週刊READING LIFE vol.209

「これも私」だと言える覚悟を持つために《週刊READING LIFE Vol.209 白と黒のあいだ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/3/20/公開
記事:今村真緒(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
私は、パソコンの画像を見つめる先生の横顔を瞬きもせずに見つめていた。
……長い。
先生がこちらに向き直って私に話すまでのあいだが、ものすごく長い時間に感じられる。
昔、某クイズ番組で解答者が「ファイナルアンサー!」と宣言すると、司会者が正解を告げるまでの焦らしが名物となっていたが、この時の私も、とにかく早く検査結果を聞きたいのと、聞くのが怖いという、相反する感情でどうにかなりそうだった。
白なのか、黒なのか、はっきりさせたい。その一方で、「黒だったら、どうしよう」と、その狭間のグレーゾーンで、私の感情は揺れに揺れる。宣告を待つどっちつかずの間は、実際よりもはるかに時間の進み方が遅い気がする。
 
「……がんが、見受けられます」
ようやく私の正面に対峙した先生は、つとめて抑揚を抑えたような口調で告げた。
その言葉に、私は一瞬固まった。がんって、今や国民の2人に1人がなるっていう、あの「がん」だよね? もう一人の私が、頭の上の方から声を掛ける。頭では理解しても、気持ちがついていかない。
現実に椅子に腰掛けている私のほうは、黙り込んでしまった。2年前に難病を発症して、手術入院、リハビリと大変な思いをしたばかりだ。どうしてこう、病は集中してやってくるのだろう。病気に好かれて嬉しいことなんて一つもない。泣きたくなるような気持ちを何とかこらえるのが精一杯だ。
 
フーッと、溜息をついた。先生は、私の様子を穏やかに見守っていた。乳腺専門のクリニックだ。きっと先生は、私のような人を何人も見てきている。私が落ち着くのを待って、先生は説明を始めた。
「でもね、まだ初期だったのがラッキーでした。手術をしてがんを切除すれば、そう心配することもないと思うんです。できるだけ早く手術をされることをお勧めします」
 
初期か、良かった。少し安心したものの、また手術をしなくてはならないことにげんなりする。この日は12月25日だった。サンタさんは来なかったけれど、必要のないプレゼントはもらっちゃったな、と思った。帰宅したら結果を家族に話さなくてはならないだろうが、私には心配なことがあった。それは、娘が大学受験真っただ中の大事な時期だということだ。受験以外のことでできるだけ不安にさせたくないが、こうなった以上素直に話すしかなかった。
 
家族はびっくりしていた。以前にも、健康診断で胸に影があると引っかかったことが数回ある。
その度に、胸の内部の水泡が影のように画像に映っていただけという結果だったので、今回もそんなもんだろうと思っていたのだ。できるだけ早く手術の日程を決めたほうがいいと言われたけれど、遠方に受験に行く娘に付き添う予定だった私は、迷いに迷った。先生が紹介してくれた総合病院も、コロナの影響で手術できる日数が限られているようだった。
 
入院期間は、2週間程度を予定していた。何とか手術日を確保してもらった私は、日一日と迫ってくる手術の前に、いろんなことを終わらせなければと慌ただしい日々を送っていた。大学入試の共通テストを終えた娘と、その結果を見て受験校を決める話し合いや、退院してから少しの間自宅療養をするために、職場との休職期間の調整も必要だった。何よりコロナにかかっては、手術ができずに延期する羽目になる。受験期の娘の体調管理と自分の自己管理、そんなものに気を張りながら忙殺されていたとき、ふいに私は当たり前のように自分の体に備わっていた胸が無くなってしまうかもしれないことに改めて実感した。
 
