週刊READING LIFE vol.228

自分の人生は自分で作る~つらい過去の乗り越え方~《週刊READING LIFE Vol.228『知人へのインタビュー記事』》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/8/21/公開
記事:赤羽かなえ(天狼院公認ライター)
 
 
「私ね、30代になるまで、生まれた頃から持っていたぬいぐるみを手放せなかったんです。思い返せば、それだけ寂しくて、心の拠り所がなくて、なにかにすがりたかったんだと思います」
 
安井洋子さんは、そう言いながら穏やかな笑顔で話始めました。安井さんは、笑顔が素敵で前向きさが印象的な女性です。でも、その笑顔ができるまでの人生は、幼少期の虐待や、姉の障害、生死をさまよう病気、離婚、不妊治療、ひどい更年期障害などを経験し、一時期はもう死んでもいいと思うくらいつらいものでした。そんな安井さんが色彩学や心理学、鉄ミネラル講座などを学んで生活に落とし込むことで、少しずつ心身の健康を取り戻されたのです。「今、幸せを感じられるのは、かつての経験があるから」と胸を張って言えるようになるまでのお話と「今、大変な思いをされている方に伝えたい」ことを伺いました。
 
 

自分の強い思いは病気まで引き寄せてしまった


-安井さんが生まれた頃はどのような状況だったのでしょうか
私の幼少期の頃はどこを切り取っても暗い話が多くなってしまうのですが、私には重度の知的障害を持った4歳年上の姉がいます。実はその上にも兄がいたそうで、兄は生後1週間後に亡くなってしまいました。姉が生まれてから数年経ち、周りの子どもと同じことができないことに親が何となく気づき始めた頃、母が私のことを妊娠したそうです。姉のことで苦労しそうだったので、私のことは当初あきらめようという話もあったと聞きました。その話を思い出すといまだに複雑な気持ちになります。
周りの同年代の子どもと同じことができない姉を親はいつも気にかけていました。当時は障害に対する理解はまだ薄くて、大変な差別を受けていました。姉は、「バカがうつる」と石を投げられたり、家に落書きされたりもしました。私の友達も一度は遊びに来てくれても二度目はなかったです。「もう遊びに行っちゃダメってお母さんに言われた」と言われるのです。子どもの私ですらそういう目にあったので、両親、特に母はもっとつらい目に遭っただろうと思いますし、実際にそういうシーンを見かけたことは何度もあります。
 
母は心身ともに常に極限状態だったと思います。母の地元が遠かったので協力してくれる人もおらず、周りからもそんな風に差別を受けていましたから、そのストレスのはけ口は、子どもの私たちに向かいました。姉と私は、精神的にも肉体的にも虐待を受けました。
 
兄も亡くし、姉も障害がある我が家では、私はしっかりしないといけない存在でした。子どもらしいわがままなんてもってのほか、ごねたり、すねたりなんてできませんでした。ちょっとミスをすると、髪を引っ張ってお風呂場に連れていかれるのが恐怖でした。湯船に顔をつっこまれるのです。首を絞められることもガラス窓に頭をぶつけられることもありました。
 
-安井さんにとって障害を持ったお姉さんはどんな存在でしたか?
私は、とにかく姉が羨ましかったんです。お姉ちゃんは病気だから、あなたは我慢しなさいと言われて育ちました。何でも姉が優先。姉は薬を大量に飲まされていたので、そのご褒美としてご飯もおやつも姉が好きなものをもらえて、私は二の次でした。いつしか、真剣に自分が優先してもらえないのは、自分が元気だからだ、私も病気になりさえすれば、優しくしてもらえる……そんな風に強く願うようになったんです。そうしたら本当に病気になってしまいました。生死をさまようような大病です。いよいよ今夜が峠という時に、私は自分の状況がわかっていたのか、母に「今夜は一緒にいて」とお願いしたんです。でも、そんな時ですら、姉が優先でした。「明日、お姉ちゃんの用事があるからごめんね」と言われてしまい、一人で夜を過ごしたのです。病気をしても私は優先にしてもらえなかった……ショックで私は心の扉の一部を閉ざしました。
 
その後、私は病気の後遺症で運動もできず、大量の薬を飲む羽目になりました。日々が嫌でたまらなかった。姉の優先は変わらず、身体も動かせない、学校でも友達がいない……自殺未遂もしました。自暴自棄から「死んでもいいや」と肚が据わってしまったんです。それで、勝手に薬をやめ、運動ができないはずなのに踊りを踊ったり好きなことをするようになりました。そうしたら、不思議なことに治らないと言われていた病気が治ってしまったんです。
病気になりたいと思ったら病気になり、病気なんてどうでもいいと思ったら治る。そんな体験から、自分が願ったことって叶うんじゃない? と思うようになりました。
 
