卒業式のプレゼント《週刊READING LIFE Vol.212 》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2023/4/10/公開
記事:赤羽かなえ(READING LIFE編集部公認ライター)
※この話はフィクションです。
甲板に上がると、寒さと湿気を含んだ風が正面から吹き付けてきた。
思わず目をつぶると、後ろから、
「さっぶ」
というつぶやきが聞こえる。
後ろを振り返ると、高樹雅也が最後の階段をあがってきた。彼は髪が風にもて遊ばれるのを鬱陶しそうに手でかき上げた。
「金井さん、どうした? そこで止まると後ろの奴らが階段上がれないんだけど。早く客室の中に入って」
「あ、うん、ごめん」
下から次々と同級生たちが階段を上がって来る。みんな口々に寒いと言うので、急に客室内がにぎやかになった。顔を見たことはあるけど、名前を知らない人がほとんど。学校では3年間あまり関わらずに過ごしてきた同級生たちと、一緒に入試に向かうことになった。最後にタカギのお母さんが客室に入ってきた。穏やかそうな笑顔の奥にうっすらと緊張感を隠しているようにも見える。
船室は暖房がかかっていて暑いくらいだった。窓の結露で外は見えない。窓際の席に着くと湿気を含んだホコリくさいにおいが鼻の奥まで入って来る。
「入試って緊張する……! ああ、もう、お腹痛くなってきたよ……」
「落ち着かないよね」
名前を知らない2人の女子のうち、ひとりはずっとしゃべっていて、もうひとりはおっとりと合いの手を入れる。
「金井さんって緊張しないの?」
ずっと話している女子が話をふってきた。リング式の単語帳を握りしめているのに一向に開く気配がない。
「そんなことないよ、緊張する」
「なんだ、そっかぁ! 金井さんも緊張すること、あるんだね。いつも冷静で大人っぽいし、クラスの友達ともあまり話さないし、私達のこと子供っぽいとか思っているのかなって、話しかけられなかった~」
「いつも海岸でゴミ拾いしているんだよね、マサに誘われたことあるよ。用事があっていけなかったけど。すごいよね」
おっとりとした女子は鈴のような声でタカギのことをマサと呼んだ。タカギは男子だけではなくて女子からもマサと呼ばれているんだな。ごく当たり前のことだけれど、クラスの友達と話したことがないからそれが新鮮だった。
「そんなこと……ないよ。前に砂浜を裸足で歩いてたら、ゴミで足をケガしたことがあって、それが嫌だからゴミを拾っていて……」
会話を聞いていたのかどうか、にぎやかな女子が早口で割って入った。
「ねーねー、金井さん、名前、優希ちゃんだよね?」
「あ、うん」
「じゃあ、優希ちゃんって呼んでいい?」
「……あ、うん」
「もう、奈実、優希ちゃんの話ちゃんと最後まで聞こうよ。奈実は私の話もさえぎるよね」
「ごめんごめん、っていうか、結衣、ちゃっかり優希ちゃんって呼んでるじゃん」
「へへへー」
試験に向かうという独特な空気のせいなのか、いつもなら少しうるさいなと感じる女子たちの話し声が、今日は不思議と心を落ち着かせてくれる。それに、無理やり返事をひねり出さなくても、2人はあまり気にしていないのが気楽だった。男子は別のテーブル席で曇った窓に落書きしては笑い声を上げている。
「高校行くのにこんなに早起きしなきゃ遅刻になるなんて、ヤバくない? 朝練あるならもっと早いよね。今日はマサんちの車で送ってもらえるからいいけど、4月からは港について学校までまた自転車こぐんだよ、冬とか起きれるのかなあ」
「それでも舟南受かれば近いけどさ、そうじゃなかったら、もっと遠くなるよね」
ちょっとそんなこと言わないでよ、落ちたらどうするん?! 奈実と呼ばれた女子が言い返す。その割に彼女は握りしめた単語帳を開く気配はない。私は紙を束ねたリングがゆらゆらと揺れるのを眺めていた。
