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週刊READING LIFE vol.184

金八先生に言われたから、私はトレーラーハウスを諦めた《週刊READING LIFE Vol.184 「諦め」の技術》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2022/09/05/公開
記事:吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
何かを諦めようとする時、金八先生のセリフが思い浮かぶ。
 
確か、学校で1番の成績だった生徒が難関高の受験に失敗して自暴自棄になり登校拒否し、金八先生が担任として自宅を訪ねた場面だ。励ます、檄を飛ばす、発破をかける、そんな前向きな言葉を使うのを躊躇うくらい、少年は無念な心境を痛々しく叫んだ。それを受けた武田鉄矢演じる金八先生が、顔をしかめてしばらく思考を巡らせ、やがて何かの紙に「諦」の文字を書いた。お得意の漢字説法だ。「あきらめるのは、皇帝が言うと書く。諦めることは皇帝にしかできないんだ」呆然とする少年。ふと金八先生は自分が文字を書いた紙が何だったのかと裏を見ると、それは難関高の不合格通知だった──
 
本編もまあまあ印象に残っているが、このシーンはなぜか私の心に深く刻み込まれた。受験を控えた同世代の学生として、志望校に落ちてショックに打ち震える少年を、自分の悲観的な未来と重ねたのかもしれない。皇帝しか諦めることができないのなら、下々のものは皇帝に言われて諦めさせられるのだろうか、としばらく生真面目に考えてしまったからかもしれない。そのうちに「諦めることは皇帝にしかできないのだから、皇帝ではない私は何事も諦めてはいけない」と、曲解ウルトラCの根性論を編み出すに至った。
 
実際のところ、諦めは世の中のあちこちにゴロゴロ転がっている。志望校に合格できなかった。希望の企業に入社できなかった。契約が取れなかった、コンペが通らなかった、好きな人に振られた、財布を落とした、コンサートチケットの抽選に落選した。数え上げればきりがない。誰かが亡くなっただとか、自分の力ではどうしようもない事以外は諦めなければどうにかなる、ウルトラC根性論の私は本気でそう信じていた。不合格なら合格するまで、チケット落選ならネットオークションで、コンペが通らなければ資料とプレゼンの方向性を見直して。望む結果を得ずに途中で挫折することが諦めで、諦めないために何かしらの行動をすれば、いつか必ず結果が付いてくる。二十代のころは本当にそんな価値観をがっちり抱えて生きていた。
 
少しずつ価値観が変わったように思えたのは結婚してからだろうか、子供が生まれてからだろうか。同棲の経験はないので、結婚して初めて家族以外の人と一緒に暮らし始めた。洗濯の干す場所や食事のバリエーション、掃除の仕方など、絵にかいたような新婚夫婦の小さなぶつかりを経て、他人と暮らすのは試行錯誤の連続だな、としみじみ考えた。私の価値観があり、夫の価値観があり、それらをすり合わせて二人の最適解を模索していく。その作業を諦めると、価値観の不一致で離婚するような結果となるのだろう。夫が私との新生活をどんな風に感じていたかは分からないが、私はまだ見ぬ最適解を求め、トライ&エラーを繰り返した。
 
トライ&エラーは子供が生まれてからも続いた。この頃から、「諦める」ことが少しずつ私に浸透してきたように思う。どんなに飲みたくても酒を飲むことは出来ないし、後追いが激しい息子と二人きりの家で、彼から離れてのんびりと漫画を読むことも出来ない。慌ただしさに身を任せていると、そのまま寝てしまい風呂に入るのを忘れる。授乳しやすいように、ワンピースを着なくなったし、公園で息子を追いかけやすいようにハイヒールを履かなくなった。小さな息子との生活の最適解を求めていくことは、ひそやかに諦めを隠し含んでいて、私から一つずつ何かを奪って行くかのようだった。でも、それが母親だ。息抜きに読む、インターネット上の育児エッセイは、総じてそんな風にまとめていた。だから私も、これが母親として当然なのだと、特に疑問にも思わなかった。二人目に娘が生まれても、それはずっと同じだった。
 
