週刊READING LIFE vol.197

求愛の歌は祖母との思い出の音《週刊READING LIFE Vol.197 この「音」が好き!》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2022/12/12/公開
記事:小田恵理香(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
「さすがにもう、聞こえないか」
 
保育園から家までの息子と歩く帰り道。
途中にある茂みからはいつも虫の音が聞こえていた。
だがついに
『リリリ』
とこの前まで聞こえていた虫の音も、冬将軍の到来とともにすっかり聞こえなくなってしまった。
息子と歩く保育園帰りの夕暮れの道は、よく耳を澄ませてみると冬以外は案外虫が鳴いていることを感じる。
春は
『ジー』
と鳴くクビキリギリスの声。
夏は
『ミンミン』
と鳴くセミの声。
そして秋は実に賑やかである。
コオロギ、マツムシ、キリギリス、スズムシ。
『リンリン』『チリチリ』『ガチャガチャ』
ざっと秋に鳴く虫の種類を調べただけでも20種類はあった。
秋に関しては虫たちだけで一つのオーケストラを結成できてしまうのではないかと思うぐらいだ。
 
私は虫嫌いではない。
虫は平気で触れる方だし、それ故にむしろ虫退治に駆り出されるタイプの人間だ。
虫の音に関しては季節を感じるから心地良い。
私が断然好きなのはスズムシの
『リーン、リーン』
と言う風鈴のような鳴き声。
この鳴き声はスズムシの雄しか奏でることができない。
雌を誘い、自分の子孫を残すため必死に求愛している。
スズムシが求愛のために奏でる、まるで風鈴のような優しい音。
歌人、正岡子規も
“鈴虫や 土手の向こうは 相模灘”
と句を詠んでいる。
8月中頃、お盆も過ぎて少し暑さが和らいだかなと言う頃に聞こえてくるこの音は、私にとって楽しい思い出がたくさん詰まっている。
 
私は小さい頃祖父母と一緒に住んでいた。
祖母は植物や動物が大好きで、家にはたくさんの植物や生き物がいた。
私は祖母について回り、一緒に世話を手伝う。
大好きな祖母と過ごす心地の良い時間。
その祖母が特にかわいがっていたのがスズムシだった。
スズムシは一般的に8月の中旬、お盆を過ぎたあたりから鳴き始めるのだが、祖母が育てるスズムシたちは少し早く、いつも7月の後半あたりから鳴き始める。
ちょうど実家の近くにある住吉大社という神社の夏祭りが始まる頃だ。
近所に住んでいるとそこまでなんとも偉大だと思わなかったのだが、実は日本全国にある約2300社の総本社。
摂津国の一宮という社格になっていて、昭和21年までは官弊大社として位置付けられていたような大それた神社だ。
とはいえ、近所に住む私たちは
「住吉さん」
とまるでご近所さんのように気軽に呼んでいた。
そんな住吉大社の夏祭りは3日間たくさんの屋台が立ち並ぶ。
沿線の電車は超満員電車になるぐらいに遠方からも人がたくさん来ていた。
「住吉さん、いこか」
と、この祭りの期間は祖父が私たちを住吉大社へ連れ出し、くじ引きや金魚すくい、わなげやかき氷などの屋台を一緒に楽しんでいた。
毎年来る夏の風物詩。
祖母が育てるスズムシ達ははそんな夏を告げてくれる案内人となっていた。
 
だが儚いことにスズムシの成虫は長く生きることはできない。
成長を遂げたスズムシは4カ月しかこの世にいることができないのだ。
スズムシの寿命自体は卵が孵化してから約4カ月、成虫で生きられる期間は1~2カ月間と言われている。
秋が近づくにつれて、だんだんと鳴き声は次第に弱くなっていきその生涯を終える。
成虫になってから2カ月かけ、自分の子孫を残すため、雄は一生懸命に雌に求愛し自分の子孫を残す。
ホームセンターなんかに行くと普通に売られているが、実際は翌年も飼育を楽しもうと思えば人工的に産卵・繁殖させなければならない。
10月、雌が死んでしまうと卵を産んだ合図。
その期間卵を孵化させるため、カビが生えない程度に土を湿らせ、冬は何もせず暗所に保管しておく。
そして春になったらさらに暖かいところに場所を移し孵化するのを待つ。
まるで植物の発芽のように。
 