スピーカーから、船がもうすぐ港に着くというアナウンスが流れた。
『舟南の入試に行くなら、港で待ち合わせて一緒に行かない? うちの母さんが学校まで行ってくれることになったから』
タカギから声をかけられたのは入試の1か月前くらいだっただろうか。あの日、私は途方に暮れていた。いつものようにゴミを拾おうと海岸に降り立った時、海の光景が異常だった。
海面がただひたすらに真っ白だったのだ。
流氷なんてみたことはなかったけど、瀬戸内の温暖な中瀬海岸がまるで流氷に覆われたようにゴツゴツとしていた。
流氷のようなものの正体は大量の発泡スチロールの破片だった。カキの養殖に使われているものが削れていくのだろう。大きさもそれぞれで、中には両手で抱えきれないような大きさのものまである。
「こんなの、どうやって片付ければいいの……」
干潮から満潮に向かうために、波が少しずつ浜を上がってきていた。寄せては返す波に乗って解けない氷が砂地に残ったり、また波にさらわれたりしながら所在なさげに漂っていた。
「おーーい、金井さーん」
背中から声が聞こえた。振り返らなくても、それがタカギの声だとわかるようになった。後ろから、砂を踏みしめる音がザッ、ザッと鳴る。そしてもう一度、
「金井さん」
と呼ばれた。だいぶ近づいてきた声に、今気づいたようにゆっくりと振り返る。
「タカギ……」
「あれ、どうしたの? 元気ない?」
「いや、別に……」
と目線を戻す。その方向をタカギが見る気配を感じた。そして、息をのむ音がした。
「なんだこれ、こんなにひどいの、見たことない。なんでこんなことになるんだよ……!」
「風向きがこちらになった途端、って感じだよね。とりあえず、浜辺だけでも、精一杯だから、やれることをやるしかないよ」
タカギの怒りを含んだ声に何でもないように淡々と答えながらも、ホッとした。彼がいるから、あきらめずに済む。彼がちゃんと怒ってくれたから冷静になれる。
大きな夕日があわただしく水平線に傾いていくのを見ながら、ピンクのボランティア用ゴミ袋を開いた。
小一時間2人でゴミ拾いをした帰り道、タカギは自転車を押しながら、ゴミ袋を2つとも運んでくれた。両側のサドルにひとつずつゴミ袋を下げると自転車がやじろべえのようにゆらゆらと揺れる。私はゴミでパンパンに膨らんだピンク色の大きな塊にぶつからないように少し後ろを歩いた。
「舟南受けるんだろ? 向こうの港から車で行けば10分くらいだけど、市電に乗ったら1時間くらいかかるらしい。入試は自転車で行っちゃダメだって知ってた? 母さんが車を船に載せて、港から車で学校まで送ってくれるって。試験を受ける人、一緒に乗っていいよって言ってくれたから」
「他にも人が乗る?」
「うん、男が俺含めて3人、女子は金井さんが乗るとしたら3人かな」
「私、みんなと上手くやれるかな」
タカギが自転車を停めてこちらを見た。目を大きく見開いて信じられないというような表情をしている。
「な、何?」
「いや、金井さん、人に興味ないから別に誰かがいてもいなくてもいいのかなって思ってたんだけど。ちょっとビックリした」
「さすがに、フェリーや車に一緒に乗るなら、無視はできないし……私だって別に人が嫌いなわけではないし」
「みんな、いいやつだよ。男は何度かゴミ拾いも参加したことある奴もいるよ、女子は、騒がしいけど悪い奴らじゃないよ。金井さんとクラスが同じ」
その後、名前を教えてくれたけれど、ほとんど覚えることができなかった。タカギは『中瀬マリンスポーツ』と書かれた店の横に自転車を止め、ゴミ袋をおろした。
「お、今日は仲良く2人で登場か。もうすぐ入試だろ? 余裕だなあ」
店からオーナーが顔を出してからかう。少し焦って私は頭をぺこりとさげてお礼を伝える。
