週刊READING LIFE vol.195

戦いの末に勝ち取ったのは、甘い記憶《週刊READING LIFE Vol.195 人生で一番長かった日》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/11/28/公開
記事:河瀬佳代子(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
寒く暗い朝だった。
さっきからお腹がじんわりと痛い。
 
(え、なんで、今日なの……)
 
よりによって今日という日に、お腹なんて痛くならないでほしいのに。そう思っているうちに痛みはだんだん強くなってくる。
 
(痛い……)
 
そのうち下腹部がキューッと締め付けられるような痛みに変わり、はっきりと自覚できるようになってきた。痛みの感覚も縮まっている。
 
「痛いよ……」
 
なんとか、どうにかしなければ。私は床に這いつくばりながら自室の障子を開けて思い切り母を呼んだ。
 
「お母さーん! ……おかあさぁーーん!」
 
中学3年当時、私の部屋は居間からは遠く離れていた。間に浴室や台所もあったので一度名前を呼んだくらいじゃ聞こえない。布団から半分這い出たその格好で大声で母を呼ぶと、のろのろと私は布団に戻った。母が来るのがとても長く感じる。
 
「いま、呼んだ?」
数分してやっと母が来てくれた。
「……あなた、まだパジャマなの? 早く支度しなさいよ」
「……お母さん、痛いよ」
「何、どうしたの?」
「さっきから、お腹がすごく痛いんだけど」
「やだ、またなの? こんな時に、困ったわねえ」
「どうしよう」
「どうするって、今日行かなきゃどうするのよ?」
「でも痛い……」
 
どうしよう。どうしよう。頭の中は真っ白だった。

 

 

 

中学3年生の時の私は、絶対に天中殺か大殺界かというくらいどん底だった。
 
まずクラス替えで仲のいい友達とは全員離れた。中3のクラスメイトの女子とは話が合わず浮いていた。移動教室とか、昼休みとか、体育の時に仲間外れになるのが怖くて、うわべだけ、相手が興味ありそうなことに無理にうなずいたり笑ったりしていた。
お世辞が言えない性格で、ヨイショするのも好きじゃなくて、適当に場を和ませるなんてことが本当に不得意だった。冗談のつもりで言ったことが不用意に相手を傷つけていたのかもしれず、同じクラスの、とある女子を怒らせてしまったようだった。
彼女は昼休みになるとわざと机を並べ変えて「ここは◯◯ちゃん、その隣は△△ちゃん」などと席を決めていた。その中に私の名前はなく、尋ねても「さあ」などとはぐらかされていた。
 
そんな嫌味な子がいた中で、さらに追い討ちをかけたのが中3の文化祭の準備の時の出来事だった。たわいもないおしゃべりの中で私が発した言葉が、クラスを批判したと曲解されて、私はクラス中の女子から無視されることとなった。いくら違うのにと思っても誰も私に話しかけてくれなくなった。携帯電話もインターネットもまだなく、情報といえばTV・ラジオ・新聞・雑誌くらいしかなく、学校と家しか世界がないに等しい中学3年生が、その一方を塞がれてしまったらどうなるだろう。ことごとく学校に行くのが嫌になって、死んでしまおうかと思ったくらい苦しい時期だった。
 
やがてその誤解は解け、クラスの女子たちは最低限の会話くらいはしてくれるようになった。私も悪いところがあったのだとは思うけど、この一件を境にクラスの女子たちのことは全く信用できなくなった。他のクラスの、仲が良かった子たちも全く私の味方はしてくれなかったところを見ると、日常的に私は嫌われていたのかもしれない。でももう中学3年の12月、高校受験は目前だった。
 
こんなことで潰されてたまるかと思っていた。成績は悪い方じゃなかったけど内申点が今ひとつ振るわなかった私は都立高校は受けないと決め、第一志望校は私立の女子校に絞っていた。ここまで来たら別に中学の誰とも仲良くなれなくたって構わない、とことん勉強して冬期講習で追い込んで志望校に合格してやるよと思っていた。
 