「ねえ、旅行に行こうよ」
 
今年の5月ごろ、ふと思い立って夫にそう提案した。夫は物欲があまりなく、その代わり旅行が大好きだ。6月に上の息子が5歳になるので、その記念に近場で一泊してはどうか。そういうと夫は顔を輝かせた。うまいこと仕事のスケジュールも調整がつき、前後の日程と子供への負担も鑑みて、自宅から車で1時間ほどでいける「PICAさがみ湖」で一泊することにした。遊園地、温泉、キャンプ場が併設されている山あいの複合リゾートだ。遊園地と聞いて息子も大喜びし、私たちは楽しみに当日を迎えた。
 
旅行の出発はさんざんだった。荷造りが苦手な私が朝からてんでこまいしても出発時間が2時間も遅れた。それなのに出発して高速道路に乗ったあと、娘の靴を履かせていなかったことに気が付いた。さすがに靴がないのは困る。家に戻るか途中の店で買うか考え、電話やらネット検索やらして、乗ったばかりの高速道路をすぐに降り、ナビのルートから大幅に外れた位置にある西松屋で靴を購入した。元のルートに戻るころには1時間の時間ロスだ。重苦しい雰囲気の車内に、YouTubeの陽気な音楽が白々しく流れる。更に悪いことには、頑張って荷造りした荷物に忍ばせた一眼レフカメラのメモリーカードを入れてくるのを忘れたことを思い出し、憂鬱な気分が更に上乗せされた。
 
ああ、まただ。旅行に行くといつもこうだ。
 
どこに泊まるのかを決めたころ、滞在中はどんな風に過ごすのかを考えている頃はまだいい。いざ出発すると、忘れ物はないか、時間通りに到着できるのか、夫や子供の機嫌は悪くないか、腹はすいてないか、喉は乾いていないか、いろいろな心配ばかりして憂鬱になり、ストレスがたまる。とても楽しみにしていた旅行のはずなのに、どうしてこんなに苦しい気持ちになるのだろう。もっとちゃんと準備をしておけばよかったのかな。車に乗る前に娘の靴くらい確認すればよかった。車に予備の靴を載せておけば、忘れても問題なかったな。息子と上の空でしりとりをしながらそんなことを考えているうちに、ようやっとPICAさがみ湖についた。この後はまた何か忘れていないかな。荷ほどきをして、バーベキューの準備をして、うまく段取りできるかな。胃が痛い思いだったが、それでも指定のキャンプエリアに到着すると、わあ、と歓声を上げずにいられなかった。
 
「トレーラーハウス!」
 
トラックの荷台として運搬することができる、タイヤのついたコンテナ状の小さな家のことだ。室内には必要最低限の設備が整っていて、ミニマムに暮らすことができる。キャンピングカーに似ているが、それよりも居住スペースが広いため、インテリアや住み心地にこだわることができるのだ。断捨離をしてシンプルに生きることが流行っている昨今、トレーラーハウスやタイニーハウスといった小さな住まいの人気が少しずつ上昇しているのだ。私は前にインターネットでトレーラーハウスを紹介する記事を見かけてから、すっかり魅了されてしまった。画像検索をしていろいろなトレーラーハウスやタイニーハウスを眺め、もしも自分がそこに住むとしたら、と妄想に耽る。それだけでなんだか心が豊かになったような気分になれる。
 
憧れてやまないトレーラーハウスが、今日の宿泊地として、私の目の前に現れたのだ!
 
「すごい、すごいねえ!」
 
たぶん息子や娘よりも私が一番はしゃいでいたと思う。宿泊のプランを選んだのは夫だったので、私はこの場につくまで今日の宿がトレーラーハウスだと知らず、なおさら嬉しくて年甲斐もなく飛び跳ねた。メモリーカードを入れ忘れていたことを忘れて一眼レフを構えてみたり、室内のロフトに上って窓から顔を出してみたり、すごいね、すごいねを何度も連発した。感動すると語彙力がなくなるオタクというやつかもしれない。夫もトレーラーハウス横のウッドデッキとバーベキュー設備、そして焚火を楽しめるファイヤーピットがいたく気に入った様子で、椅子に座って嬉しそうにあたりを眺めていた。そうか、トレーラーハウス、住むのは無理だと思ってたけど、こうやって泊まることも出来るんだ。全く思いつかなかった、まさかこんな形で夢が叶うなんて! すごい、嬉しい、トレーラーハウス!
 