「いつも道具とか貸してもらい、ありがとうございます。ゴミも置かせてもらって助かってます」
「そんなに、改まって言われると照れるけどな!」
オーナーはゴミ袋をタカギから受け取ると店の脇に積み上げた。
「冬になって、風向きが変わったから本格的にゴミの量が増えたなあ」
「今日、流氷みたいになっていて、あんなの初めて見た」
タカギが少し怒ったような声でつぶやく。
「カキの養殖の最盛期だからというのもあるけえねえ……海の上でどうにか発泡スチロールをすくってやらないと、魚たちも食べるだろうし、カヌーやボードにもしつこくこびりつくし……どうにかならんかの。中学生に掃除させておいて大人が何も動いていないんじゃ情けないのう、ワシも」
最後は自分に向けてつぶやきながら、オーナーは頭をかいた。
「坊主、暗くなったけえ、彼女を送れよ」
「いや、私の家は、すぐそこなんで」
「金井さん、送るよ。もう暗いし行こう。じゃあ、さよなら」
オーナーに挨拶をすると自転車を押しながら、タカギは進み始めた。背中越しの声だけでは表情は見えなかった。
「おはよ、優希ちゃん」
奈実におはよう、と返しながら、笑い方が固いなと思う。名前で呼ばれるようなことがなかったから、くすぐったい。試験が終わった後、タカギの車に同乗した奈実と結衣がクラスで話しかけてくるようになった。あの落ち着かない時間を共有したのがよかったのだろうか。
校庭の桃がまだ枯れている木々の中で色鮮やかに花を咲かせ始めた。
「明後日の卒業式の後って優希ちゃん、何か予定ある?」
あるわけがない。終わったら、家でご飯を食べて、夕方に飼い犬のルナの散歩がてらゴミを拾うくらいだ。
「それじゃあさ、結衣と3人で海の近くのカフェでパフェ食べてお祝いしようよ!」
いつもと変わらない日常には、友達がほとんどいなかったのに、青春が追い込みをかけてきたようだった。
「……え?! 私もいいの?」
タカギが金井さん、人に興味がないから、と笑っていたのを思い出す。確かに、友達がいてもいなくてもどちらでもよかった。祖母の面倒を見るために島に引っ越してきたけど、いつまでいるかもわからないからと、友達ができなくてもあきらめていた。寂しいとも思わなかったけれど、誘われたのは嬉しかった。
「あの……誘ってくれてありがとう」
「え、なんでよ、友達じゃん」
奈実が笑う。
あっという間に卒業式が終わり、まだ名残惜しそうに残る生徒たちを横目に校門まで歩いていると、後ろから、
「金井さーん」
という声がした。そんな風に呼ぶのはタカギしかいない。この一年で声がだいぶ低くなったけど、抑揚は変わらなかった。彼がいなかったら、中学の生活はいろどりがないまま終わっていたかもしれない。
「金井さーん」
ずっと近くに、声が追いついてきた。後ろを振り返ると、タカギが息を切らして、「もう、帰っちゃうの? 写真撮ろうよ」と言って、スマホを差し出してきた。学ランの前がはだけて制服の原型をとどめていない。
「タカギ、ボタンがなくなってる」
「そうだよ。記念にってほとんど取られた。何の記念なんだろうな。どうせ部屋の隅に転がしていて、ある時に捨てられるんだ」
俺のボタンかわいそう、と笑いながら、器用に自撮りモードでシャッターを切る。卒業式の距離感は近すぎる。耳元にかかる息にドギマギしながら無事カメラに収まった。気づかれないように、半歩横に距離を取りながら、「じゃあ」と手をあげる。
「あっさりしてるなあ……、今日は夕方、海に行く?」
タカギはスマホをポケットにしまってそのまま、手を中に入れている。その手がもぞもぞとポケットの中で動くのを見ながら返事をした。
「うん、多分。でも、奈実ちゃんと結衣ちゃんが誘ってくれて、パフェ食べに行くの」
「え……そうなんだ、よかったじゃん」
「みんなで同じ高校に行けるといいな、タカギも、一緒に行った子たちも」
