週刊READING LIFE vol.201

今見ておかないと無くなってしまう美術館ツアー《週刊READING LIFE Vol.201 年末年始のルーティン》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/1/23/公開
記事:杉村五帆(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
人は失って初めて大切なものに気づく。
家族や恋人など人間関係についてよくそう言われる。
 
モノや施設についても同様だ。例えば、ローカル線が営業不振で廃線になることが決まったり、老朽化した百貨店や遊園地などがなくなるというニュースを知ったとたん、閑古鳥が鳴いていた場所に大行列ができる。何かを喪失するという恐怖は、人を突き動かす。そして「こうなるのがわかっていたら、何度も行くべきだった。もっと見るべきだったのに」という後悔にとらわれる。それは誰しも覚えがあるのではないだろうか。
 
実は、アートについても同じことが言える。ここ数年で閉館や長期休業をする美術館が増えているのだ。
 
ここでは2022~2023年の年末年始にかけて私が行った「今見ておかないと無くなってしまう」をテーマとした美術館ツアーを皆さんにシェアしたい。私の趣味は美術鑑賞だ。実は年末年始にピッタリなのが、美術館めぐりであり、私の毎年のルーティンとなっている。
 
ところで、美術館というと「アートを展示している場所」というシンプルなイメージを持ってはいないだろうか。実はそこにあるアート一つ一つは世界で唯一の品であり、学芸員たちによって厳選されたものだ。
 
作る側へと立場を変えれば、「美術館で展示されること」はアーティストたちにとって最終目標の一つであり、それに向かって彼らは魂のレベルで粉骨砕身し、日々作品と向かい合っている。しのぎを削って狭き門への入場を許された作品による集合体、それが美術館だ。
 
わかりやすく美術館を食に例えるなら、スープの配合が絶妙な職人技のつけ麺店、震えるほど彩りとセンスのよい料理を楽しめるイタリアンや懐かしいお袋の味を見事に再現した小料理屋など「世界中でここでしか食べられない」そんなハイレベルな料理店が集まった夢のようなフードコートであろう。
 
さらに一回入場料を払って入ってしまえば、あとはどこへ行って何を見ようと自由。実際のレストランでは、食べ続ければお腹がいっぱいになるが、アートを見過ぎたからといってお腹がはち切れることはない。無限に心ゆくまで楽しむことができるのが特徴だ。そんな極上のフードコートが閉店するかもしれないとなれば、きっと翌日に駆けつけたくなるだろう。
 
しかし、何も年末年始を選ばなくてもよいのではと思われるかもしれない。理由は、会社勤めをしていたサラリーマン時代にさかのぼる。美術展へ行きたいと思っても、開館時間はだいたい朝10時から17時頃までが通常だから勤務時間と重なっている。さらに土日は混んでおり、とても足を向けることはできなかった。
 
年末年始はどこも閉まっているという思い込みがあるが、開いている美術館は存在している。特にこの時期にわざわざ美術を見ようという人は多くないため、比較的ゆっくり鑑賞ができるのがメリットだ。
 
私がたてたツアースケジュールはこうだった(東京在住のため、関東中心となっていることをお詫びする)。毎年、ルーティンとして何気なく美術館を選んでいたが、休館する美術館を中心に慎重に選んだ。
 
12月30日
三菱一号館美術館(東京・丸の内)
2023年4月~2024年秋まで修繕工事のため休館
 
12月31日
Bunkamura ザ・ミュージアム(東京・渋谷)
2023年4月~2027年まで建て直しのため休館
 
1月1日
横浜そごう美術館(神奈川・横浜)
アメリカの投資ファンドへの売却が決定
 
1月2日
東京国立博物館(東京・上野)
国宝を見て変わらないものがあるという安心感を取り戻すためにチョイス
 
私には大学時代からつきあいのあるアート好きな友人がいて、たまに美術館へ行くことがある。アートの仕事をしているせいで、誰かと一緒に行くと感想を求められることがあり、それが正直言うと辛い。彼女とはお互い好きなことを言い合うことができ、自然体でいられるので楽なのだ。彼女が最終日の1月2日にジョインしてくれることになった。
 
「そんなに危機感を持たなくてもアートは永遠になくならないのでは」と思う方もいるだろう。
 
アートという概念は永遠かもしれない。しかし、物質として見た時、絵画は紙や布に描かれているし、彫刻は石や木でできている。これらは、厳重に保管されなければ時を経るごとに朽ちていく素材である。さらにアートをとりまく環境がこのところ変化しているのだ。
 
特に2022年はそれを痛感した年だった。
 
一つ目はロシアのエルミタージュ美術館へ行けなくなったことだ。この美術館は、ルーブル、メトロポリタンと並び世界三大美術館と呼ばれ、所有作品数は300万点に上る。
 
私は、エルミタージュ美術館に長年憧れていたが、一度も行ったことがない。ロシアとウクライナとの戦争がはじまる前、無理をすれば何度も機会があった。しかし、先延ばしをしているうちに結局行けなくなってしまった。次にエルミタージュへ行ける日は、いつ来るのだろう?
 
