メディアグランプリ

チャプチェの記憶、それは時を越える思いだった。


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記事:永森ゆり子(ライティング・ゼミ日曜コース)

私が義母に初めて会ったのは、入籍の2日前だった。日本で暮らす彼のビザが切れることもあってそうするしかなかったのだが、彼の両親がよく承諾したものだと今でも思う。韓流の扉がやっと開きかけた頃、それでもまだ結婚したい相手が日本人だと親に告げるには勇気がいる時代。私は結婚が反故になるのではないかと気が気ではなかった。

しかし義父や義母にとってはそれ以上に、いやその何倍も不安な日々であったことだろう。息子が言葉もたどたどしい外国人の女を連れてくる。しかも、歴史上複雑な関係にある国から嫁になるためやってくるのだ。もはや自分が宇宙船から降りてくる宇宙人さながらに彼らを不安にさせ、緊張させる存在でしかない気がした。

彼の実家に着き、ドアが開くと義父と義兄が顔を出した。笑顔だった。その横で、はにかむ様に少しばかり緊張した笑顔をこちらに向けていた女性。義母だ。ここまでくると怯えているのは宇宙人のほうで、どのように挨拶をしたのかも覚えていない。というより、釜山の方言を聞き取ることが不可能な現実に私は衝撃を受けていた。彼の通訳を介してしか意思疎通できないのである。小さくなって輪に加わる宇宙人は、干からびて消えてしまいそうだった。それでも向けられる笑顔は優しく、歓迎の雰囲気を感じて私は胸をなでおろした。

そんな初対面を終えて、入籍も滞りなく済ませたその日の夜、義母が作ってくれたのがチャプチェだった。それは夫の大好物だ。祝いの席で食べることの多い宮廷料理。春雨を丁寧に熱湯で戻し、それぞれ違う下味をつけた野菜や肉を別々に炒めて最後に混ぜる。胡麻油と醤油の香りに包まれて思わず唾を飲み込んでしまう。そして混ぜる手に油の滑らかさと春雨の弾力を感じるのが心地よいのだ。

仕上げの段階に入ったところで義母は私を手招きした。夫は私の専属通訳としての役割を果たすべく後に続く。だが義母は夫を手で遮って、しっしと追いやった。夫が離れると義母は少し腰をかがめ、私に少し顔を近づけてチャプチェを指差した。そしてその指をまた私の方に向ける。

「これは、お前のだよ」

義母は自分の手でチャプチェをつまみあげて私の顔に近づけた。韓国の親は子どもがいくつになっても、食べ物の味見は自分が手ずから子どもの口に運んでやるのだ。私は戸惑ったが、かろうじて自然に反応できただろうタイミングで口を開いた。

口の中に胡麻油と醤油の風味、心地の良い甘みが広がって、滑らかな春雨の弾力と一緒に喉を通っていく。義母のチャプチェは美味しかった。この味を夫に食べさせてやれと言われているのだと思った。韓国の人はよくハグをするという話を思い出して、私は義母に抱きついた。義母は「アイゴー、アイゴー(あらまあ、あらまあ)」と言いながら、私の頭から顔から肩から腰までも両手で撫で回す。私はこの家で居場所を見つけたように感じて安堵した。

義母は優しかった。出先から私が一人で戻ると言えば部屋着のまま駅まで迎えに来た。二人で散歩をすれば、商店街で店のおばちゃんに私を紹介した。朝は何故か義父より先に私の食事が準備されている。そして里帰りの度にチャプチェを作り、「これはお前のだよ」と言った。儀式のように私は義母の手からチャプチェを食べ、本当の娘になったような幸せに浸る。私は義母が大好きだったし、これからもそんな時間と関係が続くのだと信じて疑わなかった。

そしてそれは結婚して3年目の春のことだった。義母はいつにも増して里帰りをした私たちの世話を焼いた。そして相変わらず私に「これは、お前のだよ」と言いながらチャプチェを口に運んでくれる。だが思い返してみれば、義母は夫にもっと長くいられないのかと何度も聞いていたのだ。夫は笑いながら、夏にまた来るよ、夏なんてすぐだよと言って義母の肩を軽く抱いた。そして日本に戻る朝、義母は珍しく空港まで送っていくと言って着替えを済ませていたのだが、私たちは膝の悪い義母を慮って見送りを断った。それでも義母はバス停まで見送りにきた。

義母と別れの挨拶を交わし、ふとバスの窓から外を見ると、義母は暫くこちらをじっと見た後に横断歩道を渡った。その時、本当に不思議なことに、ふと、もしかしたらこれが義母を見る最後かもしれないという思いが湧いた。そんなはずはない、でもおかしな感覚。

あれは予感だったのだと確信したのは7月のある日、義母が危篤との連絡を受けたその時だ。夫はすぐに韓国に向かったが、それは義母との最期の時間になった。そして後から追いかけた私が義母に再会したとき、義母はすでに美しい花で縁取られた写真の中にいた。

夫は泣いていた。あの時夫に自分の感覚を伝えていたら、夫が義母と過ごす時間はもっとあったかもしれない。そんなことを考えた。そしてもう、義母に顔をくしゃくしゃと撫で回されることもないのだということが信じられなかった。

義母の一周忌、私はチャプチェを作った。

義母に教えてもらったとおり、春雨を丁寧に熱湯で戻す。そしてそれぞれ違う下味をつけた野菜や肉を別々に炒めて最後に混ぜると、あの時と同じように胡麻油と醤油の香りに包まれた。味を調えるためにチャプチェを口にいれたその時、「これは、お前のだよ」という義母の声がしたような気がした。

言葉もままならない嫁を迎える不安、それでも息子を託してくれたその気持ち。あの時は思い至らなかった義母の気持ちが、時を越えて流れ込んでくるようだった。

これはチャプチェであって、夫に、そして私に向けた義母の愛そのものなのだ。

後ろを向くと夫が義母の遺影に話しかけながら泣いていた。私はボールに視線を落として砂糖を足し、もう一度チャプチェを口に運ぶ。

ボールの中のチャプチェが滲んだ。

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2018-12-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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