メディアグランプリ

どうしようもない僕ら


記事:川原 虎丸(ライティング特講)
 
何日か前のことだった。いつも通り学校から帰る途中、僕はある八百屋の前で足を止めていた。
その八百屋は駅前に昔からある少し古めかしいお店で、いつもは通りかかっても見向きもしないのだけど、僕はその時たまたまあるものに目を奪われていた。
店先にある大きなかごいっぱいにつまったオレンジの中に、青々としたオレンジが一つぽつんと混ざっていたのだ。
「いらっしゃい」
ずっとそこに立ち尽くしていた僕の存在に気が付いたらしい店主の老人が店の奥から現れた。僕は軽い会釈を返した。
「何か買っていくかい?」
「いや、あの……」
老人からの問いに答えられずにいると、老人は僕がオレンジを見ていたことに気が付いたらしく優しく微笑んでこう聞いてきた。
「オレンジが好きかい?」
「いや、特にそういうわけではないんですけど……」
僕の言葉に老人が困ったような表情を浮かべたので、あいまいなことばかり言っていても悪いと思って、思い切って老人に聞いてみた。
「あの、この青いオレンジは食べられるんですか?」
「青いオレンジ? ああ、これのことかい?」
老人はかごの中からその青いオレンジをとった。
「うーん。食べられなくはないけれど、これはちゃんと熟していないから、ふつうのよりも苦くてすっぱくて、あんまりおいしくはないよ。食べるならもっと色の濃いオレンジにするといい」
そういって老人は青いオレンジをかごに戻して、今度は大きくて濃い色のオレンジを差し出してきた。
「これとかどうだい?」
別にオレンジが食べたいわけじゃなかった僕は、老人があんまりにも優しく微笑んでそういうので、申し訳なく思いながらそれをことわった。そのままそこを立ち去ろうと思ったとき、またあの青いオレンジが僕の目を奪った。さっき老人に差し出されたものよりどこか情けない、ところどころ黄色がかってる緑のそれが強く何かを訴えているような気がした
「あのすいません。やっぱりこれください」
老人は目を丸くして、僕に聞いてきた。
「さっきも言ったけど、それはまだ熟しきってないオレンジで、味も他の物よりおいしくないぞ? 熟してなくても値段は変わらないしこっちのやつを買った方が得じゃぞ?」
僕は首を振った。
「これがいいんです」
そう言って老人の目を見つめると、老人はどうやら根負けした様子で僕にその青いオレンジを売ってくれた。
 
八百屋をあとにして、家に向かって歩きながら、僕はその右手に握りしめた青いオレンジのことを考える。なぜこれを買ってしまったのかいまだにわからないでいた。
別においしそうに見えたわけじゃないし、あまり八百屋なんかで見かけることのない青いオレンジの味に興味を持ったっていうのとも違う気がする。今のところこれを食べようとは考えていない。
食べるつもりがないのなら、僕はこいつをどうしたいのだろう? 飾るにはちょっと不格好だし、かといってほかの使い道も思いつかない。
「どうしようもないじゃん」
小さく呟いて、なんとなくその場で立ち止まった。そしてふと横を向いてはっとした。
そこにはガラスに反射した、制服を着て片手に青いオレンジを握りしめている自分が映っていた。
僕はガラスに映った自分と見つめあうようにしてその場に立ち尽くした。いや、別に自分に見惚れていたとかじゃなくて、そこに映った自分がこの手に握られた青いオレンジにひどく似ていると思ったのだ。
似ているといっても見た目とかじゃなくて、存在がというかなんというか、そこに映っている『高校生である自分』が青いオレンジにそっくりに思えてやまなかった。
あるいはこれは僕に限らず、全高校生に言えることかもしれない。
僕らの体は、気が付けばそこらへんにいる大人と変わらないくらいに成長していた。いろんなことがわかるようになり、いろんなことを考えるようになり、そしていろんなところへ行けるようになった。親や教師からは「もう子供じゃないんだから」と諭され、人によっては来年から社会に出て働き始めたり、すでに手に職をつけて働いている人もいる。
じゃあ僕たちは大人なのだろうか? 答えはノーだ。
どんなにおしゃれなカフェに入って、とても苦いブラックコーヒーを顔色一つ変えずに飲んで「おいしい」なんて言ったところで、僕たちはバーや居酒屋で酒を飲むことはできない。一人でどこにでも行けるようで、きっと本当の意味では僕らは一人でなんかじゃどこへも行けないのだろう。
たしかに僕らはもう子供じゃない。かと言って大人でもない。あえて言うのなら『限りなく大人に近い子供』ってところじゃないだろうか。
どこか不格好で、青々しくて苦くてどうしようもないのは、高校生もこの青いオレンジも同じだった。
そうだ。僕はあの時、どこにも行けずどうしようもないこのオレンジをそこから連れ出してやりたいと思ったのだ。
握りしめたオレンジをじっと見つめ、そして視線をあげる。
どうしようもない僕らはまっすぐ前をむいて歩きだした。
 
それから数日たった今日。あの青かった実は僕より一足先に大人になった。僕はその大人になった青かったオレンジをかじりながら、自分がいつかこんな風に熟すのを楽しみに思った。


2020-10-13 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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