コミュニケーションの天才から学んだ人間関係の本質
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記事:KP(ライティング・ゼミ日曜コース)
幼い頃から、両親に「コミュニケーション能力がない奴はダメだ」と言われて育ってきた。
口数が少なく、家族ともそんなに会話をしなかった私は、両親からコミュニケーション能力や人間関係についてかなり心配されていたのだと思う。
私にとってはそれが人格否定のようで、その話をされるのがとても嫌だった。
私の人生には、コミュニケーション能力という言葉が呪いのようにつきまとっているかのような気がしていた。
そうしてコミュニケーション能力についてずっと考えてきた結果、私はある持論をもつようになった。
それは、「コミュニケーション能力の高さと、人間関係における計算高さは、反比例する」ということである。
コミュニケーション能力と一言でいっても、人によって様々な解釈があると思うが、私が思う「コミュニケーション能力の高い人」の条件には、「相手から気に入られよう、よく思われよう」といった意図を持っていないことが必要だと思う。
つまり、人と関わるときに、その動機や行動が純粋で、悪気がないことが重要なのではないかということである。
そう考えるきっかけになったのは、高校時代の友人Aだった。
彼は誰もが認めるような「コミュニケーションの天才」だった。
Aはみんなの話の輪の中心にいることが多く、まさにムードメーカーといえる存在だった。私とはまるで正反対の人間だった。
そんなAと、私は部活が同じだったということもあって、仲良くなることができた。
Aと初めに話したときに驚いたのは、会話があまりにも自然であるということだった。
会話下手な私でもまったく気を使うことなく、自然な会話のキャッチボールができた。話題に困るようなこともなかった。
どちらかが一方的に話しすぎたり、聞き役に回りすぎるということもなかった。
彼との会話のキャッチボールは、常に絶妙なバランスが保たれていた。
私はAといる時間がとても居心地がよかった。
どれだけ一緒にいてもまったく苦にならなかった。
私は、高校時代のかなりの時間をAと過ごし、たくさんのことを話した。
ファミレスで、二人で7時間ほどぶっ通しで話していたこともあった。
今では思い出せないようなくだらない話ばかりしていたが、そんな時間が私にとっては一番の思い出だった。
コミュニケーション能力が高い人と聞いて、人それぞれ様々なイメージを思い浮かべると思う。
話が上手くて面白い人、相手を説得するのが上手い人、言いたいことがはっきり言える人、どんな相手とも一瞬で打ち解けられる人……。
人によって定義は様々だと思うが、私はやはり、相手に余計な気を使わせずに自然な関係を作り出せるという要素が必要だと思う。
どんなに話が面白くても、どんなに気さくな性格でも、一緒にいて居心地が悪い人とはあまり長い付き合いをしたくない。
話しやすくて居心地のいい人と一緒にいれば、それだけで楽しい。
その点、Aの「相手に余計な気を使わせない能力」というのはズバ抜けていた。
目に見える能力ではないが、彼のすごさは誰もが認めていた。
直接彼に言ったことはないが、私はそんな彼をとても尊敬していた。
私にとって彼は、友人であり、コミュニケーションの師匠といえる人であった。
ところで、相手に余計な気を使わせず自然な関係を築くというのは、どうやったらできるのか?
それは、自分も相手に対して余計な気を使わないことだと思う。
自分が何かしら緊張した状態でいると、たいていそれは相手に伝わる。
そうすると、相手もこちらに対してなかなか完全には気を許せなくなる。
もちろん最低限の礼儀は欠かさないことは当たり前の前提としているが、その上で、相手に取り入ろうとしたり、媚びたりしないこと、好かれようとしたり、嫌われないようにしようと考えたりしないことが大切になる。
ひとことでいうと、「相手とより良い関係を築こうとする計算高さ」のようなものを敢えて持たないというのが大事なのではないかと思う。
そういう自分の損得勘定的な意図を相手が察知できないほど、人間は鈍感にできていない。
ときどき、過剰なまでに話を聞いてくれる人がいる。
まるで面接のように相手に質問を次々と投げかけ、いい感じの相槌をつきながら話を聞く。
ありがたいことではあるが、こちらとしては少しぎこちなさを感じる。
少々悪い言い方をすれば、聞き上手な人にでもなろうとしているのだろう。
「聞き上手」とか「傾聴」とかいう言葉があふれている今の世の中では、そういう人がいても仕方がないとは思う。
でも、そういう人に対して私は、相手はいい人だと思われたくてこんなに質問をしてくるのだろうな、と思ってしまう。
そう感じるような相手とは、やっぱり一緒にいても少し居心地が悪い。
Aと一緒にいるとき、彼からは人間関係における計算高さのようなものを一切感じなかった。
それは私に対してだけではなく、他の人への接し方を見ていても同様だった。
彼はどんな人に対しても対等に接することができる人だった。
立場が上の人に対しても、媚びるようなことはしなかった。
当時、彼のクラスの担任の先生は、ものすごく厳しく怖いことで有名であったが、彼は一切物怖じせずに接したことで、その先生にさえ気に入られていた。
さらには、地味で目立たないような人にも彼はよく話しかけていた。
あれだけ人気者なのにも関わらず、「俺は大した人間じゃないから」と言ってよく謙遜していた。
彼は、どんな人が相手であっても、純粋にその人との関わりを楽しんでいるようだった。
人とのコミュニケーションにおいて、小手先のテクニックなんてものより、相手にどう向き合うかということのほうが、はるかに重要なのだと私はAを見ていて思った。
Aと出会ってから、私はとても変わった。
以前は口数が少なくおとなしい人間だったが、今ではすっかりよくしゃべるようになった。
様々な人との関わりを楽しめるようになった。
私が今、人と関わる上で最も意識しているのは、「(最低限の礼儀は欠かさない上で)なるべく自由に、自分勝手に」ということである。
自分がリラックスしているからこそ相手も警戒心を解いてくれ、自然な関係が築けることも多くなった。
そして、今では人からよく「話しやすいね」なんて褒められることがある。
自分で言うのは恥ずかしいが、本当によくこう言われるようになった。
Aに会う前の私なら、こんなことは絶対にありえなかった。
コミュニケーション能力という呪いは、いつのまにか消えてなくなっていた。
私はこれからも、Aのように、人との関わりを純粋に楽しんでいきたいと思う。
***
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