週刊READING LIFE vol.198

絶望は希望と隣り合わせにあるものかもしれないことを知った日《週刊READING LIFE Vol.198 希望と絶望》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/12/19/公開
記事:飯髙裕子(READING LIFEライターズ俱楽部)
 
 
「ママっ、パパが倒れたっ」
寝不足で、娘の声に慌てて起きた私の頭は朦朧としてなんだか事態がよく呑み込めなかった。
のろのろとキッチンを見ると、主人が換気扇のそばに座り込んでいる。
「どうしたの?」
「なんか力が入んなくなって……」
主人はそう答えると、這うようにして布団に潜り込み、寝てしまった。
 
なんか様子がおかしいと思ったものの、会社に行く時間が迫ってくる。
その時の私は、主人の様子に違和感を覚えるよりも、仕事に遅れることへの危機感のほうが大きかった。
結局私は、朝夜行バスで帰ってくる息子に詳細を伝え様子が変だったら連絡してと頼んで出勤してしまった。
まさかその後、思いもしない事態が訪れるとは予想していなかった。
ちょうど主人の誕生日の翌日だった。
 
 
会社について小一時間経った頃だったろうか? 息子から電話が入った。
「なんかパパ、明らかにおかしいから救急車呼んだよ。平成記念病院に運ばれた」
 
「えっ……」そのあとの言葉が出なかった。
 
どうやって病院まで行ったのかよく覚えていない。
 
病院に着くと、ICUの外の廊下に息子が座っていた。
「どんな感じ?」
「なんか、脳圧が高くなっててちょっと危ないって」
「帰ってからしばらくして起きたときろれつが回らない感じだったんだよ」
「脳梗塞だって」
 
朝起きたときに様子はおかしかった。救急車をそのとき呼んでいたら……。
ふいに昨晩の主人とのやり取りを思い出して胸が痛くなった。
 
娘が4人で食べようと買ってきたお菓子のことで、私は主人にきつい言葉を投げかけたのだった。
あの時もう具合が悪かったのかな……。
冷たい待合の廊下は寒さをより感じさせた。
長い時間が経ったように感じた。
幸いそのあと治療の効果が出たのか、ICUから出てきた主人は意識もあって会話もできるようだった。
義父も義母も慌てて駆け付けていたが、ほっとした様子だった。
けれど、担当医の言葉はシビアなものだった。
 
「脳梗塞を起こしてからの時間が結構長く、左半身にマヒが残ってしまうと思います。リハビリである程度は、回復すると思いますが完全に戻るとは保証できません」
 
真っ先に頭に浮かんだのは、これからの生活のことだった。
まだ息子も娘も学生だった。私はしがない派遣社員だ。
主人が働くことができなくなれば生活を支えていた収入がなくなるという事態がすぐにやってくる
どうしようと絶望的な気持ちになった。
助かってよかったという気持ちとは裏腹にとてつもない不安が押し寄せてきた。
こうなる前に気づけなかった自分にも責任があるような気がして、いろんな思いが頭の中をくるくるよぎった。
 
先の見えない真っ暗な闇の中にいるようだった。
今までこんな事態にあったことはなかったのだ。もちろん具合が悪くなることはあっても、すぐに回復するような程度の病気だった。
自分の人生の中で家族が病気で動けなくなるなんて想像したこともなかった。
健康が当たり前のことのように感じていた。
これから先の生活の不安に押しつぶされそうだった。
もやもやと先の見えない不安に気持ちが落ち込んでいた私に母はこう言った。
 
「病人は病院にお任せして、あなたは生活するためにとにかく働きなさい」
 
はっとした。
 
そうだ。私が今できることは子供たちと自分が生きていくための生活を維持することだ。
落ち込んでいる暇はなかった。
 
病院は3か月ほどの入院を見込んでいたようだったが、リハビリを考えて結局5か月ほど主人は病院にいることになった。
私はと言えば、会社の仕事以外に週末だけできる仕事を探し、働き始めた。
体は疲れ果てていたが毎日がどんどん過ぎていくようだった。
忙しくしていると、あまり考える時間もなかったし、子供たちのことを考えると最初の絶望的な暗い気持ちは知らないうちに薄らいでいた。
子供たちも、自分の置かれた状況を何となく理解し、協力的だった。
何より子供たちが今まで通り明るかったことが救いだった。
今までの生活を見直して、お金にできるものはいろいろ処分した。
それまでと違って、自分の気持ちに迷いはなかった。
楽ではなかったけれど、苦しさは不思議となかった。
 