この旅行は、心配ばかりで苦しい気持ちにならないのかもしれない。
だってこんな素敵なトレーラーハウスに泊まれるんだから!
 
浮ついた気持ちは、しかしバーベキューの準備を始めたころからまた陰り始めた。料理好きの夫だが、だからこそ料理中にその手順を邪魔をされるのはストレスなようだ。しかしもうすぐ5歳の息子はあれを切りたい、これを取りたい、と何かとその周りをちょろちょろする。1歳の娘は歩き始めたばかりで、一瞬でも目を離すと2つも3つも先のブースをヨチヨチと歩き進んでいたりする。夫に怒られた息子を慰め、どことも知れぬ冒険に出かけた娘を連れ戻し、シャボン玉をやろうか、ボールで遊ぼうか、と四苦八苦しているうちにバーベキューが始まった。今度は娘のために小さく食材を切ったり、偏食の息子が野菜を嫌がるのをなだめすかしたりする。夫は料理を終えた達成感で一杯やっている。なんだかバラバラな感じだ。旅行先の、キャンプの食事って、もっと和気あいあいして賑やかであったかい雰囲気であるべきじゃないのか? 今はなんだか全然違う。バラバラで、せわしなくて、私が思っていたトレーラーハウスと全然違う。
 
私、トレーラーハウスの楽しい時間を、諦めないといけないのかな。
 
日々の暮らしからトライ&エラーを重ねて培ってきた経験が、今の状況を完璧に打破する最適解はないのだと教えていた。料理をし終えた夫に、もっと愛想よくしろと言っても暖簾に腕押しだろう。息子に野菜を食べろと言えばごねるし、食べなくていいよといえば栄養バランスが心配でかえってストレスになる。ちょろちょろ動き回る娘を抱っこ紐でくくってしまえば、作業は楽になるが、自由にさせてやれない罪悪感が胸を締め付けることになる。あっちを押せばこっちが飛び出る、こっちを掴めばあっちがほどける。こういう状況、ことわざでなんていうんだっけ。
 
「……ちょっと、トイレ」
 
娘を夫に託し、私はトレーラーハウスに入った。用を足してトイレを出て、トレーラーハウスの中を見回す。チェックインした時と変わらない、ロフトのある木造の家屋。ロフト部分につながるはしごと手すりがとても良い雰囲気を醸していて、見た瞬間感動に打ち震えたのは何時間前だったか。それが今や、娘の靴を忘れたのが分かったのと同じように、あるいはそれ以上にがっくりと落ち込んでしまっている。
 
こんな気分のまま、トレーラーハウスの中で過ごすのか。
憧れていたトレーラーハウスの中で、惨めな気持ちを抱えて過ごすのか。
 
「…………」
 
断じてそれは嫌だった。でも私が打てる手ももう限られていた。それでも何かできることはないか? 考えて考えて、考えて考え抜いて、やがて私は深くため息をつく。
 
金八先生の顔が脳裏をよぎる。
 
「……諦めよう」
 
家族で和気あいあいと、映画のようにほがらかなバーベキューシーンを追及するのを。私が、家族が、私の頭の中にある理想を叶える行動をするように求めるのを。きっぱりと諦めて、今この場所、この瞬間をもっとフラットに感じてみよう。──私は憧れのトレーラーハウスに思いがけず泊まれることになった。今は家族でバーベキューをしている。偏食の息子、歩きたい盛りの娘、ゆっくりと酒を飲みたい夫。私は今この場所、この瞬間、何をして過ごしたい? 私のするべき事じゃなくて、私のやりたいことは何?
 
