「必然的縮小」に打ちかつ方法を全力で考えよう《天郎院通信》
たとえば、テレビの地デジ化がすすみ、番組表が標準搭載されると、「必然的に」TV雑誌が部数を落とします。また、スマートフォンが普及してMAP機能、乗り換え案内機能が充実してくると、地図や時刻表が「必然的に」売れなくなり、同じようにインターネットの普及によって映画情報誌やタウン情報誌が売れなくなってきます。
これは何も、出版業界に限ったことではなく、iTunes Storeで楽曲が売れるようになると、CDが売れなくなり、fuluやAppleTVなどで映画やドラマのコンテンツがインターネット配信されるようになると、レンタル業界が売上を落とします。
ま、古くは、石油の需要が増えると石炭の需要が減って、炭鉱が次々と姿を消し、車が普及すると、馬車が使われなくなるなど、考えてみればこれは枚挙に限りがないことです。
このように、生活スタイルの変化によって、必然的に販売機会が少なくなっていくことを、「必然的縮小」と名づけることにしよう。
書店・出版業界はまさに夥しい数の「必然的縮小」にさらされております。これから先、書店を経営していくためには、この「必然的縮小」とどう向き合うかを考えることが重要になって参ります。
ひとつには、店舗マネジメントを深く掘り下げて、労働生産性の極大値を狙っていくという「戦術」があるだろうと思います。
実は、かつて在籍した小さな規模の書店において、いかにマネジメントすれば生産性を上げられるかについて研究したことがあり、一定の成果を上げることはできました。
かいつまんでいえば、それは書店の業務を全てリスト化して、その項目を誰がやるのが最も生産効率姓がいいのかを、スタッフの時給換算値によって検討するということです。この方法論を用いると、例えば、時給換算で1500を超える社員が、時給換算850円のスタッフでできるレジの業務を一日3時間すると、それだけで店の人件費的にみれば1,950円の赤字になるということになります。逆に、それだけの時給換算値をもらっているスタッフは、オフェンシブな売上げを取る業務に時間を割かなければならないということです。
ちなみに、僕は、その書店に入って、書店が儲かっているかどうかを見分ける基準のひとつとして、店長がレジに立っているかどうかということを見ます。もし、店長がレジに入って、客をさばいているようであれば、相当に本部の統括精度が高くない限りは、その書店は何かまずいことになっている。少なくとも、店長などのマネージャークラスに、十分な給料が支払われていないと見ていいと思います。
その場合、かなり高い確率で長時間労働を強いられている可能性が高く、少ない給与で長時間労働をさせられては、能力の高い人材であれば他に流出するのは自明のことで、モチベーションの低下は当然のことといえます。
必然的に、十分なサービスをお客様に提供することができなくなるので、売上が、これもまた必然的に縮小していくことになります。
そうならないためには、マネージャークラスではなくてはできることは、どんどん違うスタッフに、もっといえば、時給換算でマネージャーよりも低い給与をもらっているスタッフに委譲していく必要があります。
それはたとえば、サッカーでいえば、FWはなるべく前線にいて、守備はできるだけDFに任せ、点を取ることに集中すべきということです。そのためには、まずはディフェンス面をしっかりと確立しなければなりません。
簡単にいえば、どうやれば守備が完璧になって、攻めに集中できるかという戦術を、その当時研究したのでした。
確かに、これから10年だけ生き延びればいいのであれば、こういったさまざまな戦術を駆使することで十分逃げ切れるだろうと思います。けれども、その先は絶対に、これだけでは到底対応できるものではありません。「必然的縮小」が、こういった戦術レベルの対応ではどうしようもないほどに進行して大きなマイナスをもたらすと考えられるからです。あるいは、その膨張スピードは、もっと早いかも知れません。
重要なのは、「戦術」だけではなく、「戦略」を大きく見直すことです。もちろん、戦術的な部分を極めることも重要ではありますが、それと並行して、戦略の大転換を図らなければなりません。さらに言えば、今我々の念頭にある、「書店」という概念が変わるほどの変革が「必然的に」必要となるということです。
これは、書店のみならず、出版社においても、取次においても同じことが言えるだろうと思います。
「必然的縮小」というある種の自然淘汰を生き抜くためには、大きな戦略的意味での「必然的変革」が必要となるのです。「必然的変革」、またはそれを「進化」と言ってもいいでしょう。
今まさに準備している天狼院書店を、未来を生き抜く書店のひとつの可能性だと考えております。
「書店」としているものの、これは便宜的な意味でしかなく、僕はこれをひとつの大きなプロジェクトとして捉えております。つまり、「TENRO-INプロジェクト」とは、「未来にはこういう形の書店が生き残るのではないか」というひとつの「仮説」なのです。もちろん、僕が提示する仮説がすべてではなく、「必然的縮小」に打ち勝つための、もっと数多くの「仮説」が生まれるべきだと考えております。
ちなみに、僕が次に提示する可能性は、「READING LIFE」という媒体です。すでにWeb版「READING LIFE」として、ブログ形式でこの天郎院のHPでもあげておりますが、これを更にわかりやすい形でリリースしようと準備しております。
書店の店頭において小冊子やリーフレットとして実体を持ちながら、インターネットとも、CORE1000プロジェクトも強いリンクを持つ媒体です。今、フルスロットルで準備しておりますので、まもなく、リリースを発表できると思います。
蛙は熱湯に入れられると、すぐに外に飛び出すけれども、水に入れられて徐々に熱せられると、茹で上がってしまう。
有名なゆでガエルの話ですが、この業界も、まさにゆでガエルになっているのではないでしょうか。
皆さんも、それに気づいているはずです。
とある、この業界の大先輩にして超有能な方は、こんな表現を使っておられました。
「タイタニックに乗っていて、氷山にもう何度もぶつかっているのに、みんな気づかないふりをして舞踏会を続けている」と。
この業界を生き抜くためには、「必然的縮小」という猛烈な嵐の中で戦い抜かなければなりません。
おそらく、この業界は「銃声なき戦場」と化すだろうと思います。
映画『マトリックス』的世界からいちはやく抜け出して、その現実を直視することからしか、何事も始まらないのだろうと思います。
*本記事は、連載を担当させてもらっている「文化通信」10/15発売号に掲載された、『「必然的縮小」に打ちかつために』を更に掘り下げて書いたものです。ぜひ、そちらも御覧ください。