週刊READING LIFE vol,98

時には、窮屈な仮面を外したくなることがある《週刊READING LIFE vol,98「 私の仮面」》


記事:青野まみこ(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
もうすぐだ。
 
WindowsのPCのモニターの、右下のデジタル時計を食い入るように見つめている。
17:00に代わると同時に、シャットダウンをクリックする。
 
さ、今週も良く働きました!
帰るぞ帰るぞ!
 
「お先に失礼しまーす!」
「さようなら」
「お疲れ様でした」
 
また来週会いましょう、みなさん!
マジで1週間疲れた。
1分1秒でも早く職場を出たい!
 
私はそそくさと帰り支度をして、脱兎のごとく職場を飛び出した。
明日明後日は休みだと思うと、嬉しくて嬉しくてどうしようもないのだ。
 
 
金曜日の夕方は、パラダイスの時間だ。
少しでも時間を無駄にしたくないから、予定を事前にしっかりと組んでおく。17時何分の地下鉄に乗る、そのために何分間で駅に到着する、まで分刻みで組んでいる。
 
なんでそんなに急ぐのか?
1本でも電車を逃すと、映画の上映時間に間に合わないからである。
 
子どもたちが小学校高学年になり、手がかからなくなったあたりから、劇場での映画鑑賞を再開した。
劇場公開の映画は、1本が大体90~120分くらいある。まとまって集中できる時間を確保しないとなかなか行けない。
それと、見逃しがちなのが映画館まで行くためにかかる時間だ。
近所のシネコンだったら車で適当に行くけど、新宿や渋谷、日比谷まで行くとなると電車もちゃんと時刻表を見ておかないといけない。上演時間まで逆算して「これで間に合うかな」と思っても、接続が悪いとか、安全確認だのと電車が止まることもあるから油断はできない。車で行く場合も、渋滞したら本編に間に合わなかった、なんてことは結構ある。
だから映画に行くときはとにかく急げ急げ! だ。
 
17時退勤なので、そこから新宿・渋谷・日比谷のように映画館が固まっている所に急いで行くと、どうかすると2本観れることもある。上映時間が重ならなければ。
 
そんな感じでうまいこと2本観ると、帰宅時刻は22時近くなることもある。
でももしかしたら22時はまだ早い方で、例えば映画祭に行って何本か観て、終映が23時だったとすると、帰宅は完全にてっぺん超えて翌日になる。
 
いずれにしてもかなり深い時間だけど、ちっとも気にならない。翌朝仕事だと朝の4時半に起きなきゃいけないけど、休みならその心配もなく6時くらいまで眠れるから。だから金曜日の退勤後は大抵映画館に行く。
 
映画を観るって、体力が必要だし、気力も要る。
せっかく時間を作って観に行っても、疲れて寝てしまうこともあるけど、それでも大きなスクリーンで、音響もよく、椅子もふかふかなお気に入りのシアターで好きな映画を観る楽しみは、何物にも代えがたい。
 
劇場での鑑賞を再開してから、この15年で約2500本の映画を鑑賞した。
面白いもの、残念ながらつまらなかったもの、生涯の1本になった! と言えるもの、いろんな映画との出会いがあった。
相当な時間とお金と労力を使っているけど、1mmの後悔もない。何故なら鑑賞したどの映画からも、何かしら教わることがあったと思っているからだ。
 
 
睡眠時間を削ってまでこんなことを私がしているということを、家族と実家の両親と、ネットの映画友さんたち以外は殆ど知らない。
「映画好き」の顔に仮面をかぶって生きているからだ。
 
こんな映画生活をしていることは、家族ならいやでもわかる。
そして時々実家の両親にも話しているので、ここも知っている。
でも義実家にはとても言えない。言おうもんなら二言目には、
「そんな時間まで出歩いて、家は大丈夫なの?」
と来るに決まっているからだ。
 
ご近所さんとは、ごく限られた人としか話さないけど、それでもこういうことは話していない。
「あの家は、いつもいない」
「主婦が家をほったらかして出歩いている」
などと、余計な感想を言われる筋合いはない。夜遅く帰宅したときに、
「お帰りが、遅いんですね」
と訊かれたとしても、
「仕事なので」
と答えておけばそれでいい。
 
大体家のことは、支障が出ないようにやっている。
この場合の「支障が出ないように」というのは、「家人に文句を言われないように」と同じ意味だ。
夜、仕事帰りに映画に行きたいために、朝の忙しい時間帯に30分で弁当と夕食を作る技を身に着けてしまっている。
家人のご飯さえ置いて行けば、あとは家のことから解放されるし何も言われないので、いつも張り切って作っている。それだけだし、文句を言われたことはない。だから家族以外の人なんかにはわかりっこないし、わかってもらわないでもちろんいい。
 
近しい人たちがこうなのだから、職場の人になんてもちろん言わなくてもいい。
ある時、うっかりして観た映画のことを口走ってしまったことがあった。同僚と『ボヘミアン・ラプソディ』の話で盛り上がっていた時、
「随分映画にお詳しいのね」
と先輩に言われ、慌てて口を濁した記憶がある。
 
まさか、「『ボヘミアン・ラプソディ』は10回観に行きました!」なんて言えるわけない。言ったら最後、永遠に噂のネタにされるだけだからだ。
 
(あの人は、同じ映画を10回観るんだって!)
(誰々さんが、〇〇っていう俳優が好きなんだってー!)
(えー、ほんと?)
 
誰がどんな芸能人が好きなのか?
どんな趣味があるのか?
どんな生活習慣なのか?
どんなTV番組を見ているのか?
 
