週刊READING LIFE vol.192

本当の大人ってどういうことだろうと思っていた《週刊READING LIFE Vol.192 大人って、楽しい!》


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/11/07/公開
記事:飯髙裕子(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
早く大人になりたい。そう思ったことがある人は結構いるのではないだろうか。
私もそんなことを思った一人である。
多分最初にそんな風に思ったのは、小学生の高学年くらいだったかなと思う。
 
小学生ってまだまだ親の保護下にあって、何も心配するようなことはなさそうだが、逆に、その親の保護下という環境が自分を縛り付けている鎖のように感じることがあったように思う。
何かやりたいことや、大人がしていることにとても興味があっても、子供という立場がそれを許してもらえないようなことも多かった。
帰りが遅くなったり、遠くに出かけたり、自分が欲しいものを買ったりと大人なら、それほど咎められることではないことが簡単にはできなかった。
 
当時は、大人は自分で判断してやりたいことは何でもできるようなそんな気がしていたのだ。その陰に責任という大きな足かせが付いていることにはまったく気づいていなかったからなのだが……。
 
私の母は、なかなか厳しい人で、なんでもきちんとしていないといけなかったし、母の言うことに逆らうのはひどく怒られたりしていけないことのように思っていた。
専業主婦で、子供が間違いをしないように、いつでも先回りして、きちんとレールを敷いてくれる。そんな母親だった。
もちろん、それは、自分がこうあるべきという人の生き方に母なりの信念があったのだと思うし、それで私がちゃんと何事もなく育ってきたことも事実である。
 
けれど、子供は、時として親が思いもよらないことをしたりするものだ。
自分とは違う人間の考え方をすべて把握するなんて到底無理なことだと思う。
私も普通にそういう子供だったと思うが、自分の考えを言った時にそれが母の考えと違うとき叱られるのは嫌だった。
なんでそれはいけないんだろうと思っても、母が気に入るほうを選んでいた。
自分を主張するよりも怖さが先に立ったというのがその理由だろうと思う。
そういうことを繰り返しているうち、何か決める時につい母がどう言うかを考えている自分に気が付いた。
 
叱られたくない、認めてもらいたい、そんな気持ちが心の底にいつもあった。
だから、母の前では私はいつも良い子であった。
子供の時の環境はその人の人生を大きく左右する。
母の影響を大きく受けた私は、成長しても小さなころの感覚を忘れることはなかった。
 
大人っていつからをそう呼ぶのだろう? 世間的には、成人したら大人とみなされることが多い。
大体、学校を卒業して就職したり、自分で生活していけるようになるころをそう呼ぶのだと思う。
でも、私はそんな大人になっても、自分のやりたいことを何の躊躇もなくやっていたようには思えなかった。
結局いつでも、母のことを気にして、大丈夫かと確かめないと進めない何となく不自由な大人になっていた。
大学に行っても、就職しても結局私のすることは、母が納得する範囲に収まることだけだった。
 
結婚するときも、母は反対していた。けれど、その時初めてと言っていいくらい私は自分の思うように行動していたように思う。
その時は、母から離れたら、自分がやりたいことを否定されることもなくなると感じていた。
自分のしたいことを否定されることは、自分自身を否定されているようで、なんだか苦しかった。
それまで言うとおりに生きてきたのにどうしてなんだろうというもやもやが心の中で大きくなっていたということもあった。そういうことがどんどん積もっていって、このままだと、母のことが嫌になってしまうのではないかという恐怖にも似た気持ちが自分の中に生まれてきた。
私はここを出たほうがいいと真剣に考えていたのである。
 
母にしてみれば、自分の気に入らない相手と結婚するなんて信じられないという気持ちがあったのだろうし、そんなのうまくいくわけがないと思っていたのかもしれない。
結局最後まで、認めてはいなかったと思うけれども、式には出席してくれたので、良かったと思っていた。
それは、でも何か違っていたのかもしれないと、最近思うのだ。
もっと、ちゃんと、母に向き合って、自分の気持ちをぶつけていたら、そのあとの自分の気持ちが違っていたんじゃないかと思う。
お互いに、それぞれの気持ちがきちんと納得していなかったから、私は子供が生まれても、まだ母のことを気にしていた。
離れているし、自分の家庭のことは自分で決めるのだが、ことあるごとに母がどう思うかを気にしている自分はなかなかいなくならなかった。
 
早く大人になりたいと思っていたのは、おそらく大人になったら、母に認めてもらえるようになって、自由になれると思っていたからなのだろう。
その自由は、母のもとから離れれば、手に入ると安易に考えていたところもあった。
それは、普通に考えればおかしいと気づくようなことなのに、私にはそれがわからなかった。
だから、実際には大人になっても全然自由ではなかったのだ。
心の奥の深いところに根強く私を支配する気持ちが残っていた。
 
しかしそれは、都合のいい隠れ蓑でもあった。
自由に何かをしようと思えば、当然その結果起こることは、すべて自分の責任になる。それをしない理由に母が良く思わないからという言い訳を、自分に言い聞かせて納得させれば楽だったからだ。
 
