何歳からでも遅くない。
大丈夫、きっとできる!
□ライターズプロフィール
飯塚 真由美(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
東京在住。立教大学文学部卒業。
ライティング・ゼミ2022年2月コース受講。課題提出16回中13回がメディアグランプリ掲載、うち3回が編集部セレクトに選出される。2022年7月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。
国内外を問わず、大の旅好き。海外旅行123回、42か国の記録を人生でどこまで伸ばせるかに挑戦中。旅の大目的は大抵おいしいもの探訪という食いしん坊。
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