週刊READING LIFE vol.193

通訳 vs. 翻訳《週刊READING LIFE Vol.193》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/11/14/公開
記事:工藤洋子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
なかなかね、分かってもらえないんですよ、この違い。
通訳と翻訳の違いです。
 
私もよく「翻訳の人・・・・・・」とか言われて混同されることがあるのですが、一緒にされる方は、「ええっ!」と心臓が跳ね上がるほどビックリします。つまり、当事者にとってはそれぐらい違うものだ、ということなんです。
 
私はかれこれ20年以上、英語の同時通訳者として仕事をしております。駆け出し、修行時代も入れるともっと長く通訳という職業に関わっていることになりますね。でもその長いキャリアの中で。「翻訳」を仕事として引き受けたのは数えるほど。それも自分が通訳の経験があるマニュアルの翻訳や企業内の文書など、背景がある程度分かっているものだけ・・・・・・通訳の仕事だったら自転車に乗るぐらいの気楽なものですが、翻訳を仕事として引き受けるとなると、気分はエンストとした自動車を押して動かせと言われたかのごとく、気が重くなります。
 
いったい何がそんなに違うというのか、特にきっと不思議に思われるでしょう。
 
特に英語に関わっていない一般人の方から見れば、
 
・英語のプロである
・言語能力が高いらしい
 
という事実から、語学のプロとしての通訳も翻訳も変わりないものでどちらもできるものだ、と考えられるようですが、どちらもハイレベルでやっている方は数としてはかなり少ないです。確かに高い語学力は必須の職業ですから、どちらもボキャブラリーは豊富で文法力も高いものが必要だ、というところは同じです。しかし、基本的な語学力を身につけた後は、通訳者になるため、もしくは翻訳者になるためのトレーニングはまったく違っています。
 
そんなところも含めて、通訳と翻訳の違いを少しでもご理解いただけるように説明していきたいと思います。
 
話し言葉と書き言葉
 
まず第一の違いは、通訳は話し言葉、翻訳は書き言葉、ということです。「なんだ、そんなことはわかりきってるじゃないか」と思われるかもしれませんが、これは大きな違いです。たとえば、私は通訳者なので、何かを言葉で説明しろ、とか、何かについて意見を述べよ、と言われれば立て板に水、といった感じで話すことはできますが、いざ、エッセイを一冊書いて、とか、2千字でちょっと面白いこと書いて、などと軽く言われても詰まってしまいます。子どもの頃は夏休みの課題図書の読書感想文が苦手でしたし、まさに今、天狼院書店のライティングゼミの課題で四苦八苦しております。
 
通訳者の納品物は、あくまで話し言葉です。目の前に言葉を耳で聞く人がいる状態で、最終成果物が口から出る言葉なのです。相手の表情を見ながら、言葉や内容が伝わっているかどうか、その都度様子を見ながら話して行くことが仕事になります。向き不向きで言うと、元々個人が持っていた気質・特質の違いもきっと影響するでしょう。口から産まれたと揶揄されるようなおしゃべりな人なら通訳の方がきっと楽です。実は私がこちらのタイプなのでよく分かるのですが、口頭でのコミュニケーションが比較的得意な人が通訳者には多いです。通訳、という職業が基本的にコミュニケーションのサポートという点にあるため、人嫌いで口数が少ない、という通訳者にはあまりお目にかかったことはありませんね。
 
ただ、同時通訳、となるとそうも言えないところがあります。みなさんのイメージだと人と人の間に入って橋渡しをするのが通訳者、という感じだと思うのですが、それは逐次通訳という方法です。話者が話す内容を話し終わった後で訳すやり方になります。それに対して同時通訳は会議や講演など1対1というよりは1対多という場面で通訳のブースの中など少し離れた場所から話者が話すと同時に通訳をするという方法なので、人に接触する頻度は極端に少なくなり、いかにも職人という通訳者の方もおられます。
 
ここまで来れば、おしゃべりな人が向いている、とはあながち言えない状態ですね。しかし、同時通訳ができるようになるには逐次通訳から入るのが普通ですから、通訳者にはやはり話し好きな人が多い、と言えるでしょう。
 
それに対して翻訳者の納品物は、文章として書かれた言葉だです。書き上げた状態では普通、目の前で書いた成果物を読む人はいないでしょう。翻訳エージェントなり、クライアントなりに納品されてからの善し悪し判断となるので、仕事の評価にワンクッション置かれている、と、とらえることもできます。
 
ただし、書いた文章は当然ですが、残ります。後から人が読むために訳されているわけですから、当たり前ですね。通訳と違って、言い換えや訂正が効かないので、書き言葉としてじゅうぶんに練られた言葉が必要とされます。言葉に対して深い造詣を持ち、たくさんの人に読まれても耐えうる文章を書くことが求められているのです。
 
即時性と永続性
 
次に第二の違いは、言葉がその場に残るか残らないか、という点です。
 
通訳だと話している言葉なので常に流れる水のごとく、その場にとどまることはありません。相手の理解、として記憶に止められるだけであり、録音や録画でもして残さない限り、訳された言葉消えてしまいます。ある意味、残るものは通訳を聞いた相手が受け取ったことだけであり、通訳者の言葉自体が残るわけではありません。
 
また、逐次通訳という場面に限定されますが、通訳者はその場で発言をした相手に対して意図が分からなければすぐに確認することもできますし、間違いがあれば訂正をすることも可能です。同時通訳でもちょっと裏技になりますが、流れて消えていく言葉を追いながら先ほどの言葉の意味の取り方がおかしかった、と思えばゆるくロジックを訂正することもできないことはありません。もっともあまりよい通訳のアウトプットにはならなくなってしまうので、奥の奥の手にはなります。
 
