週刊READING LIFE vol.215

踊らせないフラストレーションが人の心を躍らせる《週刊READING LIFE Vol.215 日本文化と伝統芸能》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/5/15/公開
記事:田口ひとみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「盆踊り」と聞いてもピンと来なかった。世間では、お祭りで踊られる民謡の類を、そう呼ぶらしい。田舎で育った人であればきっと、その地域に伝わる民謡があって、馴染み深く郷愁を誘う音色というものが人それぞれにあるだろう。
 
私の育った町にも「〇〇町音頭」というものがある。子どもたちが大好きな夏祭りはもちろん、地区の育成会などのお祭りのみならず、小中学校の運動会や町民体育祭などで必ず踊られていた。
 
そう。単にBGMとして流れていたのではなく、老若男女多くの世代にわたり季節関係なく、間違いなく《踊られて》いた。だから、私の知っている〇〇町音頭イコール、いわゆる「盆踊り」という感覚があまりなかったのかもしれない。
 
令和の小学校がどのように取り入れているかは知らないが、私が生まれた2年後に作られたというその曲は、その年に当選し町長になった人の友人が、当選祝いに贈ってくれたのだそうだ。素晴らしい友情の元に生まれた名曲は、その町で育つ子どもたちにとって避けることのできない、誰しもが通る道となった。
 
私たちは小学校低学年の運動会で、人生で初めての「音頭」に出会うことになる。そして、運動会って何なのか理解できているかわからない記憶もあやふやなその頃、私たちは「〇〇町音頭」を《踊らせてもらえない》という苦境に立たされる。
 
いや、そう思っている子らがどの程度いるかはわからないが、午前中で競技種目が終わってしまう1、2年生にとって、家族とお弁当を楽しんだ後の午後二番目の種目である「〇〇町音頭」には、参加させてもらえないのだ。
 
何たる屈辱。お兄さんやお姉さんにならないと、あの広い校庭の大きな輪の中には入れない。たった1年や2年先に生まれただけだというのに、彼ら彼女らは浴衣を着たご婦人たちと一緒に輪になって踊っている。思わず目を伏せずにはいられない。
 
同時に怒りが込み上げてくる。こっちは子ども騙しのやたらめったら明るいアニソンのようなポップな曲で踊れと強要されていのに。安っぽいビニールテープのピラピラやら、妙に輪ゴムの食い込みが痛いお面やらを作らされて持たされ、馬鹿げた踊りを踊らされているのだ(当時の先生方、ごめんなさい)。こうして「おあずけ」をくらった、早く大人になりたい子どもたちは、来年再来年の運動会に思いを馳せる。
 
そうなればこっちのもんで、3〜5年生にもなると、みんな当たり前のように踊るのだから、先生方も策士だと言わざるを得ない。楽しいか楽しくないかは問題ではない。ここまでの道のりで、小さな地区のイベントなどでは、この曲が何度も何度も目の前で踊り継がれているのだから、参加できるとなったが最後、当然のように踊りこなす。
 
とはいえ、6年生くらいからは恥じらいを覚え、中学生になるとそれはもうやらされている感が半端なくなってくる。それでもなお、みんな揃って踊るのだから田舎の子どもたちは本当にかわいいもんだ。
 
高校生にもなると踊りどころではなくなるし、大学生になったら町を出る者もいる。音頭とかダセエと斜に構えてしまうのも仕方のないこと。けれど、数年たったある日、自分の育った町に久しぶりに帰り、ふらっと訪れた祭りでイントロが流れると、勝手に体が動くようになっている。
 
誰しもが生まれ育った町に特別な思い入れがあるとは限らないが、不思議なことに、その音色がいつの間にか郷土愛を育み、記憶の奥底に刻まれ、自分のルーツを思い出させてくれる思い出の曲となっていくのだ。

 

 

 

記憶の奥底に刻まれている音色といえば、小さな小さな田舎町の〇〇町音頭が育む郷土愛とは別に、もうひとつ、私の育った地域に伝わる民謡がある。「八木節」という曲をご存じだろうか?
 
