週刊READING LIFE vol.204

捨てられないオタクの癒やしの自室《週刊READING LIFE Vol.204 癒される空間》

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/2/13/公開
記事:黒﨑良英(天狼院公認ライター)
 
 
物が捨てられない。捨てられない男である。ついでにオタクだから捨てられないオタクである。
まさに「萌えないゴミ」……
 
それはそうとして、物が捨てられない。捨てられないから溜まる一方で、部屋はベッドと仕事机を除けば、足の踏み場しかない。ガチで。
 
無論、整理はしている、つもりである。
天上まで届く大型の本棚に、机脇のスライド式小型本棚、その上のCDラック。タンスの上にも開閉式の小型の棚を設け、ベッドの頭の方には中型の棚、もちろんその上も利用している。ワゴン式の三段ラックに、椅子や足置きにもなる長びつ型のケース、果てはモニター台を使って、考え得る限りの「整理整頓」を試みた。
 
が、満杯である。
入れられる所には入れた。
置ける所には置いた。
だからどんどん高さが重なっていく。これが都会の住宅事情か……なんて感慨に浸っている間もなく、あとからあとから物が増える。そして、我が部屋を圧迫していくのである。
 
これでも、何回かは「断捨離」なるものを考えた。
古くなったもの、使わないもの、思い入れのないもの、手放す理由をいろいろ考えた。
その末に出た結論は、「全部必要」というものであった。
 
例えば、「使わないもの」って何だろうか?
ホコリをかぶっているゲーム機? いや、あれはあれで年に何回かは電源を入れる。その“何回か”というのが大事なのだ。もし、これで手放してしまったとしたら、絶対どこかで改めて手に入れようとするだろう。ゲーマーにとって、ゲームは回数や頻度ではない。どれだけ楽しめるか、懐かしめるか、感動できるか……例え年に1回の遊戯時間でも、手放してはいけないのだ。
 
という訳で保留。
 
では、本棚の一画を占めている若かりし頃に作ったプラモデル群は? さすがに「使う」ということはないのでは? というかプラモデルってどう使うの?
どう使うかって? 決まっているじゃあないか! 飾って眺めてよだれ出しながら、「いや~かっこいいなあ……」としみじみと悦に浸るのだよ! 備わっているギミックを再度確認するもよし、何なら断腸の思いで改造パーツに使うもよし……
というかその棚、これからまだプラモデル増える予定ですから! 残念とは言わせない!
 
という訳で保留。
 
じゃあ、その旧型のタブレットPCは? 今の型に変えてから結構経つし、これはもう使うということはないのでは?
うむ、確かに使わない。しかし、これは私が通ってきた足跡であり、機械の進化の足跡でもあるのだ。
例えばどこかの博物館には、初期型のパソコンが展示されていることだってあるだろう。それを見て、「うわ、古い! こんなので動いてたの? すげー!」と語彙も少なく感動することってあるではないか。
それなのだ。これを以前使っていた、という事実。その機械が動いて役に立っていたという事実。それに重みがあるのだ。さらに欲を言えば、何年か経って、再度充電して電源を入れたときに、変わらず動いたときの感動たるや、この上ないものであるだろう。そして懐かしさをかみしめ、感涙にむせぶのだ。
 
という(以下略)
 
てな感じで、捨てられる理由が“全然”見当たらないのである。
 
特に外箱は辛い。
かさばってしょうがないのだ。箱一つでかなりスペースをとる。たたむのも、少々気が引けるしなぁ……クレーンゲームで獲ってきたフィギュアの箱は、後々売ることを考えると、たたんで痛めるわけにもいかない。と言って売ったことのあるものはあまり多くないのだが……
 
そう、フィギュアは特に場所をとる。
当たり前だが、コンパクトにすることはできない。その上、当然そのまま飾るわけにはいかず、ケースに入れて、さらに本棚の奥に設置している。ついでにその前には大型の本を表紙が見えるようにして飾り、カムフラージュしている。
本当はフィギュア専用のディスプレイケースがあるとよいのだが、さすがにこれ以上は部屋に入らない。
 
フィギュアの代わりに出した本は、また違う棚にぎゅうぎゅう詰めに入れてある。スライド式の本棚なのだが、スライドが役目を全うできていない。
入らない本は、机やらラックの上やらにどんどん溜まっていく。本に関しては売る気も手放す気もおきないから手に負えない。
 
いや、本ならまだ分かる。
だが、あのプリント群はどうにかならんものだろうか。
私は高校で教師をしているが、授業用に作ったプリントが、たくさん残っているのだ。もちろん、データはそのままあるので、捨てても大した問題ではないのだが、何だか捨てるのはやるせない。
 