アートにあまり関心がない方でも、そう考えれば「行っておくべきだった!」と後悔で胸がいっぱいになるのではないだろうか。
 
二つ目は、ヨーロッパで起きているアートテロの問題だ。環境活動家が、気候変動問題への関心を集めようと芸術作品を襲う事件が続発している。大きなニュースとなったのは、ロンドンの美術館でゴッホのひまわりにトマトスープが投げつけられこと、ウィーンの美術館でクリムトの作品に黒い液体がかけられたことなどだ。
 
いずれもガラスに守られたため損傷は額縁にとどまったと発表されているが、美術品は永遠に存在するわけではないという事実を知らしめた事件だった。
 
さらに国内の美術館を取り巻く経済的な事情がある。日本では、バブル経済が到来した1980~90年代に相次いで美術館が開館した。多くの西洋絵画が欧米から購入されて展示され、世界のアート界から一目置かれる存在になった。しかし、バブル崩壊後は財政難から多くの美術館がラッシュのように閉館し、絵画が再び海外へと売られていった。
 
リーマンショックの影響でもいくつかの美術館が閉館したが、コロナ禍でも同じことが起きている。例えば、現代アートの顔であった品川の原美術館(群馬へ移転)、2023年には、星の王子様美術館の閉館が決まっている。
 
そもそも美術館の運営母体には、大きく3種類ある。
 
一つ目は、国や県によって運営されている公共美術館である。例えば、国立西洋美術館や東京都立美術館、区立美術館などだ。この年末年始は日本の官公庁と同じように仕事納めが、1月28日、仕事始めが1月3日なのでツアーの対象にはできなかった。
 
その代わり、週末は20時まで開いていたり、国民の祝日に入館が無料になることがあるのでチェックする価値がある。今回のツアーでいえば、東京国立博物館がこのカテゴリーにあたる。
 
二つ目は、一般財団法人や公益財団法人による美術館である。今回のツアーのなかでは、そごう美術館が一般財団法人によって運営されている。
 
大企業の創業者一族などの超富裕層の場合、コレクションを収蔵する目的で美術館の公益財団法人を設立するケースも多い。
 
有名なところでは、ブリヂストンの創業者である石橋一族のコレクションを所蔵するアーティゾン美術館、東急系の五島美術館、ポーラ美術振興財団によるポーラ美術館がそうだ。
 
三つ目が、株式会社による運営だ。ツアーに選んだ三菱一号館美術館は三菱地所株式会社、Bunkamura ザ・ミュージアムは、株式会社東急文化村によって経営されている。
 
その他にも六本木の森美術館は、森ビル株式会社、瀬戸内海のアートエリアとして有名な直島は、ベネッセホールディングスが100%出資している株式会社直島文化村が管理している。
 
アート作品の未来は、所蔵している運営母体の行方と一体だと言っても過言ではない。アート単体では、収益構造を成り立たせることができないため、組織など何かの庇護を受けないと存在し続けることができない。
 
つまり母体側の事情で昨日まで鑑賞できた絵画が今日鑑賞できなくなる可能性がある。これが私がアートにこだわる理由である。
 
さて、ツアーでまわった美術館について紹介しよう。
 
12月30日に訪ねた三菱一号館美術館は、レンガ造りの建物が印象的だ。三菱地所によって丸の内初の洋風貸事務所として明治時代に建てられた旧三菱一号館が復元されたものである。
 
常設展示で見ていただきたい一枚は、フランスを代表する画家・ルドンの「グラン・ブーケ」だ。パステル画で、本国でもこれほど大きな作品を見ることはできないのではないだろうか。
 
画家になった当初は、暗い絵ばかりを描いていたルドンだが、家族の存在により心の持ち方が明るく変わっていった。その後期の代表作だ。
 
もう一つこの美術館のすばらしい特徴は、建物を取り囲むガーデンだ。春と秋には、さまざまな種類のバラが咲き乱れ、レンガ造りの美術館とあいまってヨーロッパへ来たような気持ちにさせてくれる。
 
周囲にレストランはあるが、私のおすすめは美術館のわきのベーカリーで買ったパンとコーヒーを庭のベンチでいただくこと。「どうぞ座って休んでください」と語りかけてくるような空間設計なのだ。
 
アート鑑賞のあと、ここでぼーっとするのが好きだった。当日は天気がよい日だったので、しばらく座って別れを惜しむことができた。
 
大晦日は渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムへ足を運んだ。1989年にオープンしたこの美術館は、併設の東急百貨店の建て直しにともなって約4年の休館が決まっている。
 
ここでは、少しとんがった展示をいつも楽しませてもらった。例えば、今回は60年代にファッション界に革命を起こした「マリー・クワント展」が行われていた。最後の展示としては、2月から「マリー・ローランサンとモード展」が予定されている。
 
