週刊READING LIFE vol.193

夜の街並みを離れた私は、フンコロガシと対面した《週刊READING LIFE Vol.193 夜の街並み》


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2022/11/14/公開
記事:前田光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
私たちが普段連想する「夜の街並み」は電気なしにはあり得ない。
そう実感したのは、電気の通っていないアフリカの片田舎の村に滞在して、ちょうど最初の新月を迎えるころだった。
乾燥した広大なサバンナを貫くように走る一本の長い長い車道沿いからつかず離れずの距離に、その村はあった。
 
村の中心部には広場があって、大きなマンゴーの木が枝を広げて濃い日陰を作っている。その広場を取り囲むように、土壁の家が立ち並ぶ。泥を型枠に入れて成型し、天日干しして作る日干しレンガの家は家族が増えるたびに増築が重ねられるので、年月とともに村全体が外側へ外側へと広がっていく。もちろん区画整備しながら建設するわけではないし村には自動車もないので、家が増えるにつれ人が1~2人並んで歩ける程度の狭い道が、家と家との間を縫うように、網の目のごとく伸びてゆく。日干しレンガの材料はその辺の土だから、土壁と道はシームレスでつながっている。だからまるで、地面から家がにょきにょき生えてきたようにも見える。
 
こんな不思議な街並みは、夜になったらどんな姿を見せてくれるだろうか。
 
ちょっとした街灯のあかりでもあれば、異世界に迷い込んだかのように幻想的な光景が浮かび上がるに違いないのだが、残念ながら電気がないため全体像をほどよい光で眺めることはできない。頼りになるのは新月の時期の月の光か懐中電灯だが、たとえ満月の夜でも懐中電灯は必須だ。いくら月光が明るくても、窓のない家の中までは光が射さないからだ。つまり、建物から電気の明かりが外に漏れることがないため、ここには私たちが考えるような「夜景」がない。
 
おかげで満月の夜の月の明るさを知り、電気と懐中電灯のありがたみも改めて身に染みた。なにしろ、新月の夜には本当に何も見えなくなるのだ。自然の暗闇を歩くのは、文明社会に慣れた人間でなくとも恐ろしいものではないだろうか。たとえば半径たった1メートル弱の懐中電灯の光を頼りに、隣村から自分の村までをつなぐ数キロメートルの道、広いサバンナに細々と続く、人の脚で踏み固められただけの頼りない道を見失わないようにしながらひたすら歩いて帰るなんて、私はごめんだ。
 
ところがある日、そうもいっていられないことが起こった。新月の夜に便意を催してしまったのだ。
このチャンスを逃したら、私は一生フンコロガシを見られないかもしれない! その危機感が、暗闇の穀物畑へと足を踏み入れる勇気を奮い立たせてくれた。
 
子どものころに『ファーブル昆虫記』のフンコロガシの章を読んで胸を躍らせたことがある人は多いのではないだろうか。フンコロガシは自分の卵を産み付けるため、動物のフンをまん丸に形成すると、前足を地面に着け、後ろ足でフンを後ろに蹴るようにしながらバックでフンを転がしていく。子どものころにその描写を読んで以来、私は実際にその様子を見たいとずっと願っていた。アフリカに来たのはさすがにそれが目的ではなかったが、雨期になるとフンコロガシがたくさん出てくるので、見たいのなら野グソをすれば見られるぞと現地の人から教えてもらっていた。それでずっとチャンスをうかがっていたのだが、昼間だとさすがに人目がある。雨期も後半になると畑の穀物が人の背丈よりも高く伸びるので、畑の中に入ってすれば人目も避けられるとは言うのだが、そこで誰かに鉢合わせしないとも限らない。用を足している人に思いがけず出会ってしまったなら、明らかに目が合っても気づかないふりをして通り過ぎるというのが現地の礼儀ではあったが、尻を丸出しにしてしゃがみ込んでいるところを誰かにチラ見されたらと考えただけで羞恥にまみれるほどには私も乙女だったのだ、当時は。
 
便意を感じたとき、村での滞在日数はあとわずかしか残っていなかった。しかもそのときは便秘だったので、これを逃したら村を発つまで大きい方が出ない可能性もあった。ああ、どうしよう、一人で夜のミレット畑に行くのは怖いけれど、かといってコトがコトだけに誰かについてきてもらうわけにもいかない。だったらやはり一人で行かねばなるまい。行かねば一生後悔する。
 
そう決心した私は、片手に懐中電灯、片手に水の入ったプラスチック製のやかんを持って夜の村から畑へと向かった。ちなみにこのやかんは、現地では顔を洗ったりトイレでお尻を流したりするときに使う、いわば手動ウォシュレットの一端を担う大事なものだ。
 
2メートルほどに伸びたミレットが広がる広大な畑の前まで来た私は、一歩一歩畑の奥へと進んでいった。ここでもしっかりと足元を懐中電灯で照らしながら歩かなければならない。ヘビやサソリがいるかもしれないし、先に用を足しに来た誰かが残したものをうっかり踏まないとも限らないからだ。
 
いい感じのスペースを見つけたので急いでしゃがみ込んだ。すると、まだ出し終えていないのにどこからかブーンという羽音が聞こえてきた。えっ? もう来たの? 早くない? フンコロガシの嗅覚はいったいどれだけ優れているのだろう。まだ座ってから1分もたっていないのに。全部出し終わるまで待っていてくれるだろうか。焦りを感じながら用を足してあたふたとお尻を流し終えると、懐中電灯で自分の置き土産のあたりを照らした。するとあの本の挿絵どおりのフンコロガシが、出したてほやほやの便を必死で転がしているのが照らし出された。スポットライトの真ん中で、フンコロガシが本当にフンを転がしていた。私が便秘だったばっかりに、フンが硬くてうまく丸い形にならず、とても転がしにくそうだ。ああ、ごめんよフンコロガシ、アフリカに来たばかりのころにはしょっちゅうお腹を壊していたのに、いまでは私、便秘するほど強くなってしまったんだよ……。
 
フンコロガシがミレット畑のさらに奥へと姿を消すまで見送ると、私は立ち上がってもと来た道を引き返した。フンコロガシを見ていた間はすっかり忘れていた暗闇への恐怖が、ふたたびよみがえってきた。いっそのこと走って帰りたい、でもそれは危険だ、ちゃんと足元を見ながら歩かなくては。そう思いながらミレット畑を出て村の方を見ると、明かりのないまっ暗ななかに、かすかに揺れる明かりが見えた。ああ、あれは懐中電灯の明かりだろうか。誰かが村のはずれを歩いているのだろうか。
 
夜の街並みの明かりとはとても言えないほどの、小さくて心もとない明かりではあったけれど、あれを目指して歩けば間違いなく村に帰ることができると思った私は、心の底からほっとした。明かりがあれほど暖かなものだと感じたことはない。都会の夜のようにキラキラとしたネオンが光り輝いていなくても、あの光はまさに、私にとって心からの安心を与えてくれた希望の光だった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
前田光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

広島県生まれ。
黒子に徹して誰かの言葉を日本語に訳す楽しさと、自分で一から文章を生み出すおもしろさの両方を手に入れたい中日翻訳者。

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2022-11-09 | Posted in 週刊READING LIFE vol.193

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