週刊READING LIFE vol.220

最大級のジレンマをもたらし、いまだラストシーンにたどり着けないのは、過去最高に没入した小説だった《週刊READING LIFE Vol.220 オールタイムベスト小説5》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/6/19/公開
記事:前田光 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
十代で読んだ小説には、若い感性が「これこれ、これですよ! 私が欲しかったのは!」と小躍りしながら深く深く自身に沁み込ませたくなるようなキラキラしたエッセンスが確かにあって、二十代で手に取った小説には、社会で一人前にやっていますと胸を張っては言い難かった当時の私が選んだ理由が今なら分かる、未来に対する不安と希望が入り混じった空気感が確かにあって、三十代で読んだ小説を思い出そうとしても何も出てこなくて、そうだった、出産子育て期で読み漁っていたのは子育て関連の実用書やレシピ本ばかりで、小説を手に取る余裕なんかなかったっけと当時を振り返り、四十代で読んだ小説には、本のチョイスにかつてないほど現実逃避感があふれていて苦笑いし、五十代で読んだ小説には、四十半ばにしてようやく得た翻訳という職業が選書にこれほど影響するのかと我ながら驚いたくらい、訳書や翻訳者に関係する小説が多かった。
 
イギリス人女性作家のシャーロット・ブロンテが1847年に執筆した『ジェイン・エア』(田中西二郎訳)を読んだのは小学四年生のときだった。産業革命が花開いたころのイギリスが舞台だが、女性が一人で生きていくには教師くらいしか道がなかった時代でもあり、しかも主人公のジェインは親を亡くし、親戚の家で厄介者扱いされて孤児院に放り込まれてしまうという、前半はとにかく重苦しい話である。色で例えるなら画質低めのモノトーンだ。
 
だが、親友の死など辛い体験を経ながらも家庭教師としてロチェスター家に雇われることになったジェインが、当主の偏屈おじさんエドワード・ロチェスターと、紆余曲折を経て恋に落ちるところあたりから、ジェインの人生が解像度バッチリ高めのフルカラーになる。読み手としても胸が高鳴るばかりである。
 
ところが結婚式の日、神の御前で永遠の愛を誓おうとしていたジェインの言葉を「その婚姻は行われてはなりません」と遮ったものがいる。ロチェスターには実は、ある秘密があった。あまりにも有名な王道ラブストーリーだから最後は二人が結ばれると分かっていても、このアンポンタンとロチェスターを蹴り飛ばしたくなる衝動に駆られ、ジェインと一緒に泣き崩れたくなるシーンである。それは、ジェインが結婚をやめると決めた理由が単に倫理的なことだけでなく、結婚を阻む理由を巡る二人の認識が、まるで食い違っていたからだ。昨日までは世界中の誰よりも、お互いがお互いの理解者だと思っていたのに、ロチェスターのことを一転して「何言ってるの?」と、まるで異星人と話をしているようにジェインは感じたのではないだろうか。これは辛い。順風満帆なときには気づきもしないが、男と女の間には見えない溝が深く存在しているのだと現実を突きつけられた瞬間である。
 
しかし、小学生の私がこの先も読み進められたのは、最後はハッピーエンドが待っていると分かっていたからだろう。女が不幸になる話は現実にあふれかえっているのだから、せめて小説の中だけでも、夢を見させて欲しいと今でもちょっと思っている。
 
それにしても、ジェインの時代と今では時代背景がまったく違うが、人の心の機微に関わる部分はさして変わっていないのだと思われてならない。生涯をおひとり様で過ごすことも離婚することも、現代人よりはるかに難しかった当時の女性たちが、このときに男性の庇護のもとから立ち去ろうとしたジェインの矜持をどのように受け止めたのか、想像するだけでも読む価値があると思う。
 
林育德(三浦裕子訳)『リングサイド』は、台湾のプロレス小説だ。格闘技全般にまったく興味のない私がこの本を手に取ったのは、著者が日本のプロレスラー三沢光晴氏のファンで、三沢氏が私に唯一なじみのあるプロレスラー「タイガーマスク(二代目)」だったと知ったからだ。
 
10編の短編作で構成されているが、各編の登場人物は少しずつ重なっていて、表面的には何の関係性もなさそうな人同士が、実はゆるい縁でつながっている。小説の中の話だけど、気づかないだけで私の周りにもそんな縁が転がっているのだろう。
 
