週刊READING LIFE vol.198

「体育会系の主将」は、なぜ就職活動で有利なのだろう。《週刊READING LIFE Vol.198 希望と絶望》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2022/12/19/公開
記事:西條みね子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
世の中の人事部の人、採用担当と言われる人は、なぜ、体育会系が好きなのだろう。
私が就職活動をした時代ほどではないと思うが、何らかのスポーツをやっていたという経歴があり、特に「主将」という文字が入っていたりすると、エントリーシートの価値がグッと上がり就職活動に有利である、というセオリーは今でも健在のようだ。
「努力や根性が鍛えられている」「上下関係を通して社会性が身についている」という理屈は理解できなくはない。が、スポーツに全く縁がなく、運動神経のカケラも持ち合わせていなかった私は、なぜそんなに体育会系がウケるのか、自分が受け入れ部署の担当として採用面談をする側になっても、しっくり来てはいなかった。
真の意味でその理由がわかったのは、自ら身をもって経験してからである。
 
社会人になって数年後、私は唐突に弓道を始めた。
20代の頃は仕事が忙しく、「自分がやりたいことをやる」ということを忘れていたが、30歳を過ぎ、これではいかん、とやりたいことの棚おろしを始めた。その中の一つが、弓道だったのである。
私は生粋の運動音痴で、スポーツと名の付くものはことごとく出来なかった。特に球技は壊滅的で、自分の身体も上手く扱えない上に道具が加わると目も当てられない。当然、出来もしなければ楽しくもない。スカッとするよ、と誘われてバッティングセンターに行けばオール三振で余計にストレスが溜まり、ボーリングではガーターを連発した挙句、両手投げという新技を編み出した。テニスやバドミントンではラリーが続かず、相手への申し訳なさのみが積もる。小学校時代のドッジボールは当然、外野専門である。
そんな私が弓道に興味を持ったのは、日本文化が好きだからだ。あの、道着に袴で弓を引く姿はカッコ良かった。弓道のことはよく知らないが、見る限り、反射神経や敏捷さが必要とされるわけではなさそうだ。対戦相手がいないので、痛かったり怖かったりすることもないだろう。ゆっくりした動作なら、自分でも頑張ればできる気がする。
かくして、私は弓道場の門をたたき、生まれて初めてスポーツ(正確には武道である)が身近な存在となったのだった。
 
「ゆっくりならイケるのではないか」という私の目論見は当たった。
弓道というのはパワーではなく、バランスの競技だ。あの長い弓を、腕の力で引いているように見えるが、実際に使っているのは腹筋と下半身である。つまり、弓を持つ手首から肘、肩、肩甲骨を通って腰から下の下半身へと骨と筋肉をうまく繋げ、全身を使うことで初めて「弓を引く」ことが出来る。
腕力やスピード、敏捷さといった一般的なスポーツに必要なスキルとは異なるため、運動音痴の私にも可能性があったのである。
私は弓道が大好きになり、毎週末、弓道場に通った。
決して上達の早い方ではなかったが、これまであまり「自分の身体を使う」という経験をしたことがなかったため、身体の使い方が着実に上達していく、という感覚は新鮮で楽しかった。
 
