メディアグランプリ

「1/100の弱音」


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:東 ゆか(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「夜になるとね、女の人のすすり泣きがしたんだよ。あれっておばけだったのかなぁ?」
フランスの田舎町で一緒に過ごした友人の話を「へ〜そうなんだ、怖いね」と聞き流した。「それはおばけじゃなくて私だよ」とはとても恥ずかしくて言い出せなかった。
 
2016年夏、私はフランスの田舎町にいた。音大を声楽専攻で卒業した私は、働きながらレッスンに通ったり、小さなオペラ公演のステージに立っていた。音楽活動を続けている大学の同期は徐々に活躍の場を広げているのに、私はというと伸び悩んでいた。何か自分が成長できるきっかけがつかめれば、そう思ってフランスで行われる声楽の夏期講習会に参加した。
 
半年前から生活を切り詰め貯金をし、勤めていた会社も辞め、フランスで先生にレッスンしてもらいたい曲もたっぷり用意して挑んだ夏期講習会だった。
しかし、渡仏の数日前、自分の演奏の録音を聴き返していて、ふとこう思ってしまった。
「私の演奏になんの価値もないんじゃないか」
 
ふいに立ち上った思いは、煙が大気に広がるように心の中いっぱいに広がってしまった。
それからはもうダメだった。大きな希望をもってフランスへ行きたかったのに、心の中ではいつまでもその煙が立ち込めていた。
 
いざ講習会が始まっても、レッスンでは思うように先生のいうことを素直に吸収することができなかった。
次第に心を閉ざしていく私に先生もほとほと困り果てて、レッスン中は気まずい時間が流れた。
レッスンが終わると部屋に戻り、ベッドに仰向けになって泣いた。フランスの山間の空気はとても澄んでいて、清々しかった。そよ風が部屋のカーテンを揺らしていた。揺れるレースのカーテンを見ると、どうしてこんなに綺麗な場所にいるのに、私はこんなに悲しいんだろう。あんなにフランスへ来るのが楽しみだったのに、どうして私はこんなにがっかりしているんだろうと、ますます悲しくなった。
 
夜になると翌日のレッスンのことを考え、不安になって泣いた。
すぐ下の部屋に滞在していた友人が聞いたのは、おばけではなく私の泣き声だった。
 
講習会のために用意した難曲は、とてもレッスンで歌える雰囲気ではなくなってしまい、楽譜はクリアファイルにしまわれたままだった。
次第に卑屈になっていく私とは真逆に、他の講習生は毎日着実にレッスン内容を吸収していった。「もし歌えるなら次はあの曲を歌ってくれない?」先生から他の講習生に言い渡される曲は、私が楽譜を用意したけれどレッスンで歌うことのできない曲が多かった。「もし良かったら」と私は他の講習生に自分が用意した楽譜を貸し出した。私の楽譜は他人のレッスンで役立っていた。みじめだった。
 
「歌うことがつらい」
大学でも、オペラ研修所でもいつも私は成績が悪かった。しかし意外にもそう思うことは今までなかったのに、日を追うごとにそんな気持ちがふくらんでいった。
 
2週間の夏期講習も残り数日となった時に、私は日本にいる友人にこんなLINEを送った。
「うちにある電子ピアノあげるよ。私もう歌やめるからいらないの」
講習会を最後に、もう歌をやめようと思った。
 
最終日の公開コンサートは、これが人前で歌う最後だと思って歌った。
2週間歌うことが楽しくないと思い続けて、その日の演奏だけを楽しめるはずがない。こんな気持ちで歌っていることがお客さんに申し訳なく思えた。
演奏を終えた後にするお辞儀には「こんな私でごめんなさい」という気持ちが混ざっていた。スポットライトの光に何もかも見透かされてしまうのが怖くて、必死で笑顔を作った。
 
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最終日の夜は、レストランで打ち上げをした。
フランスの夏は日が長く、20時を過ぎても日がまだ沈み切らない。
夕暮れと街灯の明かりが入り混じるテラス席で、2週間一緒に過ごした講習生の一人に、この講習会が終わったら歌をやめようと思っていることを打ち明けた。
 
彼はとくに大きな反応も見せずにこう言った。
「僕もいままで100回ぐらい歌をやめようと思ったよ。ゆかちゃんもあと99回そう思わなきゃ」
 
予想外のことを言われてとても驚いた。「そんなこと言うなよ、可能性はまだあるよ」とか「見切りをつけるのも大事だと思う」とか大まかに慰めの言葉を言われると思っていた。同時に誰にでもやめたいと思うことがあるのか、ということにも驚いた。今までたくさんうまくいかないことがあったが、不思議と「やめたい」と思ったことはなかった。だから初めて抱いた「やめたい」という気持ちに戸惑っていた。そして「やめたい」と思ったのだからやめるべきなのだと思っていた。学費の高い音大に、両親は多くの犠牲を払って進学させてくれた。そんな音楽を手放したいと思うことは罪だと思った。だから「やめる」ということで、自分を罰しなければいけないと思っていた。
 
「あと99回そう思わなきゃ」その言葉は、友人が今まで経験した挫折の数であり、同時にそれを乗り越えた数でもあった。
もしかしたら今回の「挫折」は単にあと99回起こる挫折のうちの一つに過ぎず、「やめたい」という気持ちは、誰にでも訪れて乗り越えられうる弱音の1/100回にすぎないのではないか。
だから「やめたい」なんて思った自分を「やめる」ことで罰しようと思うのはよそうと思った。
私はこれを乗り越えられるのではないだろうか。乗り越えた先にはもっと別の感情や景色が広がっているのではないだろうか。
 
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帰国した直後はなかなか気分が晴れなかったが、それでも練習を再開した。
自分でも意外なことに、2年間劣等生として通ったオペラ研修所の同期たちと一緒に行うコンサートの企画も立ち上げた。
 
フランスに行く前に芽生えてしまった「自分の演奏になんの価値もないんじゃないか」という思いについては、今だに答えは出ていない。
しかし友人の言うとおり、私はあと99回ぐらい「やめたい」と思うようなことにぶち当たりたい。そしてそれを乗り越えたらもっと良い歌が歌えるんじゃないか、今でもそんな思いで歌っている。
 
 
 
 
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2019-11-01 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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