週刊READING LIFE Vol,95

先生の子供に不登校が多いのは本当か?《週刊READING LIFE vol,95「逃げる、ということ」》


記事:岡 幸子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
大学を卒業してすぐ教員になった。
生徒指導に悩み、20代後半の夏休みは東京都が用意したスクールカウンセラー研修に通った。3年目に受けた上級コースでは数日間、同じような悩みをもつ小、中、高の先生20名と一緒に、専門家の講義を受けたり、実践演習を行った。このときのメンバーとは、その後も数年間、月に一度の自主研修会を続けたほど親密になった。
私の教員人生に大きな学びを与えてくれたこの研修会で、じつは一番印象に残ったのは講師の言葉ではなく、進行役の指導教員がポツリと言った一言だった。
 
「先生の子供には不登校が多いんですよ」
 
まだ独身だった私はびっくりした。
そんなことがあるのだろうか?
背が高くダンディで、優しい雰囲気の指導教員は続けて言った。
 
「じつは、うちの息子も不登校なんです。親が何年も教育相談(カウンセリング)の担当をやっていても関係ないんですよね」
 
ええーっ!
ホントですかぁ?
 
すると、受講生の中にも「うちの子も不登校経験者です」という先生がいた。
「同僚のお子さんが不登校です」という人もいた。
 
本当に驚いた。
当時、定時制高校に勤めていて、中学で不登校だった生徒や、全日制高校に入ったものの通えなくなって定時制に来た生徒をたくさん見ていた。定時制だから多いのだと思っていたので、教員関係者の子供たちにまで不登校がありふれているのは意外だった。
 
30代になって、教員同士で結婚した。
わが子が不登校になるリスクは2倍に高まったな、とちらりと考えた。
 
子供が学校へ通えなくなる理由はさまざまだ。学校での人間関係によるものだけでなく、家庭に原因がある場合もある。子供を授かったとき、両親が教員というハイリスク家庭であることを自覚して、二つのことを目標にした。
①家庭を安心な場所にすること。
②悩みをしっかり聴ける親になること。
 
家庭に深刻な問題があったら、学校へ通うどころではなくなる。子供にとって家庭は、外の世界で受けるさまざまなストレスから逃げ帰る場所だ。家庭でストレスを抱えたら、子供はどこへ逃げればいいのだろう。学校へ逃げて、うまくやりすごせれば幸運だ。学校でもストレスを抱えたときが危ない。家も学校もどうでもよくなり、反社会的な行動に走り、警察のご厄介になった生徒を何人も見た。帰宅した子供が安心して過ごせる家庭であることは大切だ。これは、少し気をつければできそうな気がした。
 
悩みを聴ける親になるにはどうすればいいか。
息子と娘を保育所に通わせていたころ、真剣に考えた。
二人とも、保育所での生活で子供なりに小さな悩みをあれこれと抱えていた。大人からみれば、「なんだそんなことか」と思うようなことでも、子供ながらに一所懸命考えていた。
日々の、この小さな悩みを“今”聴かなかったら?
思春期になっていきなり、「悩みがあるなら何でも話せ」と言われても、はいそうですかと話せるものだろうか。
高校生ともなれば、友人関係も複雑化し、ドラッグや妊娠、詐欺、窃盗といった深刻な問題に直面するかも知れない。5歳児の悩みをしっかり聴いて一緒に考えていくことが、いずれもっと深刻な問題を相談できる親になる第一歩のように思えた。
家事や仕事を中断してでも、子供の悩みを最優先で聴く。そう心掛けた。
 
そんなわが家にも、ついに不登校になるかならないか、瀬戸際のときが訪れた。
娘が中学1年生のときだった。
初夏、同じクラスの男子生徒に告白されて付き合い始めたまではよかった。
一か月で「やっぱりやめよう」と言われ、何が何だかわからないうちに、それからしばらくして嫌がらせが始まったという。その男子生徒は運動部で勉強もでき、いわゆるスクールカーストの最上位層にいた。彼の言葉は力をもち、娘が普通に接していた他のクラスメイトに悪口を吹き込まれて、日に日に話せる友達が減っていった。前の日まで仲良く話していたのに、突然、無視されるようになるのは相当辛かったようだ。彼は、生徒会役員までやっていたので担任からも頼りにされる存在だった。娘は文化部で勉強もそこそこ、ゲーム好きでカーストは低い。似たような趣味の友人と目立たないように嫌がらせをやりすごし、クラス替えで担任と、その男子と離れる日を楽しみにしていた。
 
2年生の始業式。桜の季節。
帰宅した娘の顔は、この世の終わりのように青ざめていた。
7クラスもあるのに、よりによって天敵のような男子生徒とまた同じクラス。担任も同じだった。
私は後悔した。
面倒な家庭と思われたくなくて、娘の中学へ何も言わずに、「クラス替えまであと少しの辛抱」と軽く考えていたのだった。まさか、嫌っていた担任と、あの男子生徒とダブルパンチで同じクラスになるなんて。
面倒くさがられても事前にクラス替えの要望を伝えておけばよかった……
 