人並みのスピードで初段、弐段と昇段した私に異変が起きたのは、参段に合格してしばらく経った頃だった。
突然、ちゃんとした引き方がわからなくなってしまったのである。
きっかけは、引き方の指導中にある点を指摘され、自分なりに直そうとしたことだった。おそらく解釈を間違え、なんだか変な方向に行ってしまったのである。説明が難しいのだが、弓道は100%、バランスの競技だ。少しでも力の使い方や方向がブレると、矢はあさっての方向に飛んでいく。全身のバランスが均等に保たれている必要があり、つまりそれは1箇所がバランスを崩すと、反対側もバランスを崩し、連動して他の部分にも影響し、最終的に全身軒並み総崩れになる可能性があるのだ。傷が浅いうちに軌道修正ができれば良かった。が、当時の私は、「あれ?」「あれれ?」と試行錯誤するうちに深みにハマり、まさに総崩れの状態に陥ったのである。
どうしよう。なんか、全然、上手く引けなくなってしまった。どうしよう。
焦りから呼吸が浅くなり、全身に無駄な力が入る。すると余計に身体が固くなり、上手く引けなくなる。ああでもないこうでもないとこねくり回しているうちに何が何だかわからなくなり、ますます正解から遠ざかる。
激変した私を見て、先生方も慌て心配したが、私自身も泣きそうであった。が、泣いている場合ではない。私はありとあらゆる手をうち始めた。
まずは稽古時間を倍にした。週末だけでなく、平日の早朝に時間を捻り出し、とにかく自主練習の稽古をした。1ヶ月続けた頃、例に漏れず肩を壊し、整骨院送りとなったのは、この辛い日々の第一章に過ぎなかった。
周囲のありとあらゆる人、日頃習っていない先生にも聞きまくり、教えを乞うてみる。が、色んな人から色んなことを聞いて情報過多になり、ますます混乱に陥った。
道具も変えてみた。弓の強さを強くしてみたり弱くしてみたり、このメーカーの弽(ゆがけ。右手につける手袋のような弓具)が良い、と聞くと、翌日には弓具屋に走った。
結局は下半身なのではないか、との考えに至り、筋トレにも手をつけた。弓友たちはYoutubeでオススメの筋トレ動画を教えてくれた。
過去の弓道雑誌を7年分読み漁り、何かヒントがないか模索した。
こうしてもがくうちに、ナント、停滞したまま5年の月日が流れたのである。
その間、「軌道修正すればどうにか」レベルを通り越して、「本当の本当に初心者」レベルに戻ってしまったことを、自分自身が一番、わかっていた。
弓道の精神は「己との戦い」である。中国の古書「礼記」の中にある、「射義」という、弓の心得を記したものにも、「中(あた)らざるとき、則ち己に勝つ者を怨みず。反ってこれを己に求むるのみ」と書いてある。人は人、自分は自分、とは思っていたが、自分より後から始めた人がどんどん上達し、昇段していくのは流石に辛かった。自分の射形があまりに酷く、時には、初めて1年目の初心者の人の方がはるかにマシに思えた。「昔は出来たのに」という思いがさらに拍車をかけた。
一体、自分は何をやっているのだろう。
この5年間、あの手この手の試みをしてきたが、意味があったのだろうか。
何をやっても、戻ってこない。
そして、どうやったら戻れるのか、さっぱりわからないのである。
 
絶望的な状況に光が差したのは、苦節6年目に入った時のことである。
今となっては、何が決定打だったのかは、よくわからない。
が、風邪で2週間ほど稽古を休み、久々に復帰した私は、なぜか全身の力が程よく抜けているのを感じた。これまでずっと、ああでもないこうでもない、と思い詰めてきたが、しばらく弓道から離れていたことにより、固定概念や余計な考えが流され、「無」の気持ちで弓を引けたのかもしれない。余分な力が抜けたことにより、自然な筋骨の働きのみで素直に弓が引けたのか、「ああ、こうだった。こうして引くんだった」と僅かに手応えが感じられた。風が吹けば消えてしまう灯火のような、かすかな感覚だったが、とにかく、暗闇の中に小さな小さな灯りが見えた。
その、かすかな感覚を頼りに、這いつくばるようにして、正しい引き方に一歩一歩、近づいて行ったのだった。
 