祖母はこのスズムシが残した卵を孵化させるのが上手だった。
これといって高級な土を使っていたというわけではなかったと思うし、特別高級な水を使っていたわけでもない。
何度か私は手伝っていたから覚えているのは、惜しみない愛情を込めていたことだった。
「見てみ。今年もたくさん産んでくれてるよ」
「どれどれ」
「ほら、この小さい黄色いやつ」
「あ、ほんまや」
「こんなにたくさん卵を産んでくれたから大事にしたげなね」
と祖母はたくさんの卵を残してくれた先代のスズムシたちに感謝し、翌年にむけての準備を始める。
残されたスズムシの死骸を丁寧に取り除き、減ってしまった土を補充し、そこに向かって霧吹きで水を優しく吹き付ける。
むやみやたらに触らず、かといってまるっきり放置することはせず。
冬は寒すぎると土が凍ってしまい、せっかくの卵が駄目になってしまうので比較的暖かい、あまり温度の変化のない物置に置いていた。
「ばーちゃん、スズムシまだかな?」
「スズムシさんたちが出てくるのは春の終わりやね」
「ゴールデンウィークぐらいかな?」
「そうだね。元気に出ておいでね」
「待ってるよ」
孵化するまではそんな会話をしながら祖母とじーっと虫篭を見つめていた。
子供心にスズムシはいつ孵るんだろうかと楽しみで仕方なかった。
 
そうして春を迎え、桜が完全に散り始めた頃。
「卵、孵ったよ」
「わ! 見たい!」
真っ先にスズムシの虫篭に直行する。
孵化したてのスズムシは、あの美しい音を出す立派な羽はまだない。
例えるなら触角が長めの小さなアリだ。
「今年もたくさん孵ってくれたね。ありがたいね」
祖母は毎年そう微笑んでいた。
こうして祖母の愛情をたっぷりと注がれたスズムシたちの卵は、それに答えるかのように大量に孵化し、毎年配り歩くほどの量が孵っていた。
数にすると大きい虫篭は5つになっていた。
その多さに私も同級生に分けたことがあるぐらいだった。
スズムシが孵ると、固形の餌と水、茄子を用意して与える。
時々祖母と茄子を買いに八百屋へ出かけた。
この時期に茄子を買いに行くと八百屋の店主も
「今年も孵ったんだね!」
とスズムシの孵化を喜んでくれた。
家へ帰り、買った茄子を切るのが祖母の仕事。
包丁がまだうまく使えない私は切った茄子を竹串に刺すのを手伝っていた。
「いっぱいお食べよ」
と土に刺してほほ笑む祖母。
はらぺこのスズムシたちも餌がやってくると我先にと飛んでくる。
「たくさんあるから、けんかしないようにね」
翌日見ると毎度のようにしっかりと食事した跡があった。
そんな日々を2カ月ほど繰り返す。
たくさん食べ、成虫へと成長していく。
するとようやく
『リーン、リーン』
とあの音が聞こえるようになる。
鳴き始めると、もう住吉さんのお祭りの季節。
それはいつしか欠かせない音となっていた。
祖母が施設に入るまで、スズムシは毎年のように風鈴のような優しい音を聞かせてくれていた。
 
 
最期に祖母に会ったのは息子がまだお腹にいた頃。
「スズムシ、今年も卵残してくれたんやね」
「そうやねん。今年も残してくれたよ」
年と持病もあってか、昔はたくさんあった虫篭も管理が大変だからと中ぐらいの虫篭1つに数を減らしていた。
「この子、9月頭に出てくるみたい」
「そうかそうか。この子はスズムシの音、今年は聞けないかもねぇ」
「早く聞きたいから早く出てくるかもよ」
「ふふ。ばあちゃんも会えるの楽しみやわ」
そんな会話をしていたが、祖母と息子が会うことは叶わなかった。
 
