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週刊READING LIFE vol.193

赤く赤く頬を染める灯に導かれて《週刊READING LIFE Vol.193 夜の街並み》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/11/14/公開
記事:河瀬佳代子(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
珍しく、夢を見た。
夢に出てきた長男は、あの日のままだった。
 
夢の中の長男は小学生くらいだろうか。帽子をかぶって、ランドセルを背負って、半ズボンを履いている。
「そんなことをしたら、ダメじゃないの」
そんな類のことを私は言っていたような気がする。
注意されてしゅんとした長男は部屋の隅っこに行き、コーナーの壁の方を向いてしょんぼりとうなだれていた……。
 
なんでまたこんな夢を見てしまったのだろう。目が覚めてから苦笑いした。夢の中でまで私は子どもに注意をしていたのか。
お小言を言う自分の姿を夢で俯瞰して見ていると、なんと無様なのだと思う。でも子どもが小さい当時、私だって必死だった。ちゃんと育てなくちゃ、ただその一心でいろいろなことを子どもに言っていた。真っ直ぐな子になるように、人様にご迷惑にならないように。もう遠い記憶になりつつある子育ての日々が思い返されてくる。

 

 

 

結婚して、しばらく仕事はしていたけど退職して専業主婦になって妊娠した。実家から離れた、よく知らない土地で暮らしていたけど、当時はインターネットがなかったため情報を手に入れる手段が限られていて、人との交流はとても限定的だった。それでも近所でママ友がいたからまだよかったのかもしれないが、自分に起こるいろんな変化に対応できているようで実はそうではなかったと思い知ったのは、出産後だった。
 
出産するまでは「自分はたぶん大丈夫」と呑気に構えていたけど、産後病院から帰宅してからが想像を絶する大変さであった。昼夜を問わず泣き叫ぶ赤ちゃんを目の前にして、毎日途方に暮れていた。3時間おきの授乳、真冬に生まれた子だったから、真夜中に起きて授乳することは本当にきつかった。産後うつとか育児ノイローゼという言葉もあるが、その原因は夜にちゃんと眠れてないことがとても大きいと思う。泣き声で起こされるからとりあえず起きるけど、ぼーっとした頭でただただ無意識に授乳をしているだけだった。寒い寒い夜の中、ぽつんと子どもに授乳しているのなんてたぶん私だけだと思っていた。「親子の愛情をはぐくむ」などと母親に全部育児を押し付けるような、それっぽい表現なんて全部嘘じゃないか。
 
周りには誰も支えてくれる人はいなかった。夫は仕事仕事で全く当てにはならなかった。義実家がすぐそばにあり、義両親が毎日顔を出すようなことはなかったけど、それでも義両親に声をかけないといけないのだろうかとか、立てて立てて遠慮して過ごさないといけないのだろうかと、近くに住んでいるあまりにかえって余計な気を遣うのもストレスになっていた。誰とも話さず誰にも頼れず、孤独な育児が続いていた。
 
毎日とても緊張していた。出産するまで子どもとの関わりはほとんどなかったし、ましてや赤ちゃんなんて周りに全くおらず育ってきた。赤ちゃんがどんな生態なのか、どんな世話をするのかなんて全然わからない。育児書の0歳0ヶ月のページはたったの2ページしかなく、隅から隅まで読み尽くして暗記しているくらいだったけど、そこの情報は毎日繰り広げられる赤ちゃんの動きがなぜそうなるのかの答えにはほとんどなってはいなかった。私は赤ちゃんの一挙手一投足にピリピリしていた。ミルクを規定量飲んでもらう。まとまった時間寝てほしい。そういうことがちゃんとできないと、どうして? なぜ? と少しパニックにもなっていたのかもしれない。
 
やがて赤ちゃんは首が据わり、腰が据わり、1歳近くなると歩くようになった。何もかもが初めての長男はいろんなものに手を出して、いろんなことをする。いたずらをしてやろうなどという悪意なんて全くなく。長男はおとなしい子だったけど、それでも私は長男のやること1つ1つが気になって仕方がなかった。危ないことをしようとすればその先を読んで物をどけたり、遮ったりもした。
 
こうして本格的に子育てを始めた頃から「ほめ育て」という育児方法が耳に入るようになった。
生命の危険がある場合と人様に迷惑がかかる場合をのぞいては、子どもを叱らない、子どものすることを否定しないという育児方法である。私はこれが本当にできなかった。何かがあると「いけません」「だめでしょ」の連発だった。
 
その頃から公園に連れ出すようになったけど、お友達とうまく遊べない、おもちゃを取った取られた、まだ1歳や2歳の子どもが、そんな社交的なことなんてうまく采配できるわけもないと思っていたけど、我が子がよそ様のおもちゃを気に入ってずっと持っているとなると相手の親の目線が厳しくなる。「ほら、あんたの子がわけわかんないんでしょ? さっさと注意しなさいよ」と咎められているような気すらして、思わず長男に注意するのだった。
「それは、僕のじゃないから、返そうね。もうお帰りだから返さないといけないよ」
「……」
もっとこのおもちゃで遊びたい、それはわかるけど、もうその子も帰るんだからまた今度ね、今日は遊べないんだよなんて大人の考えがわかるわけはない。しかしながらもう我が子からおもちゃを取り上げないといけないのだ。
「また今度会ったら貸してもらおうね」
そう言って私は長男から「きかんしゃトーマス」のプラレールをさっと取り上げた。長男はみるみるうちに顔が崩れ、真っ赤になって泣き出した。
「うわーーーーーん!!!!!」
子どもの泣き声ほど甲高く、一切の妥協もなく響くものはない。遊ばせてあげたいけど無理なんだよ、今日はだめなんだよと言い聞かせても当分泣き止みそうにない。おもちゃを借りていた子にお返しして、まだ諦めきれずにべえべえ泣く長男を抱えるようにして公園から脱出した。
「あれは、お友達のおもちゃだから、お返ししないといけないんだよ。似たようなおもちゃがあるかもしれないから今度見に行った時に探そうね」
「やだ! やだ!」
まだ泣き止まない長男に私は言った。
「そういう時には返すんだよ、返さないとだめじゃないの」
〜〜しないとだめじゃないの、という言葉を毎日のように口にしていた。とてもじゃないけどほめ育てなんてできっこない。そんな悟り切ったような育児なんて嘘に決まってる。ほめ育てなんていうものは祖父母が育児を手伝ってくれるとか、シッターさんがきてくれるとか、そんなことでもない限りできっこないに決まってる。子どものだだこねがおさまるまで、日がなのんびりと待つほど私は人間ができてはいない。「世間はこうだから、〜〜さんがこういうからこうしなくちゃいけないでしょ?」という周りの目に押しつぶされまいと、私は子どもにだめでしょ、いけませんを繰り返す日々なのだった。
 