 
そんな風にずっと大人になり切れなかった私に転機が訪れたのは、子供たちが大きくなって、巣立っていった頃だった。
 
子供たちがいたころと比べると、静かでがらんとした家で自分の時間を持つことが増えたこともきっかけになった。
仕事はしていても、その先の将来のことが気になり自分ができることは何だろうといつも考えていた。
そんな時に、同窓会を知らせる一枚のはがきが届いた。
 
高校の頃の同窓会で、何十年も会っていない友達に会いたいなとすぐに返信を出した。
 
久しぶりに会う友達はみなそのころの面影はあっても、ずいぶん変わっている子も多かったけれど、まるでタイムスリップしたかのように、高校の頃の思い出が蘇った。
みんなそれぞれ高校の頃から好きなことを続けている子、全く違うことにチャレンジしている子、さまざまではあったけれど、なんだか生き生きしていてまぶしかった。
私はどうだろう? そんな思いが頭をよぎった。
 
突然来た同窓会のはがきは、実は担任だった先生を経由して今の私の住所を突き止めた幹事の努力の賜物であった。
何年も行方不明者リストに私の名は上がっていたということをその時知ったのだった。
今から思えば、よくぞ見つけてくれたなという感謝の念しかない。
 
担任の先生はずいぶん高齢になっていたけれど、相変わらず元気で、好きな数学の道を究めていた。
近況を報告しながら、最後に先生が言った言葉が「よく頑張ってきたね。これから第二の人生の始まりだね」とそんな意味のことだった。
 
第二の人生。
その言葉は、何気なく言った先生が意図した以上に、私の心に突き刺さりずっとそこから離れることがなかった。
今までの私の人生と、これからの人生は違ってもいいのかもしれない。
懐かしい時間を共有した私はそんなことを感じていた。
もう十分母の言うことは聞いてきたから、ここからは私の考えに耳を傾けよう。
そう思う自分がいた。
 
その時から、私は今までやりたくても何かしら言い訳を考えてしなかったことをやり始めた。
それを後押ししたのは、ここ数年のコロナの流行も大きく関係していた。
長年母の住む実家に頻繁に帰っていたのが帰ることもできなくなり、少しほっとしている自分に気が付いたからだ。
離れていて心配ということもあったけれど、行けば気を使っている自分がなんだか本心とは違うちぐはぐな気がして疲れてしまうのだった。
実際、会わなくても母であることに変わりはなく、他の形で思いを伝えることもできる。
お互いに自分の生活を納得できるように過ごすことのほうが、よほど安心させることができるのかもしれないと思うようになった。
 
 
歌のレッスンや、フィットネスクラブ、学生の頃はできなかった好きなことを勉強するために放送大学で受講したり。極めつけはダイビング。
おそらく、私の人生の中で、一番難解なチャレンジだったと思う。
海が怖くて、泳ぎも得意じゃない私がライセンスを取るなんて自分自身の中に全くなかった選択肢である。
目にした海の中の写真を実際に見てみたいとその時強く感じたのだった。
最初に海に潜るときの緊張感は今でもはっきりと覚えている。
けれど、実際海の中に潜って見た景色は私のすべてを開放し包み込んでくれるような感覚を与えてくれた。
 
時間もお金もかかったけれど、それを作るのは、すべて自分の考えと、責任さえあれば障害になるものはほとんどなかった。
 
そう、自分の考えと責任。これこそが私に欠けていた大人の要素だったのかもしれないと思う。
自由にはいつだって責任が伴う。
けれど、その責任を取る覚悟があれば誰かに迷惑をかけたり、法に触れることでない限りたいていのことはできるものである。
そして、それは何よりも自分の心が納得できることに他ならない。
 
実際、どんなに忙しくても、大変だなと思っても、好きでやっていることは、不思議なことにあまり苦にならないものである。
それは子供のころ、楽しすぎて疲れてぱたんと寝てしまうそんな充実感があふれてくる感覚に似ているような気がするのだ。
 
子供のころはできなくて大人になったらそれができるという純粋な憧れ、それをまさに今やっているという満足感にあふれている。
 
夜更かししても、好きなものをたくさん食べても、やりたいことをいろいろやっても、返ってくるのは自分であって他の誰でもない。
誰にも怒られることはない。
いったい今まで何を怖がっていたのだろうと不思議になるくらい楽しいことはたくさんあるのだ。
自分の目の前にあることがいろんな可能性を秘めていると思えるようになったのかもしれないと思う。
 
自分が好きなことを発信すれば、それに共感する人の声が返ってくる。
それは、私に好きなことをしてもいいんだという安心感と、それを発信することの責任の重さを改めて自覚させてくれることでもあった。
 
今私はすごく楽しいと思うことがすごく増えたと思う。
それは、同時に大変だったり、苦しいと思うことも一緒についてくる。
それでも、楽しいと思えるのは、子供の頃憧れていた自由な大人に自分が近づいているからかもしれない。
きっとそれは、私がこの人生の終わりに楽しい人生だったなと心から思える大人に違いない。
大人って本当に楽しい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
飯髙裕子

ライティングゼミからライターズ倶楽部に参加し5000字の壁に挑戦中。
心理学検定1級を取得し、心と食の関係を探求しつつお菓子作りを楽しんでいる。
更年期世代の体に優しいスイーツづくりを目指す。

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2022-11-02 | Posted in 週刊READING LIFE vol.192

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