主人が退院する頃、義母が私のことを思って、「しばらくうちで預かるから」と言ってくれた。
 
ありがたかった。
会社のほうも、課長が契約社員になれるよう試験を受けることを勧めてくれた。
それに受かれば、安定した月給制の社員として働くことができる。
いろんな人からの助けが身に染みた。
いつも一人で何とかしなければと思いがちな私に頼ることの必要さを教えてもらったような気がした。
そこからの一年は、私にとって絶望から希望の光が見えるまでのおそらく自分の人生で一番激動の時間だったように思う。
 
主人は、左半身にマヒが残ったものの、自分の身の回りのことはできるくらいに回復したし私は、無事試験に合格し、晴れて契約社員となった。
息子は、就職が決まり主人が倒れた一年後東京に旅立った。
娘も、同じころ大学に合格し新しい生活をスタートすることになった。
私たち家族は、なんとか絶望の淵から這い上がったように思えた。
少なくとも、最初に私の脳裏をよぎった最悪の事態は回避できたという気がしていた。
 
考えてみると、絶望とは、もうどうすることもできないような望みのない状態ということなのかもしれないけれど、そこには隣あわせに希望があるのかもしれないと思う。
絶望的な状態から、それ以上悪くなることが少ないなら、あとは良くなっていくことしかないからだ。
好きな言葉に「明けない夜はない」というのがある。
 
どんなに暗い闇もやがて朝になり光がさす。
闇は暗く長く永遠に続くように思いがちだけれど、本当はそうではなく、誰にも平等に朝が訪れる。
絶望に打ちひしがれて何もしないでいるのではなく、何かしら自分ができることを少しづつでも続けていくことで、希望の光は近づいてくるものなのかもしれない。
 
主人が倒れる数年前、私はヘルニアで動けなくなったことがあった。
それこそ人生の終わりのように暗い気持ちになり何日かは何も考えられなかった。
その時体が動かないことがどれだけ辛いか身に染みていたはずだった。
 
それを思うと、主人はその辛さをおそらく一生背負って生きていかなくてはならない。
多分、私の何倍も絶望的な気持ちを味わったはずである。
私だったらどうしただろう? 想像することはできなかった。
怖くて考えが先に進まなかった。
彼にそういう話をしたことはないけれど、きっと想像できない心の葛藤があったはずである。
それを自分の中で、折り合いをつけて一歩踏み出すのには、ずいぶん勇気がいることだっただろうなと思う。
それは決して一人ではできることではなく、周りのいろんな人たちの助けがあってのことである。
 
誰しも自分の人生は自分にしか生きられないから、どんな風に生きていくかは人それぞれである。でも、そこにはいつでも程度の差こそあれ、希望と絶望が見え隠れしている。
それを感じることができるのは、命あってこそのことである。
不幸中の幸いだったのかもしれないなという気がした。
義母の言う主人の祖母が守ってくれたという言葉があながち間違いではないような気がした。
主人は、若い頃にも事故で生死の境をさまよったことがあったからだ。
目には見えない不思議な力も実は人の人生を左右することがあるのかもしれない。
 
あれから10年、息子は結婚して孫がすくすくと育っている。
主人も私もその成長が楽しみであり、希望の光だ。命のエネルギーはとてつもない力を持っているものである。
娘も最近結婚して希望に満ちている。
その明るいエネルギーが周りの私たちを同じように幸せにしてくれる。
 
ふと、ギリシャ神話の「パンドラの箱」を思い出した。
パンドラが決して開けてはいけない箱のふたを開けたとき、中からあらゆる不幸が世界中に拡散してしまった。
慌てて閉めた箱の中に残されたのは、「希望」。
どんなに不幸な出来事や、絶望的なことが起きてもこの小さな希望がすべてを変えていく力になると昔この本を読んだときに感じたのだった。
まさに、私に起きたこともそういうことだったのかなと、今になって思う。
 
今まで数えきれないくらいいろんなことがあったけれど、はっきりわかることは、今自分も家族も生きているっていうこと。
それだけで希望はどこまでも無くなることはなく、ずっと続いていくものなのだろうと思う。
おそらくこれからも、驚くようなことはたくさん訪れる。
けれど、私にできることは、今をただ精いっぱい生きることだけだ。
それが、すべてを変えていく力になると信じているから。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325


■天狼院書店「シアターカフェ天狼院」

〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目8-1 WACCA池袋 4F
営業時間:
平日 11:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
電話:03−6812−1984


2022-12-14 | Posted in 週刊READING LIFE vol.198

関連記事