週刊READING LIFE vol.206

明日からまねできる、指揮者の健康寿命の秘密《週刊READING LIFE Vol.206 面白い雑学》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/2/27/公開
記事:杉村五帆(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
世紀の発見をした、と思った。
この世で間違いなく健康寿命が長い職業の人たちがいるのだ。
それは、クラシック音楽の指揮者たちだ!
 
そう確信したのは、たまたまテレビで96歳を迎えた指揮者のヘルベルト・ブロムシュテットさんの特集を見た時のことだ。
 
アメリカ生まれのスウェーデン人で、日本のNHK交響楽団の桂冠名誉指揮者(長年にわたってそのオーケストラに貢献した人に贈られる称号)である。
 
一般の人にとって、指揮者や奏者というと孤高で近寄りがたいイメージがあるのではないだろうか。
 
子供のころからのクラシック音楽ファンの私にとってさえ、遠巻きに尊敬するような存在だ。
 
そういったなかで、ブロムシュテットさんは、いつもにこやかに微笑んでいる印象があり、親しみを感じる。しかし、練習は厳格で高いレベルを求めることで知られている。
 
15年くらい前だっただろうか。彼が指揮をする姿を生で見ておかないとクラシックファンとしてまずいのではと焦りが生まれた。というのは、そのときの彼の年齢が、80代だったからご本人には申し訳ないが何があってもおかしくないと思ったのだ。
 
しばらく待っていると名門のチェコ・フィルハーモニー管弦楽団とともにブロムシュテットさんが来日する公演が開催されるというニュースをつかんだ。
 
「彼の音楽を目の前で聴くのは最後かもしれない」と思い、思い切って高額なチケットを買った。
オーケストラとの信頼関係が感じられ、一体感がある演奏は期待を上回るものであった。
 
しかし、その後のブロムシュテットさんは、高齢に至るほどさらに本領を発揮し続け、今でも世界中で活発な演奏活動を行っている。NHK交響楽団の他にもベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団など国々を飛び回り、定期的に客演しているのだ。一流オーケストラから信頼される高名な指揮者であり続けているのである。
 
テレビの特集では、彼の指揮姿や図書館で調べ物をする姿が放映されたが、話し方が明瞭で背筋もピンと伸び、歩き方も安定している。何より表情がイキイキとしており、とても90代とは思えなかった。
 
このほかにも日本を代表する指揮者であり、87歳を迎えた小澤征爾さんが、昨年、指揮姿を見せてファンを喜ばせたのは記憶に新しい。
 
同じく日本の伝説的な指揮者である朝比奈隆さんは、93歳で亡くなる直前まで指揮棒を振った。
 
彼は「60歳まではテクニック。そこから先は人間の中身の問題」という言葉を残している。つまり、一般的には定年退職の年齢にもあたる60歳という節目が、指揮者の世界では、ひとつの区切りにしかなっていないという意味だ。
 
ちなみに朝比奈隆さんの最後の言葉は「引退するには早すぎる」だったそうだ。
 
海外でも、亡くなる前まで活動を行う長寿の指揮者は枚挙に暇がない。トスカニーニ(89歳)、ベーム(86歳)、カラヤン(81歳)、ジュリーニ(91歳)というように。一般の方にはカタカナの羅列にしか見えないだろうが、彼らはクラシックファンには垂涎の指揮者である。
 
一方、クラシックの名曲を残した作曲家は、短命だったり、精神を病んで亡くなるケースが多い。モーツァルト(35歳)、メンデルスゾーン(38歳)、ショパン(38歳)。後者としては、シューマンやマーラーがあげられる。
 
同じ芸術というフィールドで活動する画家、小説家の長寿についても調べたが、特筆すべきことはなかった。
 
こうして、指揮者には、長寿で健康な方が特別に多いことを発見したのは自分だけだと思っていた。
 
しかし、調べてみると1997年にアメリカですでに本が出版されていた。医学博士のデイル・L・アンダーソン教授による「オーケストラ指揮者の健康と長寿の秘訣」である(英語版のみ)。
 
概要によると大手生命保険会社の調査でわかったこととしてオーケストラの指揮者は、通常よりも38%も長く生きるという。
 
その秘密は、音楽にのって指揮棒を振る指揮者の動きにあるとしている。
 
皆さんもテレビなどで、指揮者がオーケストラに向かって音楽に乗りながら指揮棒で合図を送ったり、アイコンタクトをとったり、全身で何かを伝えようとする姿を見たことがあると思う。
 
