週刊READING LIFE vol.204

ゴンちゃんは紛れもなく家族だった《週刊READING LIFE Vol.204 癒される空間》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/2/14/公開
記事:飯髙裕子(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部NEO)
 
 
その白黒の彼はどこからともなくふらっと現れた。
まるで、前から知ってるよというような雰囲気でバーベキューをしている私たちのほうが良く見える場所に少し距離を置いて行儀よく足をそろえて座った。
 
「あ、猫ちゃん!」娘がいち早く見つける。
「どこから来たのかしら?」「お腹すいてるのかしら?」私たちが話している横から父がつぶやくように言った。
「この猫、温泉で飼ってた猫じゃないかなぁ。よく似てるよ」
「温泉? 連れて行かなかったの?」
「なんか犬の方は連れていったみたいだけどなぁ」
ずいぶんじゃないか、と私は思った。
 
外見で判断するのも猫に失礼だとは思うが、やってきた猫は、白と黒の混ざった柄で、顔はいわゆるハチワレ、背中としっぽが黒く胸から足にかけては白い柔らかな毛ですっきりとしている。顔が小さく、足がすらりと長いかなりの男前なのである。
長野の別荘地の中にあった温泉の経営者が最近そこを閉めて売りに出したという話は聞いていた。
けれど、夏はいいとしても、冬は雪も降る寒さである。野良猫がその寒さをしのぐのは容易でないことは明らかだった。実際、夏は時々見かけた野良猫も、冬には見かけなくなることから、ひっそりといなくなってしまっているのか、それともどこかで飼い主を見つけているのかわからなかった。
そんな場所に今まで飼っていた猫を置き去りにするなんて……。
 
信じられなかった。生来の野良猫ではないからか人なつこい彼に一瞬で情が移ってしまったのだ。
 
私たちも春、夏冬の休暇にしか訪れないが、父はここに常時住んでいる。餌をやることは可能だ。
そんなことを、秘かに胸の内で考えながら、焼いていたマスの切れ端を皿に入れてやると、「にゃぁー」と細く高い声で鳴きながら、彼は小走りに近寄ってきて、ゆっくりと食べ始めた。
猫というのは、どうして、こんなに魚を食べるのが上手なのだろう。
大きな骨をよけて、きれいに身を外し、食べている。残ったのは、骨だけだ。
「名前は何と言うの?」私が聞くと父は「ゴンちゃんと呼ばれていたようだよ」と答えた。
ゴンちゃん……。なんだか風貌にそぐわない感じではあるけれどまあ、名前があるなら、その名前で呼んだ方がいいのかも……。
 
そう思いながら、足元で待っているゴンちゃんに残り少なくなった魚とそこに絡まっていた野菜を一緒の皿に入れた。
 
驚いたことに、彼は魚だけでなく、そこに入っていたトウモロコシをおいしそうに食べ始めた。
猫って野菜も食べるんだっけ? いや、野菜というより豆か。
面白いなと思いながら眺めていると満腹になったのか、少し離れた場所で、身づくろいを始めた。
父は、「そんな餌をやると居ついちゃうぞ」と訝しんでいたが、私たちはそれはそれでいいじゃんなどと、気楽に考えていた。
 
それから毎朝玄関のドアを開けると、その前にゴンちゃんは座っていた。
奇麗な声で「にゃぁー」と鳴きながら。
 
毎朝訪れて、何かしら朝ご飯をもらうとゴンちゃんはまたふらりとどこかに出かけて行った。おそらく温泉にいたときもそんな風に自由に家と外を行き来していたのかもしれない。
それで、飼い主がここを去るときに置いて行かれたのかもしれなかった。
 
別荘地の中は舗装された道路はあるが、まだまばらに立っている家の周りは、動物たちが自由に行き来するには好都合の立地であった。猫の行動半径は、せいぜい半径200~300メートルと言われるがこの立地ならばかなり広範囲に動けることになる。
休暇が終わって私たちが帰るとき、父に餌をあげてくれるよう頼んでまた次の楽しみを心待ちにした。
夏に訪れたとき、ゴンちゃんはよく覚えているのか、私たちにすり寄ってきてまるで、飼い猫のようにくつろいでいた。
ある夜、家の中に入りたがり入れてあげたことがあった。
何となく人恋しかったのだろうか。寒くなる冬に向かってずっと外にいるのは、少しかわいそうな気がしていた。けれど、父は猫を家の中で飼うことは全く考えていないようであった。
 
妹が家で猫を飼っていることもあって、それを聞いた義理のお父さんがゴンちゃんのために犬小屋ならぬ猫小屋を作ってくれた。
 
きちんとした作りで、小型犬なら十分快適に過ごせるような立派なものであった。
 
中に布を敷いてあげて冬場も寒くないようにしてあげるとゴンちゃんは、どこかに出かけているとき以外は、そこに入ったりするようになった。
私たちが出かけて帰ってくると、ゴンちゃんは寝そべっていた猫小屋の屋根から大きな伸びをして立ち上がりあくびをした。
「遅かったじゃないの」と言わんばかりに私たちのほうを見て駆け寄ってくる。
 
なんともかわいくて仕方がなかった。
 
寒くなってきたある日、ゴンちゃんが猫小屋から少し離れたところに座っていた。
何をしているのだろうと思っていると、どうも小屋の中で気配がする。どこからか、野良猫がやってきて入り込んでしまったようだ。
その猫を追い出そうともせず、静かに座っている様子に母がひどく怒りだした。
小屋の中の野良猫を追い出そうとほうきを持ってきた。
大きな声に驚いた野良猫は、小屋から飛び出し、母はほうきを片手に追いかける。
まるで、サザエさんの漫画を見ているような情景であった。
ゴンちゃんはまるで他人事のように事態を見守り、誰もいなくなった猫小屋に無事そろそろと戻り丸くなった。
 
