週刊READING LIFE vol.201

習慣によって失うもの/ルーティンによって得られるもの《週刊READING LIFE Vol.201 年末年始のルーティン》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/1/23/公開
記事:石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
扉が開くと、冷たい風が吹き込んできた。東京と変わらない冷たい、背筋の伸びる風だった。
 
妻の実家である大阪には、結婚以来必ず、年末年始のタイミングで帰省している。
「娘さんをください」的な挨拶をしてから、もう4年経つ。これだけ連続で、しかも同じ時期に行なっていることはルーティンと呼んで差し支えないだろう。
だが帰省とはいっても、大阪も大都市である。周りにコンビニが無いとか、電車やバスを乗り継いで帰るような田舎ではない。吹いてくる風の冷たさや匂いは東京とほとんど変わらない。駅のホームでは、ソースの匂いもしてこない。
それでもそこかしこに、東京都内との違いを見かけては、落ち着きなくキョロキョロしてしまうので、まだきっと本当の意味での“ルーティン”にはなってはいないのだろう。実際に住んだことのない大阪という地には、まだまだ知らないものがたくさんある。
 
僕が“ルーティン”という言葉を最初に聞いたのは、大好きな野球選手・イチローについての本を読んだ時だった。
日本のプロ野球チーム・オリックスブルーウェーブから、メジャーリーグのシアトル・マリナーズに移籍して、ガンガン活躍し始めた頃だったように思う。彼はその生活全てを野球全てに捧げ、朝食べるものからグラウンドに入る足に至るまで、全てが決まっているのだという。
特徴的なのは、打席で見せるお決まりの動作だ。
右手でバットをスッと立て、左手で右肩のユニフォームを少しだけめくる。
珍しかった “振り子打法”の奇抜さだけでなく、そのルーティンの独特の雰囲気が、野球少年だった僕には最高にかっこよく思えた。僕は左打ちは諦めたが、イチローの活躍をきっかけに右投げ左打ちに転向する同世代の野球少年が激増した。僕も幾度となく真似したものである。
 
後に知った事だが、この動作を“プリショット・ルーティン”といい、元はゴルフ用語の一つらしい。
精密なショットを必要とされるゴルフの世界では、メンタルがプレーの精度に大きく影響する。選手によってその動作自体は人それぞれだが、毎回同じ動作でショットに入っていくことによって、余計なことを考えずに集中力を高める効果があるという。
同時にそれはスイッチのように、精神を安定させる効果があるそうだ。
ほんの少しの力の入れ方の違いが、大きな結果の差となって現れてしまうゴルフでは、非常に大切な考え方らしい。
そしてそれだけ自身のバッティングに精密さを求めているイチローに、当時の僕は惚れなおしていた。
 
ルーティン、つまり習慣的に自分が行なっていること。そして、それは集中力を高めたり、精神的な安定を得たり、やる気が出たり、何かしらの効果がある。
 
「そう考えると、僕にはコレといった年末年始のルーティンがないなぁ」
自分とイチロー、その他のスポーツのトッププロたちを同列に並べてニヤニヤしていると、横にいる妻がふと思い出したように言った。
「年末年始といえば、アレなんじゃないの?」
そうだ、正確には“ない”のではなく、“あった”のだ。
 
 
我が家だけでなく、年末年始というものは、慌ただしいものらしい。
学生時代は冬休みの宿題があったり、なんとなく世の中が忙しなくソワソワする時期かと、それくらいの認識だった。大人になってからも、大掃除に忘年会などイベントは目白押しだし、もしかすると除夜の鐘をオフィスで聞いている友人もいるかと思うと、気持ちとしては落ち着かない。仕事をしている人も当然いるだろう。そういう人を想像して全力で感謝している。
年が明けても、ハッピーニューイヤーのムードに流されて、これまた落ち着かない。ひどい時は、やっと息がつけたと思ったら、1月が半分終わっている。年末年始は、おそらく僕の知らないうちに、時計が倍速で進んでいるのだと思う。
そんな我が家にも、年末年始のお決まり行事つまりルーティンが存在した。
百人一首、である。
 
年始に父方の祖母の家に親族が集まる。子供時代は、その目的の大部分がお年玉だったので気づかなかったが、大人たちは忙しなく挨拶をし合い、おせちやお雑煮の準備する。
新年の挨拶や食事が終わると、誰かが必ずボソッと言うのである。
「よし、今年もやるか」
 
早々にテーブルの上は片付けられ、おせちの残骸はあっという間にいなくなる。代わりに、どこからともなく1年分の埃を被った百人一首が登場するのである。
年季の入った札は決して綺麗とは言えなかった。ところどころに何のシミだかわからない汚れがある。文字の面や絵札には問題はないものの、札の端っこがほつれていたり、すり減って独特の丸みを持っていたりした。
それを全員でテーブル一面に、黙々と並べる。この時に特に会話はなく、皆が当然のように隙間を埋めるように札を配置している。
読み手は必ず、僕の父親だ。ここからは和やかながらも、真剣勝負である。
しかもこれは1回ではない。最低でも5回、多くて10回ほど繰り返すのである。
 