余裕がない育児を繰り返しているうちに、次男が生まれた。長男が2歳の時だった。
考えてほしいのだけど、2歳違いの男の子2人を持つと言うのは、世界がその2人に振り回されるくらいさらに大変になるということだ。2人とも違う動きをして違う要求をする。すぐどこかに行ってしまうから目が離せない。互いに相手より自分が勝っていると思っているのでケンカが絶えない。私が「だめ、いけません」をさらに連発することとなったのはいうまでもない。ダメダメと言う割には、それで子どもたちが落ち着くかといえばそうでもなく、私だけが疲れ果てていく育児の毎日になっていた。
 
そんな日々が続き、次男が1歳になった頃、夜泣きが止まらなくなった。
夜中になると突然泣き出して、何をしても泣き止まない。仕方がないので電気をつけて相手をしてやるのだけど、そうなると睡眠スケジュールが狂っていくのでできればそれは避けたかった。私だって夜に子どもの相手をするなんて疲れてしまう。昼間いくら思い切り遊ばせてやっても、決まって夜に泣き出すのには本当に参ってしまっていた。
 
その夜も、次男は泣いていた。
どうして泣くんだろう。何をしたら泣き止むんだろう。
 
その時どうしてそんなことをしようと思ったのかわからないけど、私は次男を抱き上げていた。
「お外、見に行こうか」
9月くらいだったから夜はそんなに寒くもない。パジャマのまま、抱っこひももつけないまま、私は次男を抱き上げて玄関のドアを開けて外に出た。
 
昼間の暖かさは流石に消えて少しひんやりとしていた。次男には羽織るものを被せているから風邪を引くことはないだろうとは思いながら、私の足はあるところへ向かっていた。
 
カン、カン、カン、カン、……
 
家から歩いて3分くらいのところに、小さな私鉄の踏切がある。
警報とともに赤く点いては消えるランプを、次男は食い入るようにじっと見つめていた。
 
子どもたちは2人揃って電車が大好きだった。住んでいるところからは私鉄の線路が見える。踏切を見せてやったらどうかなと思ったのだった。
 
「踏切だよ、ほら、鳴ってるね」
次男の瞳には、赤いランプと黄色い矢印がずっと映っている。
「なってるね」
おうむ返しに言葉が返ってきた。もう泣いてはいない。じっと踏切と、通り過ぎる電車を次男は見つめていた。
夜道を歩いてきた、仕事帰りの男性だろうか、パジャマ姿の母親と幼児の私たちを怪訝そうに見つめながら去っていく。飛び込み自殺でもするんじゃないだろうかと思われても大変だ。
「もう、電車見たからいいかな? おうち帰ろうか」
「うん」
「じゃ、帰ろうね」
次男は納得したらしくすんなりと言うことを聞いてくれた。私は抱っこしたまま家へと戻って行った。
 
咄嗟に取った行動で、よくそんなことを思いついたものだと思ったけど、眠れないのなら好きなことを見せてあげたらどうか、ひんやりとした空気に当たったら子どもも私も気分が変わるかもしれないと考えたのだろうか。
 
私だって、たぶん思い切り泣いてみたかったのだ。毎日毎日何かに追われるように過ごしていたら、自分も子どもも息が詰まってしまう。こんなに近くに、気分が変わるような場所があったことに今更ながら気がついたのだった。気分なんて、特別なことをしなくたって変わる時は変えられるのだ。それに気がつくかどうかは自分次第だけど。
 
それ以来、次男は夜泣きをしなくなった。
夜に煌々と赤く光って、鳴り続ける警報。普段は交通の助けとなっている踏切が、私たちの助けになるとは思いもよらなかった。
今はもう社会人になった子どもたち、すっかり育てられたことなんて忘れてしまっているであろうけど、私にとってはあの夜の踏切は、たぶん生涯忘れないものになるに違いない。鳴り響く警報とともに赤い灯に照らされながら、じっと夜を見つめる子どもの横顔とともに、私の記憶に残り続けることだろう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
河瀬佳代子(かわせ かよこ)

2019年8月天狼院書店ライティング・ゼミに参加、2020年3月同ライターズ倶楽部参加。同年9月天狼院書店ライターズ倶楽部「READING LIFE編集部」公認ライター。「Web READING LIFE」にて、湘南地域を中心に神奈川県内の生産者を取材した「魂の生産者に訊く!」http://tenro-in.com/manufacturer_soul 、「『横浜中華街の中の人』がこっそり通う、とっておきの店めぐり!」 https://tenro-in.com/category/yokohana-chuka/  連載中。

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2022-11-09 | Posted in 週刊READING LIFE vol.193

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