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夫婦円満のコツは我慢しながらガマンしないこと


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:山田ミナ(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「なぁ、コーヒーある?」
隣に座る夫が言った。
「うん、あるよ」
朝のニュースを見ながら答える。
 
「……なぁ、コーヒーある?」
「うん、あるって。そこの棚に入ってるの見えるでしょ」
台所の奥を指さしながらTVのチャンネルを変える。
 
「コーヒー飲みたいんやけど!」
「だからそこの棚の一番上の右側にあるって言ってるやん!」
目線をTVの画面から彼の顔に移動させ、腕を伸ばして台所の奥にある棚の上をしっかり指さした。
 
 
主人と結婚したばかりのことだった。
結婚して3か月。もともと私が住んでいた1DKの部屋に実家住まいの夫が越してきた。ソファでゴロゴロしているとこんな会話が始まることが常だった。

あるかどうか聞くのはコーヒーにとどまらなかった。顔を洗えば「タオルある?」お腹が空けば「ご飯ある?」ちょっと周りを見渡してみればわかることを逐一聞いてくる。
 
最初はコーヒーの有無を聞かれているのだと思っていた。
コーヒーというものがこの部屋の中に存在するのか否か。
この部屋の住人がコーヒーを好む人なのかどうか。お互いの理解を深めようとしているのだと、そういうことを確認しているのだとばかり思っていた。
 
主人の実家に行った時だった。
夕食にお邪魔してすっかり満腹になった家族団らんの時間に、その疑問が解決できるチャンスが訪れた。

みんなの会話に一歩遅れて話題を提供する義父。そこに突っ込みを入れる義母。なんともリズムのいい天然漫才が繰り広げられている。

漫才に一区切りついたところで「コーヒーある?」と横に座る私の夫は誰にともなくつぶやいた。
目の前にはコーヒーのボトルが置いてある。コップも棚に入っているのがガラス越しに見える。湯沸かし器の温度はいい具合に80℃設定でなみなみと用意されている。
コーヒーがあるかどうかは、目の前のテーブルの上を見ればわかる。
なのに、なぜそんなことを聞くのか。
長年住み慣れた実家でなぜこんな質問をするのか。
わかりきっている事をたびたび聞いてくる、この謎の行為の意図が今明かされようとしていた。
 
「ホット? アイス?」と立ち上がった義理の母が言った。
「ホットでええ」と私の夫はあたりまえのように答える。
義母はテキパキとコップを用意し、粉を入れ、お湯を入れていく。
「ミナちゃんも飲む?」と言いながらすでに手はコップにインスタントコーヒーの粉を入れて、あとは湯を入れるだけ、という手順が実行されている。
 
私は何も伝えていないにも関わらず、温かいコーヒーが出てくる家庭環境にひたすら目を丸くして驚いていた。
 
そう、彼の「コーヒーある?」は“質問”ではなく、“要求”だった。
具体的な行動の指示でも依頼でもなく、「察して」理解しなければならないコミュニケーションだった。
 
つまり、「コーヒーある?」は「コーヒーを入れて欲しい」
「タオルある?」は新しいタオルで拭きたいので引き出しの中から「タオルを取って欲しい」
「ご飯ある?」はお腹が空いたので「ご飯を作って欲しい」
 
コーヒーの粉があるのは知っている。
タオルが引き出しにあるのも知っている。
冷蔵庫の中に材料がそろっているから、作れば食べられることもわかっている。
そのうえで「してほしい」という依頼の形が「コーヒーある?」だった。
 
この一連の流れは主人の実家に代々伝わるコミュニケーションらしかった。義理の父も、弟たちも同じように「コーヒーある?」と依頼をかけていた。
夫の実家には存在の有無を聞くだけで、自動的に望むものが提供されるという素晴らしい環境が用意されていた。
 
対して私の家では欲しいものはそう簡単には手に入らなかった。
それぞれ自分の好みがはっきりしていたので、コーヒーが欲しければ自分で用意して自分で作る。気を使って他の人の分も用意すると「余計なお世話」「今いらないのに用意するなんてもったいない」と当たり前のように言われる家だった。
 
自分の面倒は自分で見る。人のお世話は余計なお世話。依頼がある時ははっきり言う。
これが私の生活ルールに強く染みついている。
 
この生活ルールを通して夫の実家を観察すると、やさしさに満ち溢れていた。
根が世話好きでよく気の付く母が「コーヒーある?」という声を聞いたら、材料と環境をガイドするのではなく、コップに入った出来上がったコーヒーを準備してしまうのだ。そしてホカホカと湯気と香りの立つコーヒーカップを見せて「はい、あるよ」と伝える。
私にとって自宅のコーヒーとは『粉とお湯とコップ』であり、自分で入れながら濃度を好みにするものだった。しかし主人にとってのコーヒーとは『コップに入った湯気と香りのする共通の味』を誰かに用意してもらう事だった。
 
夫婦間とは異文化交流である。まったく違う環境下に育った者同士が一つの文化を作っていくのが夫婦の生活だ。
たった一つの単語である「コーヒー」という言葉ひとつに含まれる意味合いはまったく違う。
同じ日本語を話しているのに、誤解・勘違い・すれ違いが重なることは日常の中でもたくさんある。
わかっていながら、長く一緒に居続けると「言わなくても大丈夫」が増えてくる。(わかっているはずなのに)と、伝わりきらない部分が少しずつストレスとなって積み重なり疑問と憤りはやがてあきらめになっていく。
そして何も言わない、期待しない、信頼のない関係になる夫婦は今の時代少なくはない。
 
自分にとって異質と感じるものへの理解と寛容。
“当たり前”が通じないことを理解して、腐らず、あきらめず、言葉を尽くし、配慮を尽くし、手を尽くす工夫を凝らすこと。
繰り返す失敗を許す寛容さと、忍耐力を持つこと。
それが自分と違う価値観を持つ人と協力するコツなのだろう。
忍耐は相手に対する信頼がなければ成り立たない。きっと伝わる、そう信じることで相手への忍耐力ができるのだと思う。
 
あんまりにも義理の母の気遣いが素晴らしいと感じたので、そのやさしさとフットワークを学びにすると伝えた。
すると母は「ええ!? あ、ほんまや! なんやうまく使われてるだけやんか!!」
 
その後、義母は簡単にはコーヒーを出さなくなってしまったらしい。
男性陣が「コーヒーある?」と聞くと
「そこのテーブルの上にあるよ!」と義理の母が答える。
義母の『コップに入った湯気と香りのするコーヒー』は『粉とお湯とコップで自分の好みに入れるコーヒー』へ再定義されてしまったようだった。
 
***

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2018-11-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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