老舗料亭3代目が伝える 50までに覚えておきたい味

第23章 女将に会いにいく場所、それが老舗料亭《老舗料亭3代目が伝える50までに覚えておきたい味》


2022/06/27/公開
記事:ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
行きつけの店を持つとか、どこかの店の常連さんになるとか、そういうことでもないんですが、いつも待っていてくれる店があるというのは、なんとも贅沢で、心を豊かにしてくれるものなのだろう。
 
そういう店に必須なのは女将の存在。素敵で、かつ自分と相性がよい女将がいるお店の一つや二つ、自分の引き出しに持っておきたいものです。
 
 

150年以上続く横浜の老舗


横浜駅の程近く、坂を登った上にあるのは料亭田中家さんです。こちらは創業文久年間(1863年)、つまり江戸時代から続く老舗の料亭ということになります。歌川広重の「東海道五十三次」の「神奈川宿」にも登場する東海道の急坂沿いの腰掛け茶屋、さくら屋を、創業者である初代晝間弥兵衞が買取り、旅籠料理屋「田中家」に改め創業したとされています。
 
当時の横浜はまだ海が目前で、坂の上にある田中家から見える景色は海でした。江戸湾から房総半島までが見渡せる、風光明媚な宿場町だったといいます。
 
神奈川宿は最盛期にはおよそ1300軒の旅館や料理屋がありました。
そんななか、1859年には横浜港の開港により、多くの外国人が横浜に訪れるようになり、なかでも諸外国の領事館職員や外国人商人たちが、横浜に移住してくるようになりました。
 
田中家の目の前に米国領事館が作られたことから、米国総領事ハリスをはじめ、多くの外国人たちが接待や会食に田中家を使うようになりました。当時田中家には坂本龍馬の妻であったお龍さんが仲居として働いており、彼女が英語を話せたために、大勢の外国人客がくるようになりました。
 
外国人が多くくるようになると、彼らを楽しませ満足させるためにさまざまな工夫が料理やおもてなしに施されるようになりました。「外国人大歓迎」の看板をかかげ、和洋折衷のメニューだったり、料理と芸妓さんの踊りをセットにしたコースなどが考案され、ますます田中家は人気の料亭になっていきます。
 
またお座敷というのは、正座になれていない外国人にとっては大変苦痛を強いるもの。そのため田中家では畳ではなく絨毯にしたり、また椅子席を設けたりして、常にお客様に寄り添い、新しいことにチャレンジし、進化変化を遂げてきました。
 
このように、常に変転変化、時代の流れに合わせてお店やサービスを進化させ続けることができた背景には、女将の存在があります。
 
 

田中家の二人の女将


田中家にはいま、二人の女将がいらっしゃいます。
 
五代目の平塚あけみさん、そして六代目の若女将である晝間貴子さん。ご縁があって晝間貴子さんとお仕事をご一緒させていただくことがあり、そのご縁をきっかけにあらためて、「女将」の存在に想いを馳せることとなりました。
 
九州は福岡出身の貴子さんは、田中家の後継者である現在の旦那様と知り合い、そこから10日間で、お互いをよく知らないうちに結婚を決められたのでした。おそらく何か感じるものや閃いたものがあったのだと思いますが、ほんの短時間だけを共に過ごした相手と電撃結婚を決めるあたり、貴子さんの肚がいかに座っているかを感じさせます。
 
福岡から結婚を機に上京し、そこから妊娠、出産、子育て、そして女将業と目まぐるしい15年間を過ごしてこられました。
もともとメーカーにお勤めだった貴子さん、そこからいきなり老舗料亭の女将業ですからそのギャップや苦労は想像にかたくありません。
 
以前にお伺いしたインタビューでは、
 
Q:女将をやめたいと思ったことはないですか?
 
A:まったくないです。そんなこと、考えたこともないです。諦める、とか、落ち込んでやめる、とか、ないでしょ?と、一蹴。
 
Q:子育てで大変だったことはなんですか?
 