一話目の「タイガーマスク」の主人公「俺」は、ポン引きとコールガールも出入りするややいかがわしいホテルでフロントのバイトをしているプロレスファンの大学生で、バイトの先輩からタイガーマスクのマスクをもらった。新入りのコールガール「真(ジェン)」は「俺」のホテルに出入りする女の子のうちの一人だが、そこで親しく話をすることはない。だが「俺」はポン引き経由でジェンを何度も別のホテルに呼ぶと、あのマスクをかぶって自分があのホテルのフロントだとは名乗らずに、ただ話をするためだけに金を払い続ける。自分で顔を隠しておきながら、何度目かに呼び出した日に「……ねぇ、俺の顔見てみたいとか思わない?」とジェンに尋ねるところは、いかがわしさ満載のホテルで、人生こんなもんさと清濁併せ吞んだような顔をして働く大学生の中にあるガラスのハートが垣間見え、面はゆくもまぶしさを感じる。二人の間に何かが生まれて欲しいと「俺」に感情移入しながら読み進めるが、ラストシーンは「俺」のいう「最悪の結果」を迎える。出会いと別れのかたちを自分で選べることはほとんどなくて、しかも切れてゆく糸を繋ぎ止めるのはほぼ不可能なんだよと心の中だけで「俺」に語りかけつつ、それでも「君の望むラストシーンがいつか訪れたらいいね」とリアルに「俺」に声を掛けたくなるような、胸にきゅっと来る余韻を残して終わる短編が、次の話になだらかに繋がっていく。そんな一冊なのだ。
 
李琴峰『生を祝う』は、台湾出身の芥川賞作家である同氏の受賞第一作にあたる。三十代や四十代ではなく、五十代バージョンの私で読めたのが本当にラッキーだったと思った。もう少し若かったら自分の妊娠・出産・子育てと重ね合わせて読むのが辛かったかもしれないし、もう少しあとだったら、その経験が遠くのことになりすぎて、数々の書評を読んでも「しょせんは作り話だから」とスルーしてしまっていたかもしれない。
 
科学技術が発達した結果、胎児に「生まれてきたいかどうか」の意思確認(コンファーム)ができるようになって胎児の同意なき出産が罪に問われるようになり、生まれたい(アグリー)であれば出産できるが、生まれたくない(リジェクト)と返事が返ってきた場合は堕胎(キャンセル)しなければならないという近未来の話が描かれている。
 
コンファームでアグリーを出して生まれてきた主人公が最初に「どんな挫折も耐えてやろうという気持ちになれたのは、この人生は他でもない、自分が選んだものだからだ。この人生は始まりから終わりまで、丸ごと自分のものなのだという事実が、私を支えている」と断言している様子には、説得力と生きる自信を感じる。同様の表現が言葉を変えて随所に現れ、そのたびに主人公の信念の強さが伝わってくるが、しかしいざ自分が出産する際のコンファームになって、まさかの結果が出たことで、この信念が大きく揺らぐ。
 
そして主人公を取り巻くさまざまな人間関係、とりわけ子供のころから苦手としていた姉の存在も、主人公の信念が揺らいだことで、以前とはまったく別のものに映るようになる。
 
人間には想像力があることが他の動物と違う部分だと言われるが、それを他者への理解に生かそうとするなら、自分が持っている一番強い信念、これがゆるぎなく正しいと信じて疑わないものをいったん忘れてしまわなければ無理なのだと思った。この点で、この話はフィクションではあるがリアルな現実を描いてもいる。
 
最後に主人公が下した選択は、私にとっては「それでいいのか?」と問いただしたくなるものだった。だが、産む未来と産まない未来、両方をお試ししてから「こっちにします」と選ぶことはできないのだから、悩んで悩んで悩みぬいた末に、自分で決断を下すしかないのだ。だったら主人公が「この人生は他でもない、自分が選んだものだ」という決断の積み重ねもまた、自分で選び取った人生であるとは言えないか。
 
私の実家の近所に、私のことを昔から実の孫のように可愛がってくれたおばあさんがいた。私が長男を主産して里帰りしたときにその人は息子を抱くと「のう、光ちゃん。わしら人間は地球で我が物顔に暮らしとるし、子どもを産めば自分が子供を作ったように思うとるかもしれんけど、この爪一つ、髪の毛一本も自分でこしらえようと思うて作ったもんじゃあなかろう。自分でこう作ろう思うて作っとる人はどこにもおらんのよ。それなのに赤ちゃんが育って生まれてくる。不思議なことよなあ」と言った。この本を読み終えて、その言葉が思い出されている。
 