夏休みには、その後悔はピークに達した。
天敵の男子生徒は、新しいクラスでも自分は表に出ることなく、じわじわと娘の評判を落としていったらしい。生徒会長になって、先生からの信頼もますます厚くなったようだ。
娘は、給食の食べ方が汚いとからかわれ、5月以降、給食を食べられなくなってしまった。食べようとすると気持ちが悪くなるという。育ち盛りの中学2年生が給食を食べないなんて、あまりにも不健康だ。親がいくら心配しても、どうしようもなかった。精神の不調は食欲という、生存に一番大事な欲求さえ狂わせてしまうことを目の当たりにした。
 
「三者面談で、先生に相談してみようか?」
「やだよ。あの先生、私のことなんて見てないもん」
 
夏休みに入ってすぐ、恒例の担任、保護者、本人の三者面談があった。今の状態を少しでも改善したかった私の提案を、娘は強い口調で拒絶した。
その理由は、すぐにわかった。
三者面談当日、担任はTシャツに短パンというラフな格好で、約束の時間に5分遅れて教室にやってきた。
 
「まあ、今年で担任するのも2年目なんで、言わなくてもよくわかっていますから。何の問題もなく学校生活送っていますんで、とくに心配いりません」
 
ああ、娘の言う通りだった。
30歳前後の独身の女の先生は、本当に何も見ていなかった。
私も、この先生と同年代のころは何も見えていなかったのだろうか。いや、見えていなかったかも知れないが、少なくともそれを自覚してもがいていた。
この先生、最初の挨拶からの数分間で、担任2年目であること、だからよくわかると3回も言っている。他に話すことがないのかも知れない。
だんだん腹がたってきた。
 
「先生、2年目だから言わなくてもよくわかるとおっしゃっていますが、娘の様子、ご覧になっていないのでは?」
「え?」
「5月から、給食を食べられなくなっているんですが、お気づきじゃないようですね」
「ええっ、本当?」
 
担任は、あわてて娘に話しかけた。
 
「ホントに食べてないの? 何か原因があるんだったら言ってくれないと。言わなきゃわからないよ」
 
娘は無言だった。
ついさっきまで「2年目だから言わなくてもわかる」と自信たっぷりだったのに、「言わなきゃわからない」を繰り返して面談は終わった。
 
この担任には相談したくないだろうなあ。
天敵男子が担任のお気に入りなら、なおさらだ。
下手に話すと、かえってクラスに居づらくなるから、目立たないようにひっそり過ごしたいというのが娘の希望だった。いくら健康に悪くても、納得するしかなかった。
 
娘は給食を食べない生活を続けながら、自分自身と戦った。
無意識に髪の毛を抜いたり、爪を噛んだり、眠れなくなったり、ぎりぎりの精神状態に見えた。幻聴もたまにあるようだった。辛かったら休んでもいいよと声をかけると、
 
「一日休んだら、もう二度と学校へ行けないような気がする」
 
そう答えた。
学校へ行って体を壊すくらいなら、行かなくてもいい。私はそう思ったけれど、娘はきっと怖かったのだ。多くの人と違う道を歩くのはとてつもなく怖い。普通の子供にとって学校へ行けなくなることは、真夜中にたった一人で墓場に置き去りにされるような恐怖に違いない。先が見えない、何が出てくるかわからない恐怖。出口のわからない恐怖。取り残された墓場のどこかから、出口を探して歩き始めるまでには相当な覚悟がいるだろう。
運悪く、本当に取り残されてしまったら?
学校へ行けなくなってしまったら?
家庭が学校の逃げ場所になったとしても、不登校から立ち直るためにはまず、通学できなくなった自分を受け入れる勇気がいる。新しい一歩を踏み出すにはさらにエネルギーが必要だ。不登校を乗り越えて、少しずつ通学できるようになった生徒たちの顔が浮かんだ。みんな、よく頑張った。英雄ではないか!
 
その後の数か月、私にできたのは娘の話を聴くことと、自分の気持ちを我慢して担任にもう何も言わないことだった。
娘が、とにかくひっそりと過ごしたかったことはよくわかった。
けれど、一年前の後悔を繰り返したくなかった私には、どうしてもやりたいことがあった。娘の状態は病的だ。
心療内科を受診すれば、診断書が出るだろう。
それを持って、3年生のクラス替えでは、担任と、あの男子生徒と別のクラスにして欲しいと、学年主任に要望する……。
 
モンスターペアレント扱いされても構わなかった。
一年前、放っておいても違うクラスになるだろうと甘く考えて失敗した。娘を今の環境から逃がすため、できることは何でもやりたかった。
 
病院へ行くのを嫌がっていた娘も、診断書を取ることがクラス替えの役に立つことが分かると通院を承諾した。一緒に心療内科へ行くと、初診で診断名がつき、薬が大量に出た。医師から「自分が中学に電話しましょうか」と言われて驚いた。きっと、よくある話なのだ。
 
学年主任には、娘と一緒に会いに行った。
別のクラスにして欲しいと伝えた男子生徒の名前を聞いて、とても驚いていた。
 
「いい生徒だと思うのですが……」
 
その一言で、娘の苦しみの深さを知った気がした。
娘が感じた疎外感は、ほぼ学校全部を敵にまわした感覚だったのかも知れない。味方になってくれた数人の女子がいなかったら、とても持ちこたえられなかっただろう。死にたいと言いながら死なずにいてくれて本当によかった。学校側から何と思われようと、クラスを離してもらわなければ!
 