総合病院の先生からは、「左胸を切除します」と言われていた。
切除だけで助かるのなら、致し方ないと思っていた。以前にもほかの病気で数回手術を受けているから、また体に傷が増えるのだなとそのときは単純に思っていた。けれど、「胸」を切除することを改めて認識したとき、なぜか私の中に言いようのない喪失感が芽生えてきた。
胸のことなんて今まで気にしたことがなかったけれど、いざ失ってしまうと思うと心がざわざわした。娘にお乳をあげたことで役割を終えたと思っていた胸だ。それでも、やっぱりいなくなってしまうのは寂しい。
「私も、やっぱり女性だったんだ」
思わず苦笑した。でも決まったことは仕方ない。何気なく、入浴中に胸を浴室の鏡に映してみる。片方無くなったら、一体どんな感じになるのだろう? 私には、まだ想像がつかなかった。
 
そんなとき、ふと天狼院書店のイベント「秘めフォト」のことが頭に浮かんだ。天狼院書店のライティング講座には馴染みがあったけれど、「自分史上最高のSEXYを」なんて宣伝文句に、自分とはかけ離れているものだとしか思えず、でもなんだか気になってサイトの紹介ページを見てしまっていた。そこに載っているグラビアのような写真の女性たちは、みんな堂々としていて目に強い力を宿しているように見える。「これが私です」と自信に満ちた雰囲気だからか、セクシーな写真なのに不思議といやらしさがない。
 
「胸があったときの自分を残せるなら、撮影してもらってもいいのかもしれない」
突然閃いた考えを一度は打ち消した。待て、待て。若くもなくスタイルにも全く自信のない私が、こんな写真を撮ってくださいと申し込むのはおこがましいと思った。それでも、私は悶々とする気持ちを持て余した。スマホで、「秘めフォト」のページを見ては閉じることを繰り返した。手術日は、あと半月後に迫ってきていた。
 
私は、ようやく写真を撮ってもらう覚悟を決めた。サイトの申し込みボタンを押したときはいやにドキドキしたけれど、申し込んだからには撮影してもらいに行くしかない。私は恥ずかしさも手伝って、一応こういう理由で今回お願いしますと事前にスタッフさんに告げていた。下手な言い訳をしているような自分が、滑稽に見えて居心地が悪かった。
 
当日、私はかなり緊張していた。普通のスナップ写真でもぎこちなくなるのに、この時間帯の撮影が私だけと聞いてかなり焦った。私は時間の関係でプレミアムコースという枠にしか申し込めなかったのだが、1人ではなくて他にもてっきりお仲間がいるものだと思い込んでいたのだ。
 
「じゃ、始めましょうか」
天狼院書店店主で「秘めフォト」カメラマンの三浦さんが、冬なのに明るい日差しが差し込むスタジオで朗らかに言った。
えーと、何をどうしたらいいんでしょう? はてなマークが頭の中に広がる。ノースリーブのワンピースに着替えてみたが、写真を撮られ慣れていないせいか、動きも硬くて顔も強張っている。それでも三浦さんが言うとおりに、顔を上げたり、目線を外したり、体の向きを変えてみたりする。
「いいじゃないですか! できていますよ」
本当だろうか? 初めは自信がなく、そうは思えない私だったけれど、褒め上手な三浦さんとスタッフさんによって、だんだんテンションが上がっていく。
 
そして恥ずかしいと強張っていた笑顔が、素の自分の笑顔に変わっていったとき、三浦さんは言った。
「そろそろ、胸を撮りましょうか」
そうだった。それが目的で申し込んだのだった。三浦さんはスタッフさんから事情を聴いていたらしく、乳がんで胸を切除した人を撮ったときのことを話してくれた。
「めちゃめちゃ、前向きですよ。胸がないとかそんなこと関係ないみたいです。私は私、っていう感じで」
ああ、それは私が「秘めフォト」の写真から感じていたのと同じことだった。
「私は私、これが私です」
そう言えるようになれたら、どんなにいいだろう。
 
撮影が終わるころには、何かがスッと成仏したような感覚があった。まだ、胸が無くなることを完全に納得できたわけではない。けれど、たとえ体のどこかが欠けたとしても、私は私であることに変わりはないという気持ちが芽生えた。
 
