たとえばそれは自分のふがいなさのために愛する女性を奪われるようなものだ。
先日のことである。
京都より、就活ルックの女子大生が天狼院に来店した。
長身で見るからに快活で、しかも、目元に透徹とした知性が顕れていた。
その空間の風合いを確かめるように深く息を吸い、吐いた時には笑顔になっていた。
どうやら、この空間を気に入ってくれた様子。
「就活生ですか?」
僕のその問いかけに、彼女は笑顔で頷く。
それは、就活用のいささか無理をした作り笑顔ではなく、極自然なものだった。
四回生ではなく、三回生。
インターンの面接を受けるために京都から新幹線でやってきたという。
天狼院のことは何で知ったんですか、との問いに彼女はこう答える。
「川代さんってかたの記事を読んで、とてもいいなと思って。天狼院ってどんなところだろうと調べていたら、面白くて」
僕は驚いた、というよりも、なるほどそこまでか、と思う。
それというのも、最近、川代紗生の記事がとても良かったというお客様が多いのである。
「川代の記事のどこがよかったですか」
ひとつ、頷き、彼女は答える。
「川代さんが書くことは本当に私たちがいつも思っていることで、ただ川代さんの場合は私たちよりも少し先で前向きに解決策を見つけてくれていて、それをうまく言語化してくれているんです」
とても明解に答えてくれる。
また、彼女はこうも言う。
「たとえば、ビジネス書などには、こうすればいいよ、と書いているんですけれども、わかってはいるけど、それができないんです。できないことを、川代さんは私はこうしたよ、と教えてくれるような気がします」
僕は彼女の言葉で、なるほど、とこれまで不思議に思っていたことが氷解する思いをした。
彼女の記事、とても多くのファンがついているのである。
多い時には1記事辺り、5,000PVのアクセス数を平気で超える。
たった1日で2,000PVに届きそうになるときもある。
そして、こうしてお客様がはるばる京都から来てくれる。
川代紗生には、稀有なる才能がある。
それは間違いない。
なぜなら、静かだけれども強烈な嫉妬を覚えるからだ。
僕は、そもそも、小説家を目指していたわけで、少しでも小説家に近づきたいと思い、所沢に昔あった書店に時給730円で入った。今からもう10年以上も前の話だ。
しかも、最初は本当に下っ端で、下っ端の中の下っ端で、棚を担当させてもらうことはもとより、レジに立つことも許されなかった。入ってきた大量のダンボールを開け、担当者ごとに分けられた台車に振り分ける。そして、雑誌を選り分けて、近くの美容室などに配達に行く。帰ってくれば、返品をダンボールに詰める。
当時の店長が、僕が小説家になるという夢があって、本をかなり読んでいると知ると、選書の一部を僕に聞くようになった。僕が本に詳しいという話が本部長の耳にも入り、今度出店する小さな書店の店長にならないかと打診された。たしか、27歳か、それくらいの頃である。
当時はまだPOPでアピールする方法は珍しく、僕の場合はPOPだけではなくて、看板まで大掛かりに作って全力で売っていたものだから、話題になった。
僕が仕掛ける本は、飛ぶように売れた。
そして、その中の多くが映像化して、後を追うように大ヒットした。
なぜ、ヒットする商品がわかるのか?
