風が吹くと本屋が儲かる〔三浦バージョン〕
天狼院書店店主の三浦でございます。
最近は、風が強い日が多ございますね。
一気に吹きつけられ、雷ゴロゴロ、雨まで降ってと、「熱帯かよ」と古い突っ込みを入れたくなるような日が増えたのも、あるいは異常気象というやつかも知れませんね。
異常気象だなんだと言ってしまいましたが、今日はそんな大仰なお話をするつもりはございません。
「風が吹くと桶屋は儲かる」という話は聞くかと思いますが、僕は「風が吹くと本屋が儲かる」と思っているんですね、ええ。
ということで、今日はそんなお話でございます。
池袋は東通りに、天狼院書店という、一種、奇抜な本屋がオープンしました。
池袋、東通りと申しましても、ジュンク堂さんがある西の入り口ではなくて、そこから歩いて5分24秒歩いた先、西洋風に言えば東通りの「イースト・エンド」とでも申しましょうか。ま、東通りのみちのおくにその小さな書店があるのでございます。
そこで、アルバイトで入った東という女子大生がいました。
店主に命じられ、丸井のお姉さんに勧められるままに買ったお気に入りのハイウエストのミニスカートを履いて、オープン前に店先を掃いていたのでございますが、唐突にやつがやって参りました。
そう、突風でございます。
ミニスカートで風にやられるとですね、女の子は当然、マリリン・モンローばりにいやーんとスカートを抑えるものですが、そんな地下鉄風のような優しい風じゃございませんでした。何せ、天狼院書店の店先に出ていたA看板が飛ばされてしまうほど。
東、目の前で起きたことが理解できない。重い看板が吹っ飛んでいったのだから、こりゃ大変。看板なくしたと行ったら、ヤクザにしか見えない店主にひどく叱られる。
これは、まずい、早く看板を戻さなきゃと、とスカートいやーんどころではなく、待て、止まって、お願いだからと看板を追いかけます。
看板はそば屋「甲州屋さん」からスタートして、最近出来たばかりのチケットショップの店先をかすめ、群馬の家庭料理的なまんじゅう屋「伊勢屋」の店を越えて、ミニストップまで至ります。その店の前のテーブルでは、ちょうど、区役所建設のために駆り出されている現場作業員の人たちがタバコを吹かし、パチンコの話で盛り上がっていたところでございました。
「あれー! 危ない! 逃げてください!」
と、女子の黄色い声が聞こえたと思うと、見れば声のした方から「天狼院書店」と書かれた黒い看板が迫ってきます。
作業員たちは起きていることが理解できない。
何せ、女子大生の声をしたA看板が地面に置かれている体制のまんま、ずんずん迫ってきているんですから、もはや超常現象です。
現場作業員の中でも、屈強な男、源さんが看板の前に立ちはだかります。
今はA看板のなりをしているが、こいつは本当は女子大生に違いない、ここでしっかり捕まえておけば、いつか女の子になってくれるに違いないと、実はファンタジックな源さんの脳は、瞬時にそう判断して、あろうことか、風に吹かれたA看板の前で両手を広げます、
「おいで、おいらの運命の人!」
源さん、気がふれたかとは、周りは思いません、何せ、源さん、この前西口であった街コンで今度も惨敗したのをみんな知っていますし、ついさっきも「おいらはもはや人間の女に限らない、メスでもいい」と野良猫が通りすぎるのを虚ろな目で見ていたのを目撃していましたので、源さんならあるいはと思わないでもなかったのでございます。
しかし、動物ならまだしも、たとえ女子大生の声がしているとは言え、A看板はまずいだろうと思いつつ、しかし、我が身が可愛いので、一番ガタイのいい、源さんを盾にしてその後ろに隠れます。
ところが、源さんが看板を抱きとめようとしたちょうどそのとき、風はつむじ風となって、逆に向きが変わります。
源さんのぶっといハグの腕をすり抜けて、A看板は空へと舞い上がります。
源さんとその仲間たちは、おなごが飛んでしまったと呆然と空を見上げます。
東は店主に殺されると泣きそうになって空を見上げます。
すると、空に舞い上がったA看板、ちょうど飛ぶ鳥にぶつかって落としてしまうんですね。
「あ、飛ぶ鳥を落とす勢い」
空を見上げていた東と源さん、同時にそう言って、お互いに目を見合わせました。
源さん、東を見て、あ、看板が声を出したのではなかったんだと始めて知ります、それ以上に運命を感じます。
東、原さんを見て、別に何も感じません、ただ、そのいいガタイを見て、とっさに叫びます。
「あれ、受け取って!」
このまま地面に落ちれば、A看板はきっと粉々に砕け散るでしょう。
そうなったら、店主の三浦に烈火のごとく怒られるに違いありません。
東は必至です、源さんもこれを受け取ればきっと目の前の女子大生をGETできるに違いないと短絡的に考えます。
ま、この短絡的思考のせいで、42年間、女性と付き合ったことがなかったのですが、東にとっては今はこの短絡的思考が唯一の頼みです。
「合点承知の助!」
と、源さん、再び、両手を大きく広げて空に舞って飛ぶ鳥を落としたA看板を抱きしめようとしたのですが、また風が横から強烈に吹いてきて、A看板をかっさらっていきます。
あれー!待ってー!
