未来を創造する「究極の書店」《第5期(2013年)事業計画》
現代に生ける天才、リチャード・ドーキンス博士は、『利己的な遺伝子』において、こう述べている。
生物は、遺伝子を運ぶ乗り物に過ぎない。
大学も卒業せずに、ふらふらと小説ばかりを書いていた十年以上も前に、この一節に出合い、僕は不思議に心が軽くなったのを覚えている。
「ああ、いいんだ」
と思った。そして、妙にいい具合に肩の力が抜けた。
生物がそうであるなら、人間も変わりない。
人間も「利己的な遺伝子」を運ぶ乗り物に過ぎない。
ある種の虚無主義は、底辺まで到達すると、なぜかアホらしくなって、必然的に楽天主義へと浮上せざるをえなくなるものだ。
トルストイの『戦争と平和』における、「ナポレオンが生まれなければただ別のナポレオンが生まれただけだ」というアイロニーも、結局は虚無主義であって、この虚無主義の底辺に到達した時、おそらく、司馬遼太郎は必然的に楽天主義へと向かわざるを得なくなったものと思われる。
すなわち、「時代を変えるというその一点のことだけのために、この若者を天が遣わしたとしか思えない」と坂本龍馬を賞賛するヒロイズムに到達する。そして、司馬遼太郎は、この楽天主義を生涯にわたって透徹したのだ。
そう、底堅い楽天主義というものは、虚無主義の底辺にたどり着くことによってしか、感知しえないものなのかも知れない。
果たして、手塚治虫は、『火の鳥』の作中において、虚無主義の底辺へと辿り着く。ミクロの世界に広大な宇宙があって、宇宙もまた、巨視的な見地からみれば、ミクロの一部にしか過ぎないというフラクタル的な全体像を、マンガで具現化して見せた。ある種の天才だったと言っていい。
楽天主義、言い換えれば、「前向き」な思考とは、虚無主義の底辺の所在を知らなければ実ははったりということになる。何も成し得ない現実逃避ともなる。
この性質を見抜いていた司馬遼太郎夫人は、夫の死後、こう述べて懸念している。
「司馬の作品は、若者を誇大妄想家に変えてしまう」
間違いなく、僕は、司馬夫人が懸念した若者のひとりである。
『世に棲む日日』において、司馬遼太郎は、主人公の高杉晋作にこう言わせている。
「私は何らかの天才なのだろうと思う。けれども、何の天才かはわからない。」
若者はある時期、意味もなく、全能感を覚える場合がある。高杉晋作のように、自分が「何らかの天才」であると勘違いしてしまう時期がある。
利己的であり、傲慢であり、根拠もない、勘違い。
大抵の場合、ある日、目が覚めた時、昨夜書いた詩のようなものを見つけて、恥ずかしくて丸めて捨ててしまい、それは一過性のはしかのようなもので、すぐに完治して大人になるのだが、なかにはこの勘違いを大いにこじらせて、実に「青臭い」大人になる者が出てくる。
誇大妄想の世界から脱出できずに、自分が何かを変えられると思い、虚無の底辺を鼻で笑い、暑苦しくも青臭い理想を語り続ける。
現代においては圧倒的なマイノリティであって、下手をすれば、組織に馴染むことができずに、社会不適合者の烙印を押されている。
けれども、まちがいなく言えることは、彼らの勘違いこそが、世界を変えられるということだ。
根拠のない自信は、世界を変えることによってのみ、その正当性が評価される。
皆、人は「仮説」として生まれ出ずる。
リチャード・ドーキンス博士の論が正しく、人は遺伝子を運ぶ乗り物に過ぎないのなら、それぞれの個々人は、ある種の「仮説」なのだろうと思う。その「仮説」の大元になるのが、結局は自分自身が「何らかの天才」だと思う、あるいは、そうでなくても、「何かのために生まれてきた」と思う、「勘違い」なのではあるまいか。
そうだとするならば、我々は、大いに勘違いしていいのだ。勘違いしなければ、人生、損である。
何を言いたいのか?