その動きで得られる効果が下記のようなものだ。
 
・心臓と肺を強くする
・姿勢、柔軟性、バランスの改善
・ストレス軽減
・体重減少
 
教授は、指揮者のような動きを日常にフィットネスとして取り入れることで同様の効果が見込めると結論づけていた。
 
興味本位かつ雑学の一つとして指揮者と健康について調べだしたが、次第に一理あることがわかってきた。
 
しかし、自分の趣味であるクラシック音楽が健康に関係があるとは、50年近く気づかなかった。
 
クラシック音楽を聴くようになったのは、もともと親の趣味の影響だった。中国地方の山間の中流家庭だったが、共働きの両親は多くはない給料を食費よりも美術館めぐりやクラシックコンサートに使うようなタイプであった。
 
小学生の頃から車で30分かかる隣町のホールで開催されるクラシックコンサートへ連れていってもらい、生意気なことを言うようだが、生のオーケストラで音楽を聴くのが生活の一部であった。
 
もともと凝り性の私は、両親のレコードを片っ端からかけて覚えた。ベートーヴェン、ショパン、メンデルスゾーンなどなど。これほど美しい調べがこの世に存在するとは……! レコードのジャケットに載っている指揮者や奏者たちの写真を眺めながら、子供心に讃嘆の思いで耳を傾けたものだ。
 
特に贔屓は、指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンだった。なんといっても横顔がかっこよかった。同級生が、ジュリー(沢田研二さん)、俊ちゃん(田原俊彦さん)、マッチ(近藤真彦さん)と騒ぐなかで、私は60歳年上のカラヤンに心ときめいていて、下敷きに新聞記事の切り抜きを入れて、授業の合間に眺めるような小学生だった。
 
私が21歳のとき、81歳でカラヤンは亡くなった。高齢になっても精力的にコンサートを指揮していたし、ベッドの上でCDの録音の打合せをしながら天国へ昇ったのだそうだ。
 
「最期まで仕事をして亡くなるなんて、なんてかっこいいんだろう」と私はカラヤンに惚れ直した。そして、自分もできる限り最期の瞬間まで仕事ができるように健康でいようと決めたのだ。
 
とは言っても、職場環境はそうはさせてくれなかった。目の前の締め切りに追われ、人間関係に気を使っているうちに、近視眼的になり、最期まで健康で仕事をするという長期目標からどんどん離れていってしまった。
 
ついに40代のときに無理がたたって体調を壊し、長期療養をすることになってしまった。
 
寝込んだおかげで体調は戻ってきたが、引きこもり状態に陥ってしまった。「もう自分はダメだ」と何事も悪く考えがちで、外へ出るのが怖くて仕方がなくなった。一度身体をこわすとメンタルも壊れるのだとわかった。
 
毎日毎日、寝て過ごした。布団のなかしかこの世に安全な場所がないような気がしたからだ。
 
人生100年時代と言われるのに、自分はまだ半分しか生きていない。このあと半分を布団のなかで生きるのだろうか。いや、それはまずいと漠然と感じた。
 
そんなときに電話がなった。
母からだった。気分転換に実家に戻ってきたらいいとすすめてくれたのだ。
 
しかし、実家でも布団のなかでゴロゴロし続ける日々が続いた。ある日、母が私の部屋のドアを開けて入ってきた。そして言った。
 
「金魚体操って知ってる?」
 
「え?」
 
「布団の上でこうやるんよ」
 
母はたたみに横になり、腰を中心に微細に身体を振動させ始めた。
 
「これ、やるようになってほんと体調がええけえ、あんたもやってみんさい」
 
「うん」
 
ブルブル……力を抜いて細かく細かく身体の芯を振動させると、全身の神経機能が整うのだそうだ。母の優しさに感謝し、毎朝金魚体操を行うのが習慣になった。
 
布団のなかで過ごす時間は減っていき、日中は懐かしいステレオで両親が集めたクラシック音楽のレコードをかけて数時間を過ごした。
 
大人になってそのレコードのコレクションを見たら、有名なピアニストのポリーニやバイオリニストのメニューインというお宝の録音ばかりだった。
 
クラシック音楽は、私を責めたり、急き立てることはない。ただ静かに寄り添ってくれた。自分のなかに徐々にまた生きていくエネルギーが湧いてくるのを感じた。金魚体操の効果もあったのだろう。
 
母はいつまでもいてくれていいよと言ってくれたが、数日後、覚悟を決めて私は東京へ戻った。
 
小さくてもできることから始めようと決め、目覚めたあとに金魚体操を行ったら、近所の公園でラジオ体操に参加するようになった。ランニングをはじめ、睡眠スコア計測、瞑想など生活習慣をどんどん変えていった。
 