そのとき、多くの人にこう聞かれた。
おそらく、僕はそれに対して、装丁がどうの、時代性がどうのなぞともっともらしいことを並べていただろう。真実は決して言わなかった。
けれども、真実は実に単純だった。
強烈な嫉妬心を覚える作品だけを選んで拡販していただけだった。
自分では、100年かかっても書けないだろうと思う作品を、なかばやけくそになって売った。
そこには、熱ばかりではない、密かに「狂」も込められるものだ。
「狂」が込められたものを、人は買いたいと思う。
何せ、当時、僕は本気で小説家になると思っていた。小説家になるしかないと思っていた。
ところが、その強烈な嫉妬心は、狂おしく売れば売るほどに、なぜか清々しい心持ちに変わっていった。売れれば売れるほど、嫉妬心は充足感に転換されていった。
歯ぎしりするほどの、悔しくなるほどのいい作品を、一人でも多くの人に届けることが最たる喜びなのだと知った。
今思えば、その嫉妬心に今、天狼院をやっている原点があるのかも知れない。
そもそも、なぜ小説家になろうと思っていたかといえば、表現をしたかったからではない。
不謹慎に聞こえるかもしれないが、お金が欲しかったからだ。
だから、賞金が1000万円の、江戸川乱歩賞だけに焦点を絞った。
それで小説家になれば、賞金だけでなく、印税でお金が入ってくると思った。
そのお金で何をやりたかったかと言えば、若い才能を支援したかったのだ。
あるいは、四畳半の一室で、社会に対する憤りを感じながら、自らの世界を築きあげようともがいている若者たちへ、「君には僕にはない才能がある」と言い、実際に後押しできたならどんなにか素晴らしいだろうと思う。
それは、きっと、昔の僕でもあるからだ。
昼は本屋でバイトをして、夜はスーパーでバイトをして、その合間に誰に読まれることもない小説を書き続けていた、当時の僕の目の前に、今の僕が現れたとしたならば、何か、力になってあげられるかも知れない。
もちろん、それは金銭的なサポートではないはずだ。
あるいは、ただ、こうとばかり言ったかも知れない。
「今はただ、誰にも認められることもなくつらいだろうけれども、ここを突破してほしい。大丈夫、君はやれる。必ず、道は開ける」
きっと、当時の僕は、ただそう言ってくれる人が欲しかったのだと思う。
自分を認めてくれる人が欲しかった。
その言葉によって、救われる部分があっただろうと思う。
今僕は、あの頃の自分が会いたかった僕になっているだろうか。
まだまだ、なれていない。
力が、圧倒的に足りない。
ただ、天狼院という可能性だけはつくることができた。
天狼院は一人でも多くのお客様によりよいREADING LIFEを提供する場所である。
そして、同時に才能あふれる若者たちを支援する場所でもある。
僕は今、日々、悔しい思いをしている。
涙をにじませながら、歯ぎしりするほどに悔しい想いをしている。
圧倒的に、力が足りないのだ。
たとえば、僕は川代紗生という稀有なる才能を天狼院で開花させたいと思っている。
僕が強烈な嫉妬を覚える川代はきっと世に花開くだろうと思う。
しかし、未だ天狼院には優秀な彼女を引き止めるだけの経済力と社会的ブランド、そして育てられる仕組みが整っていない。
この春に天狼院を卒業し、しっかりと新卒で就職した、草間や伊丹もそうだ。
オープンから働いてくれている石坂や山中、デザイナーの佐藤、東も、本山も、内山も最近加入した片倉や山本もそうである。
もし、彼ら彼女らが望むなら、天狼院で働けるようにしたいと思っている。
けれども、天狼院にはまだその力はない。
川代もそうだが、他のメンバーも、やがて、大きな企業に就職することだろう。
経営者である僕にとって、たとえばそれは自分のふがいなさのために愛する女性を奪われるようなものだ。
けれども、いつか、そう遠くないいつか、この悔しさを払拭する日が来るだろうと思う。
天狼院に来てくれるお客様のために、
そして、天狼院で才能を開花させたい若者たちのために、
僕はこれからも全開バリバリのフルスロットルで駆け抜けようと思う。
先日、ふと録画していたドラマ『若者たち2014』を観た。
主題歌がまたいい。
『若者たち』
君の行く道は はてしなく遠い
だのに なぜ
歯をくいしばり
君は行くのか そんなにしてまで
観ているうちに、なぜか、涙が止まらなくなった。
忘れていた何かを思い出したような気がした。
それはきっと、自分を底強くしてくれるものだろうと思う。
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