週刊READING LIFE vol.201

仕事の愚痴で父を説得した《週刊READING LIFE Vol.201》

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2022/1/23/公開
記事:山田 隆志(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
今年は実家に帰るのが少ない気がした。もっぱら東京で遊ぶとか用事を済ますためがほとんどでもはやホテル代わりにしている。親不孝とよばれそうだが、大人になったら親子の関係はドライになっていくものかもしれない。
 
親とのんびりと旅行に行ったのは6月に銚子の犬吠埼灯台に行ったのが最後であり、家族全員が伸び伸びと羽を伸ばすことができたのだが、なんとなく父の衰えを感じずにはいられなかった。父も75歳を越えると家族で旅行をするのも堪えるのだろう。
 
そんなことをあえて考えてしまうとは、今にして思えばなんとなく良くないことが起こる前触れだったのかもしれない。

 

 

 

あれからほんの1か月も経たないうちに、母から1本のメールがやってきた。あの超が付くメカ音痴の母がようやくメールを使うことができるようになったかと感心しながらも、まさか「最近どうなの?」といったメールをわざわざするわけないよなと思いながら、メールを開いてみた。
 
「お父さんが倒れて救急車に運ばれたの……」
 
旅行の時もなんとなく調子悪そうだったが、まさか1月も経たないうちに倒れて入院するなんて思ってもみなかった。
 
私にとって死は幻想であった。自分が死ぬことはこれっぽっちも考えていないが、それは私の家族が死ぬことも幻想だと思っているぐらいだ。
 
しかし、父はすでに75歳を越えている。人生100年時代で健康寿命も年々伸びているとはいえ、そういうことも考えなくてはいけない頃なのかもしれない。
 
幸いにして大事には至らなかったのだが、これがきっかけで実家のことや両親のことを意識せざるを得なくなってしまった。
 
父が無事に退院してから心配はしているものの、私は仕事やプライベートに天狼院の忙しさにかまけて、全く実家に戻らなかった。
 
そんな調子で日々を過ごしていると、しばらくぶりに母からのメールが届く。
 
「お父さんが大変なの!!いつ帰るの?」

 

 

 

7月に父が倒れて1か月後に無事に退院することができた。退院後も定期的に検査をしていたのだが、病魔は知らないところで確実に蝕まれていた。
 
父の心臓の血管にこぶができており、このままでは血管が破裂し死んでしまうとの宣告を受けたそうだ。75歳を越えるとやはり元の体には戻らなくなっているのか。ずっと幻想だと思っていた家族の死をリアルに感じざるを得なくなった。
 
仕事中にも拘らず慌てて母に電話をすると、さらに不吉なことを口にし始めた。
 
「お父さんの心臓の手術は大変で、いつもの大学病院では成功させる自信がないというのよ。千葉の大きな病院に転院してもらうことになるけど、お父さんが弱気になってしまって、手術を受けたくないというのよ……」
 
母はこんな風にため息をついているのだが、かかりつけの大学病院で「成功させる自信がない」とか言われたら、ビビるのも無理はない。合理的に考えるとほおっておくと3年で死んでしまうとあれば手術をして何とか延命してもらいたいものだ。かといって父が弱気になってしまうのもよくわかる。難しい心臓手術で後遺症が残って寝たきりになってしまうのは最悪だ。父から言わせると寝たきりになるぐらいならこのまま死んだ方がましだという。
 
寝たきりというのは死ぬよりつらいと思うし、我々残された家族からすると寝たきりの介護はかなり大変だ。
 
それでもなお、父には生きていてほしい

 

 

 

あれから、実家に戻って父を説得することにしたのだが、どうやって説得するのか?
 
合理的に考えれば専門家のいる千葉の大きな病院でしっかり治療した方がよいに決まっている。何度考えても答えは変わらない。
 
それでも本人からすれば、やっぱり心臓の手術は怖いし失敗して寝たきりになったら死んだ方がましと考えるのもわかる……
 
私もだんだんと心細くなってきた。
 
もうかれこれ20年近く実家を離れて過ごしていたが、長男である私もそろそろ戻った方がよいのではなかろうか?
 
母親は健在で妹もいるのだがこのまま病気の父を残してしまうのが怖い。母親は私がいる方が負担だというけど、40年にもわたりまともに親孝行をしていない。
 
父の心配をするつもりが、自分の人生についてグルグルと考え込むようになった。

 

 

 

「お父さん、オレ千葉の実家に戻った方がいいかな?」
 
「なんだ急に?」
 
「いや、親父が心臓の手術をすると聞いてから、いろいろと考えることがあって」
 
「お父さんは大丈夫だ。お前に心配される覚えなんかないぞ!それとも何か、仕事面白くないのか?」
 
手術を前にいまいち踏ん切りのつかないはずの父を説得するつもりが、なんか違うペースになっている。
 
「まあね、正直微妙かな」
 
「なんだいったい、この前も仕事の不満を言っていたじゃないか……」
 
「オレも45歳が目前に迫っているけど、このままだとなんも成長しない気がする。」
 
「お前なあ、このセリフ何度も聞いているけど、仕事マジメにやっているのか?」
 
あれ? なんで親父に怒られている?
 