冬休みになり、ほぼ塾通い一色の年末年始となり、年が明けて1月となった。私は5つの高校に願書を出した。
2月4日にお試し受験で受けた埼玉のミッションスクールは合格した。次は14日にチャレンジ校の国立の高校が控えていた。私はこの学校は自分には合わないし偏差値も届いてなかったから無理と思っていたけど、両親、特に父がどうしても受けろと言うので渋々願書を出したところだった。模試の合格可能性も低く、当日何を訊かれているのかさっぱりわからない数学の問題を見て「あ、だめだこりゃ」と思ったし、手応えのないまま不合格だった。
 
別にいいもん落ちたって。すべり止めは受かっているし、第一志望は2月18日だからそこに焦点を合わせればいいし。そうは思ったけど、さすがに父に「落ちたのか、しょうがないな」と吐き捨てるように言われたのは悔しかった。しょうがないのはこっちのセリフでしょうが。受けなくてもいいところを無理に願書出させたからこうなったんじゃん! そう言いたいのを我慢して18日の本命に向けて暗記ものの最終確認をしていた。でも私の感情はやはり普通ではなく、気がつくと涙が溢れていた。無理と分かっていても不合格は嫌なものだ。だったら初めから受けない方がどれだけ楽だったかと思う。しゃくり上げながら「絶対に受かってやる」と、私は国語の文学史をおさらいするのだった。
 
受験の前日は雪が降っていた。
「明日受験なのに、嫌だね」
「学校まではずっと坂道だから、道が凍って転ぶかもよ。気をつけて歩かないと」
「電車とか、混みそうだよね」
「雪の次の日だからダイヤが乱れると思うし、うんと早く行かないと」
そんな会話を母とした。そして2月18日の朝が来た。
しかし、しかし、そんな時に限って、なんで入試の日の朝に、お腹が痛くなるんだろう。
 
ティーンエイジャーはまだ身体が成熟していないせいか、私は年に1回くらい生理が始まる時に激痛を伴うことがあった。安静にしていれば治るけど、それがよりによって人生を左右するであろう高校受験の日の朝に痛くなるとは。ばかやろう。私は自分ではコントロールの効かない身体を呪った。
 
「お母さん、どうしよう」
「痛くて動けなかったら休むしかないよね。今日はどうする? 行く? それとも受験するのやめる?」
「行く! 絶対に、行く!」
 
絶対に今日は受験する。受験しないといけない。この学校を第一志望校にしようと決めたのは、12月の冬期講習だった。塾のチューターの、とても綺麗なお姉さんがこの学校の出身で、そのままエスカレーターで大学に上がってアルバイトをしていたのだった。このお姉さんのように生き生きと過ごしたい、過去とは縁を切ってちゃんとした高校生活を送りたい。その一心で暮れも正月も勉強勉強また勉強、勉強好きじゃない私が集中して過去問を繰り返し解いて勉強したのだった。それがこんなことになるとは。原因は14日の不合格に違いないと思っていた。あれで感情が乱れたからホルモンバランスが狂ったとしか思えない。クソ! こんなことでダメになってたまるかよ。今日は這ってでも入試に行くんだから。
 
母は温湿布を持ってきてくれて、薬を飲ませてくれた。まだ朝の6時前だったからそのまま少し横になり、痛みが引いてきたところで支度をして母と一緒に出かけた。12月に急遽受験すると決めた学校だったから説明会だって文化祭だって行ってないし、願書も母に出してきてもらったからこの日に初めて行く。どんなところだろう。ぶっつけ本番で受験に臨む、しかもベストコンディションではないのに。今振り返れば大した度胸だったと思う。
 
高校の最寄り駅に着いた。駅が一番低い場所にあり、周りは山を切り開いた地形だったため、高校までは延々と坂道を登っていく。前日の雪が溶けてびしょびしょになっていた。15分くらい坂道を登ると高校の正門が見えた。そこからさらに5分ほど山を登ったところに校舎がある。
 
正門から校舎に行くまでの道もとても美しい風景だった。山の自然が両脇にあって、そこに雪が積もって朝日があたり、きらきらと溶けていく様は芸術のようだった。道も広く歩きやすい。よく見ると用務員の方が遠くで融雪剤を撒いている。
「今日が入試だから、駅からああやって融雪剤を撒いて、受験生が歩きやすいようにしてくれたんでしょうね」
母はそう言って感心していた。さすがの心遣いである。駅からずっとここまで皆が歩きやすいように心配りをしてくれているなんて優しい学校だ。ここを受けることにしたのは正解だった。今日頑張ってここまでやって来て、入試のスタートラインに立てたことを心からよかったと思った。あとは私がどこまで頑張れるかだ。
 