というのも、おそらく、こういうことがあったからだ。
職場の机も相変わらず混沌としていたが、その一画に、無造作に積まれた紙束があったのだ。会議資料は別にとっておいたので、何かのお知らせやスケジュール(もちろん一週間とか一ヶ月以上前の)がほとんどであっただろう。
私は思いきってこれを捨てようとし、中々捨てられない日々を過ごしていた。そんなある日、上司に提出する書類の期限が迫っていたことに気がついた。その書類自体がどこにあるか分からない。が、おそらく……と天に願いながら、例の紙束を一枚一枚確認していった。
果たして、該当の書類は見つかった。
 
危なかった。
 
私は、もう少しでその大事な紙を捨ててしまうところだったのである。
つまり、捨てなかったがために助かったのだ。
この経験をしてしまったら、もう、だめだ。
 
もしかしたら……という思いが働き、ただの紙束でも捨てられなくなってしまう。そりゃあ、最初から整理しておけば、というご忠告はあるかと思うが、それができたらこんな嘆きは出ない。
 
こうして、我が部屋はホコリとともに、様々な「物」が、ところ狭しと詰め込まれた混沌のるつぼとなってしまったのである。
 
だが、それがいい!
 
これこそが、我が癒やしの空間である。
狙って作られたわけではないが、自然な帰結として、我が部屋は理想の部屋となった。
 
辛うじて足が踏める程度で、一歩間違えば雪崩のごとく物が落ちてきて、それぞれの収納が限界を超えている、この混沌とした部屋こそが、我がオタクの人生を反映した、物欲の住処なのである。
 
人は、整理しなさいというだろう。
いや、そこは整理しているのである。「それは放ってあるのではなく、そこに置いてあるのだ」というテンプレなセリフも出てくるというものだ。どこに何があるかは、大体把握している。
 
なるほど、昨今の世の中は物が多すぎる、という警句は聞く。
人間は物欲にまみれ、物に囲まれ、相反するように人としての大事なものを無くしている、と。
食べ物もそうだ。貧困にあえぐ地域や国もあれば、食品ロスに嘆く地域や国もある。
 
物は、人の心を狂わせる、と。
 
だが、私はそれに、断固として「否!」と応えよう。
物欲、大いに結構。本当の物欲とは、物を愛し、大切にする欲のことである。
 
飽きたら捨てる。古くなったから手放す。
それは物が増え、豊かになったから起こるのではない。欲に捕らわれ、人間の心を失うから起こるのである。
 
「衣食足りて礼節を知る」という言葉あるように、物の充足は、本来は礼節などの余裕を生み出す元となる。
おそらく、充足が急速に起こると、心が追いつかなくなるのだろう。
かつて日本は貧しく慎ましい暮らしをしていた。
「我唯足るを知る」とばかりに、今あるもので満足することを心得ていたのだ。
 
しかし急速に経済が発展した結果、物が溢れ、そのまばゆさに目がかすんでしまう人が続出していったのだろう。
悲しいことである。
 
ならば、お前は違うのか、と。
私は、いや、我々は違う。我々とは誰か。そう、「オタク」と言われる人々である。
 
オタクは手に入れた物、一つ一つに思いを込めている。
手に入れた一つ一つが自分を構成する一要素なのである。
 
時が経ったとしても、あのときあの頃の自分を形作っていたものである。
それをどうして捨てられようか。
物が溢れている自室、ということは、言い換えれば、好きな物に囲まれている部屋なのである。自分が好きな物を、手を伸ばせばすぐ届く距離に置いておける、理想の部屋なのである。
これほどステキな場所が他にあるだろうか。
 
もちろん、たしなみとしての掃除はしているし、「自分なりの」整頓はしている、つもりだ。
であるならば、ここは、この空間だけは、何者の介入も苦言も許されない、自分の聖域である。
 
見た目にきれいに整理整頓することは大切だ。私も生徒達にそう教えるだろう。
だが、それが全て正解ではない。物をそぎ落として手に入れられる爽快感もあるだろうが、物を積み重ねて得られる満足感もある。大事なのは、手に入れた一つ一つに愛情を注ぎ、大切にすることである。
そうすれば、物が増えたことに憂いも後悔もない。人の心を見失うこともない。
 
確かに部屋の混沌さによる不自由は、まあ、あるだろう。
しかし、そこを許容してしまえば、心はより自由になる。
そう、大好き、という気持ちこそが、1番の収納なのだ。
え? 意味が分からないって? 大丈夫、私だって何となくフィーリングで言っているのだから。
 
さて、この休日、お気に入りの部屋で何をしようか。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
黒﨑良英(天狼院公認ライター)

山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校に勤務している。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。持病の腎臓病と向き合い、人生無理したらいかんと悟る今日この頃。好きな言葉は「大丈夫だ、問題ない」。

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2023-02-08 | Posted in 週刊READING LIFE vol.204

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