週刊READING LIFE vol.213

あさりに混ざっていた砂を噛んでしまったような感情の正体《週刊READING LIFE Vol.213 他人の人生》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/5/1/公開
記事:鈴村文子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 
 
「Nちゃん、フェイスブックに投稿してる! また、写真コンテストに入賞したんだって」私は夫にそう言いながら、彼女のフェイスブックに載っている写真を見せた。着物を楽しむというテーマの写真コンテストだったように思う。彼女の子供たち2人、5歳の女の子と2歳の男の子が、着物を着て神社をお参りしている写真だった。神社の厳かな雰囲気と、子供たちの神妙な表情。とても良い写真で、それはコンテストで入賞するよね、と、文句のつけようもない。ただ、Nちゃん、すごいな、という気持ちの中に、なんとも言えない、嫌な気持ちが少し混ざっていて、友達の活躍を心から喜べない自分がいた。それはまるで、あさりを食べた時に、混ざっていた砂を噛んでしまったような感じだった。
 
Nちゃんというのは、私の大学時代の友達だ。私は名古屋の高校を卒業した後、関西の大学に進学をした。知っている人が1人もいないという環境で、私の大学生活は始まった。なぜか、お金持ちの子が通う大学、というイメージを持っていたので、私のような普通の家庭の子が馴染めるのかどうか、とても不安だったのだけれど、蓋を開けてみれば、全然、そんなことはなかった。私の入った文学部心理学科は全員で50人ぐらいで、男子が20人くらい、女子が30人ぐらいだったけれど、気取った感じの人はいなかったし、意地悪を行ってくるような人もいなかった。ただ、やはり女子というものがたくさん集まれば、いくつかのグループが出来上がってくる。おしゃれで活発で、男子とも仲が良いグループ、お笑いが好きな面白い物好きのグループ、勉強を真面目にするグループ、特にこれといった特徴のない、勉強も遊びもほどほどのグループ。私は、勉強も遊びのほどほどのグループに入っていた。特にこれといった特徴もないので、女子グループの中では一番人数が多く、10人近くが同じグループにいた。それだけの人数がいれば、同じグループの中でも、私の一人暮らしの部屋に泊まりにきてくれるような、とても仲の良い子から、一緒に授業を受けるだけ、というくらいの子まで、友達の濃さがさまざまだった。まるで、グラデーションのように。Nちゃんは、グラデーションの真ん中あたりの友達だった。一緒に授業に出た後、お昼ご飯を一緒に食べたりした。一緒に街に出かけて、買い物を楽しんだこともある。ただ、話す内容と言えば、昨日観たドラマの話や、同じ心理学科の人たちの噂話、授業で出た課題のことなど、当たり障りのないものばかりで、苦しい恋の相談などしたことはなかった。就職活動の時も、どんな業界を受けているのかは知ってはいたが、何社受けていて、どこまで進んでいるかは全然、お互いに知らなかった。私は、とても仲の良い友達には、エントリーシートの添削までお願いをしていたくらいだったから、Nちゃんとは、そこまでの仲ではなかったのだ。決して、見下していたわけではないけれども、Nちゃんには、なんとなく、友達として頼れない感じを持ちながら、接していたと思う。それは、台風の時の折りたたみ傘のようなものだった。普通の雨の時なら、折りたたみ傘で十分雨を防いで、外を歩くことができる。けれど、台風の時は、折りたたみ傘では、強い風で雨を防ぐことができない。それだけでなく、下手したら、折りたたみ傘は雨で壊れてしまうかもしれない。そんなふうに、普通のなんでもない時には、問題なく友達でいられるけれども、お互いがとても困ったとき、悩んでいるときは、何もすることができない。というよりはむしろ、困っていること、悩んでいることを知ることすらなかった。実際、大学時代に、Nちゃんが年下の彼氏と別れたことは、ずいぶん後になって、本人からでなく、別の友達から知らされたし、私が、大学で入っていたサークル内の人間関係で悩んでいるときも、Nちゃんに相談することはなかった。そう、Nちゃんは、大学でサークルに入らず、かといってアルバイトに精を出す風でもなくて、ただ本当に、大学に授業を受けに来ているという感じだったのだ。それに、Nちゃんは実家から通っていたので、衣食住の心配もないし、家に帰れば家族がいて、話をする相手もいる。それに比べて、私はといえば、アルバイトはしていなかったものの、サークル活動にかなり熱心に参加していた。それまで、まったく経験のなかった、合唱のサークルに入ったので、練習がとても大変だった。合唱の歌い方では、お腹から声を出す、とよく言われるのだが、初心者の私は、全然コツが掴めなかったので、通常の練習時間の他に、先輩に個人レッスンをしてもらっていた。年に2回、合宿があり、夏には、サークルのメンバーで旅行もする。それ以外に、他の大学の合唱サークルとの交流会が年に何度もあり、とても忙しかった。疲れて家に帰っても、一人なので、誰もご飯を作ってはくれない。元気のあるときは、自分でご飯を作って食べていたが、一番忙しかったときは、サトウのご飯をレンジでチンして、サバ味噌などの缶詰をおかずにしていた。一人なので、寂しさを紛らわすために、テレビをつけながら、ご飯を食べていた。それでも、そういう毎日を過ごしている自分が、少し、誇らしく思っていたのだ。高校生までは一人で何もできなかったのに、曲がりなりにも衣食住、自分で整えて生活をしている私。サークル活動に忙しくして、学科の勉強も、それなりに頑張っている私。自分が思い描いていた大学生活を送れている! 私、結構すごいかもと、思っていたのだ。だから、Nちゃんが、サークル活動もアルバイトもしないで過ごしているのを見て、物足りなくないのかな、なんて思っていたし、実家から通っているなんて、少し甘えてるんじゃないの、と思ってしまっていたのだ。そういう気持ちが、台風の時の折りたたみ傘程度の、信頼度合いになっていたのかもしれない。
 