「じゃ、行ってらっしゃい」
「行ってきます」
「終わる頃に待ってるから」
 
母と玄関で別れ、受験番号別の会場に入る。ここからは、たった1人になる。
9時になり試験開始となった。1時間目は英語だ。ざっと眺めて解き始める。
(これなら、いけそうかも)
続いて2時間目の数学、3時間目の国語と進んでいった。午後の面接ではちょっとだけ謙譲語を使って話したら面接官の先生が「ほう」という表情をしていた。よし、いい感じかも。手応えがある時はなんとなくわかるものだ。そこからなんとなく空気も和み、リラックスしたまま第一志望校の受験は終わった。保護者待機場所の体育館に向かうと、母が編み物をしながら待っていてくれた。
 
「終わったよ」
「どうだった? お腹は? 痛くならなかった?」
「うん、大丈夫だった」
「よかったね」
 
そのまま母と、もと来た坂道を駅まで下って行った。朝あんなに積もっていた雪はすっかり溶けていた。朝からのことを思ったら、無事に受験ができたことが奇跡のように思えた。
 
翌日の2月19日は共学の高校を受験する予定だったけどここは本命ではなかったのと、既に埼玉の学校に受かっていたし、またお腹が痛くなるといけないので大事をとって休んだ。
その次の20日の午前は都内の女子校の受験があって、午後に第一志望校の合格発表があった。午前中の受験が終わったその足で母と私は第一志望の発表を見に行った。坂道をまた登って、山の景色を見ながら校舎の前にたどり着く。恐る恐る掲示板を見た。
 
「……あった!」
「あったあった、よかったね」
 
母がこんなに喜んでくれたのは初めて見たような気がした。あまり感情を表に出さない母が、やった! やったねと私と一緒になって言いながら喜んでくれている。入学手続きに必要な書類をもらって坂道を降り、駅まで降りてきた。
 
「なんか、疲れたね。何か食べようか?」
「うん」
母がそんなことをいうのは珍しかった。私たちは高校の最寄り駅の前にある喫茶店に入った。
「何が食べたい? なんでも好きなもの食べていいよ」
そう言われたのも初めてだったかもしれない。なぜかというと、私と3歳違いの弟が身体が弱く、母は弟の面倒を見ることにかかりきりになっていたからだ。姉の私は特に問題がないのでいつも後回しだったけど、それを特に不満に思ったことはなかった。ただ、高校入試という特別な時に、こうして「なんでも好きなもの食べていいよ」なんて言ってくれるとも思っていなかったから、びっくりもしたし嬉しかったのだ。
「そしたら……、チョコレートパフェにしようかな」
「いいよ、食べなさいよ」
運ばれてきたチョコレートパフェはコーンフレークやポッキーが入っていて、生クリームやアイスクリームがたっぷりと入っていた。私はゆっくりとそれを味わった。
 
それから何年もの歳月が流れた。
私はその高校からエスカレーターで大学へ上がり、そこでたくさんの知己を得た。その幅広い友人知人たちとのお付き合いは未だもって続いている。つくづくあの2月18日こそ、運命を分けた日であったと思う。もしもあの時、挫けて大事をとって受験をしなかったなら、今の私の生活は確実に違うものになっていたはずだから。
 
合格発表の日に食べたこの上なく甘いチョコの味と、チョコレートパフェをスプーンですくって食べている私を見つめている母の笑顔は、いつまでも記憶の残像となっている。それは長い長い一日の戦いの末に勝ち取った、甘い記憶なのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
河瀬佳代子(かわせ かよこ)

2019年8月天狼院書店ライティング・ゼミに参加、2020年3月同ライターズ倶楽部参加。同年9月天狼院書店ライターズ倶楽部「READING LIFE編集部」公認ライター。「Web READING LIFE」にて、湘南地域を中心に神奈川県内の生産者を取材した「魂の生産者に訊く!」http://tenro-in.com/manufacturer_soul 、「『横浜中華街の中の人』がこっそり通う、とっておきの店めぐり!」 https://tenro-in.com/category/yokohana-chuka/  連載中。

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2022-11-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.195

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