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もう、走ることはできないけれど


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【8月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:牧 美帆(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「皆さん早く冷たいビールが飲みたいですよね。固い挨拶は抜きにしましょう。乾杯!」
「かんぱーい!!」
システム部長の短すぎる乾杯の挨拶を皮切りに、カチン、カチンとグラスの涼やかな音があちらこちらで響き渡る。
口をつけてぐいっと飲み、グラスを置き、誰からともなくパチパチパチと拍手が起こる。
見慣れた、飲み会の光景。
「そういえば、今日はプレミアムフライデーですよねー」
「あ、プレミアムフライデーなんて、すっかり忘れてたわー」
そして笑い声。
 
私が前の会社を退職して、ちょうど1年。
暑気払いの飲み会に、システム部に10年在籍していた私もお誘いいただいたのだ。
 
もっとも、退職者で参加しているのは、私だけではない。
一人は、2013年に定年退職したAさん。
そして、もうひとりはなんと2008年に定年退職したBさん。
おふたりとも、高度経済成長期に集団就職で大阪に来たという、九州男児だ。
 
システム部の飲み会では、この2人を誘うのが、昔からのお約束になっている。
最近は職場の飲み会に行かない人が増えている。
もちろん、みんなAさんやBさんが好きだというのもあるが、この二人を呼ばないと、人が集まらなくて盛り上がらない……という事情もあった。
そしてふたりとも、よほどのことが無い限り、断らずに参加した。
 
しかし、今回は、飲み会自体が1年ぶりということもあり、普段は
 
「牧さんも、お元気そうで何よりですね」
と前社長がビールを片手にニコニコしながら話しかける。
「ありがとうございます。みなさんもお元気そうでよかったです」
前社長は、「最近ではシステム部くらいしか飲み会をしてくれない」と嘆き、システム部の飲み会によく顔を出していた。
その状況は相変わらずのようだ。
 
 
「AさんとBさんは、今日も最初からお店にいたんですか?」
「おう、当たり前よ! な、Aさん」
「せやでー。わしら、もう1時間も前から来とったわ」
「やっぱり! 変わらないですねー!」
「先週も、昔いた部署の同期と飲んだんやでぇ」
「すごい!」
仕事が終わってからの飲み会なので、開始時間は大体18時半。
しかし、既に退職している彼らは、17時くらいから他の店で飲んだり、会場で飲んでおり、飲み会開始時には既に「出来上がっている」のだ。
グラスやおちょこを片手に、「わしらは、毎日がプレミアムフライデーやからな!」なんて笑いながら。
 
「ふいーっ、ちょっくらトイレ行ってくるわぁ。牧さん、ちょっとごめんよ」
おもむろにBさんが立ち上がった。そしてふらふらと歩き出す。
 
「えっ……」
 
目を疑った。
Bさんが、右足を引きずりながら、ゆっくりと歩いている。
私は思わずAさんの顔を見る。
「Bさん、どうしたんですか?」
「ああ、脳梗塞やて」
「脳梗塞……」
 
私が来た時、Bさんは既に席についていたので気づかなかった。
確かにろれつは若干回っていなかったが、それは酔っているからだと思っていた。
「去年くらいになぁ。でも命は助かったんやで」
「そうですか。でもきっと、もう走れないんですよね」
「せやなぁ……」
 
Bさんの趣味は、昔からマラソンだ。
関西のさまざまなマラソン大会に参加しており、飲み会の席では、いつもマラソン大会に参加した話を聞かせてくれていた。
命は助かった。でも、よかったとは、軽々しく言えなかった。
大好きなことができなくなってしまうのだ。おそらく、もう二度と。
 
時間は無情にも動き続けている。
変わらない、そうのんきに思っていたのは私だけなのかもしれない……。
 
 
「ふいーっ。迷ったわぁ」
涙が出そうになったタイミングで、足を引きずりながら、Bさんが戻ってきた。
 
ちょうど、何人かがおかわりのお酒を注文しおわったところだった。
「お姉さぁん! 俺もウイスキー、ロックでぇ!」
Bさんが手を上げ、スタッフの女性を呼び止める。
「ウイスキー、ロックで、かしこまりましたー」
そういって、手持ちのリモコンをピピッと操作するお姉さん。
ええっ? 私は思わずまじまじとBさんの顔を見てしまった。
まだ飲むの?
私は医療関係者ではないが、それでもBさんの脳梗塞の原因が、おそらくアルコールによるものだろうということは推測できた。
身体に、良くないんじゃ……。
 
と、私と目があったBさんは、こちらに向かって満面の笑みを見せた。
 
「ああ、やっぱり飲み会は、楽しいなぁ! ねぇ、牧さん」

ああ、そうか。
もう走ることはできなくなってしまったが、この人にはまだ「酒」があるんだ。
そして、一緒に飲んでくれる「仲間」もいる。
 
そして奥様や家族も、それをわかっていて、Bさんを送り出している。
走れなくなったことで、可哀想がる方が、きっとBさんに失礼なんだ……。
 
「ええ、本当に!」
 
私も、ビールを片手にニッコリと笑った。
 
結局、Bさんは酔いつぶれてしまった。
Bさんが酔いつぶれるところを初めてみた。
 
解散後、同じ方向のAさんが、Bさんに肩を貸してあるき出した。
「僕も途中までついていくわ」
システム部長がもう片方の肩をBさんに貸す。
両側から支えられたBさんが、とても小さく見える。
「タクシー、呼びますね」
私は手を上げて、タクシーを止めた。
どさっ。2人がかりでBさんを乗せる。
「ああ、楽しかった」
社内から、Bさんの声が聞こえる。
続いて、部長とAさんもタクシーに乗り込んだ。
私は視界から消えるまで、タクシーを見送った。
 
 
今は、職場の飲み会に参加したがらない人が多いと聞く。
それはもしかしたら、SNSの登場で気軽に共通の趣味を持つ仲間と繋がりやすくなり、わざわざ職場の人たちと仲良くする必要はなくなったから、というのもあるかもしれない。
もちろん、それはとても素晴らしいことだけど、でもコミュニティをどこかに限定してしまうのは、とても危険なことだと思う。
Bさんの場合、マラソンという趣味を失っても、会社の仲間というコミュニティがある。もし、会社の仲間との交流を立っていたらどうだっただろうか。少なくとも退職から10年経っても、飲み会に呼ばれることはなかっただろう。
その逆に、会社にしか居場所を作っておらず、退職後にやることがなく無気力になっている人たちもいると聞く。
仕事、趣味、家庭。食わず嫌いせずにまんべんなく飛び込んで、自分の居場所を作っておくことが大事なのだ。
今はわからないとしても、きっと年齢を重ねたときに、宝物になるだろう。
そんなことを考えながら、家路を急いだ。

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2018-08-01 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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