週刊READING LIFE vol.204

素敵な場所に行かなくても、癒される空間を手に入れる方法《週刊READING LIFE Vol.204 癒される空間》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/2/14/公開
記事:牧 奈穂 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
17年前、新築マンションに引っ越しをした。
そろそろどこかに定住したほうがいい……そう思い始め、マンション購入を決意する。
購入の一番のきっかけは、仕事の失敗からだった。当時、私は30代前半。ちょうど自分で英語教室を立ち上げたばかりで、生徒を増やし教室を運営していくことに燃えていた。さらに、もっとキャリアを積みたくて、運営する教室以外でも働く。仕事三昧の日々は、私には楽しくてたまらなかった。
そんな私に、大きな失敗がやってきた。人間関係のトラブルだった。お世話になっていた人との大きなトラブルにひどく落ち込み、自己嫌悪となる。仕事のために、たくさんの先生と会い、情報を得ていた当時の私としては、人間関係の喪失はとても大きな痛手だった。
現実逃避をしたい……失敗した自分が許せなくて、逃げたかった。マンションの高層階から下を見ると、人が小さく見える。まるで日々の悩みなんて、小さいことだと言われているかのようだ。毎日高いところに住みたい……現実逃避をするために、空が大きく見えるマンション生活に憧れるようになった。
 
私は、フットワークだけは軽い。すぐに物件探しを始めた。
ちょうど、売り出されたばかりのマンションがあった。だが、高層マンションではない。理由を聞くと、住宅地の中にできるからだと言う。
「駅から歩いて10分の場所で、かなりオススメです。住宅地にあるので、マンション生活をしながら、一戸建てのように落ち着いた環境で過ごせますよ。高層ではないですが、マンションにしては珍しい場所にあるのでオススメです」
地元に住んでいるので、場所を聞けばなかなかいい場所だとわかる。モデルルームは現地から少し離れた場所にあり、早速見学をした。しばらく考え購入を決めた。
 
マンションが出来上がる前に、一度現地を見てみよう。
元夫と一緒に現地に行く。マンションまでの細い道を歩いて行くと、何やら青い看板のようなものが家々から見えてくる。
「何だろう?」
二人で話しながら歩いて行くと、どの家からも掲げられている看板を見てゾッとした。
「〇〇マンション、建設反対!」
そう書かれているではないか。「珍しい場所」と言われたが、まさかこれが珍しい場所の意味だろうか? 新しく生活を始めようとワクワクしていたが、まるで周りから来るなと言われているかのようだ。どう見ても、歓迎されていない。個人に言っているわけではないと分かりつつも、あまり気分が良くなかった。
マンションが完成に近づく頃、再び現地を訪れたが、取り外される気配はなかった。そこで、担当者に思い切って尋ねてみた。すると、
「入居日には、なくなっています。大丈夫です」
担当者は、落ち着いた言葉で答える。
 
3月の暖かい春の日に、いよいよ入居することになった。
購入を決意した時にはいなかった息子が、私のお腹の中にいた。妊娠中の引っ越しは、思うように身体を動かせず、引っ越しの寒さもきつかった。気がかりだった看板は、結局取り外されておらず、歓迎ムードのない引っ越しとなる。マンションには冷たい視線が近所から投げかけられているままだった。
 
新しい生活が始まると、トラブルが起こり始める。
妊婦だった私は、お腹を気遣いながら、引っ越しの段ボールを開け始めた。無理をしてはいけない。それはよく分かっていた。だが、仕事道具を早く取り出さねばならない。引っ越し後、忙しい日々を送る私は、つい焦ったのだろう……ふとした瞬間に、段ボールにつまづき、転んでしまう。
やってしまった……どうしよう……夜遅く、一人でマンションにいる私は怖くなった。とにかく休むしかない。出血がないか、お腹が痛くならないか、翌日病院に行くまで休むことにした。幸い、瞬間的にお腹をかばっていたらしく、大きな衝撃ではなかったようだ。
それからというもの、マンションに引っ越してからは、よくないことが続いてばかりだった。
気のせいだ……自分に言い聞かせ、気にしないように心掛ける。
だが、その後、元夫の浮気に悩む日々が続くようになった。
故意に誰かを傷つけたわけではない。マンションも、違法建築ではない。だが、歓迎されない場所に住むと、知らぬ間に負のエネルギーを受け取ってしまうのだろうか? 答えは出なかったが、楽しみにしていたマンションライフが、思い描いていたものとは違って見えた。
 
家庭生活が穏やかでない日々は続いたが、それでもリビングの窓から見える空だけは、いつも私を癒してくれた。それだけは変わらない安らぎだった。
空だけあればいい……半ば諦めた気持ちで過ごすことになる。心の穏やかな毎日とは程遠かったが、それでも窓一面に広がる空が見えるリビングが、私を癒してくれる空間となっていた。
そんなある日、元夫が仕事を辞めねばならなくなった。仕事を探す日々が始まる。マンションを手放すことになるかもしれない……地獄のような就職活動をくぐり抜け、新しい仕事を得る。そして、元夫はマンションから離れることとなった。
 
