天狼院通信

その訃報は、ちょうど母の七回忌で故郷の宮城に来ているときに届いた。〔天狼院通信〕


記事:天狼院書店店主 三浦 崇典
 
 

年の中でも珍しく戦闘モードではない時間帯に知ったことなので、虚をつかれた感じとなった。

ただ、心の準備をしていたことでもあり、やるべきことも明瞭だった。

生前、その方に頼まれていたことがあり、それをやるのは僕だと静かに思っていた。

と、言っても、僕とその方との関係性は“店主と顧客“であり、当然、公の儀礼的な手続き上のすべてを執り行う権限はない。僕がその方、安光伸江さんに頼まれたことは、文章をそのまま借りると、

「三浦さん、もしものことがあったら、追悼文をお願いします。」

ということだった。

僕の答えにも、迷いがなかった。

「承りました。お任せあれ。ありのままに書きます。」

これがちょうど1週間前のことだった。

こういうお願いをされた時、親族でも友人でも、おそらく、そうは答えないのではないかと思う。

何を言っているのですか、弱気にならないでください。

その機会はまだまだ訪れることはないでしょう。頑張りましょう。

なぞと、まだ生きられるという希望を与えようと、善意からそう言うだろう。

なぜ、そう言えるのか?

それはまさに6年前の今頃、僕が母の死期を悟りながらも、死ぬはずがない、年を越し、一緒に最後に鳴子の温泉に行くのだと言ったことを、今、酷く後悔しているからだ。

母の死に際は、楽にする系の薬によって、穏やかになっていたので意思の疎通は取れなかった。

そのまま、母は死に、あの時、こうしていればと思うところがあった。

それは、死から逃げずに一緒に向き合うことだ。

お互いに死を前提とする。

そうなったときに、やるべきことは無数に生まれてくる。

遺したい想いはないか?

あなたが亡くなった後、我々にやってほしいことはないか?

安光さんが僕に託したことは、ありのままの追悼文だった。

そして、今、こうして書いている。

ただ、大前提から言えば、あくまで僕は天狼院書店の店主であり、安光さんは一人のお客様だという関係性でしかない。そして、僕は多くの講義の登壇者であり、その意味で安光さんは全国で数多くいらっしゃる受講生の一人である。

実際にお会いしたのは、福岡天狼院で1度、安光さんのご自宅ピアノ教室からの講義配信で1度、そして、先日、お見舞いで1度の3度であったと思う。

ところが、どうであろうか。

その外形的な関係性以上の繋がりのようなものを、少なくとも、僕は覚えている。

それは、僕ら天狼院書店が最大のピンチを迎えている際に、最も支えてくれたのが、安光さんだったからだ。

コロナ禍での苦境で、大ピンチを迎えている際に、おそらくそうする必要がなかったかのに、それを察して率先して過剰なほどに購入してくださったのは、安光さんだった。

それ以上に、コロナ禍にスタッフもあまりの状況に、沈む船から逃げるように去る中で、遠い山口県から受講生の先頭でなるべくリアルタイムで受講してくれて、精神的に支えてくれたのも、安光さんだった。

安光さんは、それを助けてやったなぞという人ではなく、けれども、結果として僕らは大いに助けられていた。

そういった意味でも、安光さんの書籍『必ず目標達成する人が実践する続ける技術』(JMAM)の出版のお手伝いができたことは、せめてもの恩返しだったと思う。安光さんは、あの執筆の際は、編集者の方も僕らも怯むほどに、猛烈な勢いで執筆し、瞬く間に原稿を仕上げて、2024年に全国で刊行された。

「続ける技術」を身を持って体現するように、天狼院書店のメディアで長期連載した「素人投資家1年生」は、なんと亡くなる直前まで連載した。

僕は終盤1年間のほとんどの連載を読んだ。

そして、あくまで一般読者としてのスタンス、ファンとしてのスタンスを貫いて感想を記していった。

もう安光さんは、ライティング・ゼミの受講生ではなく、著者安光伸江だった。「続ける技術」の先生だった。

有り体に言ってしまうと、初めてご自宅を訪問した時は、いささか、引いていた。

ぬいぐるみを家族のように扱う安光さんに当時の僕はついていけず、苦笑いだった。

ところが、息子のためにクレーゲームを始めて、家にぬいぐるみが満ちると、ぬいぐるみがもたらす安らぎを、脳科学的に理解できるようになった。お見舞いにウサギのぬいぐるみを贈ったりもした。

そんな不思議で独特な安光さんだから、正直、最後は大いに乱れるだろうと思っていた。

いや、実際に乱れたどうかは、あのお見舞いやSNSからの反応だけでは分からない。

が、少なくとも言えることは、僭越ながら安光さんの文章の師として、書評家として、ここ1年間の文章の行間からは、迷いのようなものが徐々に消えていくことがわかった。

最後は、実に、透徹としていたのだ。

そう、「透徹」という言葉以外に、言い表しようのないような、清らかな精神状態だったのではないかと想像する。

なぜだろうか?

それが謎だった。

生前、非常に朗らかだった母の時ですら、いよいよというときには、父によれば相応に乱れたという。

ところが、安光さんの筆は、“その日“を迎えるまでに、研ぎ澄まされるようにして、最後は本当に透き通るようだったのだ。

それは、なぜか?