祖母は元々病気がちな人だった。
片方の肺は手術をしていたし、くも膜下出血で生死を彷徨ったこともある。
その後は色々な後遺症にも悩まされていた。
住吉さんに一緒に行くことがなかったのも、祖母の体調を考えてのことだった。
近年は徐々に認知症も発症していた。
週に何日かはヘルパーさんのお世話になっていたし、家の中のものを自分の記憶なくひっくり返すようにもなってしまっていた。
両親とは、そろそろ施設に入所することも検討しなければと話していたほどだ。
次の検診で実家に帰った時にまた祖母に会えるかなと思っていたが、その間祖母は体調を崩して入院し、退院後はそのまま施設に入所することになった。
「迷惑をかけたくないから入れるなら施設に入りたい」
祖母が希望したことだった。
コロナウイルスの関係もあって入院中は面会もできず、入所することになった施設も面会禁止となって祖母とは会えていない。
孵化を待っていたスズムシは手入れをする人がいなくなってしまったからか、私が知っている限りこの年初めて孵らなかった。
 
卵から孵化し、成虫になり雄に生まれれば子孫を残すために求愛の歌を歌い子孫を残す。
スズムシの雄は役目を終えると同時にその命も終える。
雌も同じく産卵後にその命を終える。
地上にいられるのはたった4カ月。
だがその4カ月をスズムシたちは強くたくましく生きその一生を終える。
持病もあり、病気がちだった祖母はそんなスズムシたちを見て自分を重ねていたのだろうか。
“今この時間をしっかり生きる”と。
後悔のないように、自分が生きた証をしっかり残すために、必死に求愛の歌を歌う。
スズムシが奏でるこの求愛の歌は私にとっては祖母との思い出がたくさん詰まった大好きな音のひとつだ。
 
古くなった茄子を一緒に取り換える。
餌箱に固形の餌を入れる。
霧吹きで水を優しく吹きかける。
スズムシの餌を買いに行ったついでに、商店街の喫茶店でモンブランを食べる。
鳴くスズムシたちを祖母と一緒にただ眺めながら話をする。
物置に一緒にスズムシの虫篭を運ぶのを手伝う。
小さな虫が奏でる求愛の歌は、たくさんの楽しい時間を思い出させてくれる。
 
あれから2年。
まだ祖母の施設は面会が禁止されている。
2年近くも会っていないから認知症が進んでしまい、もしかしたら私のことは忘れてしまっているかもしれない。
外の世界に出てきた息子ともまだ会えていない。
そのことを思うと寂しい気がするが、スズムシの鳴き声を聞くとそんな祖母のことを思い出す。
祖母が孵し、他のところにいったスズムシたちも同じようにどこかで子孫を残し、そこでまた求愛の歌を歌っているのかなと思うとなんだか気持ちがほっこりする。
 
小さな息子も保育園や絵本の影響か虫に興味があるようだ。
虫たちの鳴き声が聞こえなくなった帰り道は、冷たい風が吹き始めた。
来年の夏はスズムシを家に迎えようか。
祖母ほどうまく育てることができないかもしれないけれど。
『リーン、リーン』
大好きな祖母との思い出が詰まったあの音をまた聞きたいから。
そんなことを考えながら息子と二人、家路を急いだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
小田恵理香(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

大阪生まれ大阪育ち。
2022年4月人生を変えるライティングゼミ受講。
2022年10月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部に加入。
病院で臨床検査技師として働く傍ら、CBLコーチングスクールでコーチングを学び、コーチとしてクライアントに寄り添う。
7つの習慣セルフコーチング認定コーチ。
スノーボードとB‘zをこよなく愛する一児の母でもある。

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2022-12-07 | Posted in 週刊READING LIFE vol.197

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