群馬県出身の上州人であれば、一度と言わず何度も聞いたことがあるであろうその曲は、群馬と栃木(と少しだけ埼玉)にまたがる地域で、現在も踊り継がれている。そう。この曲もまた、地域や小学校で一度は踊る運命にある曲ともいえるだろう。とはいえ、「群馬の民謡と言えば、八木節だよね。」などと、気軽に言ってはならない。少なからず、栃木の県南に住む人々の怒りを買うことになるからだ。
 
この民謡、元々は越後の十日町あたりが発祥の民謡で、お寺のお坊さんの悪口のために唄われていたとか、村と村との諍いを歌に乗せてやり合っていたとか、諸説ある。現在で言うところのラップバトルのような感じ、といえば良いだろうか? それが、田畑の手伝いに来た姉さんやら、醤油の醸造所で働く兄さんやらが出稼ぎにやってきて、仕事の合間に故郷を懐かしみながら口ずさんでいた曲から派生していったのだそうだ。
 
峠を越えて、利根川流域の栃木・群馬・埼玉にまたがる農村部に広く伝わったその曲のつくりは至って単純で、三−四−四−三(つまり七五調ではなく七七調)になっていれば、即興で歌詞を拵えることもできる。
 
動画配信サイトなどない頃、ラップバトルさながらポップなその曲は新潟から群馬に入り、埼玉や栃木の方まで口伝てで徐々に拡散しはじめていた。そして、ちょうど群馬から栃木に入ってすぐの宿場町「八木宿」の近くに生まれた栃木出身、堀込源太というモテモテのイケメンアーティストによって、大ブレイクとなる。
 
馬引きの仕事をなりわいとする源太は、幼い頃からの美声が自慢。歌い継がれてきたこの民謡を披露するや否や、あっちの村からこっちの村からお声がかかり、源太一座を結成して各地でライブを行い聴衆を惹きつけて行った。源太はその過程で、醤油の樽を叩きながら歌うスタイルを採用。当時は「源太節」と名付けて歌っていたが、大正の頃に録音されレコード化したその歌は、源太の思いをよそに、レコード会社の意向や地方の意見から「八木節」と命名されてしまう。
これこそが、八木節は群馬の民謡か栃木の民謡か論争の出発点となったできごとになる。
 
こうして、次第に八木節は美声の持ち主(源太)が樽を叩きながら歌い、周りに鼓や鐘をチャカポコチャカポコ鳴らし横笛で間奏を入れるお囃子(バンドメンバー)がいて、長編の物語を歌い上げるスタイルになっていく。歌詞の最後は「オオイサネー」で締めくくられるのが特徴だ。また、その周囲では踊り手(ダンサー)が華を添えるという、特有の伝統芸能(バンドスタイル)が形成されていった。
 
ちなみにこの「オオイサネー」というのは、馬引きだった源太の馬が「青」という名前で「青、勇めー」と馬にかけた声が変化したものだという話も聞くが、真偽は定かではない。

 

 

 

長々とその歴史を紹介してきた八木節だが、私がその曲を踊ることになったのは、小学校2年生くらいだったと思う。近所に踊りの師範というおばあちゃんがいて、地区で八木節保存会をつくることになった。おばあちゃん先生が、週に1回踊りを指導してくれるという。何がきっかけだったのか、もしかすると人数が足りないから声をかけられただけかもしれないが、八木節を習いに行くことになった。
 
そのおばあちゃん先生はとても優しかったが、眼光が鋭かった。ひとたび曲がかかると、目の奥がギラリと光る。子どもながらに「この人、ホンモノだ……」そう思った。浴衣姿で扇子を持って舞う姿はとても勇ましく、何の踊りなのかはよくわからなかったが惚れ惚れした。心の底から「ほえー、かっこいいー!」と思った。
 
八木節を踊ることで、嬉しいことがもうひとつあった。祖父母が通う老人センター(今でいうデイサービスのような施設)に訪問し、踊りを披露する機会が年に何度もあるのだ。大好きな祖父母に踊りを見てもらえ、褒めてもらえ、自慢してもらえるというのも私にとっては何よりのご褒美だったし、祖父母孝行だったと思う。
 