引っ越しから10年が過ぎ、息子との二人きりの新しい生活が始まった。
新しい生活を始めると、元夫とのギクシャクした時間がなくなった。その時間がないだけで、私はイライラせずにいられる。喧嘩の時間がなくなると、穏やかな気持ちで過ごす時間が増える。マンションの部屋の中に立ち込めていた「ピリピリした空気」がいつの間にか自分自身にフィットする穏やかなものに変わっている。
私が原因だったのだ……
ある日気づいた。
建設反対の空気が立ち込めるマンションに引っ越したから、よくないことが起きていると思っていた。だが、それが本当の理由ではなかったのだ。外部からのネガティブエネルギーが理由なのではない。家庭生活の中でうまく行かないことに悩む私の心が、部屋をイライラする空間に変えていたにすぎない。私の心がフィットしていなかったのだと気づいた。私が幸せを感じていなかっただけで、マンションそのものが問題なのではない。そして、私の心が変わったとたん、癒されないと思っていた空間が、癒しの場に変わったのだ。
 
環境が、人に癒しやエネルギーを与えることはあるだろう。
だが、それを感じ取るのは、やはり人の心なのだ。その人の心がどうあるかで、その場所が癒される空間になるかが決まる。
 
癒されなかった空間が、癒しの空間となったことで、私は気づくことができた。人はどこかに行くから癒されるのではなく、癒しの空間は、人の心が決めることができるのだ。あえて素敵な場所に行かなくても、遠くに行かなくても、どこにでも癒しの空間は存在する。自分の心に問いかけさえすれば、どんなに時間がなくても、どこにも行けなくても見つけることはできるのだ。
 
建設反対をされたマンション暮らしから17年経った今、私は新しい「癒される空間」を見つけている。
その空間は、職場近くのカフェだ。塾講師をしている私は、13時〜22時までが通常の勤務時間となっている。人がゆっくりする時間に一番忙しく働かねばならない。だから、一般的な会社員とは時間が全く合わない。当然、出会いも減ってしまう。塾講師に独身者が多いのも、そのような勤務時間が理由の一つだろう。
そのような中で、私は「彼との出会い」を見つけることができた。40代、50代の私達は、仕事の中で責任を伴う忙しい立場にもいる。仕事を大切にしながら生活する中で、お互いの時間を合わせることはとても難しい。
お互いの仕事を考えると、1時間の私の休憩時間にカフェで会うことしかできないことも多い。1時間だから会うことをやめよう……その選択肢を取ると、私達はなかなか会えなくなってしまう。
どちらかが無理をすれば、疲れとなって負担にもなる。
1時間を、私達は「会える時間」とプラスに考えている。ただ会いたいから、時間が合うから……無理をせず、その時間に同じ価値を見出し、待ち合わせをするのだ。
いつものカフェタイムが、彼と会うことで私には温かい時間になる。
休憩のためにタイムカード切った瞬間、走ってカフェに向かう。1時間で戻らねばならないからだ。近くのカフェに行くと、彼が席を確保してくれている。
特別変わった話をするわけでもない。その日あったこと、お互いの仕事の話、普通の会話をただするだけだ。だが、彼と向かい合い、彼の目を見つめながら話をするだけで、いつもの休憩時間が、癒される空間に変わる。
1時間しか会えないと不足感で現実を見つめるのか、1時間でも会えるとポジティブに捉えるのか、捉え方で同じ時間の価値が変わり、空間の意味合いも変わる。
今、この瞬間、私が一番癒される空間は、彼の目を見つめ会話を重ねるカフェと言えるだろう。どこか自然豊かな場所に行かなければ、癒されるのではない。癒しは、人の心が決めるからだ。職場の前にある、おしゃれでもない古びたカフェで、彼とコーヒーを飲む。そのたった1時間しかない休憩時間でも、癒される空間になる。
 
人は、いつ、どこにいても癒しを感じることができる。
今、自分が何をすることに幸せを感じるのか? 誰といたいのか? 自分自身を見つめれば、癒しの空間はいつでも手に入れることができるだろう。時間やお金をかけないと必ずしも得られないわけではない。遠くに行かなくても、日常の中にさえ見つけることができるのだ。
 
「癒される空間」は、自分自身の心の中に存在すると言ってもいいのかもしれない。
たった1時間の休憩時間を過ごすカフェでさえ、癒される空間になるからだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
牧 奈穂(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

茨城県出身。
大学でアメリカ文学を専攻する。卒業後、英会話スクール講師、大学受験予備校講師、塾講師をしながら、25年、英語教育に携わっている。一人息子の成長をブログに綴る中で、ライティングに興味を持ち始める。2021年12月開講のライティング・ゼミ、2022年4月開講のライティング・ゼミNEO、10月開講のライターズ倶楽部を受講。

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2023-02-08 | Posted in 週刊READING LIFE vol.204

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