本屋大賞および村上春樹新刊で盛り上がっている書店の皆さんにひとこと言わせていただきたい。《天狼院通信》
4月に入って、出版界が活況を呈しております。
『海賊とよばれた男』の本屋大賞受賞、および、ミリオン到達。
そして、数日後には、村上春樹の新刊『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の発売がされ、発売すぐに大重版が行われて、現時点ですでに発行部数で80万部を数え、早晩、こちらもミリオンに到達することでしょう。
毎年恒例となった明治記念館での本屋大賞の式典では、知っている書店の方々もだいぶ行かれていたようで、壇上で著者を囲み、お手製のPOPを掲げ、皆様、本当に楽しそうに、また「私たちがベストセラーにしたぞ!」という気概が、局を変え、時間を変え、幾度となく流れてくるニュースからひしひしと伝わって参りました。
もちろん、僕は、ただ、それを画面越しに見ている他ありませんでした。
また、村上春樹さんの新刊発売のときは、様々書店さんで午前零時から発売したところもあったようで、それはまるで一昔前のドラクエ発売日やWindowsの発売日のようなお祭り騒ぎで、発売日に池袋のジュンク堂に行ってみると、書店の皆さんは活き活きとしながら、瞬く間に売れていく新刊を補充しているところに遭遇しました。
もちろん、僕は、ただ、ひとりの客としてその新刊を買う他ありませんでした。
言うまでもなく、両方の光景は喜ばしいことで、そういったイベントがもっと多くあればこの業界も盛り上がるだろうと思いました。実際に、僕も嬉しくその光景を見ておりました。
ただ、一方で、僕には思うところがございました。
もっとも、別に正直に本心を明かさなくともいいのでしょうけれども、どうしても我慢がならず、こうして記事を起こさせて頂いている次第でございます。
本屋大賞および村上春樹新刊で盛り上がっている書店の皆さんにひとこと言わせていただきたい。
僕は、皆さんが、心から羨ましい。
自分たちが売りたいと思う本を、直接お客様の手に届けている皆さんが、羨ましくてならない。
本屋大賞の壇上において、著者とともに喜びを分かち合っている皆さんの様子が、出したそばから売れていく本を補充している皆さんの様子が、とてつもなく羨ましくてたまらない。
こういった時に、書店の前線にいられない自分自身を、本当に悔しく思います。
涙が出るほど、悔しく思います。
たしかに、このブログにおいて、『海賊とよばれた男』と村上春樹さんの新刊のことを紹介することはできます。けれども、それに対していくらアクセスが集まろうとも、実際に去年アップした『海賊とよばれた男』の記事にはこれまで述べ5000以上のアクセスがあったのですが、充足感というものは、実際の店舗で自分が作った売り場から1冊売ることには到底及ばないものです。もしか、その記事を読んだ人が、10人くらいAmazonや書店で買ってくれていたとしても、やはり、自分で構築したリアルな売り場から1冊売れる以上には、充足感を得られないものです。
僕の場合、売り場から売れることの面白さを知っているので、尚更のことです。
たとえば、本の盛り方を工夫し、拡材を何度も入れ替え、POPの文言を変えて、ようやくお客様に手にとってもらえるようになったときの喜びというのは、もはや快楽に近いものがあり、それが実売として積み上がったときの充足感は、なにものにも変えられないものです。
今現在、売り場を任されていて、実際に素晴らしい本をお客様に直に届けられる、その様子をダイレクトに見られる皆さんが、心から羨ましいと思います。
正直に言ってしまえば、それはお金の問題ではなく、合理的な経営視点というよりか、むしろ感情的な欲求です。
僕の場合、「ビジネスとして書店業を成り立たせなければならない」と常に言っているわけですが、実を言えば、それも「書店で本を売りたい」という衝動ともいうべき欲求ありきのことです。
その欲求を叶えるために、この一年、知恵をふりしぼって構築してきたのが、「天狼院書店」のプロジェクトでした。
そして、それが今、実現する段階にまで来ています。
けれども、やはり、オープンして、実際に店頭に立つまで、僕の強烈な「嫉妬心」と「焦燥感」は消えないのだろうと思います。
本を売りたくてたまらない。
本屋大賞と村上春樹さんの新刊発売を通して、僕は、痛切なほどにそのことを改めて実感したのでございます。
本を全力で売れる立場にある皆さんが、羨ましくてたまらないです。