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人生のバロメーター ~O先生が教えてくれたこと~


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:五十嵐千代(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
窓際の席でよかった。
こういう時、そっぽを向いていられるから。紅葉と高い空―中学2年生の秋の話だ。
 
「今からお前たちに、大切な言葉をいう」
 
英語のO先生はそう言って、もったいぶりながら教室の中を歩いていた。ジャージ姿に竹刀が定番だ。そろそろ剃るのかなぁ―髭がぼうぼうになるまで伸ばしてから、剃る。これも定番。
 
「この先。人生の中で、お前たちは必ず、この言葉を思い出す」
私は相変わらず頬杖をついて窓の外を見ていた。あ~あ、大人のこういうの嫌だなぁ。上から目線。説教臭い。ふん。なのに、耳だけはO先生の言葉を待っていた。
 
「いつでもやめられる」コツンと竹刀が床をたたいた。「って、言葉だ。」
 
「え?あたりまえじゃーん」お調子者の男子が言った。
「先生はいつジャージやめるんですかぁ?」やたらと低い声で二人目が続くと、教室にどっと笑いが起こった。
 
なにそれ。そんな言葉、すぐ忘れるわ―。私は心の中でつぶやいた。
 
けれど、すぐに忘れるはずだった言葉は、そのあと何度も思い出した。中でも、6年続けたアルバイトをやめた時は、特別だった。
 
コンクリートの打ちっぱなしに黒大理石の床と腰壁。50~60人入ってもゆとりのある店内は、クールでスタイリッシュな雰囲気の中に高級感が漂っていた。創作和食料理の店を、ほとんど一人で切り盛りしていた50代の女性オーナーは、アルバイトの面接の日から、私の憧れの人になった。
 
彼女がつくる料理はどれも独創的で味は抜群。深い洞察力と歯に衣着せぬ物言いで、大企業のトップやクリエイティブ産業で活躍する人たち、報道の最前線にいる人たちが彼女にアドバイスを求めてやってくる。気取ったところがなくユーモアにあふれていて、いつもノーメイクだというのに超美人。ボーイッシュなベリーショートがよく似合っていた。
 
その上、調理も接客も会計も、全てをこなした。次々にお客様がやってきて、到底対応しきれないと思うような状況でも、いつもお客様は満足して帰っていった。目の前で見ていても、まるで魔法のようだった。
 
「ちーちゃん。どんなに大変な状況になっても、全体をよく見て、感じて、流れに乗って仕事をしなさい。」
 
失敗したら、誠心誠意謝りなさい。すぐに切り替えなさい。先を読んで動きなさい。体の動きは滑らかに、頑張っているように見せないこと……ほかにも、いろいろ。常に厳しく教えられたが、全ては彼女自身が体現している。彼女から学び、彼女についていくことで、私も体得していった。
 
飲み物を作り、食器を洗いながら、広いフロア―を一人で回せるようになった。お客様からも「ちーちゃん」と呼ばれて可愛がってもらえるようになり、いろんな世界の話を聞かせてもらった。
 
全て、オーナーのおかげだ。
 
ところが、いつからか、何かが微妙におかしくなった。彼女の厳しさは覚悟の上だが、仕事ができるようになるにつれて、私を叱り、指導する姿勢はより厳しくなった。仕事への向かい方がなっていない、心が曲がっていると、ひっぱたかれることもあった。そして、時には私と家族や恋人との間にも介入するようになっていた。
 
どうしてそうなっていったのか。私自身が、自分を叱咤激励して磨いてくれる師匠のような人を求めすぎていたのかもしれないし、彼女は「私は天涯孤独なのよ」と言っていたから、そういうことが影響したのかもしれない。理由を見つけようとすれば、それらしきものは見つかるけれど、どれも少しずつ間違っているような気がする。
 
私にとって重要なのは、いつの間にか「彼女に認められることだけが目標になっていた」とう事実だ。毎日、今日はまっすぐな心で仕事に迎えますように、と祈った。その裏側の心で叱られる自分を責め、まともな人間になりたいと泣いていた。
 
オーナーに「やめたい」といったこともある。
 
「あなたをここまでにしたのは誰だ。恩を仇で返すのか」
 
と言われて、どう返していいかわからず、次の日には謝っていた。その頃の私は、とにかくどっぷり彼女に浸かっていて、もがけばもがくほど深く嵌まっていく。そんな感じだった。
 
ある日の仕事終わり。
終電で、いいや―。駅までの道をとぼとぼ歩きながら、気がつけば、
もう、行きたくない。あそこには、行きたくない。このまま、どこかに逃げてしまいたい。曇りのない夜の月に心が叫んでいた。その時、どこからか、ふわっと浮かんできた。
 
―いつでもやめられる
 
……そうか。「いつでもやめられる」は本当に、「いつでもやめられる」なんだ。やめたって、いいんだ。みるみるうちに月がにじんで、ぐちゃぐちゃになった月の光が頬に流れた。
 
その日まで、O先生の言葉は、「継続の力」をくれるものだった。
面倒くさいなぁ、やめたいなぁと思っても、どうせ「いつでもやめられる」んだから、今日は行ってみるか。そんなことの繰り返しが、あきらめないで続ける私をつくってくれた。
 
でも、その日、O先生の言葉が教えてくれたのは「自分が壊れるまで続ける必要なんてない」ということだった。
 
「いつでもやめられる。いつでもやめられるんだ。」その言葉を自分にかけるたびに、自分の中に芯ができていった。明日、オーナーに言おう。もし、聞き入れてもらえなかったとしたら、明日を最後に、もう行くのはよそう。そう、固く心に誓った。
 
今日が最後の日になるかもしれない。そう思うと、やっぱり心臓がどきどきした。オーナーがどう反応するか怖くなかったといえば嘘になる。それでも、意を決して伝えた。
 
「そう。わかった。いままで、よく頑張ってくれたよね。あと2週間はしっかりやってよ。これからも、ここで学んだことを忘れないで。ちーちゃんが活躍してくれることを願ってる。」
 
拍子抜けするくらい、あっさり、終わった。認めてくれて、優しい言葉をかけてくれて、ほっとして、うれしくて涙が流れる……なんてことはなかった。びっくりしすぎて感情が追い付かなかった。
 
きっと、本気で決めたことは伝わるものなんだと、思った。そして、誰に認められるためではなく、何かを証明するためでもなく、私は私の人生を生きたい、そう思った。
 
O先生は、どんな思いであの言葉を私たちに言ったのだろう。記憶をたどっても思い出せない。
 
「いつでもやめられる」
 
その言葉だけが、私の心に鮮明に残っている。
もしかしたら、何かを「やめたいけどやめられない」「やめられるはずがない」と思い込んで、苦しんでいた生徒の誰かに向かって、O先生は言ったのかもしれない。ふと、そう思った。
 
その言葉は、数年後の私を救ってくれた。
そして今では、真の自分を生きているかどうかのバロメーターになった。
 
「いつでもやめられるんだよ。さあ、どうしたい?」
 
仕事でもプライベートでも、時々、チェックしている。
 
 
 
 
***

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2020-11-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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