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メディアグランプリ

高齢化社会を楽しむ「ぼく」


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:田中義郎(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
昨年の秋、喜寿を祝う同窓会が開催された。
仕事を続けているのは、ぼく一人だった。リタイヤしているみんなから集中砲火を浴びた。
「どうしてそんなに頑張るの?」
「余生をどうして楽しまないの?」
「やせ我慢もほどほどにしたら?」
「そんなに金儲けが好きなの?」
「お金に困っているの?」
ぼくはこれらの質問に答えず「失敬」と言って、悲しい思いでその場を去った。何人かがぼくを引きとめたが、無視して去った。高齢化社会における高齢者の悲しい現実を背負った彼らの話に巻き込まれるのは嫌だった。ちょっと後味の悪い同窓会になった。
 
人生100歳時代の足音が聞こえてきた。
高齢化社会は社会問題の1つであるが、同時に「自らの問題」でもある。
人生100歳時代とは、全員が100歳になるという意味ではない。100歳を迎えるであろう人が、今後も増加の一途をたどっていくということだ。
若い人はあまり関心がないかも知れない。高齢者になることは承知していても、まだずっと先のことであり、目先の楽しいことに目が向くのは当然といえば当然である。
しかし、高齢化がいったん到来すると長い長い「老いた余生」を歩まなければならない。寿命が延びれば延びるほど余生は長くなっていくのだ。そのとき慌てふためいても「後の祭り」である。ぼくは、高齢化社会は若い人ほど深刻な問題だと受け止めている。
人生の前半は早い。駆け足で過ぎ去ってしまう。しかし、後半はどうか。前半の延長線上に後半があるわけではない。
例えば、生まれてからの20年、そして、社会人になってからの20年はまたたく間に過ぎ去ってしまう。70歳からの20年はどうか。リタイヤすると人生の目標を失い、時間を持て余す。老いとの戦いもある。蓄積したキャリアを発揮する機会もなくストレスも溜まる。忍び寄る高齢化の戦いの中で、ついついネガティブな発想に走ってしまう。いったん箍(たが)が緩むと簡単に締め直すことができない。この結果、同じ20年でも信じられないような長い長い老いた余生を余儀なくされる。
同窓会で顔を合した彼らも、1人1人の思いは違っても、厳しい高齢化社会でみんなもがいていたに違いない。
 
現役で何が楽しいのか。それは高齢者だから楽しいのである。
仕事で接する人は、ぼくよりかなり年下である。彼らがいくら頑張っても仕事というフィールドにおいては、ぼくに追いつけない。なぜなら、彼らとは学習した期間、キャリアを積んだ期間が違う。また、今までに接した人の数や人間関係の幅においても圧倒的な違いがある。
体力は経年劣化していくが、知力や精神力のパワーは(怠けない限り)蓄積期間に比例して強化される。それだけではない。そのパワーが経年劣化していく体力をも支えてくれる。
高齢者の最大の敵は「意識の老化」、意識の老化が始まると、体力の老化に拍車が掛かる。そして「もう年だから」と自分に言い訳をし努力を怠り、人生を投げ出す。その先に待っているのは「茨の人生」だ。
無理さえしなければ、常に心に余裕を持って臨めば、そして、仕事が楽しければ、「生涯現役」の道が開ける。余命が長くなればなるほど「ばら色の人生」が長期に渡って続くのである。
定年退職しても確かな人生設計ができていれば、その設計図に沿って進んで行ける。現役中にキャリアをしっかり積み上げていれば、定年退職まで待つ必要がない。起業して独自の道を歩めば良いのだ。
加齢と共に楽しくなっていく人生、チャレンジ精神で立ち向かう人生、いつまでも社会に貢献し人生の目標に向かって突き進んで行く人生。これらは高齢化社会であるがゆえに実現できるのだ。
人生は唯一つ、人生に第二の人生、余生の人生など存在しない。人生が分断されるという認識は妄想なのだ。
 
今年に入って初めての日曜日、思いがけない珍客があった。同窓会でぼくをとがめたうちの2人だった。ぼくが帰ったあと、彼らは今後の人生を考えたという。二次会でも話し合いが続けられたようだ。
そして、1つの結論を得た。それは、これからでも遅くない、一花咲かせようという結論だった。3年後の実現を目指して自分の得意分野を磨いていくということだった。リタイヤしているから時間は山ほどある。同窓会のときとは別人のようであった。
また、それぞれから新しいプランを聞くことができた。そして、意見を述べあった。あっという間に3時間が経過していた。
ぼくは、二葉亭四迷の「平凡」の冒頭をプリントアウトし、プレゼントした。
それから繁華街に繰り出し、深夜まで酒を酌み交わした。何十年ぶりの再会、長いブランクがあったが友情は継続されていた。そこにはネガティブな発想はなかった。新しい人生を始めたという血気盛んな顔をしていた。
こうして長い1日が終わった。
ぼくはこのハプニングで、翌日の23時59分期限の「宿題」は提出できなかった。
 
二葉亭四迷の「平凡」以下は冒頭の一節である。一世紀余り前は「人生50年」の時代だったのである。
 
私は今年三十九になる。人世五十が通相場なら、まだ今日明日穴へ入ろうとも思わぬが、しかし未来は長いようでも短いものだ。過ぎ去って了えば実に呆気ない。まだまだと云っている中にいつしか此世の隙が明いて、もうおさらばという時節がくる。其時になって幾ら足掻いたって藻掻いたって追付かない。覚悟をするなら今の中だ(kindle版から)
 
 
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2019-01-24 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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