-病気が治った後、何か変化はありましたか?
病気が治ったので普通の生活は送れるようになりました。20代前半で縁があって一度目の結婚をします。とにかく、自分の幼少期はお話した通りでしたから、理想の家族像を追い求めていたのだと思います。地に足つけて、家族が笑っている生活がしたいという思いが強かったですね。けれど、夫が子どもを欲しくないと言い始めました。
 
「お姉ちゃんみたいな子どもが生まれたらどうするの?」
 
そう言われたときには、何も言い返せなかったですね。その分贅沢しようよと言ってくれたのですが、それは私の理想の家族像ではなかったんです。ただ、普通の家庭が欲しかっただけなのに、それが私には夢のまた夢でした。最終的には、彼から、子どもがほしいなら別れた方がいいよね、と言われて離婚することになりました。
 
 

理想の自分を求めて心身を磨く


-つらい経験が続きましたが心境に変化はあったのでしょうか
その頃から、人は見た目が大事なんだなということを強く意識するようになりました。姉のように見た目が人と違うとはじかれるということをずっと間近で見てきました。また、当時食品メーカーに勤めていて、商品の中身がどんなに良くても見た目が良くないと売れないということも体感していました。
 
その頃から、色彩学に興味を持ちました。より好感が持てる見た目を追求するようになりましたね。でも、同時に、見た目だけでいいのだろうか? とも思いました。人の悪意に敏感な人生を送ってきたので、人のことを観察し続けてきました。どんなに美しい人でも、ツンケンしていたら人間的な魅力が半減するなという印象を受けたので心身の美しさを求めたいなと考えるようになりました。
 
食生活を整えて身体の健康を保っていくことも意識するようになりましたし、自己啓発の本を読んだり、素敵な生き方をしている方の本を読んだりしてマインドを学ぶようにもなりました。
 
そんなさなか、27歳の時に、父が突然亡くなったのです。
 
-それはどういった経緯だったのでしょうか
父は、検査した時点で末期のガンでした。言われるがまま、抗がん剤と放射線治療をしたのですが、あっという間に亡くなりました。その後、母もガンで看取ることになるのですが、父のことがあったので、納得のいく看護をしたいと思い、必死で勉強し、食生活にも気を使いました。それがよかったのか、母は余命宣告から2年近く長く生きることができました。その母の闘病生活の経験から、身体の健康を保つことに、栄養をとることの大切さを改めて実感しました。
 
 

不妊治療から突然の更年期へ


-離婚された後は、どのような生活をされていたのですか?
母と姉と3人で暮らしていました。当時、私は2人を支える大黒柱でした。大変な幼少期でしたから、母のことは嫌いでした。でも嫌いになりきれなくて苦しかった。これってどうしてなんだろう? と考えて、心理学を学び始めました。自分のことをもっと知りたいと思ったのです。
 
その学びには随分と助けられました。母のことも大変だったんだろうな、と少しずつ冷静に見ることができるようになりました。私が母を嫌いだけど嫌いになれないということにも向き合いました。
 
その頃、縁があって今の夫と再婚しました。そして、不妊治療を始めましたが、これがまた大変でした。
 
-どのように大変だったんですか?
始めた時にはとても軽い気持ちでした。不妊治療さえすれば子どもは授かると思っていましたから。けれど、そんなに簡単にはいかなかったんです。そのうち、私の心のバランスが崩れていきました。妊娠することがゴールになり、ギャンブルにハマったかのようでした。
 
「これだけお金をかけたのだから、次こそ妊娠する」
 
と、どんどんお金をかけていくのです。課金ゲームのようにお金を支払い続けます。辞め時も分からなくて、不妊治療のために、割のいい仕事に転職しました。仕事はつらい、でもお金を稼がないと妊娠できない、働かなきゃ……と必死でした。
 
心身の健康なんかそっちのけでした。今、色々学んだうえで振り返ると、子どもを望むならば、なおさら、心に余裕をもち、食事や睡眠に気を使って体を整えることが必要だったのに、本末転倒でした。
 
結局、不妊治療ができなくなり、その直後から突然の更年期障害の症状がでて、起き上がれない状況になりました。そんな中で、母の看護が始まったのです。
 
 