今思い出しても、何がキーだったのかと問われたら、それまでの5年間でもがき、試し、試みたありとあらゆることが総合的に組み合わさり、2週間の休みをきっかけにピースがはまった、としか言いようがなかった。これをしたことが正解、というものではなく、歯車が噛み合うようにさまざまな要素がカチリとはまり、ゆっくりと回り始めたのである。
肩を壊したが、稽古量を倍増させてみたことは、「時間がない」を言い訳にせず、自分がどこまで頑張れるかがわかったという意味でも悪くなかった。時間を増やすだけではダメであり、稽古の品質が大事であることもわかった。
色んな人にアドバイスを求め、座学で知識を吸収したことは、結果として、歯車が噛み合った後の自分の糧にもなっている。当初、情報過多で混乱したのは、知ったことを鵜呑みにして、この人がこう言ったからこう、あの人がこう言ったからこう、と右往左往したからだ。基本を軸に、仕入れた知識を咀嚼し、時には取捨選択し、自分なりに解釈することで「持論」を組み立てていかなければならなかったのだ。
ありとあらゆる手を打ったが、総じて、「諦めずに試行錯誤し、その中から、基本に照らし合わせながら持論を組み立てていくこと」。上達とは、その一言に尽きる気がした。そして、絶望的な暗中模索の中でそれが続けられたのは、ひとえに「上手くなりたい」という思いだった。
 
はたと気づいた。
これは、会社に入ったばかりの新人が、仕事のやり方を覚えていく過程と、同じではないか……。
新人の頃を思い出した。当初、要領よく仕事が出来なかった私は、投下できるものが自らの時間しかなく、終電帰りを繰り返した結果、身体を壊すという新人お決まりのパターンを辿った。
自分の考えを持たず、先輩たちの言うことに右往左往して疲弊し、未熟でも何でも良いから「自分の軸」を持つことの重要性を知った。経験を振り返ることでその軸を強化し、「持論を組み立てる」ということこそが、仕事ができるようになるということだ、と理解したのは、社会人何年目のことだっただろうか。
そして、仕事が出来なくて絶望的な状況でも歯を食いしばって続けられたのは、ひとえに「出来るようになりたい」という思いだった。
体育会系の人、言い換えると、スポーツなどで何らかの挫折にぶつかり、悩み、もがき、試行錯誤をして立ち上がった人は、これを経験しているのだ。絶望の中でどのように動くのか、どのように自分を立て直していくか、どのように次に繋げていくか。そして、諦めずに行動し続けることが希望につながることを、知っているのだ。
「体育会系の主将」が、なぜ価値なのかを、私はようやく身をもって理解したのだった。
実際は、体育会系に限らず、吹奏楽や将棋など、実力差がはっきり分かり「上達」を必要とするものなら何でも良いのだろう。重要なのは、自分が「出来ない」状態という挫折を経験し、そこから這い上がる努力をしてきたか否かなのだ。
 
「こんなのを高校生とか大学生で経験してるなら、そりゃ人材として期待大だよなぁ」
スポーツはもちろん、これといった部活や習い事に身を置いたことがなく、ぬるい環境で育ってきた私は、キッチリ社会人になった後にそのツケを支払ってきたが、思いがけず、仕事のみならずプライベートの趣味でも追体験することになった。
が、気分は悪くなかった。
自分の実力に絶望しても、諦めずに行動することが希望に繋がるのだ、ということが、改めて腹落ちしたからだ。
 
「これまでホントに辛かったです……。でも、もう、今後、多少のスランプが来ても怖くないですよ、私」
弓道の先生にそう言った。私が最も底にいた時も、「1番大事なのは、諦めないことだ」と言ってくれた先生だった。
出来ることならもう、スランプにはお会いしたくないが、不幸にも再会したとしても、きっと、私は乗り越えることが出来るだろう。
絶望の底にいても希望に繋げられることを、私はもう知っているのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
西條みね子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

小学校時代に「永谷園」のふりかけに入っていた「浮世絵カード」を集め始め、渋い趣味の子供として子供時代を過ごす。
大人になってから日本趣味が加速。マンションの住宅をなんとか、日本建築に近づけられないか奮闘中。
趣味は盆栽。会社員です。

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2022-12-14 | Posted in 週刊READING LIFE vol.198

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