楽しく、時には厳しく習い続けた八木節。だが、ここでも「〇〇町音頭」に並ぶ、《踊れない屈辱》を味わうことになるとは考えてもいなかった。ただ単に、楽しく法被を着て踊っていればよかった。たまにバス旅行のように八木節の大会に赴くなどして、大勢の人に踊りを披露できさえすればよかった。
 
小学校も3年生になった時、ようやく気づいた。学年によって踊りの種類が変わるということに。踊りの難易度があがっていくということなのだが、つまりはお姉さんにならないとあの踊りは踊れない現象が、ここでも待ち受けていたのだ。

 

 

 

1年生 →手踊りだけ(何も持たないで頑張るよ)
2年生 →手拭い踊りまで(豆絞りを肩にかけられるよ)
3、4年生 →花輪踊りまで(両手にお花と鈴がついた輪っかを持てるよ)
5、6年生 →菅笠踊り(お花がついた笠を持ってくるくるできるよ)
中学生以上 →傘踊り(傘をねじねじしながら閉じたり開いたりできるよ)
上級者 →扇子踊り(両手に扇子を持って閉じたり開いたり、ひらひらできるよ)

 

 

 

何、このヒエラルキー?! 菅笠踊りに進むまでに2年って。子どもの成長を舐めてんじゃねぇ! 2年も花輪踊りで誤魔化そうだなんて、ふざけんな! またしても怒りが込み上げてきた。今考えると、腕のリーチとか筋力とかを考慮して子どもの成長に合わせられた、きちんとしたプログラムだったわけだけど、その頃の私にとっては「おあずけ」以外の何ものでもなかったのだ。
 
こうして、私の八木節熱は一気に覚めた……かといえば、そういうわけでもなく、花輪の鈴の音と華やかさが結構気に入って、2年間花輪踊りを辛抱強く踊り続けた。そして、念願の菅笠踊りを少し習い始めた頃、おばあちゃん先生が教えにくることは極端に少なくなり、反抗期を迎えた私は八木節を引退することにした。

 

 

 

今でも夏が来て、お祭りのたびに八木節を耳にすると、胸が騒ぐ。強く強くDNAにまで刻みこまれているのだろう。若い頃は、飛び入り枠で輪になって手踊りや手拭い踊りに参加したり、保存会のおばちゃんに一緒にやろうとスカウトされたりもしたけれど、かつての師匠であるおばあちゃん先生のようにいなせな踊り手には出会えていない。もしかするとすごい先生だったのかも、と今も時々思い出す。
 
隣街の桐生市では2022年から桐生八木節まつりが一部再開された。このお祭り、コロナ前はものすごい規模で、3日間で50万人ほどが来場するというフェスよりも集客数が多い巨大イベントだった。私も過去に数回訪れたことがある。
 
市内には八木節の団体がいくつもあり、歴代の猛者たちが自慢の喉を披露する「全日本八木節競演大会」は圧巻だった。何よりも、桐生の八木節はテンポが早い。だから、桐生市出身の夫は、今住む太田市や私の生まれた〇〇町の八木節を聞くと、遅すぎてモタモタしていてイラっとするのだそうだ。
 
ここ数年は「YOSAKOIソーラン祭り」に続けとばかりに「ダンスYAGIBUSHI!」なるダンス大会も開催されて、町おこしに一躍かっていると聞く。でも、ダンサブルな八木節よりも、できればホンモノの八木節を聞いてもらいたい。
 
群馬にも栃木にも少なくはなってきているが、保存会や連合会なるものがたくさんある。宗家堀込源太一門(昔でいう源太一座)は代々名を継いで、6代目堀込源太になっている。今は口伝えにしなくても動画配信サイトで簡単に見られる伝統芸能の世界。ぜひ、八木節を検索してみてほしい。そして、八木節を踊れないあなたも心を躍らせてほしいなと思う。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
田口ひとみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

群馬県生まれ。太田市在住。在宅ワーカー。流行病(はやりやまい)と五十肩で失われた体力を取り戻すべく、一日一空一散歩を開始。スマホを持って近所をウロウロし、突然人目も憚らず写真を撮るのが日課。
2022年ライティング・ゼミ12月コースに参加。
2023年4月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。

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2023-05-10 | Posted in 週刊READING LIFE vol.215

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