お気づきだろうか。
今、僕は、今から述べる宣言の青臭さを正当化するために、これまで僕の生涯に影響を与えてきた本を羅列してきた。
リチャード・ドーキンス博士の『利己的な遺伝子』。
トルストイの『戦争と平和』。
手塚治虫の『火の鳥』。
そして、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』と『世に棲む日日』。
どれもが名著で、あるいは、このうちのどれか一つでも欠けていたのならば、僕の人生は全く違ったものになっていたかも知れない。
きっと、これを読んでいるあなたにも、人生を変えた本がいくつかあるはずだ。
そう、本は人生を変えるということだ。
そして、本は、人の運命の集積でしかない、未来を変えられるということだ。
思い返せば、去年も正月中、ビジネスプランを練りに練り、1月4日にその成果を発表した。それが、この記事だった。
本当にこれは皆様のおかげだが、このとき宣言したとおりに、今、事が進んでいる。応援して下さり、応援とともに仕事を下さった、皆様のおかげだ。皆様のご厚意がなければ、僕などとっくに野垂れ死にしていただろう。
皆様のおかげで、こうして、まだ「勘違い」を続けられている。どうせなら、まだ夢のつづきを思い描いてもいいのではないかと思って、今年も正月中、資料を紐解き、ビジネスプランを練りに練った。
それで出てきた計画の表紙に当たる部分が、以下の通りである。
❏ビジョン Vision
未来を創造する「究極の書店」をつくり、一人でも多くの人により良い「READING LIFE」を提供する。
❏ミッション Mission
・2013年8月末に東京天狼院をオープンさせる。
・2017年1月までに、天狼院を全国に10店舗出店する。
・2022年中にIPO(株式公開)させる。
❏コンセプト Concept
・READING LIFEの提供
・永遠のラボ Eternal Laboratory
・1000万円で開業できる未来の書店モデル
ひとつひとつがどういうことなのかは、ぜひ、これからの僕の行動を見て頂きたいと思う。
また、この他にも、「天狼院オリジナル10のビジネスモデル」や「差別化戦略」「ファイナンス/資本政策」についても、詳細な部分まですでに戦略化しているが、それに関しては、東京天狼院のオープンを楽しみにして頂きたいと思う。
ただ、ひとつ、ここで皆様にお願いしたいことがございます。
この「天狼院プロジェクト」を遂行する上で、どうしても、必要となる制度についてです。その制度こそがこれでございます。
天狼院と7人のコンシリエーレ
フランシス・フォード・コッポラの映画『ゴッドファーザー』を観たことがある方なら、ご存知かも知れません。ゴッドファーザーにはトム・ヘイゲンというコンシリエーレ(相談役)がいた。そのマフィアの制度にあやかり、7部門に関して、その道に熟達し経験豊かな方に、コンシリエーレ(相談役)の就任をお願いすることに致しました。
と、言っても、取締役など会社法上に規定されたポストではなく、様々なことについて、相談に乗ってもらう方という意味です。
僕の中で内定し、すでに軽くお願いしている人もいるが、これから本格的に決めて、お願いに上がろうと思っております。
担当コンシリエーレに就任してもらいたい部門は、以下の7部門。
アート・ディレクション
ファイナンス
セールスフォース
クリエイティブ・ストラテジー
店頭プロモーション
IT戦略/PR戦略
リーガル
一部門一人とは限らず、また、担当部門を持たないコンシリエーレもお願いしようと思っております。
基本的には、こちらからお願いに上がりますが、我こそはと思う方、どうしても、助けてやりたいという方がいらっしゃいましたら、ぜひ、遠慮無く、お声がけください。ご説明に上がらせて頂きます。
さて、上のMissionの中でも、特に困難なのが、今年8月末の1店目のオープンだろうと思います。
これは、死にものぐるいで実現すべく、全力全開で取り組んで行こうと思います。
虚無主義の底辺を知り、「最悪を想定して最善を願い(Plan for the worst,Hope for the best)」、底堅い「前向き」思考へと転換することができれば、 あるいは、「勘違い」は形を得るかも知れない。
「絶望の2013年」
最悪を想定して、常に、気を引き締めるために、僕は今年はこの言葉を事ある毎に使い続けようと思います。
もちろん、その言葉を口にできるのは、底堅い「前向き」思考を身に着けているという自信があるからでございます。
さて、2013年、皆様方におかれましては、どうか、これまで以上にお導きくださいますよう、ひたにお願い申しあげます。
(株)東京プライズエージェンシー
代表取締役 三浦 崇典