「もう、だめじゃないの。野良猫が来たら追い払いなさい」と母はまるで子供に言い聞かせるかのようにゴンちゃんに話しかける。
とうの本人はどこ吹く風だ。
元来の性格が優しいのか、ゴンちゃんはいつもこんな感じだった。
私たちや子供たちが撫でてもいやそうな顔一つしなかった。
 
けれど、野生の血は残っていたと見えて、いつでもセミを追いかけたり、時にはリスさえも追いかけて捕まえようとしていた。成果がどうであったかは定かではないのだが……。
 
その頃、別荘地の中にはローラースケート場があり、私たちは時々そこに子供たちを連れて行って遊ばせていた。
 
ある日子供たちを連れていくと靴を借りようとした受付の先にゴンちゃんの姿があった。
妹と「あれゴンちゃんじゃない?」とひそひそ話していると、受付のおじさんが「ああ、あの猫ね。なんか昼間よく来るんだけどさ、どうも別荘のどこかの家でご飯もらっているらしいよ」
 
私たちは、思わず、あんぐり口を開けて笑い出しそうになってしまった。
「それ、うちのことです」と口が滑りそうになった。
 
なるほど、そんな風に別荘地のあちこちに顔なじみになっていたんだとゴンちゃんの人なつこさとちょっとしたたかな裏の顔を見たようで、笑えた。
 
毎回行くたびに、ゴンちゃんは私たちの前に現れていつも楽しい時間を共有してくれた。
何時も猫缶を買ってきてあげていたのだが、特に好きなのは豆の入ったキャットフードだった。
ほんとに豆が好きなんだな。私と嗜好が一緒じゃないの。なんだかうれしくなる。
 
どのくらいそんな風に過ごしていたのだろう。
母が一人で、別荘を訪れていた時のことだ。
ゴンちゃんの様子がおかしい事に気づいたという。
あまりご飯を食べないし、何となく具合が悪そうだ。
 
母は心配になって、父に頼んで、動物病院に連れていくことにした。
普段ペットも飼っていないし、どこの動物病院が良いのかもわからず、電話帳で片っ端から調べたらしい。
見つけた近くの病院にゴンちゃんを連れて行ったようだが、病院の先生の言葉は、意外にも冷たいものであった。
「飼い猫なら、治療もいろいろできるのですが、野良猫ではねぇ」
飼い猫と野良猫と何が違うのだろう? それを聞いたときに何か釈然としないものがあった。
しかし、現実はそういうことだった。
どうもお腹に水が溜まっているという。薬はもらったけれども、ゴンちゃんの具合は芳しくなかった。
何か変なものでも食べたのだろうか? それとも、外での暮らしで、悪い病気にかかったのだろうか?
日に日に弱っていくゴンちゃんに何もしてあげられることがなく、母はひどく心を痛めていた。
ゴンちゃんは、苦しいともいわず、ただじっとうずくまっているだけだった。
そういう命のあるものを飼っていたら必ず訪れる悲しい時を母はひどく嫌っていた。だから、私たちがどんなに頼んでも、転勤が多くて生き物は飼えないのよといつも言っていた。
そんな母がゴンちゃんをとても可愛がっていたのはなんだか不思議な感じがしていたのだった。
とうとうゴンちゃんは、最後の命の灯がもう燃やせなくなり、静かに逝ってしまった。
 
元気に走っていた姿も、小さくにゃぁと鳴きながら寄り添ってきた姿も、もう見ることができなくなってしまった。
 
母と父は、小さな段ボールに布を敷いて、ゴンちゃんを静かに横たえ、うちの敷地の一番日当たりのいい場所に埋めてあげた。
ゴンちゃんがいなくなって母は、ひどく落ち込み、しばらく別荘には行きたくないとさえ言い出した。
私たちもまた、何もしてあげられなかったことへの後悔が胸にこみ上げた。ゴンちゃんはずっと野良だったかもしれないけれど、まぎれもなく私たちの家族だった。
 
動物を飼ったことがなかった私が初めて味わった命のエネルギーが与えてくれる癒しの大きさは、ゴンちゃんが教えてくれた一番大切で、他と比べることができないあったかいものだった。
あれから、時々訪れる別荘の冷蔵庫に貼られたゴンちゃんの写真が在りし日の唯一元気な姿を見せてくれる。
 
一緒にいた時間の長さではなくて、その時ゴンちゃんと過ごした濃密な時間の満足感が余計に切ない思い出を引っ張り出すようで、しばらく寂しさをぬぐうことができなかった。
 
ゴンちゃんがいなくなって少しした頃、天井裏をカタカタと走る音を聞くようになった。
どうも、ネズミがいるらしかった。
 
家の中にいたわけではないのに、ゴンちゃんは家の中を我が物顔に走り回るネズミたちにとっては脅威の存在だったんだなと初めてわかった。
今もゴンちゃんは日当たりのいい敷地の一番下に眠っている。
ゴンちゃんがいなくなってしばらくした春の温かい日にきれいな花が咲いた。
 
ずっと前に植えっぱなしになっていて全然咲かなかった花だ。
 
きっと、ゴンちゃんはいつもそこにいるよと、私たちにさりげなくその存在を教えてくれているんだなと、ふと思った。
「にゃぁー」と細くて高い鳴き声が聞こえたような気がした。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
飯髙裕子(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部NEO)

ライティングゼミを経て、ライターズ倶楽部に在籍中。
食と心の関係に興味があり、更年期世代が安心して食べられる、グルテンフリー、白砂糖不使用のレシピを研究中。

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2023-02-08 | Posted in 週刊READING LIFE vol.204

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