かすかな違和感がありながらも、私の口から出てくるのは会社の愚痴ばかりだ。
 
「来年会社の創立記念パーティーがあって幹事をオレの部署がやることになる。」
 
父との話を黙って洗い物をしていた母が口をはさんできた。「あら、創立記念パーティーって楽しそうじゃない。」
 
「その仕事ホントにやりたくないから、いっそのこと辞めてしまおうかと思っている」
 
「お前はちょっと嫌な仕事があったら逃げるつもりでいるのか?お父さんが会社にいたころは嫌なことや大変なことも40年間ずっとやってきたんだぞ」
 
こんな風に「オレが若い時はなあ」と言うオジサンたちの自慢話、特に定年間際の会社の人からいろいろと聞かされているのは正直げんなりしていた。それを自分の父親から聞かされるのもうんざりとしていた。
 
それでも、父は日本では誰もが知る大手自動車会社のサラリーマンであり、晩年に差し掛かるころには地方の支社長を務めていた。ちょうど私の新入社員のころであり、父のサラリーマンとしての凄さを少しずつ理解できるようなった。
 
父と私とでは時代も働く環境も違っているが、根っこの部分で父が定年まで一つの会社を勤め上げたことに憧れを持っていた。
 
それでも、私の仕事の愚痴はまだまだ続く。
 
「創立記念パーティーって会社が楽しくなるためのイベントのはずなのに、我々総務部はいつも雰囲気が殺伐とするし、ちょっとなんかあるとヒステリーが上がっちゃうし、もう耐えられないよ」
 
5年前の創立記念パーティーでは何とか形にできて面目は保つことができたが、前準備から反省会に至るまで終止ピリピリしており、ちょっとでも下手なことを言えば、必ずヒステリーが起きてしまう始末だった。
 
5年おきに行われるパーティーの度に、部門の雰囲気が悪くなるのは耐えられないことを、両親にこぼしていた。
 
「全く情けない奴だな。お前は20年もいて何にも成長してないではないか!そんな気持ちで東京に帰ってきたってうまくいくわけない」
 
気が付けば父に心臓の手術の説得するつもりが、私の仕事の愚痴になってしまっている。なんでこんなことを口走っているのだろう?
 
創立記念パーティーの幹事をやりたくないのは本当だが、会社を辞めて千葉に帰りたいって本当か?
 
その前に父のことや実家のことが心配だったのではないか
 
「お前は、帰ってくるな!」
 
「そんなこと言ったってお父さんが心配だよ!」
 
「ん?どういうことだ?」
 
「だってお父さんがもうこのまま死んでもいいなんて言うからさあ。そんなことを言われたら心配だよ」
 
気が付けば涙が込み上げて、大声で叫んでしまっていた。
 
「お前が情けないから死ねないよ!お父さんは大丈夫だ。手術を受けるよ。」

 

 

 

説得になっているのかわからないが、40を過ぎても仕事の不満ばっかり言っている私を見かねてしまって、手術を受ける気になったのだろう。
 
こうして、ついに手術の日が来た。
 
改めて医者から手術の内容を伺うと「父は心臓と脳をつなぐ血管に瘤ができておりそのままにしておくと破裂して死に至る。今回の手術はその瘤をとる」とのことだ。
 
詳しい内容は全くわからないが、父のかかりつけの大学病院では難しいとされていた難手術も、担当の医者からすれば実績十分で必ず成功すると力強く約束してくれた。
 
手術当日の朝家族全員でソワソワしながら待合室で待っていると、看護婦に連れられて父がやってきた。
 
足取りは重そうだったが、手術の前だというのに父が笑って手術室に向かっていった。なんだか家にいたときよりも力強く生き生きとしているように感じた。
 
心臓に欠陥が見つかり一度は手術を断られたときは家族全員が絶望の淵に叩き落され、当人の父が「もう死んでもよい」と言っていたぐらいだった。
 
ところが、実際に手術をするとなると力強く感じるのはなんだろう。覚悟を決めるってこういうことなのだろうか。
 
あれから5時間、病院の待合室でただ静かに待ち続けていた。
 
きっと成功すると信じているものの、やっぱり不安は隠せない。
 
そう思ったころに、担当してくれた医者がやってきた。
 
「手術は無事に成功しました。お父様は麻酔で意識を失っていますが、明日には目を覚ますでしょう」

 

 

 

父の手術の成功を聞いたのち、私は静岡に帰っていつも通りに仕事をしていたが、やはり不安はぬぐえなかった。
 
そんな矢先にスマホが鳴った。父からだ。
 
いつもならうっとうしいと思うのだが、ほっとしたと同時に涙が出てきた。
 
「なんか用?今仕事中なんだけど」
 
たまに仕事中に父から電話があるに電話に出るのだが、今回も変わらなかった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山田 隆志(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

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2023-01-18 | Posted in 週刊READING LIFE vol.201

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