入試の結果は、週明けにわかることになっていた。その時、遠くからマサー! と呼ぶ声がした。タカギは声のしたほうに向かって手を振る。
「俺、戻るわ。結果出たら、連絡する。会えたら夕方に」
「うん、じゃあね」
ポケットから手を出して走っていくタカギの背中を少し見つめて、踵を返した。校門の桃の花の横で、フライングした桜がひとつだけ花を咲かせていた。
「優希ちゃんには言っておかなきゃいけないことがあるの」
パフェを目の前に、奈実が改まった声を出した。
「うん、何?」
ソフトクリームが崩れそうなのが気になるけど、奈実の真剣な表情に手を止めた。奈実はポケットから大切そうに何かを取り出すと、テーブルに置いた。学ランのボタンだった。
「あのね、私、マサが好きなんだよね。わかっているとは思うけどマサってタカギのことだよ。さっき頼んで制服のボタンもらっちゃった」
奈実は、それだけ言うと黙ってパフェを食べ始めた。結衣は前から知っているのだろう、さして驚くこともなく、パンケーキを食べている。
奈実がタカギのことを好きだと言った途端に、目の前のパフェを食べる気持ちが萎えた。私は固まったまま、さっきまでタカギの学ランについていたというくすんだ金色のボタンを凝視していた。
「もしかすると優希ちゃんもマサが好きなんじゃないかって思って。まあ、仕方ないよね。2クラスしかないしさ、好きな男子がかぶっても」
奈実はパフェをどんどん食べていく。ソフトクリームはあっという間に小さくなっていった。
「いたたたた、アイス急いで食べ過ぎて頭痛くなった。……言うの、緊張したぁ」
奈実はようやく笑顔を見せた。
「ごめん、優希ちゃん、食べて、パフェ」
ソフトクリームがどんどんと溶けていて、慌ててすくっては口に入れたけど、味は全くしなかった。それでも、黙々とパフェを食べ進めるしかなかった。
「どうしよう、パフェの味が、しない」
そうつぶやくと、それまで何も言わずにパンケーキを食べていた結衣が吹きだした。それにつられて奈実も笑い出す。
「ごめん、食べ終わってから言えばよかったよね。私も、パフェの味わかんなかった。私が急に言っちゃったから」
私はかぶりを振った。
「優希ちゃんは、マサのこと、好き?」
私は、振っていた首を止めた。そんなの、わからない。一人でゴミを拾っていた時に声をかけて一緒にゴミを拾ってくれたタカギ。一度きりではなく、友達も沢山誘ってくれて海岸清掃をしてくれた大切な友達……のはず。私はタカギがどこの高校に行くのか気になっていたし、志望高校が一緒と知った時にとても嬉しかった。
「よく、わからない……嫌いじゃない。私、あまり友達がいないから、タカギは友達って言っていいのかもわからない、それ以上に好きかどうかなんて、考えたこともなかった……でも」
パフェをスプーンでグルグルにかき混ぜる。奈実と結衣は顔を見合わせる。
「でも?」
2人がじっと自分のことを見るのが怖かった。呼吸をするのが苦しくて肺を抑えつけられたみたい。奈実と結衣に嘘はつきたくないけど、好きなのかは、まだ、決めたくなかった。何か言葉を口に出してしまったら今までと見える景色が変わってしまいそうなのが、とても怖い。それでも、2人はじっと答えを待ってくれている。無理矢理息を吸いこんで、今思っている精一杯を口にした。
「タカギが、金井さーん、っていうその音が好き。金井に生まれてよかったって思う」
好きという自分の声が耳から入って心にコトンと落ちたような気がした。一瞬間があって、奈実と結衣が笑い出した。あまりにも笑い転げるので、顔が赤くなった。
「優希ちゃん、めっちゃおもしろいじゃん。なんか、1年間全然しゃべってこなかったのがもったいなかったな!」
奈実は目元の涙をぬぐう。そんな彼女を見ながら液体化したパフェを飲み込んだ。妙に甘ったるかった。