ところが、あれだけ胸が無くなることを気に病んでいたのに、術前検査で一部切除でも大丈夫かもしれないと言われて気が抜けた。全摘出したほうが今後のリスクが少ないと思うけど、一部切除にするかどうするかご本人にお任せしますと言われて面食らった。そんなこと、私が決めていいのかという戸惑いと、メリットとデメリットの天秤に右往左往する。結局「残せるのなら」ということで一部切除を選んだけれど、術後、残っているかもしれないがんをやっつけるための放射線治療が必要になった。月曜から金曜の5日間の通院治療を5週間続けなくてはならないことになって、再び職場と仕事時間の調整を図らなくてはならなくなった。
 
あれから丸2年が過ぎた。放射線の治療後は赤くただれていた胸も、今では右胸と同じ色の皮膚へと戻ってくれた。けれど左胸の切除した部分は陥没し傷跡が残っていて、今でも感覚があまりない。経過観察ということで、今でも最初にがんを見つけてくれた乳腺クリニックに定期的に通っている。マンモグラフィ検査にエコー、血液検査。丁寧に丹念に何度もエコーで検査されるときは、正直まだ終わらないのかと思うこともあるけれど、一つも見逃すまいとしっかり見てくれたおかげで初期のがんを発見してもらったことを思うと、そんな文句が言えるはずもない。
 
「どうぞお座りください」
診察室に入ると、相変わらず穏やかな口調の先生が私に椅子を勧めた。また、じっと画像を見つめている。この瞬間は、何度経験しても慣れない。
再発しているのか? 大丈夫なのか? 白と黒のあいだのどっちつかずの時間を、私はただ息を潜めて待つしかできない。画像を何回も確認した先生は、ようやく私のほうへと向き直って笑顔になった。
 
「今のところ、大丈夫ですよ」
フッと肩の力が抜けたのが自分でもわかった。ホッとした私は、次回の診察の予約を取ってくれる先生の横顔を眺めた。がんが寛解したと見なされる5年まであと3年。それまでは定期的に通うことになるが、その途中でどうなるかなんて、誰にもわからない。「今のところ」大丈夫としか、先生も言えないのだ。
 
がんになって周りを見回すと、意外にも「私も」という人がいて驚いた。そう言えば、がんになる確率は、2人に1人だと聞いたことを思い出す。しかも女性は、私と同じように乳がんや子宮がんにかかる人が多いらしい。同僚にも実は手術して胸を摘出したという人がいて、当事者でなければわからないことを、あれこれと教えてもらってとても助かった。知らないだけで、案外仲間が多かったことに、私一人じゃないとちょっと安心した。
 
もうすぐ、また定期検診の時期がやってくる。小心者の私は今度こそ「黒」だと言われはしないかと、ビクビクしながら病院へと足を運ぶことになるだろう。実は、1週間前くらいから左胸に痛みがあるので、余計に気になっている。これも前に同じようなことがあった。そのときは大丈夫だったけれど、今回も確認してもらうまでは、またどっちつかずの時間をヒヤヒヤしながら過ごすことになる。
 
白なのか、黒なのか? ファイナルアンサーは、どちらかしかない。白だったら安心すればいいし、黒だったら嫌だけれどどう治療するのか考えなければならない。泣いても笑っても二択ならば、せめてできるだけシンプルに考えたい。どうなるか悩んでも結果は変わらないのだから、どっちに転んだとしても「これも私」だと言える覚悟を持っていたいと思う。まだまだその自信がない私は、こんなことを書いては自分に言い聞かせている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
今村真緒(READING LIFE編集部公認ライター)

福岡県在住。
自分の想いを表現できるようになりたいと思ったことがきっかけで、2020年5月から天狼院書店のライティング・ゼミ受講。更にライティング力向上を目指すため、2020年9月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部参加。
興味のあることは、人間観察、推し活、ドキュメンタリー番組やクイズ番組を観ること。
人の心に寄り添えるような文章を書けるようになることが目標。

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2023-03-15 | Posted in 週刊READING LIFE vol.209

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