どれも諦めない! 自分の気持ちに正直に生きる《週刊READING LIFE Vol.184》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2022/09/05/公開
記事:深谷百合子(READING LIFE編集部公認ライター)
「仕事や子育て以外のものがないと、私は死んじゃいそう」
激務と育児の両立で、いつも時間に追われ、由理佳さんは身体も心も疲れていた。仕事も子どもも自分の思うようにはならない。由理佳さんは、息がつまりそうな毎日を過ごしていた。会社でも家でもない、「自分」でいられる場所を求めていたときに、たまたま出会ったシャンソンが由理佳さんの人生を大きく変えた――。
由理佳さんは現在、企業で管理職としてバリバリ仕事をする一方、シャンソン歌手としても18年のキャリアを積み、精力的に活動を行っている。2018年にはCDアルバムも発表した。
仕事に家庭にシャンソン。どれかひとつでも、全うするのは簡単なことではない。けれども、由理佳さんはどれも諦めなかったし、どれも犠牲にしなかった。その原動力は何だったのか? 由理佳さんの歩んできた道のりをインタビューした。
1.「お母さん」でいることが辛かった
由理佳さんは30歳のときに子どもを産んだ。それから孤独な闘いが始まった。
「私は子どもを母乳とミルクで育てていましたが、ある時から子どもがミルクを飲まなくなったのです。子どもは生まれたとき2600グラムと小さかったので、病院からも早く大きくして下さいと言われていました。だから、赤ちゃん用の体重計も買って、母乳を飲む前と飲んだ後との体重の変化から、どれだけ母乳を飲んだのかを毎回調べ、足りない分をミルクで補うようにしていました。ところが、子どもはお腹が空いているはずなのにミルクを飲んでくれません」
季節は冬。寒い日が続くと小さな赤ん坊を連れて散歩に出るのもためらわれる。家に閉じこもりがちな由理佳さんにとって、相談できるママ友と知り合う機会はなかった。
「親に聞くと、ちょっとずつ母乳をあげればいいじゃないと言われました。でも、育児の雑誌を見ると、授乳の間隔をあけていかないと離乳食がうまくいかないと書かれていて。ミルクメーカーの相談窓口に電話するほど悩んでいました。お母さんでいることが辛かったです」
1日中子どもと向き合い、「お願いだからミルクを飲んで」と願う日々。由理佳さんにとって、大人と会話をすることのない生活は苦痛だった。自分がどれほど努力しても、子どもは思うようにはならない。懸命にやっていても、誰からも認められなかった。当時の写真を見ると、由理佳さんはいつも、何かを思い詰めたような暗い表情をしていたそうだ。
そんな様子を見て、由理佳さんの母親は「あなたは働いていた方がいいんじゃない?」と言ってくれた。母親の助けを借りて、由理佳さんは1年ほどで職場に復帰した。
会社に行けば気分が紛れた。30代になり、仕事でも頼りにされることが増え、心のバランスを保つことができた。
39歳になった頃、由理佳さんは新規の海外事業に携わっていた。会社にとっても初めての仕事で、全てが手探りの状態だった。また、時差の関係でアメリカにある相手方との会議は朝か夜しかできない。夜遅くまで残業する日々が続いた。英語の契約書を確認するのにも時間がかかる。土日も仕事をした。子どものピアノの発表会があっても、海外出張のために見に行くことはできなかった。そして、そのことに罪悪感も覚えていた。
「仕事も思うようにならないし、子どもは別人格だから自分が頑張ったからといってどうなるものでもない。だから頑張れば成果が出る何かが欲しかったのです」
由理佳さんは、何か習い事をしようと考えた。昔習っていたピアノをもう一度やってみようとも思ったが、上達するには練習時間が足りなさすぎた。
「だから歌をやろうと思いました。学生時代はコーラス部に所属していたので、発声も人よりはできるつもりでいました」
2.シャンソンとの出会い
「歌を習ってみよう」
そう思った由理佳さんは、クラシックの声楽を教える教室を探し始めた。しかし、通える範囲にある教室は、平日昼間しかレッスンをしていない。仕事帰りに通えそうな教室は、なかなか見つからなかった。
ある日、昼休みに会社の近くをぶらぶら散歩していると、「シャンソン教室」という文字が目に飛び込んできた。ステージでの発表会を知らせる華やかなチラシも気になった。
「ここなら通えると思って……。シャンソンは全く知らないけれど、それでもいいですかと思い切って聞いてみました。すると、演歌以外だったら何を歌ってもいいと言われました。夜もレッスンをしてもらえるので、通い始めたのです」
由理佳さんは土曜日に出勤すると、仕事帰りにレッスンに通うようになった。レッスンは会社と家との間にある「息抜きの場」であった。
レッスンの時だけ、カラオケを歌うみたいな感じで歌っていたという由理佳さんは、ある日先生から「練習していないでしょ」と言われてしまった。レッスンを始めて1年半後に初めて立った発表会のステージでは、先輩たちの実力に圧倒された。
「私は歌をなめていたなと感じました。発声がいいだけではダメだったのです。曲の世界を表現し、その世界にお客様をお連れできるようなステージにすることが大切です。でも最初は、ヒールの高い靴を履いて歩きながら歌うことも簡単ではありません。最初は足がすくんでしまって動けないのです。だから歩き方の練習もあります。他にも、振り向き方の練習、手の上げ方の練習など、発声以外の練習も必要でした」
