週刊READING LIFE vol.180

親子って、何が似ているんだろう?《週刊READING LIFE Vol.180 変わること・変わらないこと》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/08/08/公開
記事:飯田裕子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
私の両親は、もうこの世にはいない。今は、二人とも写真におさまり、こちらを眺めているばかりである。仲の良かった夫婦の写真としては、晩年に、久しぶりに東京見物に出て来た時の写真を飾っている。懐かしい場所を見物して、にこにこしている。ハリー・ポッターの中では、絵や写真の中の人は動いていて、話をすることができた。二人の写真は、さすがにそういうわけにはいかないけれども、でも、写真の中から、こちらを見てくれているのかな、と思って眺めている。
 
私は、わりと年齢がいってからの娘だったため、長く一緒にいることは出来ないことは、覚悟はしていた。その分、年の離れた、すでに独立していた兄弟よりも、可愛がってもらっているのだと、そう思うことにしていた。しかし、母は、平均寿命よりもかなり早くいなくなってしまい、もうちょっと一緒にいられるだろうという当ては外れてしまった。父は、平均寿命より少し長く生きてはくれたが、やはり長くはいられなかった。世の中には、100歳を超えた元気な親を追いかけて世話を焼いている80代の子どももいる。それはそれで大変なのだと思うけれど、そんな方たちよりは、一緒にいられた時間は、うんと短かったわけだ。
 
どちらもかなり突然にこの世を去ったため、最後にきちんと話したりすることは出来なかったのが、大いなる心残りになっている。母の時は、いつもの電話に出られなかった、その週末に倒れられてしまった。母は、毎週、同じ曜日の同じ時間に電話をかけてくれていたのだが、その週はたまたま私が用事があって出かけていて、街中で電話を受けていた。後ろが騒がしいのを感じとり「あれ? 外なの?」「うん。でも大丈夫だよ。話そうよ」「あら、いいわ。落ち着かないでしょ」と言って、それきりになってしまったのだった。父の場合は、昼間に電話があったのに、その時も出先だったこともあり、夜に落ち着いてからかけ直そうと思っていたら、その夜にいなくなってしまった。いつでも電話できる、という油断があだになった。
 
きちんとした覚悟もなく、もう二度と話せない。もう二度と会えない。つまり、突然の喪失感は、そう簡単に楽にはならなかった。だからこそ、諦めることも出来ずに、どうしても彼らの不在を意識してしまう、というところもあるかな、と思う。

 

 

 

でも、もう顔を見られないし会えない、という現実については、意外なところに解決策が落ちていた。
 
毎朝、鏡をのぞき込めばいいのだ。
 
私の顔は、両親のどちらにも似ているようだ。よく言われるのは、顔の上半分は、母に似ており、下半分が、父に似ているということである。母は、インドネシアのバリ島では、ではあるが、「美人」と言って人だかりが出来る、細見の顔立ちだったため、少しだけでも似たのは、良かったのかなと思う。マスク生活の今は、多くの方は、母譲りの部分しか見ていないということになるのだろう。別に、父に似た部分にも、文句があるわけではない。が、両方合わせると、コミカルな顔にまとまっているかな、と思う。
 
まあそれはともかく、寂しくなった時に、自分の顔の上半分を見れば、母を思い出すことができて、下半分を見れば、父を思い出すことができる、というのは、悪くはない。私は、単に鏡を見ているのだが、その鏡に映った自分の目を通して見ているものは、たまには、母だったり父だったりしているということだ。私にも、親たちの遺伝子は受け継がれて、きちんと残っているんだな。自分の中に、母や父の面影を追うことは可能なんだな、と思えれば、寂しい気持ちも、少しは軽くなった。
 
そして、思い出を追う気持ちは、鏡に映る、他に似た部分にも及んでいく。例えば、体型は、母に似たようだ。今の私の年齢の時の母は、どんな感じだったかな、と考えると、だいたい同じ体型と見た目になっている。服も、趣味さえ気にしなければ、残されたものを貰って使えるぐらいだ。じゃあ、中身は、というと、先天的な性格や性質、体力のような部分は、けっこう父に似た気もするが、後天的に得た性格などは、母からもらったものも多いと思う。似たくなかったところも似たりはしているが、あちこち、まだらに似て、今の私の一部が出来上がっている。

 

 

 

しかし、受け継いだものには、自分で意識できるものと、できないものがあるようだ。
 
先日のことだが、夫と買い物に行った際、私がカウンターで品物を包んでもらうのを待っていると、夫が驚いた顔をして寄って来た。
 
「やっぱり親子だね。なんか、待っている姿が、お父さんそっくりで、驚いたよ!」
 
え? 待っている姿が? そんなところが?
 