幼い頃は、なぜこんなものをやるのか意味がわからなかった。
しかし不思議なもので、だんだんと成長するにつれ「これがないと、お正月じゃないよね」というくらい身近に感じるものになった。
そのうちに歌の中身にも興味を持つようになり、中学生の時はクラス対抗で行われた百人一首大会で優勝することができた。皆が馴染みのない古典の仮名遣いに四苦八苦しながら、必死に歌を覚えようとしている中、当然のようにほとんどの歌を覚えていた僕はさながらヒーローだった、というと過去を美化し過ぎかもしれないが、ここではお許しいただきたい。
控えめに言っても、国語・古文の授業で困らなかったのは確かだった。
 
しかし、その習慣も2年前突然終わりを告げることになる。
その年、叔父が亡くなり、祖母も物忘れが多くなってきたからである。
 
 
“失って、初めてわかる”というと、なんだか一昔前のJ-POPの歌詞みたいだが、まさか自分がそんな気持ちになるだなんて、思いもしなかった。
確かに、家族みんなでやる百人一首は楽しかったが、ここ数年は特に感慨もなく、当然のようにやるばかりだった。それこそルーティン化、つまり習慣化することで、始めた頃に感じていた新鮮さや興味といったものが薄れていたんだと、改めて思い知らされる結果となった。
 
年末年始の“百人一首”というルーティンを行うことで、1年が始まる感じがした。
どんなに慌ただしい年末を過ごしていても、父の声で読まれる万葉の歌に集中することで、気持ちを整えることができていたのだ。サウナに入って“ととのう”ように、1年を始める心と体の合図だったのだと思う。
その証拠なのか、ここ2年ほどはとりわけ年始にやる気が出ず、いつの間にか半月が過ぎているということもあった。習慣化で失われるものもあるが、同時に習慣化の偉大さを感じた2年でもあった。
今年も当然、祖母の家での百人一首は行われなかった。祖母が老人ホームに入っているので、ある意味当然である。しかし2年も空くと、むしろやらない方が普通に感じ始めていて、つくづくこの人間の“慣れる力”/順応力はすごいのだな、と思い知らされるばかりである。

 

 

 

大阪発東京行きの新幹線は、思ったよりも空いていた。
車窓から暗くなってスピードを増していく景色を眺めながら、年末年始のルーティンを失ったんだという事実を、そしてそれを失っても平気になってしまったという寂しさを、静かに噛み締めていた。
習慣化と一口にいうのは簡単だが、そんなに簡単なことでもない。
ルーティン化されたものは、高い集中力と精神的な安定をもたらす。ある物事をその域にまで高めるというのは、結構難易度の高いことなのだと思う。事実、ここ数年大阪に帰省するのは恒例にはなっているが、楽しさはあっても、これから始まる1年に対して身が引き締まるような思いは、今のところない。
つまりルーティンが、まだ高い効果を生み出すには至っていないのである。大阪はご飯も美味しいし、義理の家族は大好きだが、これまで僕の人生で百人一首が担っていた効果の代わりになるものではない。
しかし、変わらない人生など存在しない。
人は老いるし、必ず死ぬのである。同じくらい新しい命も生まれ、人生は悪い方にも良い方にも転がっていく。なるべく良い方に流れていきますようにと、多くの人がお賽銭を投げておみくじを引く。
 
 
名古屋からワラワラと人が乗ってきた喧騒の中で、ふと新たな考えが浮かんだ。
考えてみれば当然のような話だ。新たな年末年始のルーティンを、これから自分で作れば良いのである。
変化のない人生など一切ないのだとすると、変わることを嘆いてもしょうがない。
変わることを楽しむ。少しでも前向きにポジティブに進んでいけるようなものに、変換して進んでいく。1年の節目の時期に、集中力を高め、精神的に“ととのう”ような、新しいルーティンを作っていけば良いのである。
むしろそれを探すこと自体を楽しみにしても良いかもしれない。ルーティンを探すというルーティン。禅問答みたいだが、それぐらい気楽なもので良いのだと思う。人生に“決まり字”はないのだから。
帰ってから体重計に乗るのが怖いな。正月太りのルーティン化はやめておこうと思う。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1989年生まれ、横浜生まれ横浜育ち。明治大学文学部演劇学専攻、同大学院修士課程修了。
俳優として活動する傍ら、演出・ワークショップなども行う。
人間同士のドラマ、心の葛藤などを“書く”ことで表現することに興味を持ち、ライティングを始める。2021年10月よりライターズ倶楽部へ参加。
劇団 綿座代表。天狼院書店「名作演劇ゼミ」講師。

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2023-01-18 | Posted in 週刊READING LIFE vol.201

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