週刊READING LIFE vol.178

人生100年を生き切ったクリエイターが教えてくれたこと《週刊READING LIFE Vol.178 偉人に学ぶ人生論》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2022/07/25/公開
記事:河瀬佳代子(READING LIFE編集部公認ライター)

真夏だというのに薄ねずみ色の雲がどこまでも広がり、もわっとした湿気が消えない昼下がりに、原田夏子先生の訃報を聞く。享年101歳とのこと。

この人はもしかしたら永遠に生き続けるのではないだろうか。そんな錯覚を起こさせる人が時々いる。原田夏子先生はどこまでもお元気で、そしていつまでも現役であり続けている方だからこの世からみまかることなどあり得ない、そう思っていた。しかしながら生きとし生けるものの定めの前に、哀しいことに先生もまた平等であった。

知らせを聞き思わず先生の歌集を読み返す。先生が遺されたお歌の数々、そのひとつひとつが今となってはずっしりと重く、胸に迫る。

私が原田夏子先生を知ったのは、つい数年前のことだ。
母校の大先輩ということも知らずにずっとそれまでは過ごしていた。仕事上で知ることとなった先生の第六歌集『残灯』(現代短歌社、2019年)を読んだことがきっかけである。

1921(大正10)年 山梨県甲府に生まれる
1940(昭和15)年 「真人」入社。細井魚袋に師事
1942(昭和17)年 日本女子大学校国文学部卒業
1946(昭和21)年 東北帝国大学法文学部文科卒業
1950(昭和25)年 結婚。塩釜、ついで仙台に住む
1957(昭和32)年 東北大学大学院(旧制)5年修了
1964(昭和39)年 「真人」廃絶ののち「彩光」に参加
日本女子大学専任講師、宮城県塩竈女子高等学校教諭、宮城県第一女子高等学校教諭、共栄学園短期大学教授

学生時代より短歌を詠まれ歌誌にも発表され、結婚し家庭を持ちながらもずっとお続けになり1993(平成5)年に第一歌集『小女』(短歌新聞社)を出版。その後2021(令和3)年『白き病室』(現代短歌社)まで7冊の歌集を出版。2013(平成25)年宮城県教育文化功労賞など数々の受賞歴がある。

初めて触れた『残灯』の出版が98歳ということで非常に驚いたが、調べてみると第一歌集『小女』を出版したのは72歳。そして最後の第七歌集『白き病室』に至っては100歳での出版である。

先生のお姿はお写真でしか拝見したことはなく、ご自身でも歌の中に自分を描写している箇所があってそこから推察するしかないのだが、決して大柄な方ではないようだ。しかも老境になってから続けての出版ということで、一体どこからそんなパワーが生まれてくるのだろうとしみじみ思う。

およそ80年もの間、歌を作り続けたこと。それがどのくらいの難しさなのか、あるいは楽しみなのか。おそらく先生は生涯何千首と詠まれていらっしゃったであろうから、先生にとって歌詠みとは息をするようなものなのかもしれない。

何かが目の前で起これば心を動かされる、そしてそれを即座に詠む。または過去の忘れられない出来事や、思い出したことを現在の年齢の感じ方のままに詠む。先生はその繰り返しを日常的に行っていたのではと想像している。

そもそもひとつのことをずっと続けることは非常に多くの力を必要とする。

続けようという根性というか、気力というか。精神力とでもいえばいいのだろうか。どうしてもそれを続けたいという強い意思がものを言う。それに加えて、体力がないと続かない。
あとは続けられる環境が整っているかどうかだ。

原田夏子先生が80年もの間短歌を詠み続けたこと、そしてそれが高く評価されご自身の軌跡となり、商業としても需要があり、人々の精神的な支えになったことはとてつもない偉業である。

先生は家庭と仕事を抱えながら創作を続けられた。そのご苦労をあまり感じさせないのは、先生の歌の中に家庭や仕事の苦悩を詠んだものがほとんどないからなのかもしれない。家庭も仕事もご自身にとっては必要なもので、例え難しいことがあったとしても詠むべきものではないとご判断されたのかどうかはわからないが。

「……歌歴ばかりが長く、わが心の貧しき歌の拙さを思うとき、歌集にまとめようという心は起きにくく、学校勤務の多忙を口実にこのしごとを避けていたい気持ちが強かった」(『小女』P.350 短歌新聞社、1993)

むしろ家庭と仕事に全力集中なさったからこそ、歌集の出版を70歳代になるまでお考えにはならなかったのかもしれない。

歌集を出しませんかと周囲から繰り返し請われていたにもかかわらず、ずっと固辞されていたのは、ひたすらに鍛錬を積んでいきたい、より良い歌を作ることに集中してからというお気持ちがあったからなのだろう。さらに考えれば、歌以外のことに心を振り分けなければならない時期なら、必要なことをきちんと仕上げてから歌に取り掛かった方がよいのではと思われたのかもしれない。

逆に考えれば、そのくらい歌に対して真剣な気持ちで向き合ったからこそ、世に出ているどの歌も無駄がなく美しいものばかりになっている。
選び抜かれた歌ばかり、満を持しての歌集出版となって、その歌の奥深さが多くの人の心を揺さぶりその後の出版にも繋がって行ったのだろう。