そんな関係のまま、大学を卒業して2年が経った頃、Nちゃんから、結婚するという連絡があった。相手は、同じ会社に勤める、10歳年上の男性とのことだった。やっぱりね、と思った。Nちゃんは、バリバリ働くというよりは、早く結婚して家庭に入りそうな雰囲気があったのだ。予想はしていたけれど、相手のことを聞いて、安易に結婚を決めすぎじゃないの? だって私たちまだ25、26だよ。そんなに慌てて結婚しなくてもいいんじゃないの? と思ってしまった。その気持ちは、Nちゃんと結婚相手が2人で、私が当時勤めていた家具屋に来てくれた時に、より、はっきりしたものになった。言い方は良くないけれど、普通のおじさんで、確かにNちゃんのことを大事に思っているのかもしれないけど、女性というよりは、妹みたいに見ているような、印象を受けたのだ。この人と結婚して、Nちゃん、大丈夫なんだろうか? 仕事が嫌で、早く結婚したかったから、近くにいる人で、決めてしまっただけなのではないだろうか? そう思ったけれど、私が口を出すところではない。私の心配をよそに2人は無事に結婚式を挙げて、結婚式に招待された私は、おめでとう、とお祝いの言葉を送ったのであった。
 
それから1年後、届いた年賀状には、Nちゃんにそっくりな赤ちゃんの写真が載っていた。「女の子です。お近くにいらしたらぜひ見にきてください」なんて書いてあって、ああ、Nちゃん、お母さんになったんだな、と、まだ結婚もしていなかった私は、1人、置いて行かれたような気持ちになった。マラソン大会で、ずっと一緒に走っていた仲間が、何も言わずに、急にスピードを上げて走り出してしまったような感覚だ。そんなに早く、私は走れないのに。
 