と、東はA看板を追いかけます。
来た方向へとA看板がまた風でずんずん前進して行きます。
空振りの源さん、地面を叩いて大いに悔しがります。
「おいら、看板にすら逃げられるのか!」
それを見ていた仲間たちは笑いを噛み殺しながら言います。
「でも、源さん、あの子、どこにいるかわかったじゃないか」
そういえば、と源さんは看板に書かれていた文字を思い出します。
一方、看板を追っている東、早く戻らなければ、それはそれで店主に怪訝に思われます。
一刻も早く、看板を捕まえて、しょっ引いて帰り、店の前に立たせねばなりません。
しかし、A看板、待ってといえどもいえども止まる気配はありません。
ずずず、ずずずと東通りを今度は西川、繁華街方向に向かって進んでいきます。
A-PIZZAでチラシを配っていた店員さんに危うくぶつかりそうになり、東京音大に行こうとしている楽器を背負った学生さんにもぶつかりそうになり、でも、東が懸命に、
「待ってー! 止まってー!」
と黄色い声を上げているものだから、皆、看板にぶつかる前に女子大生の声を出している看板が迫っているという異常事態に気付いて飛び退き、事なきを得ます。
どこまで行くのか、A看板、やがて池袋の風の前を抜け、メガネ博物館を抜けて、ヴェローチェのところまで来ます。
すると、ちょうどヴェローチェで勉強しようと予備校方向から歩いてきた3浪の勉三がその奇妙な光景に出くわします。
その光景に出くわした勉三は狂喜乱舞します。
なぜなら、勉三、東大に合格した予備校の先輩に「正気のままでは東大には合格なんてできやしない」と言われていたからでございます。
けれども、勉三、1日に18時間毎日勉強してもいたって正気のままで、一向に逸脱する様子がありませんでした。
ところが、今日突然、「その時」がやってきたのでございます。
目の前で、女子大生の声を出すA看板が、ズズズ、ズズズと東通りを進んでいくではありませんか!
