メディアグランプリ

子どのも幸せのために、私ができること


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:松本 ようこ(ライティング・ゼミ火曜日コース)

「ねえ、あなたが心配性なのはわかってるよ。でも、そうやって想像力逞しく心配してること、現実になったこと、ある?」

いつだったか、見るに見かねた、いや、私のあまりの妄想的な心配性の話を聞くに堪えかねた夫に言われた。

「……」
口に出しては言えなかったけれど、(ナイデス)と心の中でつぶやいた。

子どもの頃から引っ込み思案で、人が大勢いるような場所で馴染めるタイプではなかった。きっと、最近私と知り合った人たちは大笑いするだろう。それ、何の冗談?って。年を重ね、少しずつ経験値が上がり、なんとなく新しい場面でも対応できるようになった。多少図々しくなって恥ずかしいと思うことが減ってきた。「ムードメーカー」と死語に近い言葉で評されたりすることもある。

でも……。
心配性はなかなか克服できない。

どれくらいの心配性か。例えば、休みの朝起きた時に夫がいなかったことがあった。上の子どもがまだ小さく、携帯電話も普及していなかった頃だった。引っ越してまだ間もない時で、どこかに行く予定もなかったし、どこに行ったかも検討がつかなかった。外に停めてあった夫の車がなかったので、何か買い物に出かけたのだろうか……。しばらく待ったがなかなか帰ってこない。始めは書置きもしないで出かけたことに腹が立った。そのうち、こんなに時間がかかるのは何かがあったに違いない、と思い始めた。事故に遭ったのだろうか?もしかしたら、周りに助けてくれる人がいないのかも……。山の麓に引っ越したので、山のほうにドライブに行ったのだったら、崖から落ちたのか?! 私が助けに行くしかない。娘のおむつや、飲み物やおやつを用意していざ自分の車に乗ろうとした時に夫は帰ってきた。
「何してるの?」と言われ、張りつめていた緊張の糸がプツンと切れて、文句を言いまくった挙句泣き出してしまった。夫は、私が寝ていたので起こさず、ちょっと山のほうにドライブに行こうと思ったらしい。途中で引き返そうと思ったけれど、Uターンする場所もなく、なかなか戻ってこれなかったとのことだった。

大なり小なり予想していないことが起こると、やや病的と思えるほどの妄想で、更に不安を増してしまうのだ。自分としては未来に起こりそうな不安事案を予想し、なるべく回避できるように「手を打って」きたつもりだった。それが功を奏していたのか、そもそもそのようなことは起こるはずもなく無駄なことをしていたのか、はわからない。だが、夫の言うように、私が心配することはほぼどれも現実にはなっていなかったのだ。

子どもが生まれると、その心配性に拍車がかかった。今まで経験したことのない、様々なことが未知との遭遇で、不安事案を想像することすらできないのだ。子どもが小学生だったころ、帰りが遅くて心配になってきたころに帰宅。状況を確認すると、家庭菜園用に借りていた畑にお友達と寄って「ミニトマトを食べて帰ってきた~」とか。明らかに自分の予想できる範囲を飛び越えてしまっているパターンだ。

そんな私が長い間お世話になっている方がいる。私の子育てが始まった頃に知り合い、私より一回りちょっと上の女性だ。とてもアクティブで、好奇心も旺盛でいろんなところに一人で出かけて行かれている。行った先々のお話を聞いていると、とても刺激を受ける。私も子育ての悩みや、学校であったことなどを話して、意見を聞くこともよくあった。

ある時、その方が、「息子たちがまだ小学生だったころの話よ。海が見たい! と思って。そうだ、今から車で行けば行って帰ってこれると思ったの。」と話してくださった。
行ったはいいが予想以上に時間がかかってしまい、結局その日には帰ってこれなかった。携帯もない時代。周りに公衆電話もなく、連絡が入れられなかったとのこと。ご主人も家にいるし、次の日の朝早くに帰ってくれば子どもたちの学校には間に合うと思われたらしい。

私は唖然としてしまった。心配性の私にはとてもじゃないけれど、そんな行動はとれないし、とらない。母親として無責任のようにも思えて、受け入れられなかった。

次の日の朝、家に着くと、「これからは、どこかに出かける時は、必ず僕たちに言ってからにしてください!」と息子さんたちに怒られたそうだ。

その時、突然思ったのだ。どんな年齢の子どもでも親のことを心配しているのではないだろうか。親が楽しそうに幸せでいることを願っているのではないだろうか。親が子どもを心配するのと同じように。親が子どもの幸せを願っているのと同じくらい。でなければ、あの息子さんたちは、「僕たちに言ってから出かけて」とは言わなかったのではないか。

そして心配性という憑き物のが落ちるように、こう思えたのだ。子どもたちの行く末を案じてヤキモキしているより、私自身が楽しく幸せな様子を見れたほうが、子どもたちはきっと安心に違いない。よかったと思うに違いないと。きっとそれが、これから先の子どもたちの幸せにもつながっていくと。だって、それは私が私の両親にそうであってほしいと願っていることだもの。

自分が幸せに生きる。
それは、親孝行でもあり、子どもの幸せにもつながるのだ。決して我儘で自分勝手な行為ではないと思えた。

「お母さんさん、なんだか楽しそうだね。」と心なしか冷ややかな目線を感じつつ、本日もお出かけしてきます!

 
 
 
 

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2019-04-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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