今日もイベントで意気込んでまた司会していろいろ聞いてやろうと思ったら、吉田伸さんに「三浦さんは最初だけの紹介でいいから、後は私が回しますから」と言われたんで、聞きながら記事を書いてみる、テーマは「言葉の可能性」です。
天狼院書店店主の三浦でございます。
今、英語力コンサルタントであり著者である西澤ロイさんとあさ出版編集の吉田伸さんのトークイベント最中でございます。
「言葉」の可能性について語り合う会ということですが、この写真を御覧ください。
ほとんどが女性の方なんですね。
麗しき女性の方が多い。
西澤さんと吉田さんが女性に人気だからでしょうか?
それもそうなのですが、どうも、それだけが理由ではないような気がするのです。
天狼院英語ラボも、たくさんの方がいらっしゃるんですが、やっぱり、圧倒的に女性が多いんですね。
しかも見目麗しい、知的な女性が多い。
これはどういうことだろうと、僕は前々から思っていたのですが、今日に至ってやはりそうだと改めて思ったのでございます。
考えてもみれば、天狼院のスタッフの川代も内山もアメリカとカナダに留学して英語ペラペラですし、サトエリだって紛いなりにも、いや、本当に紛いなりですが、英語ができます。
もしかして、麗しき女性と言語には親和性があるのでしょうか?
イベントが順調に進んでいるので、最後にこの疑問を西澤さんに聞いてみようと思うのですが、その前に、三浦流の仮説を例によって考えていこうと思います。
コミュニケーション 能力が高いからでしょうか。脳の構造がそうなっているからでしょうか。
そうこう考えていると、思ったよりも早く、吉田さんに当てられてしまいました笑。
「じゃあ、三浦さん!」
あ、まだ仮説ができていないのにと思いつつ、もういいやと、
「なぜ、英語の学習の場には、見目麗しい女性が多いのでしょうか?」
みんな、それは感じていたようです。
西澤さんもこう言います。
「たしかに、言語学のゼミでは、9:1で女性が多かったです。英語ではなく、第二外国語などになってくると更に女性の比率が多くなります」
さらに吉田さんが、こう言います。
「そもそも、言葉は女性が作りますよね。若い女子高生とかもそうですが、大昔からそうです。清少納言も源氏物語もそうですしね」
たしかにそうです。言語に敏感なのは女性なのかも知れません。
さらにIT関係のお仕事をしているO女史が言います。
「私はプログラムはわかるんですが、外国語がわからなくて。プログラムだと一つわかると他にもわかるようになるのですが、外国語はそうはならなくて」
それに対して西澤さんはこう言います。
「それはプログラムの感覚を掴んだんでしょうね。だからわかるようになったんだと思います」
「でも、プログラマーって男性が圧倒的に多いですよね?」
それに対して西澤さん。
「プログラムは左脳で処理する言語ですからね、やはり、男性が得意なのだろうと思います」
「なるほど、プログラムだけでなく、法律などレギュレーションも論理的なものなので、やはり男性が得意ですよね」
そうなると、比較的女性が得意な言語と男性が得意な言語があるということのようです。
つまり、女性はコミュニケーション能力が高く、言語にも敏感である。
そうすると、英語に対する恐怖心というものが、男性よりもなく、だから海外旅行にもひとりで、そして友だちと一緒に行くのに対しても抵抗がなくなるのではないでしょうか。
要するに、言語の根幹はコミュニケーションということになる。
言語以前に、コミュニケーション能力があるかどうかが習得に対して大きな違いになって現れるのではないでしょうか。
誤解を恐れずに言うと、たとえば、家父長制度バリバリの時代の九州男児で男は黙ってサッポロビール的な朴訥な男性と、社交的で人懐っこい若い女性とでは、そもそも英語の習得に、さらにいえば、英語を使いこなす上で大きな差が生じてしまうということにならないでしょうか。
つまり、重要なのは、コミュニケーション能力を高めること。
英語の感覚を見につけ、英単語、英文法を覚えるのと一緒に、コミュニケーション能力を研くのが、習得のためには重要になってくるのではないでしょうか。
まとめるとこういうことになりましょうか。英語(他言語)の習得、必要なのは、
①英語(他言語)の感覚に身につける。
②単語・文法の基礎を身につける。
③コミュニケーション能力を研く。
ということになるのではないでしょうか。
とりあえず、西澤ロイさんの『頑張らない英語学習法』と『頑張らない英文法』を読んでみよう!
それで、「英語の感覚」ということについて、知ろう!
そうしよう!
あ、今もイベント進行中です。
今、謙譲語について話してます。