そういうことがわかり次第、直ちに水面下で共有され、別に知りたいと思わなくても耳に入ってくる。そして、その情報はおよそ職場の全員が知ることになる。
女性ばかりの職場は「噂」が大好き過ぎるので、うっかりしたことは言えないのだ。
 
だから「出勤してから退勤するまでは、極力余計なことは話さない」と決めている。
社員食堂で上司や同僚と一緒に食事を摂るときもできるだけ口数は少なくして、食べ終わったら「お先に」と席を立つことにしている。
シフトで昼食を摂っているので、さっさと食堂から帰ることに異論は出ていない。むしろ昼ごはんが終わってからもずーっとしゃべり続ける方が余計な話題を提供する確率は高くなる。だったら早くデスクに戻った方が利口だ。
 
「いつも同じ人と社員食堂に行ってご飯を食べないといけない」という規則が壁に貼ってあるかのように、休み時間まで決まり切った暗黙の規則に縛られているのはとても違和感がある。
 
いい大人なのに、何をするにも誰かと一緒じゃないといけないんだろうか?
規則がないと動けないんだろうか?
自分の頭で考えることはしないんだろうか?
 
普通に働いているといろんな疑問が出てくる職場だが、それを解析することはせず、私は仮面をかぶり続けている。その方が自分が楽だからだ。
ただでさえ気苦労の絶えない仕事なのに、人間関係で心を煩わせるような面倒なことはしたくない。だったら余計なことは言わずに、勤務時間中は過ごした方が利口だから。
 
 
毎年10月には、東京国際映画祭の作品を何本か観に行く。
いつも大体六本木が会場なので、ここから帰宅すると午前1時くらい、終電1本前とかが普通だ。それでも珍しい作品が多いので、行くのは大変だけど、数本は観るようにしている。
 
その日も、事前に予約していたチケットを発券して、自分の席に着いた。
荷物を降ろして席に座ってあたりを眺めると、見覚えのある後ろ姿があることに気が付いた。
 
(あれって、確かうちの職場の人だよね?)
 
部署は違うけど、10年先輩のMさんに似ている。
 
(まさかとは思うけど、Mさんかなあ?)
 
まだ上映前で人も少ない時間帯だったので、腰を浮かしてその人の横顔を見ることに成功した。
 
やっぱりMさんだな。
背丈もヘアスタイルも、たぶんMさん。
 
一瞬迷った。
職場に映画好きを公表していないので、ここで声をかけたらそれがバレてしまう。
でも映画祭みたいに、シネコンでかからない珍しい作品を観たい人って、世の中にそうそういないんじゃなかろうか。もしかしたら同じ趣味の、よき理解者になって下さるかもしれないじゃない。私は思い切って声をかけた。
 
「あの、Mさんですか?」
 
呼ばれた人は、びっくりして振り向いた。やはり、Mさんだった。
 
「え? え、え、え? あなた! どうしてここにいるの?」
「東京国際映画祭は毎年来てるんですよ」
「そうなの! 私もです。こんなところでお会いするなんて、嬉しいなあ」
 
Mさんは、お隣に座っていた若いお嬢さんを「娘です」と紹介してくれた。
お嬢さんも映画が好きで、こうして母娘ご一緒に鑑賞しているのはうらやましいなあ。
私たちは映画のことを少し話した。上映時間が近づいてきたので、
「それではまた、職場でね」
と別れた。
 
翌日、Mさんと階段ですれ違った。
 
「ねえ、普段どんなのを観てるの?」
「ヨーロッパ映画、ハリウッド、中東映画、日本映画が好きです」
「私はアジア映画かな。インドの映画とかも好き」
 
Mさんだったら、ちゃんと映画のこと話せるかな。私はそう思った。Mさんとの会話が少し弾んだ感じだったけど、
 
「昨日のこと、映画館のことはもう職場では大きな声では言わないようにしましょう。今日みたいに、誰も人が周りにいないときにこっそりと、ならいいけどね」
 
Mさんも、ご自分が同僚のおしゃべりのタネにされるのは嫌なんだろうなと思った。
それからというもの、Mさんとご一緒になることがあると、こっそり近くまで行ってひそひそ声で、
「最近、いい映画観ましたか?」
と訊くのが習わしになっている。
 
 
家の近所にも、職場でも、このまま映画好きの隠す仮面をかぶっていなきゃいけないのか?
映画の話は、気の合うネットでできたお友達としかしないのか?
そう思っていただけに、まさか職場で自分が興味ある分野の映画の話ができる人がいるなんて思いもしなかった。
でもこうして、少しだけど観た映画の感想をリアルでお互い話せる人がいてくれて、ほっとしている。
 
人に知られたくないこと、知らせる必要もないことは、「知りません」で通したい。
でも、そんな生活だけじゃ味気なくないだろうか?
いつも身構えて、体裁のいいところを見せないといけないからと、しっかりとかぶっている仮面を少しだけ外して、共通の趣味とか、気軽な話を一緒に語れる人がいたら、とても素敵なことだと思う。
 
誰かと共有する想いがあって、それをわかちあえる人の存在は、貴重だ。
もしそんな人がいてくれるなら、その人の前ではあっさりと窮屈な仮面を取って、心ゆくまで話していたい。
仮面は自分の身を守るために必要なものだけど、時と場合によっては外したくなるものなのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
青野まみこ(あおの まみこ)(READING LIFE編集部公認ライター)

幼少期より映画に親しむ。2005年からの15年間で、劇場鑑賞した映画は約2500本。映画ブログをずっと書いていたが、「客観的な文章が書けるようになりたくて」2019年8月より天狼院書店ライティング・ゼミに参加、2020年3月より同ライターズ倶楽部参加。2020年9月よりREADING LIFE編集部公認ライター。いつの日か、映画関連の記事のお仕事をいただくことが目標。

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2020-10-06 | Posted in 週刊READING LIFE vol,98

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