前略、川代紗生様《2001年8月26日に生きるしがないフリーターから川代紗生への手紙》
前略
川代紗生様、はじめて手紙を差し上げます。
と、言っても、この手紙があなたに届くのか、また川代紗生という人が本当に存在するということ自体、未だ僕は半信半疑なのです。
所沢のバイパス沿いにある、ファミレスのCASAで、いつものようにバイト終わりに小説を書いていたときのことでした。
なけなしのお金をはたいて買ったばかりのノートパソコンのキーボードを夢中で叩いていると、いつからそこにいたのでしょうか。パソコンの画面の向こう、目の前の席に、見知らぬ男性が座っているのに気づきました。
「よせよ、どうせ、箸にも棒にもかからない」
その男性は、嘲るように僕に向かってそう言いました。
もちろん、かっと頭に血がのぼりました。見ず知らずの人に、僕が命がけでやっていることをけなされる覚えはありません。
僕は故郷の両親や学費を工面してくれている祖父には大学に行っている体を装って、大学の後半はほとんど小説を書いていました。4年生になったときに、担当の先生から故郷のほうに連絡がいったとき、家族や親戚は、大きな驚きと落胆を覚えただろうと思います。なぜなら、僕は卒業どころか単位をほとんど取得していなかったからです。
今、思えば、実に無謀な話ですが、大学生でいる間に小説家として華々しくデビューしようと真剣に考えていました。
周囲の大きな落胆の中で、結局は在学中に小説家になれなかった僕は、もちろん、就職活動もしていませんでしたら、嘘つきの誇大妄想家のぶうたろうとして、退学後、世間の荒波に押し出されました。
申し訳なく、情けなく、故郷には帰ることもできずに、かといってもう学生でもないので仕送りも止められ、今は昼間はロフトでバイトをして、夜はスーパーで夜間バイトをして、何とか死なないように生きています。
そして、僕が単なる嘘つきの誇大妄想家ではないことを証明するためには、書いて、書いて、書いて、書いて、書いて、本当に小説家としてデビューするしか道は残されていませんでした。
考えてもみれば、孤独な戦いです。
大学に行っていませんでしたから、大学時代の友人もおらず、9時半からのロフトのバイトに行く前に、駅前の喫茶店で7時から2時間半小説を書き、夜間のバイトに行く前に、また3時間小説を書き、夜間のバイトが終ってから、午前2時までまた3時間小説を書くという毎日を送っています。
バイトを掛け持ちしていると言っても、時給は750円くらいです。1ヶ月で2つ合わせても手取りは13万円ほどしかありません。服はボロボロになるまで着て、食事はコロッケやイカフライと納豆の組み合わせが定番でした。
僕にとっては、実は朝喫茶店に行くのも、ドリンクバーだけだと行ってもファミレスに行くのも、とても贅沢なことでした。
僕は書くことに全てをかけていました。
ところが、目の前のスキンヘッドの見ず知らずの怪しげな男は、顎ヒゲに手をやりながら、「箸にも棒にもかからない」なぞと言うのです。
さすがに、全身が震えるほどの怒りを覚えました。
なぜ、読みもしないのに、そんなことを言えるのだろう。
ほっといてください、と言おうとしたそのときでした。
僕ははっと気づきました。
それに気づいた途端に、怒りが急速に冷めていくのがわかりました。
たしかに、その人の言葉は僕を嘲っていました。けれども、目はそうではありませんでした。
ただ、ただ、純粋な憂いだけがありました。
その眼差しを改めて見て、どこかで見たことがあると思いました。けれども、そんな歳の離れた友人はいませんし、親戚にもいません。
その男性は僕にこう言いました。
「誰に読まれるでもなく、誰に褒められるでもない。人に疎まれ、親にも親戚にも見放されそうとしている。なのに、なぜ、君はそうして書き続けるのか」
最後の方は、まるで涙に詰まったかのようでした。そして、慌てるように僕から目を逸らしました。
誰に読まれるでもなく、
誰に褒められるでもない。
人に疎まれ、
親にも親戚にも見放されそうとしている。
なのに、なぜ、僕はこうして書き続けるのだろうか。
