青春の覇者《天狼院通信》
恋愛とは、時間を投資することだ。
もちろん、想いも注ぎこむことになるけれども、想いの持続は、時間の連続なくしてありえない。
たとえば、高校の三年間、学校でいちばんの美人に想いを注ぎ込んだとしても、それが叶うとは限らない。高校の三年間というものは、あだち充的な、青春のコアともいうべき貴重な時間だけれども、その当時はそれが永遠に続くとどこか思っていて、また全能感と無力感のはざまにある、ある種の不安定さのために、生きることがとても窮屈に思えて、さらには自意識が信じられないほど過剰に発達していて、前髪がちょっと決まらないくらいで人生の絶望を思ったりする。
それと同じくらいに、恋愛に対する意識はどこか過剰であり、近所をうろつく犬や猫がいとも簡単に成し遂げている、単なる繁殖や生殖を、ちょっとばかり高次に昇華しただけだというのに、いや、単に儀礼化しただけだというに、その青春のコアにある時代は、不思議とそれに気づかない。
あだち充の登場人物のように青春の覇者になることを夢見て、それができないことを知って愕然とし、泣きたくなり、実際に泣いて夜道で叫び、自分は狂っているのかと心配して、やがて、あだち充が実は青春の圧倒的な敗者だったことを知って少し安心する。
たとえば、その当時の、ある意味純真無垢なまでの恋愛欲を、他のものに転化することができたらどうだろうか。
学校一の美人に高校時代の三年間を捧げるように、何かを志向することができたのなら、おそらく、きっと、いや、絶対にだ、絶対にその理想は実現するに違いない。
なぜなら、あだち充的青春の覇者になるよりは、大人になって夢を実現することの方が、はるかに簡単だからだ。三年という期間も撤廃され、やれることは多くなり、あらゆるルールが緩和されて、とりあえず法律とモラルを守っていれば、手段はほぼ無限にあるからだ。野球部やサッカー部、バスケ部でスター選手になったり、バンドを組んで、文化祭で女子を酔わせるくらいの歌声を披露する必要もない。
単に努力を続け、失敗から立ち上がり、それを活かし、また挑みさえすれば、扉は必ず開かれる。
僕にとって、学校一の美人を手に入れる代わりに今志向しているのが、自分の本屋を開くということだ。こう考えると、青春の覇者になるよりも、はるかに容易いことだということがわかる。
しかも、書店を開くのは、何も来月ではなく。来年の8月である。
そう、あと1年ある。
具体的には、目標は8月30日金曜日の午前10:00にオープンしようと思っている。
オープンする店舗の名前は、「東京天狼院」。
それまで、僕は「天狼院通信」として、つれづれなるままに、オープンまでの軌跡を書き綴っていこうと思う。
たとえば、高校時代の手の届かなかった女性を想うように、まだ見ぬ新しい書店を想う。
高校時代よりも幾ばくか、気持ちも安定し、できることも増えて、おそらくズルさも覚えた。
その一方で、正直であることが何よりも武器になるという、小学生時代の道徳の授業が本当だったということも知った。
視界は、悪くない。
さて、カウントダウンの始まりである。