由理佳さんは、レッスンに本格的に取り組むようになった。仕事は相変わらず忙しかったが、レッスンに取り組んでいる時間は楽しかった。できなかったことができるようになる喜びを感じられる。努力すれば成果が出る。それが楽しかった。
「息抜き」が「本気」に変わった瞬間だった。
3. 自分の世界を表現する
シャンソンを始めてから2、3年経った頃、由理佳さんは自分の歌う曲の日本語歌詞に違和感を抱くようになった。
「シャンソンの歌詞は高いストーリー性があったり、著者の心の叫びが込められたりしています。だから、語るように歌うよう指導されます。ところが、曲によっては、どうしても日本語歌詞の意味を理解できない。それで原詞を確認すると、違う意味に変わっているものがあることに気がつきました。それは、シャンソンが日本に入ってきた当時の時代背景に影響を受けたり、日本人歌手が歌いやすいようにアレンジされたりしたからなのですが、私は原曲本来の歌詞と曲調で歌いたいと思いました。その方が、歌に込められた思いを伝えられると考えたからです」
由理佳さんはフランス語の原詞を自分で訳すことに挑戦する。そこで出会ったのが「Dans Ma Rue(私の路地で)」という曲だ。この曲は、飲んだくれの父親に言われて娼婦になり、お金も家もなく、最後は路地で息絶える少女の歌である。
由理佳さんは「なぜこんな暗い歌なの?」と衝撃を受けた。
「シャンソンは三面記事と言われることもありますが、別れや嫉妬など、人生の哀愁や屈折した感情を歌うものが多くあります。また、歌詞が文学的で深いのも魅力がありました」
由理佳さんは出張時の移動時間など、隙間時間を利用して、訳詞を書きためていった。時には、歌詞の世界と自分を重ねることもあった。今までの人生をリセットして再出発を力強く歌い上げる曲「水に流して」を歌い、自分の心を奮い立たせて出勤する時もあった。
5年ほど訳詞を書きためたところで、由理佳さんはCDアルバムの制作に取りかかる。アルバムとして世に出すには、原著作者の許諾を得なければならない。苦労もしたが、周囲の人たちの協力により、無事アルバムを完成させることができた。訳詞を始めるきっかけとなった「Dans Ma Rue(私の路地で)」の日本語でのカバーは由理佳さんが第1号となった。39歳でシャンソンを始めてから14年の時が経っていた。
「40代に入ってからは、仕事でも転機を迎え、何となく先が見えてきた時期でした。会社でも家でもないもうひとつの場所があることが、私の支えになりました。それに加えて、シャンソンの歌詞を自分で訳し、自分の言葉で歌うことは、自分で脚本を書き、自分とは違う人生を演じる非日常の世界でもありました。だから続けることができたのだと思います」
4.「やってみたい」という気持ちに正直に生きる
由理佳さんは今、シャンソンを日本語だけでなく、フランス語でも歌い始めている。そのために今はフランス語の勉強もしている。その先にあるのは、2枚目のCD制作という挑戦だ。その原動力の原点は学生時代にあった。
「私は学生時代、弁護士になりたいと思ったこともありました。でも、具体的な行動を起こせなかったのです。本気で弁護士を目指していた人は、親に借金してまで勉強のために学校へ通っていました。また、私は文学や芸術にも興味があったけれども、思い切ったことは何もできませんでした。それが反省点となって、社会人になってからは自分のやりたいことはやろうと思うようになりました」
そして、「やったから分かったこともある」という。
「周りの皆が出産を機に退職していくのを見て、私も子どもが生まれたら仕事をやめてもいいかなと思うこともありました。でも実際に育児と向き合ってみて、私は子育てに専念するよりも、外でも働いていた方が幸せだと分かりました」
一方で、シャンソンを通じて、文化活動に貢献してきた人など、様々な生き方をしてきた人と出会うことで、「仕事をしている方が幸せ」というだけではない価値観にも触れることができたという。
「結局、自分がどう生きたいかですよね。やりたいことがあるなら、やればいいと私は思います」
軽やかなピアノの音とともに、赤いドレスをまとった由理佳さんがステージに登場した。
仕事のために育児や好きなことを諦めたわけでもなく、育児のために仕事や好きなことを諦めたのでもない。どれも諦めない。やれる方法を考える。ただそれだけだ。
スポットライトを浴びて熱唱する由理佳さんの姿は眩しかった。
□ライターズプロフィール
深谷百合子(READING LIFE編集部公認ライター)
愛知県出身。
国内及び海外電機メーカーで20年以上、技術者として勤務した後、2020年からフリーランスとして、活動中。会社を辞めたあと、自分は何をしたいのか? そんな自分探しの中、2019年8月開講のライティング・ゼミ日曜コースに参加。2019年12月からはライターズ倶楽部に参加。現在WEB READING LIFEで「環境カウンセラーと行く! ものづくりの歴史と現場を訪ねる旅」を連載中。天狼院メディアグランプリ42nd Season、44th Season総合優勝。
書くことを通じて、自分の思い描く未来へ一歩を踏み出す人へ背中を見せ、新世界をつくる存在になることを目指している。
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