考えたこともありませんでした。
書かなければ、と思ったことは一度だってありません。
でも、僕は書き続けていました。
カレンダーにその日書いた原稿用紙換算枚数をつけ続けていたのですが、書くことを1日も休んだことがありませんでした。1日平均で、原稿用紙で言えば、40枚書いていました。
答えが出ずにいると、その男性は一枚の写真をテーブルの上に置きました。
その写真には、「また遊びに来てね」という吹き出しがつけられた、頭に本を乗せた、妙なキャラクターと胸に「狼」と書かれた犬みたいなキャラクターが書かれたボードを持った、若い女性が写し出されていました。
思わず、僕は、かわいい、とつぶやいていました。
だろ、とその男性ははじめて笑ってみせました。最初はもしかして、ヤクザか何かだとばかり思っていましが、その笑顔をみて、そうではないのかなと思い直しました。
その写真に写る女性を差して、その男性はこう言いました。
「僕は彼女を小説家としてデビューさせようと考えている」
その目は自信に満ち溢れていました。そうならないわけがないと目が物語っていました。
「彼女には才能がある。君と違ってね」
そう言って、その男性はおかしくもなさそうに、微笑んでみせました。
不思議と、今度は怒りが湧き上がりませんでした。
才能がないことは、うすうす、気づいていたことでした。
「僕には、才能は必要がないんですよ」
抗うでもなく、負け惜しみでもなく、僕はそう言っていました。
「だからこそ、才能など気にならないくらいに書き続けようと思っていました」
その言葉を聞くと、その男性は頷きもせず、ただ僕の目をじっと見つめました。
そして、君には関係のないことだけど、と前置きしてこう言ったのです。
「川代紗生。彼女は、今、注目を浴びている。幾万の人が、彼女の文章を待っている。彼女の才能に期待をしている。それだからこそ、苦しんでいる。そこで、君にお願いがあるんだが」
そう言って、その男性は身を乗り出し、テーブルの上に両肘をつきました。
「彼女に手紙を書いてくれないか」
「手紙? 彼女のことを知らないのに? 会ったこともないのに?」
そう、とその男性は頷きました。
「今の君のことを書いてほしい」
さすがに、僕は可笑しくなりました。
「才能のない僕が? 大学も退学して、親にも顔向けが出来ない僕が? いったい、才能のある彼女に何を伝えられるんです」
「ただとは言わない。ここは僕がおごるよ」
その男性は透明な筒に立っていた伝票をすっと引き抜いた。
ドリンクバー、400円。
ミックスグリルも頼んでおけばよかったと思いましたが、僕にとって、400円は貴重でした。
「どこに送ればいいんですか?」
ここに送ってほしい、とその男性が僕に手渡したのは、真っ黒なショップカードでした。
表には「天狼院書店 東京天狼院」とあり、裏には簡単な地図と住所、電話番号が書かれていました。
「本屋さんですか、池袋の」
「いや、天狼院だよ」
じゃあ、よろしく頼む、と言い残し、その男性は立ち去りました。
テーブルには、あなたが写っている写真が残されていました。
実は、そのあと、僕はその天狼院という場所を探しに所沢から何度か池袋に行きました。けれども、何度探しても、見つけることはできませんでした。
いつも、「甲州屋」というそば屋さんに行き着きました。その付近で「天狼院」について聞いても、ましてやあなたについて聞いても、誰も知りませんでした。
それなので、あなたが存在することも、天狼院という場所が存在することも、僕は半信半疑なのです。
でももし、才能のない僕が、才能のある川代紗生という人の力に、少しでもなれるのだとしたら、そんなに嬉しい事はありません。
そう思い、この手紙を書きました。
PS:今度の小説は自信作なのです。誰にも読ませたことがありませんが、あなたになら、読んでほしいと思っています。
2001年8月26日
しがないフリーター 三浦崇典
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