ギャラリースペースも見逃せない。ギャラリーは入りにくいところが多いが、ガラス張りで外から見て興味がわいたらフラッとなかに入ることができる。有名な画家の個展が行われていることも多い。こちらも閉館が決まっているので美術館に行かれたら必見だ。
 
元旦にうかがったのは、そごう美術館だ。1985年からそごう横浜店に存在している。かつて日本の百貨店では集客の一手段として、館内に美術館を持つことがブームになった。
 
西武、小田急、京王、三越などで高品質な展覧会を見ることができたものだ。しかし、その多くは閉館した。そごうも奈良そごう、千葉そごうに美術館を開館させていたが、財政難で閉じ、今は横浜店に残るだけなのだ。
 
さらに、そごうの経営自体が大きな変わり目にある。昨年末に親会社のセブン&アイ・ホールディングスがそごうを米投資ファンドに売却することが発表された。家電量販店大手のヨドバシホールディングスがそごう横浜店に新たな店舗の出店を考えているという噂もある。
 
私は経済のプロではないので先行きは全くわからないのだが、そごう美術館へは行けるときに行ったほうがいいと個人的に考えたうえでの今回の選択であった。
 
同館は、日本のアーティストをジャンルにとらわれることなく、わかりやすく紹介してくれ、そこから得た学びは数知れない。
 
1月末まで行われている日本三大女流画家の一人である「片岡球子展」は、代表作からあまり知られないない作品までを各地から集めていることに感心した。美術館の存続を切に願って帰途についた。
 
さて、1月2日に友人と上野駅で待ち合わせて向かったのは、東京国立博物館だ。博物館といっても有名な日本画も所蔵されている。ここでは毎年お正月に「博物館に初詣」と題して選りすぐった国宝が時期限定で展示するのが恒例なのだ。
 
今年は、江戸時代の絵師・長谷川等伯の松林図屛風(しょうりんずびょうぶ)が公開されていた。アーティストや美術ビジネスのプロたちから崇められるお宝の一つである。その魅力は、「見れば見るほどリアルに心に迫ってくる写実性にある」と知人の画家が語っていた。
 
私も彼女も何度もこの絵を見ているが、確かにその通りで最近では松林を抜ける風さえ感じるようになった。
 
これまではここに来ればいつでも国宝や重要文化財を見ることができると思っていた。厳重に管理されるため失われる可能性は低いだろうと。しかし、このきな臭い世の中で「絶対」ということはあり得ない。アートとの出逢いは、一期一会なのだ。
 
見終わってそんな感想を友人に話し終わったとき、「あのね」と彼女が切り出した。
 
「旦那の転勤で、この春にシンガポールに引っ越すことになったんだ」
 
「ええ、そうなの? むこうは美術館あるの?」
 
「日本ほどないみたい。等伯もしばらく見られないかな……」
 
アートが見られなくなる背景として、美術品や美術館がなくなってしまうことばかり考えていたが、見る側の環境の変化によるものという三つ目の理由があることに気づいた。
 
それでますます強く確信した。やはり、アートは見られるときに見ておかなければ。
 
幸いにも長い休館期間を経て2023年に再び開館する美術館が全国にある。川崎市岡本太郎美術館、東京富士美術館、大阪市立東洋陶磁美術館、広島市現代美術館、立命館大学国際平和ミュージアムなどだ。
 
美術を見ることは、「あの時のあれ、おいしかったな」と記憶に残った味を思い出して楽しむ幸せに似ている。公園や町の景色、スーパーの果物、出会った人物を見て、ふとどこかで見た絵画がよみがえることはないだろうか。アートを見続けて心にストックがたまるほどその回数は増え、そのようにして目の前の現実がさらに彩りや深みを増し、豊かな思い出として定着していった経験が私にはある。
 
こう考えると、アートは人生の伴走者なのだと思う。年末年始のルーティンとして美術館ツアーは今年も続けるつもりだが、それ以外にも時間があればできる限り美術館へ足を運びたいと改めて願いを新たにした2023年の年初であった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
杉村五帆(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

VOICE OF ART代表。30年近く一般企業の社員として勤務。アートディーラー加藤昌孝氏との出会いをきっかけに40代でアートビジネスの道へ進む。加藤氏の富裕層を顧客としたレンブラントやモネの絵画取引、真贋問題についての講演会をシリーズで主催し、Kindleを出版。美術館、画廊、画家、絵画コレクターなどアート作品の価値とシビアに向き合うプロたちによる講演の主催、自身も幼少期より芸術に親しむなかで身に着けた知識を生かし、「対話型芸術鑑賞」という新しいかたちで絵画とクラシック音楽の講師を務める。アートがもたらす知的好奇心と創造性の喚起、人生とビジネスへ与える好影響について日々探究している。

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2023-01-18 | Posted in 週刊READING LIFE vol.201

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