無論先生の足元にも及ぶべくもないことは重々承知の上だけど、自分は半生を振り返った時、果たして何十年も続けられるようなことをしているだろうか? と考えてみる。
ただ単に続けているだけでなく、情熱を持ってやっているか。
しかも技術が向上するように、より良いものになるように常に考えていることだ。そんなものは自分にはあっただろうか。人に誇れるような何かなんて。

もしかしたらそれは文章を書くことなのかもしれない。2005年にブログを開設してからだったら、たぶんそれだ。だがとてもじゃないけどブログはきちんとしたものではないし、誰かに薫陶を受けたものでもない。まるっきり自己流の、自分のための独り言みたいなものだから誇れるようなものでもなかった。それが変わったのは3年前からきちんと文章の勉強をしてみようと思った時からだ。

何も遮るものがない環境で単に物事を続けることすら大変なのに、家庭を持って子育てをしながら何かをずっと続けていくこと、しかもクリエイターなら創作物のレベルを上げていくことがどれだけ難しいかは身にしみてわかっている。

思い浮かぶのは家庭と仕事の両立の上に、さらに創作をすることの困難さだ。仕事のことでいろいろと頭をめぐらせ気を遣い、帰宅すると疲れ果てて何もしたくなくなってしまう。早く書かないといけないのに明日やればいいやと物事を先送りにしている自分がいる。創作意欲よりも身体の疲れが上回ってしまうのだ。

先生ならこんな時、どうしただろう。ふとそんなことを思い、また先生の歌を読み返す。

先生の歌に流れているのは一貫してご自身の確固たる主張だ。それも「主張します!」というような肩に力が入ったものではなくあくまで淡々と描写し、それでいて核心を突いてくるものだ。

赤き舌無数に伸びてきほひつつ天をも地をも搦めんとせり
避難路と定めおきたる行手はや猛火うづまく赤十字病院
(第五歌集『誰彼』2016年 現代短歌社 P.57、59)

1945年7月10日の仙台大空襲を詠んだ歌である。
先生が生きた101年もの間に一体何があったのかは前述の年表から察していただきたいが、敗戦、戦後と激動の時代に青春を吸い取られた世代ということは容易に想像できる。得体の知れない何かが自分を殺しに来る恐怖、思い出したくもないような辛い記憶のはずなのに、詠まれた歌は鮮烈すぎている。

早朝のレジの係は口重き異国の青年さはやかな笑み
(第六歌集『残灯』2019年 現代短歌社 P.66)

お独りのあなた電気代かかり過ぎと再度の注意 でもねえ寒くて寒くて
(第六歌集『残灯』2019年 現代短歌社 P.96)

振り返るには重すぎる戦争の記憶は歌集のどこかに必ず入っているが、それとは全く違う「今」を捉える歌はとても軽快であり、しかしながらきちんと問題も提起している。晩年は仙台で、100歳までお一人でお住まいだった生活のユーモラスな描写も微笑ましい。

友人の大方はあの世クラス会の誘ひ届かば「出」の返事を
(第五歌集『誰彼』2016年 現代短歌社 P.240)

長生きはとても素晴らしいし世の中のいろいろなことを味わえる幸せがあるが、周りの親戚友人知人を見送らなくてはいけない辛さがついてくる。自分ひとりがこんなに生きてしまってとお嘆きになられる悲哀は先生でなくては語れないに違いない。

人の世の委細は知らず夕ぐれの濃くなりやがて闇に入りゆく
(第五歌集『誰彼』2016年 現代短歌社 P.102)

人生とは流れゆく泡沫のようなもの、人は消えゆく影のようなものと思い切り俯瞰している。誰もが通る人生という道の虚しさをわかっているからこそ、読む人の共感を誘っている。

創作とは自分を表現することであり、主張を伝えきったときの満足感や充実感が忘れられなくて、さらに創作を続けていける。先生が教えてくれているのは、そこに楽しみを持って創って行ってほしいということではないだろうか。

私には、できるだろうか。自分が経験したことをさまざまに、何もかも感じ切って表現することは。一生かかってもできる自信なんてないけど、それでもこうして生き切った大先輩がいてくれることは、大きな励みにもなっている。

辛く悲しかった過去も、今見つめている目の前のことも、みんなみんな受け入れて生きてほしい。そしてできれば楽しんでほしい。たった100年足らずの人生、自分を表現し切ってご覧なさい、そして楽しんで続けること。先生の歌からは、そんなささやきが聞こえてくるような気がしている。

日々のあれこれに追われて何かを創るのがしんどい、自分に自信が持てなくて辛い、心が折れそうになった時は、先生の歌をまた読み返そう、そうしたらまた歩き出せるかもしれない。先生には絶対に追いつくことができないとわかっていても、前に進まないことには何も始まらない。いつでも立ち返ることができる場所が、ここにある。

□ライターズプロフィール
河瀬佳代子(かわせ かよこ)

2019年8月天狼院書店ライティング・ゼミに参加、2020年3月同ライターズ倶楽部参加。同年9月天狼院書店ライターズ倶楽部「READING LIFE編集部」公認ライター。「Web READING LIFE」にて、湘南地域を中心に神奈川県内の生産者を取材した「魂の生産者に訊く!」http://tenro-in.com/manufacturer_soul 、「『横浜中華街の中の人』がこっそり通う、とっておきの店めぐり!」 http://tenro-in.com/manufacturer_soul  連載中。

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2022-07-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.178

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