「後でさ、一緒に海岸に行ってもいい? 私もゴミ拾いしてみたい」
奈実が照れくさそうに笑いながら言うと、結衣も「私もやりたいなー、優希ちゃんがやっていることだもんね」とうなずきながら言った。
3人で海岸に移動すると、海は相変わらず流氷のように白い塊が浮かんでいる。今日は、そのゴミをかき分けるようにカヌーが数台、海を泳いでいた。
「え、どうして、夏はこんなにゴミないじゃん!」
奈実が呆然としたようにつぶやく声に答える。
「冬になると風向きが変わって海岸にあがって来るの。それでも、今年はとてもひどいと思う」
「冬にあんまり海に来たことがなかったから知らなかった……」
結衣もポツリと言う。
3人で海を眺めていると、海沿いを走って来る影が見えた。持っていたピンクのゴミ袋が広がってマントのようにはためいた。
「おーい、金井さーん」
タカギが手を大きく振っていた。
「なるほど、私はそんなに萌えないな、『金井さーん』では」
結衣がつぶやいた。奈実もタカギに手をふりながら、
「うそっ、結衣はわかってないなあ。めっちゃ破壊力あるよ。優希ちゃんうらやましい、私も金井に生まれたい」
と笑う。
「え、そこ?!」
私達は、誰からともなく笑う。
息を切らして駆け寄ってきたタカギは魚釣り用の網を差し出してきた。
「中瀬のカヌークラブの人に頼んでカヌーを出してもらったんだ。この網ですくって海上のゴミを少しずつ減らそうと思って」
網には、沢山の白い発泡スチロールが引っかかっていた。
「少しずつしかできないけどさ、やるだけやってみよう」
「マサ、網貸して。カヌーに乗ってゴミをすくうの、やってみたい!」
「そうしたら、あの黄色いカヌーのところにいる人に話してみて。今日は無料で乗せてくれるって」
奈実と結衣は網を持って駆けて行った。小さくなる2人の背中を見送った後で、横にとどまっていたタカギに声をかけた。
「タカギ……ありがとう」
「え、金井さん気持ちわるっ。お礼言ってくれたの、初めてじゃない?」
「中学生活、つまんないと思っていたけど、タカギのおかげで最後の最後に楽しくなったから」
なんか調子狂うな、と言いながら、タカギは右手でポケットから茶色い紙袋を出して私の前に差し出す。
「さっき、渡そうと思って渡せなかったやつ。恥ずかしいから、家で見て」
受け取ったとたん、声をかける間もなく、タカギは走り去った。
紙袋は下のほうだけゴツゴツしている。袋を開けると、さっき撮った卒業式の写真と砂浜の上に何かが転がり落ちた。
砂浜にしゃがみこむと、転がり落ちたのは学ランの金色のボタンだった。
慌てて拾い上げると、砂が指の間からこぼれた。ポケットにボタンをそっと入れてから慌ててあたりを見回す。奈実と結衣はカヌーで歓声をあげていてこちらには気づいていなかった。
不意に、不自然にポケットに手を入れていた帰り際のタカギの姿を思い出した。
かがみこんで、妙に息苦しくなっている自分を落ち着けようとする。
彼の姿はもう見えないのに「金井さーん」という大好きな音が、耳の奥で、まだ、響いている。
□ライターズプロフィール
赤羽かなえ(READING LIFE編集部公認ライター)
2022年は“背中を押す人”やっています。人とモノと場所をつなぐストーリーテラーとして、愛が循環する経済の在り方を追究している。2020年8月より天狼院で文章修行を開始。腹の底から湧き上がる黒い想いと泣き方と美味しいご飯の描写にこだわっている。人生のガーターにハマった時にふっと緩むようなエッセイと小説を目指しています。月1で『マンションの1室で簡単にできる! 1時間で仕込む保存食作り』を連載中。天狼院メディアグランプリ47th season & 50th~52nd season総合優勝。
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