予兆は、あった。

「続ける技術」の書籍やイベントを作る際に、どうやって東大に現役で受かったのか、その後に東京藝大にも受かることができたのか、を根掘り葉掘り聞いた。

その中で、お兄様に対する、強烈なライバル意識のような意識を感じ取った。その話を聞いた帰りに、同行した鳥井に僕はこう言ったのを覚えている。

「あれは、お兄さんが、相当好きなんだろうな」

つまり、“愛憎“あいまった感情を、抱いていたのだろうと勝手ながら想像した。

ところが、最後にご自宅を訪れた際に、安光さんは晴れやかな顔でお兄様について、語っていたことを見たときに、これは大きく変わったなと思った。心の中で何らかのポジティブな決着を安光さんの中で得たのだろうと思った。

それは当人しか分からないことだろうけれども、勝手に想像するに、それは赦しや和解という類の話では決してなく、大好きなお兄さんを大好きだと認められた、という話なんだろうと思った。

それは、おそらく、安光さんが透徹となった理由の一つに過ぎない。

ただ、間違いなく言えることは、おそらく、連載でSNSで、自ら“書くこと“で、自らの最後の人生を整えて行ったということだーーあるいは、それは僕がそうだったらいいと都合よく考えているだけかもしれないが、“書くこと“が安光さんの最後の時期に、かけがえのない何かに昇華されていた可能性が高い。

ありのままに、さらに続ける。いうまでもなく、ありのままとは、僕が感じたまま、という意味だ。

安光さんの連載の最後の回は、死への悲嘆が微塵もない。次号の予告すらあった。

ただ、気高いプライドを最後まで体現するように、安光さんは書き続けたのだ。

その姿は、多くの人にとって憧憬となっただろう。

少なくとも、僕はそうだ。

あのような死に様を、僕はできるだろうか、と安光さんが亡くなる前から、僕は幾度となく考えた。

できない、と思った。でも、ああなりたいとも思った。

自分の気持ちに落とし前をつけつつ、そして、力の限り生きて、プライドを体現する。

おかしな話だが、亡くなる直前にさらに多くのファンを、安光さんは得たのではないだろうか。

いうまでもなく、僕はその筆頭である。

ファン筆頭として、僕は追悼文を頼まれたのだろうと思っている。

母と安光さんは、同じガンで亡くなった。

生きることを前提として最後の別れを避けた母には、結果的に、生んで育ててくれてありがとう、とは言えなかった。

安光さんには、おそらく、生前、最後にあったときに、感謝を伝えられたと思う。

ただ、ひどく寂しいのだ。

僕が登壇する講座には、集客に失敗して通信を合わせても数人の講座もある。

少ない講座のときも、少なくとも安光さんだけはいた。

画面上に“安光”があるのは、これまで当たり前のことだった。

けれども、もう画面上に“安光”の名前は現れない。

それを想うと、ひどく寂しいのだーー

最後に、僕の長年の誤解を訂正しておこうと思う。

安光さんが亡くなったことは、安光さんのお兄様の代筆投稿で知った。

そのコメント欄には、錚々たる方々からの感謝のコメントがあった。

天狼院書店のお客様も多くいらしたが、音楽関係で、結構世界的に活躍されている方からのメッセージを多く見受けられて、安光さんは、すごい人だったのだと認識することになった。

そう、東大合格、そして、自らの意思であらためて東京藝大を合格されて、その後に、多くの音楽家を育てた功績はだてではないのだ。

その中に、僕よりも、立派な追悼文を書かれる方もいらっしゃるだろう。

また、書かれなくとも、“想う”方はいらっしゃるだろう。

この追悼文で描いたのは、あくまで僕の角度から見た安光さん像であり、僕が感じた安光さんに過ぎない。

皆様、それぞれの追悼文が溢れることを、勝手に願っている。

 

2025年10月27日
天狼院書店 店主
三浦 崇典

 

ライタープロフィール

三浦崇典 | Takanori Miura
天狼院書店店主

株式会社東京プライズエージェンシー代表取締役。株式会社インパルス代表取締役。天狼院書店店主。小説家・ライター・編集者。雑誌「READING LIFE」編集長。劇団天狼院主宰。プロカメラマン。秘めフォト専任フォトグラファー。ビデオグラファー。AIパイロット養成講座主宰。

2016年4月より大正大学表現学部非常勤講師。2017年11月、『殺し屋のマーケティング』、2021年3月、『1シート・マーケティング』(ポプラ社)、2022年1月、『駆け出しクリエイターのための時間術』(玄光社)を出版。

2025年4月、IBJと正式契約、BOOKLove結婚相談所開設、BOOKLove結婚相談所仲人総取締役に就任。

2009年4月1日に、「株式会社東京プライズエージェンシー」を設立登記し、その後、編集協力や著者エージェント、版元営業のコンサルティング業等を経て、2013年9月26日に「READING LIFEの提供」をコンセプトにした次世代型書店(新刊書店)「天狼院書店」を東京池袋にオープン。今は全国に店舗とサービスを広げている。現在の旗艦店は渋谷宮下パークの天狼院カフェSHIBUYAである。
長年にわたり雑誌『週刊ダイヤモンド』、『日経ビジネス』にて書評コーナーを連載。

【メディア出演】(一部抜粋)

NHK「おはよう日本」「あさイチ」、日本テレビ「モーニングバード」、BS11「ウィークリーニュースONZE」、ラジオ文化放送「くにまるジャパン」、テレビ東京「モヤモヤさまぁ〜ず2」、フジテレビ「有吉くんの正直さんぽ」、J-WAVE、NHKラジオ、日経新聞、日経MJ、朝日新聞、読売新聞、東京新聞、雑誌『BRUTUS』、雑誌『週刊文春』、雑誌『AERA』、雑誌『日経デザイン』、雑誌『致知』、日経雑誌『商業界』、雑誌『THE21』、雑誌『散歩の達人』など掲載多数。2016年6月には雑誌『AERA』の「現代の肖像」に登場。大小合わせて400回以上メディアに登場。


2025-10-27 | Posted in 天狼院通信

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