それに対して翻訳は、そもそも記録に残すためのものです。通訳と違い、訳された言葉は永続的に残ることが大前提となります。意味の通らない文章などもってのほか。原文に書いてあることには忠実に過不足なく読む人が理解でき、しかも洗練された書き言葉に仕上げなくてはなりません。通訳者は100%正確な訳語の選択よりも、たとえ80%でもその場で意思の疎通がはかれる何らかの訳を当意即妙に出すことが求められています。即時性の方が重要視されるわけです。
 
しかし、翻訳ではできうる限りではあってもより100%に近い訳出が求められます。通訳ではその場に発言者が存在していますが、翻訳では読み手が読む時点ではその文章を作った人はいないのです。それでも意味がしっかり伝わり、齟齬がないようにしなくてはなりません。言葉としての完成度は、通訳より翻訳の方がおしなべて高いものが要求されている、と私は思っています。
 
文章は場合によっては時を超えて残るものです。現代に残る文書として最古のものは古代エジプトのパピルスに書かれた文字や、岩に刻まれたくさび形文字などに始まり、延々と文明として残っています。古代文明とまでいかなくても、日本だって文字が伝来して以降の歴史は聖徳太子の時代から脈々と受け継がれているわけですから、翻訳としての文章もそれだけの永続性がある、と言えます。
 
言葉への向き合い方の違い
 
最後に第三の違いとして、言葉に対する姿勢の違いが挙げられます。
 
この姿勢というのは、通訳者としての姿勢、翻訳者としての姿勢、という意味ですが、第二の違いで述べたように即時性と永続性の違いから発生する、言葉へのこだわり方に違いがある、という風にも表現できましょうか。
 
ちょうど先日、天狼院書店で英語の児童書の読書会をやらせていただきました。『エルマーのぼうけん』という名作を翻訳と原文を比べながら楽しむ、という企画だったのですが、準備のため、英語の原著と自分が親しみ慣れた日本語の翻訳書を改めて見比べてみると、翻訳者の書いた訳文の素晴らしさが身にしみて分かりました。
 
一介の通訳者としては、まったく脱帽です。
 
例をあげると、主人公のエルマーが目的地のどうぶつ島に渡るとき、海の中に点々とつながる飛び石を伝っていくのですが、英語では、”the Ocean Rocks”、つまり「海の岩」ぐらいの何の変哲もない表現となっています。それを日本語では、「ぴょんぴょこ岩」と訳しています。なんとも躍動感のある言葉使いではないですか。エルマーが一生懸命に岩の上でジャンプする情景が目に浮かびます。
 
このようにただ言葉を移し替えるだけでなく、いかに誰が読んでも納得のいくものに仕上げるか、というこだわりが翻訳の方が強いと思うのです。
 
では通訳では言葉をないがしろにしているのか、というとそういう訳ではけっしてありません。ですが、なんと言っても通訳者には考える時間がほぼありません。その場で通訳者自身が持っている何らかの内的言語をフル活用して、「何としても」コミュニケーションを成立させなくてはなりません。「ちょっと考える時間をください」と言うことは絶対にできないという状況で通訳者は仕事をしている訳です。
 
言葉ひとつひとつにこだわりきることはできない場合が多いけど、「木を見て森を見る」の逆、つまり「森を見て木は半分見る」ぐらいで勘弁してね、というのが通訳者の仕事の基本スタンスなのです。翻訳者は「木も森もしっかり見ます!」という感じでしょうか。
 
このように話し言葉と書き言葉の違い、即時性と永続性の差、そして言葉ひとつひとつへの向き合い方の違いから、通訳者と翻訳者は自分たちではやっている仕事が大違い、と思っているのです。
 
だけど、ひとつやはり語学のプロとしての共通点は存在します。
それは、決して直訳はしない、ということです。
 
直訳をするというのは、右から左へ言葉を機械のようにただただ変換してしまうことです。通訳者がまったく意味の分からない専門家同士の会話を通訳することがあれば、その時は直訳の連続となり、通訳者には訳していながら話が分からないが、クライアントはお互いによく分かっている、というおかしな状況になることもありますが、それは通訳の仕事としては下の下です。全体をしっかりつかむことにより、適切に訳語を仕上げることは通訳でも翻訳でもまったく同じ事です。そういう意味では基本となる高い語学力がベースとなってこそできる職業なので、やはり一般の方から見れば同じものと見られてもしょうがないのかもしれませんね。
 
普通に話すことが自転車に乗るぐらいの難易度だとすると、通訳や翻訳の修行を始める段階というのは、おそらく一輪車に乗れるぐらいのレベルかもしれませんね。でもそこから一輪車に乗って何をするのか、がおそらく当事者にとっては大きな違いなのだけど、端から見ればたいして差がないように思われるのかもしれません。
 
だから。
やっぱり世の中では通訳と翻訳はごちゃ混ぜで理解されるしかないのかもしれませんね。でも、この文章を読まれた方だけでも、その違いを認識していただければ、それだけでも我々通訳者・翻訳者は間違いなく嬉しく思います。世の中に生息数はかなり少ない職業ですが、もし出会うことがあれば、区別してあげてくださいね。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
工藤洋子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

20年以上のキャリアを持つ日英同時通訳者。
本を読むことは昔から大好きでマンガから小説、実用書まで何でも読む乱読者。
食にも並々ならぬ興味と好奇心を持ち、日々食養理論に基づいた食事とおやつを家族に作っている。福岡県出身、大分県在住。

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2022-11-09 | Posted in 週刊READING LIFE vol.193

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