A:子育て、楽しかったんです。(お子さんは取材当時中学生の女の子と小学校高学年の男の子お二人)つらいとか大変とか、思ったことなかった。とにかく、楽しかった。やりきった感じがあります、と、一蹴。
 
どんな質問に対しても小気味よくテンポよく、ポジティブな答えばかりをくださる貴子さん。四六時中明るいエネルギーを振る舞われているその向こう側には、相当な覚悟や苦労があったのだろうと推測されます。
 
九州からたった一人、老舗の料亭に嫁入りし、慣れない仕事に明け暮れ、姑さん(つまり現女将)とのやりとり、自由気ままな旦那様との夫婦生活や子育て、仕事との両立、考えただけで気が遠くなるような波瀾万丈の人生ですが、ご本人はあくまであっけらかんとされている。
きっとその在り方に至る前に、たくさんの不安やエゴを捨ててこられたのでしょう。しかも秒速で。なぜなら女将業や子育て業というものは、常に”待ったなし”だからです。
 
 

そうだ、あそこに行こう、と頭に浮かぶ店


東京に暮らしていると横浜はお隣ですが、なかなか普段いくことがありません。東京で全てが間に合ってしまう、ということもありますが、なかなか横浜に訪れるご縁に恵まれていないというのが現状でしょうか。
 
そんな中たまたま横浜に向かっていたある日、「そうだ、田中家に行ってみよう」と思い立ち、急遽電話をして予約を入れてみました。
 
「通常は前日までのご予約なんです」
 
と、電話口の仲居さんはおっしゃいます。
 
こちらもわかっています、当日の12時すぎごろに、あと30分ほどでいきたいのですが、というようなカジュアルなお店では決してありません。なんと言っても創業150年をゆうに超えた老舗料亭で、過去には伊藤博文や西郷隆盛、夏目漱石や菊池寛など、錚々たるメンバーが常連として名前を連ねているお店です。そのようなところに「これから行けますか」というお電話をすることも申し訳なかったのですが、頭にふと浮かんだものは仕方ない。
 
そうですか、残念、と、電話を切ろうとしたその瞬間、
 
「ちょっとお待ちくださいね、厨房にできるかどうか訊いてまいりますね」
という仲居さんの対応。
 
程なくして「大丈夫ですよ、ぜひいらしてくださいませ」と、温かく迎えてくださることになりました。それだけでも既にありがたく、感動を隠せなかったのですが、さらに突っ込んで伺ってみました。
 
「今日は、若女将はいらっしゃいますか」と。
 
すると、本日は出勤されない日なのです、という返事があり、少し残念ではありましたが、そもそも当日突然伺うという非礼をしているのはこちらですから、速やかに諦めて、よろしくお伝えください、とだけ伝えました。
 
さすが長年愛され続けている老舗料亭、細やかな心の通った対応をしてくださる仲居さんの在り方に、いかにきちんと接客の本質が伝わっているのかを感じさせてくれたのでした。
 
 

永らく愛され続ける秘密はここに


新型コロナウィルスの流行もあり、長らくご無沙汰していた田中家さんは変わらず温かみのある木造一軒家の佇まいで、足を踏み入れると途端に懐かしいような、ほっとした感覚に襲われます。
 
こちらにどうぞ、と玄関で迎えてくださる仲居さん。なんとなく老舗だと敷居が高く、ふらっと入ってきた人たちを見下すような、そんな圧を感じてしまうこともあったりするのですが、ここではそんな空気は微塵も感じさせません。
 
突然の電話で、しかもランチの時間もぎりぎりで訪れた私たちを、とても心地よくウェルカムに迎えてくださいました。
 
お料理はお昼の会席料理で、田中家さんらしい9品が並びました。
八寸やお造りなど定番のものはそのままに、煮物やあしらいなどに、ちょこちょこと洋風のテイストが見え隠れするのはやはり、長らく西洋文化を多く取り入れてきたことの名残でしょうか。絶対的に日本料理ではあるけれど、そこにこれまで培われてきた伝統と、現在の板前さんの想いや個性が混じり合い、まさに今の、現代の、田中家さんのお料理を作り上げていらっしゃるのでした。
 
お食事も終盤になり、お食事と赤だしが運ばれてくる頃、「失礼します」と襖の向こうから聞き覚えのある声がします。なんと若女将が部屋を訪ねてきてくださいました。私がお電話をしたことでその日の予定を変更してくださったらしく、とにかく一目でもご挨拶をということで、着のみ着のまま飛んできてくださいました。そのため貴子さんはカジュアルなシャツとデニムパンツスタイルという普段着の様相で、それでも会いにきてくださった貴子さんのお気持ちに、やはり感動をしてしまうのでした。
 