そして3年後。Nちゃんから今度は、「男の子が産まれました」という年賀状が届いた。一姫二太郎。絵に描いたような幸せ家族の写真が年賀状に載っていた。Nちゃんが1人目の子供を産んでから、2人目の子供を産むまでの間に、私も結婚していたので、少しは、Nちゃんに追いついたような気持ちになっていたのだが、結局、その距離は縮まることはなかった。結婚してから何年経っても私には子供ができなかった。Nちゃんからは相変わらず、幸せ家族の写真付き年賀状が毎年毎年送られてきた。そのうち、Nちゃん以外の友達からも、結婚しました、出産しました、の報告が相次いで、その度に私は、マラソン大会で、どんどん、後ろから抜かされていくような感覚を味わっていた。夫と過ごす毎日に、決して不満などない。私は私で、楽しく幸せに暮らしているのだから、と頭ではわかっていても、どうしても、子供のいない私は不完全で、何かが欠けているという気持ちが心の奥底にあった。まるで、アイスコーヒーに入れたガムシロップが、コップの底の方に溜まっているのと同じように。ストローで混ぜれば、アイスコーヒーとガムシロップは混ぜることができて、美味しいアイスコーヒーになるけれども、私の感情は、うまく混ぜることができないまま、また何年かが過ぎていった。
 
年賀状の結婚・出産報告ラッシュもようやくひと段落ついた頃、Nちゃんから、フェィスブックの友達申請が届いた。Nちゃんがフェイスブックをやること自体、驚きだった。大人しくて、いつも誰かと一緒にいないと不安そうだったNちゃん。大学を卒業して、すぐに身近にいる人と結婚して、自分でお金を稼いで生活した経験がほとんどないNちゃん。子供にも恵まれて、人生、とてもうまく進められているNちゃん。ああ、そうか、そういう人生の自慢がしたいから、フェイスブックも始めたのかしら、なんて、私もずいぶん、意地悪なことを考えるようになってしまっていた。ところが、Nちゃんのフェイスブックを見ると、そんなふうに考えたことは、吹き飛んでしまった。なんと、写真コンテストに、入賞した、というのだ。大学時代に、写真のしゃの字も言ってなかった。おしゃれな子ではあったけれど、趣味もなさそうだったのに。
 
それから、Nちゃんの快進撃が、次々とフェイスブックに投稿されるようになった。モデルはNちゃんの子供達。写真コンテストのテーマに沿った写真で、素人の私が見ても、良いな、と思うものばかりだった。Nちゃん、すごいな。おめでとう、よかったね。もちろんそういう気持ちはある。でも……。大学の頃は、私の方が、ずっと充実した生活を送っていたはずなのに、どうして今、こんなに差がついてしまったのだろう。Nちゃんは、子供をモデルにした写真を撮って、写真コンテストで入賞を連発している。私は、子供もいないし、写真も撮れないし、何にも出来ない。同じマラソン大会に出ているとしたら、優勝と、最下位くらい違う。悔しいともまた違う感情が、私の心の中から、湧き上がってくる。ああ、そうか、私、Nちゃんのことが、うらやましいんだ。あさりの砂の正体は、うらやましいという気持ちだったのだ。
 
一度、それを認めてしまったら、生きるのが、楽になった。うらやましいと感じる自分を受け入れることは、アイスコーヒーとガムシロップを、混ぜる作業と似ていた。嫌な感情も全部、ひっくるめて自分なのだ。そして、人はきっと、みんなそれぞれ、ガムシロップのようにコップの底に溜まっているものがある。それとうまく付き合いながら、生きているのだ。
Nちゃんだって、Nちゃんのガムシロップがあるはずだ。私には見えていないだけで。私がうらやましいと思っていた、他人の人生には、他人の人生の辛さがあるのだ。そしてそれを、私は決して知ることはない。他人の人生を生きることはできないのだから。
 
自分だけが辛いと思って生きることは、もうやめよう。他人には他人の、私には私の人生がある。せめて後悔のないように、自分の人生を精一杯、生きていきたい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
鈴村文子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

2022年12月から天狼院書店ライティング・ゼミを受講。2023年4月よりライターズ倶楽部に参加。人に伝わる文章を書くことが目標。

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2023-04-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.213

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