健康になると、心が自然とやる気と希望に満ちてくれる。私は昔の元気な自分に戻りつつあった。
 
そんなとき、あるコンサートへ行った。70歳の指揮者のチョン・ミョンフンさんのブラームスであった。
 
一階の前方席に座っていたのだが彼の後ろ姿を見ると、余計な力が入っておらず、微妙に身体の芯が音楽にあわせてリズムをとっている。それは、金魚体操の変形バージョンのように見えた。
 
誤解のないように言っておくが、チョン・ミョンフンさんの指揮のスタイルは、瞑想にも似た深い静けさがあり、エレガントでスタイリッシュなのが特徴だ。
 
その日は、いつにも増してメロディーが切なく胸に迫ってきた。チョン・ミョンフンさんの音楽の真骨頂を堪能した。
 
それで思い当たった。指揮者は、長時間タクトを振りながら音楽に身を任せている。それが金魚体操のように身体をゆるめる効果を生み、全身の血流を促進し、自信の源となり、最高の音楽としてアウトプットするというサイクルを生んでいるのではないだろうか。まさに最初に紹介した本のなかでアンダーソン教授が言っている通りである。
 
さらに指揮者の仕事は、多岐にわたっている。膨大な量の楽譜を暗記し、いろいろな音楽を聴かなければならない。感動するのが仕事なのだ。
 
オーケストラの団員一人一人に目を配り、組織として運営するリーダーシップも必要だ。
 
オーケストラやスポンサーの要望によって、海外へ渡り、組むオーケストラや奏者が変わることも日常茶飯事である。環境と人間関係の変化に対応することも求められる。
 
また、公演では正装をしてステージに立たなければならないというのも、指揮者の特殊な部分である。指揮者のユニフォームは、燕尾服かそれに準ずる礼装と決まっているからだ。
 
同じ芸術というフィールドにあってもこのような部分が、長時間家で作業を行う作曲家や画家、小説家たちと指揮者を隔てていると思われる。
 
やはり、緊張感を持つことは健康には不可欠なのだ。例えば身近なことで言うと、毎日、決まった時間にラジオ体操の会場へ行くということに置き換えられる。外に出る以上は、ある程度きちんとした格好をしなければならないし、そこで人の顔を見て挨拶を交わし、体操を行う。公園の四季が変わっていく様子も体感できる。
 
私はラジオ体操へ通うようになって10年近くになる。そこに集まってくるのは、70-80代が中心だが、メンバーに関しては私が初めて会ってからほとんど変わらない。そして、いつ会っても凛と背筋が伸びて、颯爽と歩いている。
 
その実、話を聞いてみると日中はテレビをずっと見ていて、出かけるのがラジオ体操だけという日もめずらしくないのだそうだ。
 
つまり、ラジオ体操が健康において大きな役割を果たしていることがおわかりになるだろう。
 
私たちは、指揮者になることはできないが、布団のなかで金魚体操はできるし、ラジオ体操へ行くことはできる。この小さな習慣を身につけるだけで、健康へのチケットを手に入れていると言ってよいのかもしれない。
 
最後に96歳のブロムシュテットさんが、自分の仕事に語った言葉で締めたい。
 
私は基本的に2つの理念を持っています。1つめは可能な限り周到な準備をすることです。そのために何週間も何ヶ月も、場合によっては何年も熱心に勉強する必要があります。私は初回のリハーサルまでに楽譜をすべて頭に入れています。それは私の音楽への敬愛、そして作曲家の方々と熟練したオーケストラ楽員の方々に対して私が抱く尊敬の念からです。2つめは肉体的、精神的に最良の状態に維持することです。つまり良き食習慣を維持し、有害なものは避ける。十分に体を休め、十分な運動をする。そうすることで、目の前にある仕事に集中することができます。これが私の基本的手段なのです(みんなのN響アワーWEBサイトより引用)。
 
まるで40代や50代の働き盛りのビジネスパーソンのようではないか。
 
もしかするともっと他に元気の秘密があるのかもしれない。今後も指揮者と健康について研究を続けるつもりだ。そして、「面白い雑学」の続報として届けられることを願っている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
杉村五帆(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

VOICE OF ART代表。30年近く一般企業の社員として勤務。アートディーラー加藤昌孝氏との出会いをきっかけに40代でアートビジネスの道へ進む。加藤氏の富裕層を顧客としたレンブラントやモネの絵画取引、真贋問題についての講演会をシリーズで主催し、Kindleを出版。美術館、画廊、画家、絵画コレクターなどアート作品の価値とシビアに向き合うプロたちによる講演の主催、自身も幼少期より芸術に親しむなかで身に着けた知識を生かし、「対話型芸術鑑賞」という新しいかたちで絵画とクラシック音楽の講師を務める。アートがもたらす知的好奇心と創造性の喚起、人生とビジネスへ与える好影響について日々探究している。

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2023-02-22 | Posted in 週刊READING LIFE vol.206

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