「……布団を敷こう」
 
子供のころ家族旅行に行った時、食事から部屋に戻ると布団が引いてあるのが嬉しかった。隅から隅までごろごろ転げまわって、枕を投げて、空になった押し入れに隠れたりして大はしゃぎした。別に親に「子供らしくはしゃいでね」と頼まれたわけでもないが、最高に楽しかったのをよく覚えている。あんな風に楽しい時間を、このトレーラーハウスの中で過ごせたら、きっとこのモヤモヤした気持ちも吹き飛ぶはずだ。当時の気持ちを再現するには、私が布団を全部引いてら子供を呼ぶべきなのかもしれないけれど、その理想は諦めて、外で待っている子供二人に声をかけた。
 
「ママお布団引くから手伝って」
「えーやだ」
 
即答の息子。カッとして怒鳴ってしまいそうになるが、いうことを聞かせることを諦める。
 
「ああそう、ならいいよ、お布団バサバサして遊ぶから」
「えっ、バサバサ?」
 
息子は聞きなれない言葉に興味を示し、バサバサ、と言いながらトレーラーハウスに入ってきた。その様子を見ていた娘もヨチヨチとついてくる。
 
「まず、このマットレスをロフトの上に並べるよ」
「それから、このシーツをかけるよ」
「はい、バサーッ」
 
子供二人をロフトに押し上げ、マットレスを広げてシーツをばさりと頭からかぶせる。
二人とも大はしゃぎでウワア、キャア、と悲鳴を上げる。もぞもぞ動いてやっと顔を出したところにもう一回ばさり。妹がキャアアと兄に抱き着き、兄がシーツを跳ね飛ばし、二人してもみくちゃになりながらマットレスの上をコロコロ転がっていく。楽しそうにはしゃぐ様子が可愛くて可愛くて、何度もシーツをばさばさして、たくさん写真を撮った。そうだ、夫は一人でさみしくないかな? 窓から外のテラスの夫を覗いてみる。酒を片手にスマホを見ながら寛いでいるようだ。息子と娘が窓から顔を出し、「パパ!」と手を振ると、夫もニコニコしながら手を振り返した。
 
みんな笑ってる。
バーベキューで和気あいあいとしなくても、みんな笑ってるじゃないか。
私の大好きなトレーラーハウスで、私の家族がみんな笑っている。
 
「ママもコロコロしちゃうぞ~」
「キャー!」
「ワー!」
 
胸に浮かんだ言葉とシーツごと、私は娘と息子を力いっぱい抱きしめたのだった。

 

 

 

アラフォーとなった今では、金八先生の「諦めるのは皇帝しかできない」は生徒を奮起させるため、あるいはドラマ演出上の言葉の綾だったことがよく理解できる。しかしウルトラC根性論でがっちり身を固めたまま過ごした二十代の頃は、今思えば自分で自分の首を締め続けるようなものだったのかもしれない。理想を持つことは悪いことではないが、それにこだわりすぎで現状をないがしろにしてはいけないのだ。理想を追うことと現状を比較して、理想を追及することを諦めて現状を選んだとしても、それは必ずしも挫折や失敗と直結しているわけではない。母親として、好みのファッションを諦めて子供の世話をしやすい服を選ぶことは、現状を選んだ結果というだけだ。もしかしたら歩きやすいハイヒールを追及するという未来もあったかもしれないが、それを選ばなかったというだけで、何も失敗などしていないのだ。
 
金八先生、諦めるのは皇帝しか出来ないわけではありませんよ。
理想と現状をよく見比べた人しか出来ない、高等技術なんですよ。
 
……理想と現状をよく見比べて最適を選べる人は、本当に皇帝になれるのかもしれない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)

1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。天狼院書店にて小説「株式会社ドッペルゲンガー」、取材小説「明日この時間に、湘南カフェで」を連載。
http://tenro-in.com/category/doppelganger-company
http://tenro-in.com/category/shonan-cafe

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2022-08-31 | Posted in 週刊READING LIFE vol.184

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