直訴はうまくいった。
違う担任になり、離れたかった男子生徒とは教室が別の階になった。
 
中学2年生を意地でも休まなかった娘だが、その後は休みがちになった。
高校は、地元の中学から他には誰も進学しない都内の女子高へ行った。
そこでも、途中から行ったり行かなかったり、いつ不登校に転がってもおかしくないような精神状態になった。別の心療内科に通ったり、脳の機能検査を受けたりもした。
中学で受けた心の傷の、後遺症に思えた。
 
いや、傷ではなく、風邪だったのかも知れない。
 
学校へ行けなくなるのは風邪をひくようなものだ。気をつけていても、誰でもなる可能性がある。症状が軽ければすぐまた登校できるだろうし、こじらせると長く休むこと(不登校)になる。
先生の子供だから不登校になりやすい、ということもないだろう。職場で日常的に不登校を見ているので、話題が出たとき「うちもそうです」と言いやすい雰囲気があって、そんな印象になるに違いない。一般企業で仕事中に不登校の話題などまず出ない。学校という特殊な職場だから、不登校が世間話になるのだ。
風邪と同じで、誰にでも可能性がある。
だから、わが子が不登校になってしまったら、風邪を治すようにいたわってあげればいい。家にいるのは、家庭が逃げ場所になっているということだ。逃げたいときは逃がしてあげよう。風邪が治って、体力が回復したら、少しずつ外へ出る練習をすればいい。後遺症に悩む子は見守ってあげよう。一歩ずつだ。
 
昨春、娘は留年することなく高校を卒業した。
桜の季節がくるたびに、とくに精神が不安定になったので、大学へちゃんと通えるか心配だった。けれど娘は少しずつ世界を広げ、授業では心理学を学び始めて、かつての自分を客観視できるようになっていった。
 
何でも話せる母親として、まだまだ娘の相談にのりながら、近くで見守っていくつもりでいたのだが。
年末になって、娘は突然、家を出て一人暮らしをしたいと言い出した。
 
「自宅から通えるのにアパートを借りるなんてわがままだよ。一人暮らしは社会人になるまで我慢しなさい」
 
娘の望みを即答で拒絶して、数時間たってから気がついた。
これは私の望みであって、娘の気持ちを無視している。心配で近くに置いておきたいのは私。この母の呪縛から娘は逃げ出したいのかも知れない。
 
なんでも相談できる母親になるのではなかったのか?
 
一晩考えて、娘とよく話し合うことにした。
まずは傾聴。相談をうけるときに一番大事なのは、気持ちをしっかり聴くことだ。
彼女は一人暮らしの必要性を訴え、私を納得させた。成長しなければいけなかったのは、私の方だった。
 
娘は一人で不動産屋をまわり、物件を選び、今年の一月からアパート暮らしを始めた。
コロナ禍でしばらく自宅にいたが、6月から大学の実習が始まって、アパートに戻った。
今でも時々、心が不安定になることもあるようだが、LINEのメッセージを交換してお互いに励まし合っている。
 
そう、いつの間にか娘は私の悩みを聴いて、励ましてくれる存在になっていた。
 
人は5歳でも20代でも50代でも、いくつになっても悩むのだ。
悩みながら、時には逃げる、ということも必要だ。
学校も、家庭も、どちらも大切な居場所には違いないが、それが全てではない。
 
一人暮らしを始めた娘のように、自分の居場所を新しく作ることもできる。
生きてさえいれば、いくつになっても人生は可能性に満ちている。
 
 
 
 
<おわり>

プロフィール
岡 幸子(おか さちこ)
東京都出身。高校教諭。平成4年度〜29年度まで、育休をはさんでNHK教育テレビ「高校講座生物」の講師を担当。2019年12月、何気なく受けた天狼院ライティング・ゼミで、子育てや仕事で悩んできた経験を書く楽しさを知る。2020年6月から、天狼院書店ライターズ倶楽部所属。

□ライターズプロフィール
岡 幸子(おか さちこ)(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

東京都出身。高校教諭。平成4年度〜29年度まで、育休をはさんでNHK教育テレビ「高校講座生物」の講師を担当。2019年12月、何気なく受けた天狼院ライティング・ゼミで、子育てや仕事で悩んできた経験を書く楽しさを知る。2020年6月から、天狼院書店ライターズ倶楽部所属。

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2020-09-07 | Posted in 週刊READING LIFE Vol,95

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