『折りたたみ北京』は副題に『現代中国SFアンソロジー』と記されているように、現代中国を代表する若き作家たちによる短編集だ。タイトルにもなっている『折りたたみ北京』(大谷真弓訳)の著者の郝景芳は、名門大学として知られる清華大学で物理学を専攻した才媛で、現在は旅行記や長編小説を執筆している。この話は社会的階層に応じて北京住民の居住区を第一スペース、第二スペース、第三スペースの三つに分け、それぞれの住民が顔を合わせることがないように、厳しい都市計画が行われているという近未来の北京が舞台となっている。主人公の老刀(ラオ・ダオ)は第三スペースでごみ処理の仕事に従事していて、血のつながりのない娘・糖糖(タンタン。老刀はこの娘に、この名が示す通り砂糖菓子のような甘く素晴らしい未来が訪れるよう願いを込めてこう呼んでいるのだろうか。そんなことは本文に直接書かれてはいないけれど)をよい幼稚園に入れてやりたいがために、第二スペースと第一スペースを行き来する運び屋の仕事に手を染める。見つかれば投獄される危険な仕事だが、食うや食わずの日々を送りながら糖糖のためだけに生きている老刀にとっては、大金を手に入れる唯一無二のチャンスでもある。
 
「折りたたみ」の意味は読み進めるうちに明らかになるが、舞台は人間性など考慮されていない無機質な未来都市なのに、登場人物はみんな人間臭い。それはこの都市の管理者も同じで、ここまで人間を徹底管理しているにもかかわらず、富裕者層だけでなく貧困層も一人残らず生かそうとした結果が、敢えて設けられた「ごみ処理施設としての第三スペース」だったりする。老刀は最終的に仕事をやり遂げるが、大けがを負ったうえ「折りたたみ北京」の秘密を知ってしまう。物語の冒頭で老刀に乞われて仕方なく、別のスペースへの行き方を教えた彭蠡(ペン・リー)は、老刀を送り出す際に「行けば、しまいには、自分の人生が意味のないつまらんものに思えてくるだろう」と予言めいた話をするが、実際にそうならなかったのは、老刀が自分の人生をとうに諦めてしまっていたからだろうか。それとも別な理由があったのか。最後まで読み進めて老刀の「人間臭さ」を感じて欲しい。
 
町田康『告白』は、冒頭から心を持っていかれて、ページをめくる手が止められなくなった本である。にもかかわらず、608ページのあたりから、先を知りたくてたまらないのにどうしても読み進められなくなって、しおりを挟んで机の目につくところに置いたままにしている本でもある。それはこの本が悪いのではなくて、私自身の問題に起因している。
 
明治時代に実際に起きた「河内十人斬り」事件をテーマにしたこの小説の主人公熊太郎は、河内国で百姓の長男として生まれた。テンポ感のあるコテコテの河内弁に乗せて話は進み、実父と継母から甘やかされて育った、ひいき目に見ても愚鈍なぼんくら息子の熊太郎にはなぜか、私という読者もまた、「まあいいじゃないの」と大目に見てやりたくなるような愛嬌がある。ぎゃーそれは止めろ! ハズい、ハズ過ぎるぞと熊太郎の襟首を捕まえて座敷牢にぶち込みたくなるようなことや、どこをどう思考したらそんなにろくでもないことができるんだ? と思わず顔を覗き込みたくなるような事件を山ほど起こしているにもかかわらずだ。それは物語の筋書き的に言うと、熊太郎に自分の考えをうまく言語化できないという気の毒な弱点があったから、そして熊太郎を常に見下しながら金を巻き上げている、村の権力者の息子である永松熊次郎が、ピカ一のずるがしこさを発揮していたからだが、それらを織り交ぜながら、作者がダメ男熊太郎を嫌悪すべき悪人だと読者に思わせないような描き方をさらりと成功させているのが、超弩級にすごいと思った。
 
ところが、熊太郎が34歳のときに縫という17歳の少女と所帯を持ったあたりから、私が熊太郎を応援目線で見られなくなった。熊太郎の親が期待したように、これで少しは熊太郎がまともな人間になってくれるかもしれないという淡い望みが打ち砕かれ、縫がこの先、幸せな日を迎えることは決してないだろうとほぼ確信してしまったからだ。これまでは熊太郎に感情移入して読んでいたが、このときから私が一番大事にしたい登場人物が、縫に変わってしまった。だから、縫の不幸な姿をこれ以上見続けられなくなってしまった。つまり、読者の気持ちをこんなにもストーリーに没入させる力が、ここにも働いているということだ。
 
物語のテーマが実際の事件を題材としている以上、ここからハッピーエンドへのV字回復は望めない。先を読み進めたい。結末を知りたい。だが、縫が不幸になるのを見たくはない。ないないづくしのジレンマを克服できるくらいに、この小説を読むのに没入という現象から自分を遠ざけることのできる冷静さを、何とか手に入れたいものだと思っている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
前田光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

広島県生まれ。
黒子に徹して誰かの言葉を日本語に訳す楽しさと、自分で一から文章を生み出すおもしろさの両方を手に入れたい中日翻訳者。

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2023-06-14 | Posted in 週刊READING LIFE vol.220

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