メディアグランプリ

先の見えないこの時代で、生きていくために大切な力


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【10月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:中川文香(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
 “人生100年時代”と言われている。
 自分が100歳まで生きるのかとか、100歳になった自分とか見当もつかない。
 100歳になった私は、いったいどんな目で世の中を見ているのだろうか。
 ちょっとこわい気もするし、ちょっとわくわくする気もする。
 
 「これからまだまだ何十年もあるけれど、いったい私は何をして生きていきたいのかなぁ?」
 漠然と、でもすとんと、そんな考えが心の中に落ちてきたのは、去年のいつ頃だったか。
 そのほわほわした黒っぽいかたまりは一度住み着くとさいご、なかなか出ていってくれないようだった。
 普段は奥の方で静かにしているのだけれど、事あるごとにおもてに出てきては、私の目の前をうろうろしてまた奥に隠れる、というのを繰り返していた。
 トトロに出てくるまっくろくろすけみたいな、つかまえようとすると炭になって消えてしまう、実体があるのか無いのかわからない、そんな存在。
 
 だいたい、「自分は何をしたいのか」というのは、私の人生の節目節目に出てくる問いだった。
 
 そして毎回答えは分からなかった。
 
 初めは大学を選ぶとき、次は就職活動のとき、その次は転職のとき。
 毎回、「自分は何をしたいのか」というのを自分に問いかけ、よく分からなくて苦しんで苦しんで、それでもそれなりに考えて選び取ってきた。
 「この勉強は得意分野かな」と思って進学先を決め、
 「この知識があるとこれから便利かも」と思って就職先を決め、
 「これも何かの縁かもしれない」と思って転職先を決めた。
 選び取った先で、必死にがむしゃらに頑張った。
 自分で選んだ道なのだから、自分の力でちゃんと進んで行きたかった。
 頑張ったら頑張っただけ少しずつ成果は出てきたし、周りの反応も返ってきた。
 
 けれど、ちょっと無理しすぎていた。
 
 誰かの、周りの期待に応えようと、頑張りすぎていたのだと思う。
 体も限界だった。
 あるとき、「“やらなきゃ”という使命感みたいなものだけで動いているな」と気付いた。
 その“やらなきゃ”は一体誰のためのものなのか、自分のためのものなのか、分からなかった。
 
 そして、会社を辞めた。
 
 次の仕事を決めずに辞めるのはすごく怖かったけれど、家族の支えでなんとかなった。
 一ヶ月もすると「このまま休んでいて、社会復帰できるのだろうか?」と不安にかられるようになり、次の仕事を見つけた。
 体調も安定してきて、仕事にも慣れた頃、あのまっくろくろすけがすとんと落ちてきたのだった。
 
 またか。
 
 でも、この時は私を苦しめるためだけでないような気がした。
 「どうやって生きていきたいの?」とつぶらな瞳で訴えかけてきた。このやろう。
 それはたぶん、今の私が一番考えないといけないことなんだろうと思えた。
 
 それから、何かをするときには自分が楽しいと思うか、好きか嫌いか、その時の感情を捕まえてちょっと手に取ってみるようになった。
 仕事をするにも、友だちと遊ぶにも、自分が面白い・好きだと思うポイントがあって、反対に興味を惹かないものもあった。
 それを観察していったら、だんだんと自分の好きなもの、興味のあることの輪郭が少しずつ見えてきた。
 
 書くことは好きだと思えたし、人の話を聞くのが楽しいと思った。
 この人はどうしてこんな風に考えるのだろう? と人の考えることのルーツに興味を持てたし、その土地の成り立ちや地域によって異なる特徴を知ることが面白いと思った。
 
 何をしたいか、というのは、自分の“好き”の中に隠れていた。
 自分の気持ちに素直になることが、何をしたいかの答えへの近道だった。
 
 これまで、
 「こうした方がいい」「こうしなければ」で考えていたフィルターを外してみると、
 その先には「私はこれがいい」という直感が隠れていた。
 そして、そのフィルターをかけていたのは他でもない自分だった。
 
 最近は情報に溢れている。
 テレビでは健康のためにこうした方がいいという教えでいっぱいで、今日は昨日とは違う品物がおすすめされて、
 ネットでは恋人といかに上手く付き合うかのHOWTOが星の数ほど書き込まれている。
 毎日毎日たくさんの情報にさらされ、もはや何がいいのか悪いのか、分からなくなってしまうけれど、最終的に判断して選び取るのは自分で、そのジャッジは自分が好きか嫌いか、それだけだ。
 そうやって、その都度自分の感情を捕まえてみて、選んでいくことの繰り返しが、自分の人生を生きていく力になるんだと思う。
 
 何が正解なのか分からないこの時代、自分の気持ちにひっかかったところで立ち止まって向き合ってみる力と、どんなに良いと言われても違うと思ったことを通り過ぎてみる勇気が必要なのだと思う。
 何が自分にとっての正解かなんて、自分にしか分からない。
 もっと言うと、道を歩いている途中には正解かどうかなんて分からなくて、後から振り返った時に「あれは正解だった」と初めて分かるものなんだと思う。
 その場その場で、気持ちに沿って進んでいくのが、一番良い道へと自分を導いてくれるに違いない。
 
 私は、書くことが好きだと思ったから、こうして書く場所を求めて彷徨っている。
 
 それはこの先、私をどんなところへ連れて行ってくれるのか分からないし、それが私にとって良い道なのかも分からない。
 続けていった先、ふと振り返ると分かる瞬間がくるのだろう。
 その瞬間を思い描いて、今日もパソコンを、ノートを前にして思う。
 
 「さて、今日は何を書こうかな?」
 
 
***

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2018-10-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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