何気ない仕草は、本人が自覚していないだけに、指摘されると驚く。
 
友人が、子どもの写真を見せてくれた時は、そのお子さんの写真には、お父さん(つまり友人の旦那さん)も写っていたが、なんと、寝相がそっくりだった。寝相がそっくりだったことは、寝ている様子を写真に撮ったこともバレてしまうし、お子さんと旦那さんには、ちょっと秘密にしてあるらしい。本人たちは、寝ているのだから、自分たちの寝相がそっくりなことなんて気がつけない。しかも気がつけないのだから、真似しているわけではない。真似しなくても、何かが似ているということだ。
 
無意識の部分が似ていると聞くと、ちょっと恐ろしいな、と思う。それはきっと、もっと前の時代から続いてきている、遺伝子か何かの仕業だろう。受け継いでいる場合に残る性質なのかも知れないが、自分では、操作したり矯正したり出来ない部分もあるかも知れない、ということだ。
 
嗜好も、無意識的に似るらしい。親が白状するまでは、苦手な野菜が同じだなんて、気が付かなかった。食卓には普通に出ていたし、親も平気な顔をして食べていた。同じ野菜が苦手だというのは、料理の仕方が良くなかっただけだろうか? それに、一時期声優になりたいと思った時があったが、だいぶ経ってから、実は母も若い頃になりたいと思っていたことがあった、と聞かされた。一言もそんなことを聞いたことがなかったのに、憧れるものが似ていたということだ。聞かされていて影響を受けたわけではないので、好きなものが似ていた、ということだろう。

 

 

 

じゃあ、と思って、こんな心の持ちようで、知っている親子さんたちを見ると、どこがどんなふうに似ているのかな、と考えてみたりしてしまう。でも、知り合いとはいえ、本当によく知っているというわけでもないから、顔がよく似ているな、お母さん譲りだな、などと、外見のことは気づくけれども、正直、あまり、どこがどう似ているのか、分からない時も多い。どこがどんなふうに似ている、似ていない、は、よく知っているどうしが気づく程度の、些細なものなのか?
 
お子さん方を見ていると、彼らが興味を持っているものは、先天的にも後天的にも、身の回りの大人の影響が大きいように見える。両親の影響が一番大きいと思うけれど、影響を与えるのは、ご両親ばかりではないようだ。大好きな先生がいて「先生になりたいと思った」人もいるし、おじさんがユーチューバーで、とても楽しそうにしているから「僕もユーチューバーになりたい」と思ったりもする。
 
見ていると、けっこう、お子さんの友達の影響も大きいような気がする。すごく仲のよい友達の影響で、趣味や読む本の傾向が変わったりする。好きな色までも変わる。
 
そう思うと、身の回りの人たちは、先天的な物事よりも、後天的なことによって付け加えられた本人の個性の方が際立っているようにも思えてくる。
 
自分も、あそこが似てしまった、ここが似なかった、などと思うよりも、経験の中で培ってきた個性や人格の方が、実は大きいんだろうか? 自分が直したいと思っている部分を、勝手に親からの遺伝のせいにしてしまって、責任逃れしているだけなんだろうか?

 

 

 

自分のことで、いろいろ考えてみると、やっぱり継いできた何かがあることは確かだと思う。
 
人格としては、全く新しい「私」という人間に出来上がったものの、内には、きっと、昔から変わらない、継いできたものがあるのだ。父も母も、祖母の代からそれを受け継ぎ、私に引き渡したということだ。
 
一卵性の双子がかなり違う人格を持つようになるように、遺伝の道筋には、遺伝的によく似ていても、たくさんの多様な人間がいる、ということなのだろう。
 
遺伝のつながりは連綿と変わらないが、そこに広がる、かなり無限なバラエティが面白い。
私もその一人なのだ。
 
ただ、一方で、責任逃れの点も大いにあるとも思った。どこがどんなふうに似たのかを気が付ける部分はたくさんあるのだし、「ああ、まずいところが似たな」と思えば、うまくいくように、もっと修正をかければいいのだ。まあ、対応の仕方も遺伝しているなら、遺伝から逃れるのはやっぱり難しいのかも知れないが。
 
今日も、鏡の中の自分に呼びかける。
 
私は今日も元気ですよ。お父さん、お母さん! そして、自分のせいをあなた方のせいにするのは慎みます。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
飯田裕子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

2021年11月に、散歩をきっかけに天狼院を知り、ライティング・ライブを受講。その後、文章が上手になりたいというモチベーションだけを頼りに、目下勉強中。普段は教師。

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2022-08-03 | Posted in 週刊READING LIFE vol.180

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