いよいよ、幻覚を見るようになった、これで今年こそ東大合格間違いなしと喜びを爆発させます。
勉三は東と一緒に看板を追いかけながら、携帯電話を取り出し、田舎の母親に電話をかけます。
「おっかか? おれだ、勉三だ。あれーだ、ついにおれ幻覚を見た! 今、目の前で看板が進んでいるのを見てんだよ! これで東大合格まちがいなしだ! あ? なんだって? おかしくなったって? それでいいんだってよ、おっかあ!」
すると、横から声をかけられます。
「いいから、看板を捕まえてー!」
横を見ると、いつの間にか、女子大生が横を並走しているのです。
「おっかあ! さらに女の子の幻覚まで見るようになったよー! これはもう間違いない!」
「いいから、捕まえてー! 幻覚じゃないしー!」
実は、必死で看板を追いかけていた東ですが、A看板がズズズと進んでいて、それを必死でハイウエストのミニスカートを履いた女子大生が全力で追いかけているという光景は、道行く人にとっても異質なものでございました。
すれ違った多くの人が、スマホで写真を撮って、TwitterやFacebookに「走る看板と女子大生」と投稿します。
それをシアターグリーンの舞台裏でその投稿を何気なく見た、虎のきぐるみを着た男がおりました。
「タイガーキング」という舞台前の俳優五十嵐でした。
虎のきぐるみを着た五十嵐は、同じくきぐるみを着た他の劇団員に慌てて椅子からずり落ちながらこう言います。
「おいおい、東通りを使って、ゲリラ劇をやっている劇団がいるぞ! 看板を走らせるなんてシュール! みんな、観に行くぞ!」
そんなことになっているとはつゆ知らず、東は必死で強風に吹かれたA看板を追いかけます。
看板は順調に西に向かっています。
トム・ボーイを抜けて、100円ショップを抜けて、もうすぐ、明治通りに出ようとしています。
明治通りと言えば、言わずと知れた添加の大通り。人が溢れています。
そこに、もし、A看板がそのまま直進したら・・・・・・。
「お願いー! 誰か止めて! お願い!!」
あともうちょっとで、ソフトバンクとメガネ屋さんのところから、五叉路へとA看板が飛び出していくところでした。
虎やライオンのかぶりものをかぶった、きぐるみを来た、おそらく男たちが一列になって、なんと看板を受け止めてくれたのでした。
しかし、東、茫然自失でございます。その場でへたれるように座り込んでしまいます。
なぜ、虎やライオンのきぐるみたちが、助けてくれるのか、意味不明でございます。
しかも、気づくと、周りの人達に拍手をされていることに気づきました。
「すごい、劇だった! 通り全体を使って、使ってA看板を動かして、人を巻き込んでいくなんて、只者じゃないね、君!」
と、虎のきぐるみが東の方をバンバン叩きます。
いや、別に、劇とかそういうんじゃなくて、ただ、風に飛ばされてとはもはや言えない雰囲気です。
どこから人が集まってきたのか、人だかりになっています。
彼らは看板と東をスマホで懸命に写しています。
何がなんだかわかりませんが、東は立ち上がり、お辞儀をしました。
すると、更に大きな拍手が沸き起こります。
指笛が鳴り響きます。
どこからともなく、声が上がります。
「アンコール! アンコール! アンコール!」
「それだけはやめてー!」
東は叫びます。しかし、その声も歓声と拍手にかき消されるのでした。
いつしか、風は止んでいました。
店に帰り、何事もなかったように、看板を店先に戻します。
それで、何事もなかったように店の中に入ります。
すると、店の中は朝だというのに満員になってました。
溢れんばかりに人が入ってきて、更に後から人が入ってきました。
店主の三浦が、てんてこ舞いになりながら、レジをさばき、コーヒーをいれていました。
「おい、東、どこいってたんだよ! はやく手伝えよ! つうか、これ、どういうことだろう?」
確かに何が起きたのか、東にもわかりません。ただ、ちょっと心当たりがありました。
いつもは天狼院に来ない、現場作業員の人たちがいました。その中には源さんがいました。
また、予備校生たちがいました。その中には電話をかけながらついてきたあの予備校生がいました。
そして、きぐるみを来た劇団員たちがいました。
後から来る人達は、きっとインターネットで拡散されたことによって、店や騒ぎを知った人たちでしょう。
外では、看板と記念撮影をする人で人だかりができはじめていました。
心当たりはありましたが、店主に怒られると思い、あずまはこう嘘をつきました。
「さあ、なんででしょうかね。でも、こう言いますよね、風が吹くと本屋は儲かるって」
店主は怪訝そうに首をかしげながらも、お客様の対応に手一杯で、もはや詮索することもありませんでした。
後日、東はとあるまとめサイトの記事を見て驚愕します。
「飛ぶ鳥を落とす勢いの天狼院書店」
そこのサイトに載せられていたのは、本当に天狼院の看板が飛ぶ鳥を落とした瞬間の写真でした。
そして、あの日の出来事が詳しく記されていました。
や・ば・いーーー!
東の苦悩は続くのでございます。