最近の近況だったりを一通り話したら、なんとなく話が教育論になりました。仲居さんといい、とにかく感じのよいサービスが行き届いている田中家、その社員教育の秘密をぜひお伺いしたいというこちらの意図がつたわったのか、貴子さんがどのように人と関わっておられるかをお聞きすることができたのでした。
 
「まず、10個、褒めるんです」
 
笑顔がいいね、動きがいいね、手がいいね、言葉がいいねと、とにかくどこかまずは10ヶ所、その方のことを褒める。そうすると自然と耳に痛いことも聞いてくれるようになる。まずはその人のいいところを見つけないと、人間関係は先には進んでいかない。
 
私たちは人を指導したり教育する時、ついついその人のできないところに目がいって、そこをいきなり指摘したりすることがあります。それではうまくいかない、と頭ではわかっていても、ついつい口をついて出てしまう。しかしそれでは人はついてこないし、ましてや教育などできるはずがありません。
 
「だけどね、10個も褒めるの、結構難しいんですよ」
 
と、本音をぽろりと漏らしながらも、終始明るい笑顔でお話しくださる様子は、最初に出会った時に感じた印象をまったく変えることなく、いつもそこに太陽のように、存在してくださっているのでした。
 
 

料亭は女将に会いにいくところ


料亭にいくのは、料理を食べにいくためではありません。
料亭にいくのは、女将に会うためにいくのです。
 
人のことをよく見て、感じて、常にポジティブなエネルギーで受け答えする様、問題があっても問題と捉えず、それを楽しさに変えて乗り越えていく力、人を地位や名誉やお金ではなく、ご縁を大切にして分け隔てなく人と関わり言葉を紡いでくださる様、とにかく会うと元気をもらえ、それはいつ何時でも変わらない。
 
結婚も子育ても仕事も全て、自分で掴んだ自分の人生をとことん全うしようと肚をくくった存在、それが老舗料亭という場を切り盛りする女将の力です。
 
歴史と伝統の重さに潰されることなく、常に新しい世界を切り開きながら、しかし積み重ねてきたものも大切にすること、お客様を始めとし、全てのご縁をとことん大切にされようと、デニムパンツでも飛んできてくださる素直さや正直さ、飾らない気取らない美しさ、そういう存在であるからこそ、全国から多くのお客様が、彼女に会いにこの店を訪れたいと思うのでしょう。
 
私自身料理屋の娘として生まれ、店は継ぐことが叶いませんでしたが、母という女将の存在の背中をみて育てられてきました。
何があってもポジティブで、決して人の悪口を言わず、必ず八方よしになるように考え、振る舞い、行動する母の姿に、貴子さんの姿が被ります。
 
大人になると、相談できる人や話を聞いてもらえる人というのは、なかなか出会うことができません。世の中の問題の9割は人とのコミュニケーションが問題であるとも言われるぐらい、人との関わり方は多くの人の頭を悩ませています。
 
そんななか、凛として、肚をくくって、場を切り盛りしている女将の存在に触れて、自分の悩みが解決したり、不安が不安でなくなったり、何かわからないけど元気をもらったり、人は人の存在に触れることにより、たくさんの「何か」を得るのです。
 
忙しい日常、ついつい自分が擦り切れてなくなってしまいそうになるときこそ、存在だけで力をもらえる人がいつもそこにいてくれるというのは、大きな力になっています。
 
人生50年も生きてきたら、そういう存在の一人や二人はこっそりと隠し持っていたいですね。
 
 
《第24章につづく》
 
 

□ライターズプロフィール
ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)

READING LIFE編集部公認ライター、経営軍師、食べかた研究家。京都の老舗料亭3代目として生まれ、現在は東京でイギリス人の夫、息子と3人ぐらし。食べることが好き、が仕事になり、2015年にゼロから起業。一般社団法人食べるトレーニングキッズアカデミー協会の創始者。2019年には書籍「1日5分!子どもの能力を引き出す!最強の食事」、「子どもの才能を引き出す!2ステップレシピ」を出版。

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