家族を失った私は、家族に支えられていた
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記事:矢内悠介(ライティング・ゼミ日曜コース)
「お前にできることは何もないから」
父にそう言われたとき、その場で泣き叫びたいほどに心が傷ついていた。自分がどうしようもなくダメで、頼りがいのない息子であることは、思い当たる節がありすぎた。とはいえ息子を信じて、もっと前から言ってくれても良かったのに。
思い返してみれば、小さな頃から私は「面倒がかかる子」として扱われていた。夏休みの自由研究は最後までやらずに父を手伝わせたし、すぐに迷子になるし、自分のことがはっきり伝えられず家族を困らせ、兄に頼るシーンも多かった。
親戚一同が集まる場では、しっかり者の兄はひたすら褒められ、私はどれだけダメな人間か父に語られることで笑いのネタにされた。お酒のつまみには大いに役立ったと言える。唯一の味方といえば母しかおらず、必ず母のフォローが入るのが定番になっていた。
そんな母も、高校に入学して間もなく、がんで亡くなってしまった。思えばこのときから、父との関係が崩れていったように思える。
父との時間を思い返してみると、ラーメンを一緒に食べに行った記憶がほとんどである。小学生のときからラーメン散策に付き合わされ、神奈川県内のあらゆる種類のラーメンを食べ歩いた。中学生になる頃には有名店は制覇していたので、有名ではないもののとてつもなく美味しい地元ラーメンを探す旅に出ていた。高校、大学ではラーメンに詳しいことで友人と打ち解けやすかった。そのことにはとても感謝している。
そんな父と、社会人3年目ぐらいの頃に疎遠になった。
台湾に住んでいたこともあり中国語が得意な父は、中国人の友人が多かったのだが、友人のひとりに金を騙し取られてしまった。私と兄は、その友人の存在すら知らなかったので、父から話を打ち明けられたときは驚いた。本当かどうかはわからないのだが、どうしても大金がいるとお願いされ、一役買ったようだ。祖父や周りの友人からお金を借り、私からもまだ少ない収入のお金を借り、詐欺師の友人に渡していたのだった。
母が亡くなってからの父は、ずっと尊敬していた父とはちがう人間になった。私は母の葬式後、「再婚しても大丈夫だから」と伝えていたこともあったほど、大抵のことは心を広く持とうと思っていた。しかし、お金のことで新社会人の息子を騙してまで友人を助けたことが許せなかった。
そんな出来事から、私は家を出ていき、父とは二度と会わないことを誓った。結婚式には親が参列しないことを残念に思った。ずっとしたかった親への恩返しというものも、経験できないことを寂しく思った。とにかく、親から離れることで自分を守るのが精一杯だった。
憎き父との因縁に決着をつけたのは、妻の存在である。
当時、妻と付き合って間もなく妻の実家に行くことがあった。お義父さんとお義母さんとの、初めての対面の日。今でも仲良しのピーちゃんが、しっぽがちぎれるのではないかというぐらい大はしゃぎで吠えながら出迎えてくれたことを覚えている。ピーちゃんのアシストは、僕の背中をずいぶんと押してくれた。とても温かい家族だった。
その後、なんと親戚一同が集まる新年会にも呼ばれ、私は緊張しながらその場に出向いた。まだ結婚しているわけでもない人間がそういった場に行くことは珍しかったようで、誰ひとりとして恋人を連れてきている人はいなかった。
断ったほうが良かったのだろうかと思う暇もなく、皆さんは笑顔で迎え入れてくれた。その日は4つの家族とおじいちゃんおばあちゃんがいたのだが、細田守監督のサマーウォーズという映画を思わせるほどのネットワークで、どの家族に何が起きても、全員が繋がっているようだった。あちこちで飛び交う会話に、とても強い絆を感じた。
私はこのとき、心の氷が溶けていくのを感じた。家族って何なのかを見失っていた私は、改めて家族というかけがえのない結晶を目の前にした。美しくて、温かくて、信頼が目に見えてわかる、深い繋がりがそこにはあった。私は、「家族」を思い出した。
その日の帰り、父に連絡をした。父は驚いた様子だったが、私よりも先に「話がしたい」と言ってくれた。後日、なんだか照れくさいような複雑な心境で父と会った。目を合わせることもなくラーメンをすすり、前を向きながら当時の心境を語り合った。何度か合った目はあまりにも重すぎて、まだ当時の自分には凝視できなかった。レジで会計を済ませた後、別れるときの父の笑顔は、この対面がどのような意味を持つかを物語っていた。
2年後、私は結婚式で父とウエディングロードを歩くことに決めた。最後の新郎挨拶のシーンでは、父と不仲になってしまったこと、そして妻との出会いがすべてを変えたことを赤裸々に話した。どうしても、涙をこらえることはできなかった。
感謝は今でも尽きない。
とある家族が、私たち家族の絆を取り戻してくれた。
いくつもの家族に支えられながら、今日も私は懸命に生きている。
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