心だけでは治らない、身体が栄養に満たされてこそ


-体調不良の中、お母様の看護は大変でしたね
確かに、自分の体調がひどかったので大変でしたが、母の看護ができて本当に良かったです。結局、私が母を嫌う気持ちは、好きの裏返しだったんです。母が好きでたまらなくて、でも受け入れてもらえなかったから、嫌いと言う気持ちでもいいからつながりたい……その一心でした。ですから、看護は苦にはなりませんでした。
 
でも私がどんなに母に心を向けても、母は最期まで姉のことを心配し続けました。母は、妊娠中にたった一度だけ、風邪薬を飲んだことがあって、そのせいで姉が障害を持ってしまったのだと決めつけ、ずっと自分を責めていたのです。周囲の心無いいじめにもあって追い詰められ、我が子達を虐待をしてしまい、自分自身をさらに責めたと思います。結局、最期まで私の方を向いてくれなかった母でしたが、私は母のことが好きだからそれでいい、と思えるようになりました。心理学を学んだことで、私はそう思えるようになったのです。
 
-その後、安井さんはどうやって体調面を回復されたのですか?
母の闘病生活を見て、栄養を改善するのが大事だと思いました。そんな折に、鉄ミネラル生活に出会いました。身体の仕組みや栄養のことを学んで実践しているうちに、体調が少しずつ良くなっていき、とても驚きました。その学びの中で、自分や家族の心身の不調も、栄養不足が一因だろうということが腑に落ちました。心理学で解決したこともあります。それは、4割くらいだと思います。残りの6割は、栄養改善で変わると身をもって知ることが出来ました。
 
 

生まれ変わっても、同じ人生を歩みたいと思えるようになった


-栄養が満たされて変わったことはありますか?
生活や心にゆとりがあり、たくさんの愛情で満たされている人は意地悪をすることはないと思うのです。私は体調が回復してきて、やはり母のことを思いました。母は、心身ともに追い詰められていて余裕がなかった、だからこそ私達に当たってしまった。それは仕方がないと受け入れられるようになりました。
 
私は、心身ともにつらい思いをしてきました。だからこそ、辛い目に合っている人に伝えたいことがあります。恨むこともまた辛くないですか? 結局。恨むだけでは何の解決にもならないと私は思ったのです。自分に辛い思いをさせている人の背景を知ることでしか、自分は変えられないんです。
 
そうは言っても、されたことを許さなくてもいいんです。その人の背景に思いをはせるだけでいい。そして、恨んでしまう、責めてしまう自分自身を、どうか責めないでください。
 
-今、改めて、家族のことをどのように思われていますか?
亡き両親のことはとても愛しています。障害を持った姉とは離れて暮らしていますが、一番好きな人です。私は、かつて姉が人と違うのを隠したかったんです。でも、それって、私自身が人とは違うという意識に負けていただけなのです。今は、姉の存在がとてもありがたいです。姉は人の力を借りないと生きることはできません。でも、生きているだけで、その存在だけで私に元気を与えてくれる存在。姉を見ていると、自分も生きているだけで価値があるって思えるようになりました。姉がいなかったら、私は今頃、傲慢な人生を歩んでいたかもしれない、そう思ったら私は今の人生でよかったと心から言えます。
 
もちろん、羨ましいなと思う人もいます。自分ができないことができて、輝いている人ってすごいなと思います。そんな時は、その人の人生を自分が歩んでいると想像してみるんです。輝いている人の人生そのものと入れ替わりたいかと考えると案外そうでもないなって思えます。やっぱり自分の人生が一番で、もしも生まれ変わっても他の誰かじゃなくて、自分の人生を生きたいなって今は思えます。
 
そういう心の変化があったからでしょうか、生まれた時からもっていたぬいぐるみをようやく手放すことが出来ました。自分が辛い思いを経て、今の自分にたどり着くことができたからこそ、自分の経験を活かして、他の誰かの辛い思いに寄り添えるような活動ができたらいいな、と思っています。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
赤羽かなえ(天狼院公認ライター)

2023年下半期は、フィクションに沢山挑戦します! インスタにて毎朝小説を更新中。2020年8月期ライティングゼミに参加、同12月よりライターズ倶楽部所属。2021年10月よりREADING LIFE編集部公認ライター認定、2023年1月期ライターズ倶楽部主席、同5月に天狼院公認ライター認定。月1で「マンションの1室で簡単にできる! 1時間で仕込む保存食作り」を連載中。天狼院メディアグランプリ47th season & 50th~53nd season総合優勝。

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2023-08-16 | Posted in 週刊READING LIFE vol.228

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